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神奇世界のシグムンド  作者: 上川 勲宜
第3章 心の境界線
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第15話 不完全な人形

 志具はななせとマリアに先導され、港を走っていた。足取りは重いが、敵の追手が来ないとは限らない以上、急ぐ必要があった。


 志具はあの後、ななせから一連の話を聞いていた。(その前に、軽くななせにマリアとのやり取りをいじられた)


 そのことで志具は、今から向かう先でエデンから脱出できることを知らされてはいたのだが、腑に落ちないところがひとつ。


「何者なんだろうな……」


 志具がひとりごとのように呟く。


 何者、というのが誰を指しているのか……。無論、ななせたちをここまで連れてきた金髪の青年のことである。


 ななせに聞かされたとき、志具も町でからまれたことをしっかり憶えていた。あのときはただ単に、注意をしたがりの外国人なだけかと思っていたが、そうではなかったようだ。


 ――もしかして、あれは偶然ではなかったのか……?


 あらかじめ、自分たちに接触するために、わざとあそこでコンタクトを取った。


 ただ、もしそうだとしても、青年の意図がわからない。どうしてここまで、自分たちに肩入れするのかが……。


「あそこだ」


 志具があれこれと思案している間に、ランデブーポイントまでやってきたようだ。ななせが足を止めた。


 マリアがはぁはぁと、肩で息をしていた。


 無理もない。彼女は運動をするほうではないのだから……。長い付き合いということで、志具はそのあたりをよく知っていた。


「あ、ななせ様、マリア様。それに……」


 ランデブーポイントで待っていたのは、菜乃だった。彼女はまず二人の名前を呼び、次に志具へと視線をやる。


「あら、志具様。元気そうで何よりです」


「……」


 敵の手に落ちる前と後で、菜乃はまったく態度を変えようとしなかった。いたって平常モードで志具に声をかける。平常だという証拠に、彼女は微笑みまで浮かべている始末だ。


「あら、どうかなされましたか?」


「いや……」


 何かわたしが粗相でもしましたか? と言わんばかりに訊かれたので、志具は何も言えなかった。実際、粗相というほど、大仰なものでもないので、志具は追求するのを止めた。


「それより菜乃、これはどういうことだ?」


 ななせが視線を地面に向け、そう言った。


 志具も先程からずっと気になっていたのだが、ななせの視線の先には淡く発光している幾何学模様が描かれた魔法陣があった。


「これが転送陣というものか……」


「そうだよ。これを使って、わたしたちはエデンまでやってこれたの」


 マリアが志具の言葉に答える。


 しかし、ななせは疑問に感じていることがあるようだった。それに答えるように、菜乃が言う。


「実はその……あの男の方から伝言を授かっていまして……」


「伝言?」


 訝しげに首を傾けるななせ。


「はい。――『用事が長引きそうだから、先に帰っててくれ』とのことです」


 金髪の青年がエデンにやってきたのには理由があるんだということを、ななせは話していたことを思い出す。言ってしまえば、自分が赴くついでに、ななせたちも送ってってやるのだということも。


 ななせたちの用事と金髪の青年の用事は同じものでない以上、終了するのに時間的な差が生まれることは、何も不思議ではないことだ。


「…………考えていても仕方がない。今は脱出することが先決だ」


 ななせの言葉に、一同は満場一致で賛成する。


 四人が魔法陣の上に乗ると、陣の放つ光が強さを増していく。


 志具の視界が光に塗りつぶされ、港の倉庫風景がかき消されていく。


 視界が…………光一色に染まった――――。



 ――◆――◆――



 エデンの都市は、夜が深くなろうとも眠ることを知らない。


 闇などありはしないとばかりに街中を照らす人工の明かり。ネオンのビビッドな明かり……。


 暗黒の静けさを打ち破らんばかりの、人々の賑わい。特に今日は、それが顕著だった。


 メインストリートを行きかう、無数のパトカー。そのサイレン。


 猛スピードで走っていくそれらを見て、野次馬根性を抑えきれなくなった道を往く人々が、パトカーの後をついて行く。まるで光に寄っていく羽虫のようだ。


「忌々しい……」


 光の届きにくい裏路地から、ゲルディは言葉にした通りの表情をして、吐き捨てた。


 そんなに羽虫になりたいのなら、火に飛び込んで焼死してしまえ、とすら思う。今の自分の心の中のように。


 今、ゲルディの心を焼いているのは、恨み、憎しみ、怒りだった。自分の思い通りに事が行かず、すべてがすべて、出し抜かれてしまったことに対する負の感情。


 ――この恨み……今すぐにでも発散する必要がある。


 そういえば、侵入者の報告を間抜け面して行ってきていたやつが冷凍保存されているんだっけなぁ。適当に解体でもして鬱憤を晴らすとするか……。


 自分の恨みを自分自身で解決せず、他人に八つ当たりをしようとしているゲルディ。


「相変わらずだね、ゲルディ」


 そんな彼を、背後から声をかける者がいた。


 ――⁉


 声をかけられるまで、人の存在に気付けなかったゲルディは、反射的に背後に振り返る。


「……貴様……っ!」


 声をかけた当人の姿を発見した瞬間、ゲルディの憤怒の炎にガソリンが放り込まれた。


 ゲルディの視線の先には、金髪の青年の姿があった。


 涼しげで芸術作品のように美しく整った容貌をもった青年は、ゲルディとは対照的に、平静な様子だ。彼の紅い瞳は、ひとりで勝手に激昂しているゲルディに対して、ある種の憐憫を抱いているような色を浮かべていた。


