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神奇世界のシグムンド  作者: 上川 勲宜
第3章 心の境界線
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エピローグ 「よかった…………」

 自宅に戻ってきたときには、すでに東の空が薄らと明るくなっていた。明から暗へと続く空のグラデーションは、自然が織りなす芸術といっていいほどの鮮やかさと美しさがあった。


 明日は学校があるのだが、傷だらけの身体で行くわけにはいかない。それに、そんな気力が残っていなかった。ズル休みで悪いが、明日はゆっくり休まないと、とても身体がもちそうにない。


 それはどうやら、ななせと菜乃も同じらしい。この調子だと、おそらくマリアもだろう、と志具は予想する。


 いや、それよりも、


 ――マリアは屋敷に帰って大丈夫だったのだろうか?


 聞けば彼女、家の人には無断で外出してきたらしい。エデンに行っている間、マリアが不在だということに気づかれていなければいいが、そうでなければ大事である。


 ――電話のひとつでもするべきだろうか……。


 とりあえず、無事に家に戻れたかどうかを確かめる電話を……、と志具は思ったのだが、今は時間的にまずいだろうと判断する。一休みしてからかけることにしよう、と結論を出す。


 志具やななせの治療は、菜乃がした。身体強化術による恩恵により、ある程度の傷口は塞がっていたのだが、念のための治癒を、消毒液や包帯などで施した。


 その後、やっと志具は自室へと戻った。


 身体が重い。瞼が重い。気を緩めればあっという間に意識が落ちてしまいそう……。


 このままベッドに倒れこもうかと思ったが、さすがにボロ布のような衣服でダイブするわけにもいかない。面倒だったが、パジャマに着替えることにする。衛生面を考えるなら風呂にも入らないといけないのだろうが、傷だらけの状態で風呂に入るのは、激痛が走るだろうから、精神的によろしくない。よってそこは妥協をする。


「疲れたな……」


 思わず、心の声を吐露する志具。帰ってくるまでに、ずいぶんと我慢した言葉だった。


 途中でその言葉を口にしなかったのは、口にしたが最後、もう一歩も動けなくなりそうだったからだ。一度口に出すと、連鎖的に心が折れるのを防ぐために、我慢していた。


 けど……、その我慢も自宅、ましてや自室ではする必要がない。ここは志具にとっての聖域なので、誰の邪魔も入らない――――、


「し~ぐっ♪」


「…………」


 扉を半開きにし、ベッドに倒れこもうとしていた志具を見る少女がひとり。――言うまでもなく、ななせだった。


 はぁ~、とため息を漏らさずにはいられない志具。


「失礼なやつだなぁ、お前は。可愛い許嫁がやってきたんだぞ? もっと喜べよ~」


 不満そうに頬を膨らませるななせ。


 そんな彼女に、志具は言いたいことがあった。


「なぜ勝手に私の部屋に入ってくるんだ……」


「許嫁だからだ!」


 えっへん、とななせは胸を張る。


 答えになっていないぞ! とツッコミを入れたかったが、そんな気力など、今の志具にはなかった。


 煩わしげに額をポリポリと掻くと、


「出ていってくれ。私はこれから寝るんだ」


「添い寝してやるよ」


「断る」


 バッサリとななせの申し出を断ち切る志具。そうして志具は、吸い寄せられるようにベッドへと向かおうとするが、


「冗談だって、冗談。本当は別の要件があったから来たんだよ」


 ななせは笑ってごまかし、そのようなことを言ってくる。


 別の要件? と志具は眉を潜ませる。


 ――事件は解決したはずだが、もっと何か重要なことでもあるのだろうか?


 考えてみるが、志具にはとんと心当たりがない。まさか自分がいない間に、別の事件が起きているとか、という可能性も吟味してみるが、ななせを見る限り、そんな感じではないようだ。


「志具。――後ろ、向いててくれよ」


「……何するつもりだ」


 嫌な予感しかしない志具。露骨に嫌な顔をする彼だったが、抵抗し、無駄に時間を経過させるよりは、手っ取り早く彼女の「要件」とやらを済ませてやったほうが、睡眠時間の確保につながるな、という思考にたどり着く。


 言われるがまま、志具はななせから背を向けた。


「そのまま動くなよ……」


 まるで銀行強盗か何かの台詞をななせは言う。どう足掻いても、嫌な考えしか志具には浮かべられなかった。


 ――早く済ませてくれよ……。


 そんな鬱陶しいとばかりの思いが、志具の頭を先行する。


 そうして棒立ちしている志具の背を――、






 ――――ななせは、ぎゅっと抱きしめた。






「……⁉」


 何が起きたかわからない志具は、目を白黒とさせる。


 思わず首だけを振り返らせると、ななせは瞼をそっと閉じ、彼の身体に密着していた。


 柔らかく、優しく、大切なものを全身で味わうように。


 彼の存在がそこにあるのか、確かめるように。


 突然の事態に、志具の心音が高鳴っていた。あまりにも過ぎる不意打ちだった。


 事態を把握しようと思考を回転させるが、すべて空回りして、満足いく結論が得られない。


「ま、万条、院……⁉」


 とりあえず、彼女を引きはがそうと、声をかける志具だが、






「よかった…………」






 ななせのその一言で、志具は言葉が詰まった。


 彼女のその言葉は、これまでの明るさに満ちたものではない。どちらかといえば、彼女らしくない色を含んでいた。


 それは哀しさ。……いや、正しくは哀しさだったもの。


 哀しかった想いが取り払われて「よかった」という情が、ななせの言葉に滲んでいた。


 ――志具が戻ってきて、よかった――――。


 そんな想いが、短い言葉に乗せられていた。


 それに志具は気づくと同時に、彼女に対して非常に申し訳ない気持ちがこみ上げてくる。


 ――彼女は、彼女なりに心配をしてくれていたんだな……。


 マリアもそうだった。港で抱き着かれたとき、マリアの自分に対する心配加減が嫌というほど伝わってきた。


 そして今回も。


 ななせに背から抱きしめられ、自分がどれほど大切に想われていたのかを、胸が痛くなるほどに思い知らされた。彼女の抱きしめる力は、決して強いものではないというのに…………。


「…………すまなかった」


 志具はななせに、ただ一言そう言った。


「本当だ。まったく……」


 くすりと、少し笑みを漏らしながら、ななせは言葉を返した。笑みなのかどうかは、志具からは見えなかった。






 陽が昇ていく。カーテン越しの光が、少しずつ明るくなっていく。


 悲痛な(やみ)が朝日に溶け、光へと塗り替えていく。




 光へ、光へ――――。




 神奇世界のシグムンド 第3章 ――終――

 第4章連載開始日は、11月1日、金曜日、18~20時の予定です。

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