幕間1 凡庸、ゆえに儚く斬り落とされる日常
自分の部屋に行くと、黒髪の幼女は、輪ゴムとティッシュ、そしてマジックインキを用意した。その後、ティッシュでてるてる坊主の姿をつくり、輪ゴムで丸めたティッシュが飛び出さないように首元を締めると、そこに輪ゴムを連ねて作った紐をつける。そうしてマジックインキで目と口を描くと……できた。
大人ならつくるのに一分もかからないものだが、黒髪の幼女はまだ齢が五である。手先が大人と比べると不器用なため、五分ほどかかってしまった。
「できたっ♪」
パァ、と花開くような笑顔の幼女。問題は、どこに飾るかだ。
それを考えたとき、彼女はリビングがいいと思った。家族の憩いの場であり、常に明るい笑いに包まれているあの場所なら、てるてる坊主の効果も上昇するというものだと思ったからだ。単に親に、自分のつくった作品を見てもらいたい、という欲求もあったが……。
幼女は部屋を出ると、トテテテ……、と階段を下りていく。
下りていき、リビングへの扉を開く。開かせて、しまう……。
「お父さんお母さん見てーっ! これがわたしの――――」
扉を開けた直後、幼女の笑顔が、凍り付いた。
床に、何か生暖かい液体が触れた。
雨が入ってきたのかな? と、幼女は初めこそ思ったが、それにしては随分と、赤かった。それに、雨はこんなに生暖かくない。
裏庭へと続く引き戸が、開いていた。雨が相変わらず降っている。
その引き戸の前に、ぼうっと突っ立っているモノがいた。
身体は細身で長身。年期の入った古めかしい衣類を纏い、全身が外の雨でぬれていた。
なにより相手の変わっているところは、顔だった。
無地の白いビニール袋で素顔を隠し、目鼻の部分だけ穴が空いていた。まるで、てるてる坊主の様だと感じた幼女。だけど、目の前の人物は、てるてる坊主ほどの愛くるしさなど欠片も感じられない。感じられるのは、心臓を鷲掴みにされていると錯覚するほどの…………恐怖。
「…………!」
そのてるてる坊主を見ていると、そいつが左手で何かをもっているのに気づいた。それが何なのかを把握した瞬間、幼女は視界がぐらぐらと揺らぐのを感じた。
かのてるてる坊主が左手に持っているのは、頭だった。
長い黒髪を無造作に掴んでいた。そしてそれは、ぶらぶらと外から中へと入ってくる風で揺れていた。
ふらつきながらも視線を逸らす幼女。するとその逸らした視線の先には、母親が血まみれになって倒れているのが、見て取れた。首から上は、なかった。
「――‼」
脳みそがミキサーでシェイクされ、腹の底がぐるぐると暴れ出す。
身体が拒絶反応を起こし、幼女はその場にへたり込んだ。
恐怖で身体が硬直し、今にも気を失いかけようとしている幼女に、てるてる坊主は近寄っていく。
そのとき、かの右手にも何かもっていることがわかった。
形状は剣。だが、その刀身はまるでフックのように湾曲しており、その独特の刀身は、真っ赤に染まっていた。
カタカタ……、と幼女の身体が小刻みに震えだす。叫び声を上げたいが、恐怖のせいで喉の声帯が麻痺しているようで声が出せない。
なすすべがない幼女。そんな無抵抗な彼女に、てるてる坊主の兇器が迫ろうとしていると、
「菜乃!」
突如、てるてる坊主を背後から羽交い絞めにする男が、彼女の名前を叫んだ。
黒髪の幼女――菜乃の名を鋭い声で呼んだのは、彼女の父親だ。
父親は日頃の柔和な態度とは一変していた。それは、自分の大切な宝物に手を出そうとしている悪漢に立ちむかおうとする戦士のものだった。
彼に名を呼ばれると同時、菜乃を縛っていた恐怖が解けた。自由を取り戻した彼女は、てるてる坊主と父親の横を通り過ぎ、逃げ出そうとする。
「あ“ああ“あぁぁ―――――………………」
瞬間、背後から断末魔が聞こえた。その断末魔も、途中で強制的にシャットダウンさせられたようだった。
その声に驚き、菜乃は床一面に広がっている血だまりに足を取られ、転倒する。
ハッとし、後ろを振り向こうとしたとき、
「きゃあぁ――っ!」
彼女の頭を後ろから引っ掴み、床にたたきつけるてるてる坊主。視線だけを後ろに振り向かせると、てるてる坊主の眼と合った。
憤怒と興奮と喜びに満ちたその眼光に、菜乃は全身の力が抜けてしまった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、父親の頭がゴトリと菜乃の脇に無造作に置かれた。
鉤爪のような刀身が、今度こそ菜乃の首を捉えんとする――――そのときだ。
後ろが、赤ともオレンジとも取れる光で満たされた。
瞬間、菜乃を押し付けていたてるてる坊主が裏庭までぶっ飛んでいく。
「ぎゃああああぁぁぁぁ――――‼」
見ればてるてる坊主は、その身を炎で焼かれていた。炎を消すべく、てるてる坊主は裏庭でごろごろと転がり、とにかく必死だ。
拘束を解かれ、身を起こす菜乃は思わず背後を振り返った。
それはトンビだった。
……いや、トンビの仮面を被っていた。
黒のマフラーとマント、衣服で身を包んでいた。
トンビの仮面を被ったその人物は、菜乃をじっと見つめていた。その眼光は鋭く、威圧的なもの。視線だけで相手を恫喝するに十分だった。羽虫程度なら殺せるかもしれない。
しかし菜乃には、それが怖いものとは感じられなかった。それは幼子の純粋さゆえに、トンビの仮面の人物がもっている優しさと慈愛を見通せたのか…………。
だが、それもほんの数秒。仮面の人物は菜乃の後ろ――てるてる坊主に視線が向かった。
つられて菜乃もそちらを見ると、てるてる坊主の素顔があった。
ビニール袋を被っていた為であろう、火傷の痕がひどく、ビニールの溶けたものが顔にへばりついていた。
性別は男だった。狐のように細い眼は、今や憤怒に満ち満ちており、ギリギリと歯ぎしりをしているほどだった。憎たらしいとばかりに、その男はトンビの仮面の人物を睨み付ける。
そのとき、遠くからパトカーと救急車のサイレンが聞こえてきた。音が徐々に大きくなっていることから、おそらくはこの家に向かっているのだろう、と菜乃は考える。
チッ、と男は舌打ちをすると、身軽な動きでその場から退散した。
嵐のような時間が過ぎ、ただただパトカーと救急車のサイレンだけが近づいてくる。
菜乃が後ろを振り返ると、そこにはもう仮面の人物の姿はなくなっていた。
その場に残されたのは、菜乃と、頭を切り落とされた彼女の両親、そして菜乃がつくったてるてる坊主。
幼女――花月菜乃がつくったてるてる坊主は、血の雨によってつくられた血だまりで、濡れていた。