 それがますます気に食わないゲルディ。


「……そうか、貴様だな。あのゴキブリどもを我が聖地に送ったのは……」


「聖地、か……」


 肩をすくませる青年。それは愚か者を笑うような色を宿していた。


「僕には、ただ単にモルモットの檻にしか見えないけどね。――君を含めて」


「んだとお?」


 ゲルディは目をひん剥く。そのまま掴みかかりたい気分に駆られるゲルディだが、それは欠片ながらに残っていた理性で抑える。


 ゲルディは知っている。何の策もなしにやつに牙をむけば、容赦ない一撃が待っていることを。


 わが身の保身に対しては、極端にゲルディは気を遣う男であった。現にまひると侵入者二人との戦いが決した後、彼は真っ先に、『アーティファクト』で姿を消したままその場を逃げ出したのだ。


「『ハデスの隠れ帽子』、使用者の姿と気配を完全に外界から断つ隠密性能の『アーティファクト』……」


 青年はゲルディのつけている片眼鏡を見て、的確に『アーティファクト』の名称と効果を言ってのけた。帽子などとは名ばかりで、実際はゲルディが装着しているモノクルがそれである。


 続けて青年は言う。


「実に君にふさわしい『アーティファクト』だと、つくづく僕は思うよ。君みたいに、己が力を誇示するときは姿を現し、自分の立場が悪くなったら姿を消す。そんな姑息で小心者な君にね」


 ギリギリとゲルディは歯を砕きそうになるほどに噛みしめる。


 怒りの炎に油を注いでいるのは青年にもわかっているはずだが、臆することなく言葉を続ける。


「君に足りないのはね、『覚悟』だよ。リスクを自分で背負い、その上で事を為そうとする覚悟が、君にはないんだ。――だから、本当に欲しいものが手に入らないんじゃないか。――『至高の叡智(アカシック・レコード)』が」


 魔術師たちが血眼になって求めている最大級の叡智の名を聞き、ゲルディは吠える。


「貴様だって同じくせに、なにを偉そうなこと言ってやがるんだ!」


「そうだね。でも、君よりはまだマシさ。少なくとも僕は……昔の僕じゃない」


 そう言ってみせる金髪の青年の瞳には、有無を言わせぬ迫力があった。


 そこに宿るは、強靭な意志。いかなる困難も乗り越えてみせるという想いがあった。


 その瞳の色のような紅に、人を傷つけようとも、自分を傷つけようとも、本当に欲しいものを手にするためなら、如何なる艱難辛苦を受け入れてやろうと。


「それはそうとゲルディ。今日君に会いに来たのは、そんなことを話し合うためじゃないんだ」


「……なんだ?」


 唐突に話を切り替える青年に、ゲルディは憎らしげに言葉を返す。


「わかっているでしょ? 『ホークラックス』さ。あれを返してもらおうと思ってね」


 さらりと言ってのける金髪の青年に、ゲルディは驚愕に顔の色を変化させる。


 というのも『ホークラックス』は、ゲルディが彼の根城に忍び込んで、盗んだものだったからだ。青年に一矢報いるためと、人造人間計画を実行するために、どうしてもあれが必要だったから……。


 しかし、どうして自分が盗んだことがばれたんだ? とゲルディ。自分が侵入した証拠を残さないように、様々な手段を使ったというのに……。


「――鈴野まひる」


「……⁉」


 彼女の名前を聞き、ゲルディの心音が一段跳ね上がった。


 動揺するゲルディに、青年はさもわかって当然だとばかりに言う。


「彼女を見れば一発でわかったよ。しかもあれ、僕があらかじめ保管していた魂を使ったんだろ?」


「どうしてそこまで……」


「わかるさ。魂っていうのは、指紋のようなものなんだ。同じものはひとつとしてない。――にもかかわらず、まひるちゃんの魂は、僕が保管していたものと全く同じだったからね」


 魂が識別できるだと……⁉


 ありえない、とゲルディは彼の言っていることを否定しようとするが、


「君は本当に…………憐れな人だね。きっと、気づかないのは君だけだよ」


「誰がっ……憐れだってええぇぇ……?」


 憤怒のレベルを超え、今にも額に浮き出ている青筋がブチ切れそうになっているゲルディ。


 しかし青年は、彼の質問に答える気などないようだ。むしろ、ゲルディのその居丈高な様子に肩をすくませると、


「まあ、あの人の魂を手放しちゃったのは残念だけど……まあいいさ。箱さえ取り返せれば、それでね」


 青年は手を差し出す。


 それは握手を求めているのではない。


 ゲルディはその手に、まるで汚物でも見るかのような視線を向けると、


「断る。貴様が困るのなら本望というものだからな!」


 ククク……、と嗤いを漏らした。


 人が損したことを知れば、それだけでゲルディの心は高揚するのだった。


「そうかい。……まあ、そうだと思って、僕も君の研究所からちょっと失敬させてもらったものがあるんだよ。たしか……『グリモア』とかいうやつだったかな」


 だが、その気分のいい高揚感も、その言葉によって打ち砕かれた。


「貴様あぁ!」


 唾を吐く勢いで、ゲルディは怒声を向ける。……が、青年はまるでそよ風に当たっているかのような、気にしていない態度だった。


「お互い様さ。君も言ったじゃないか。『貴様だって同じくせに』って」


 その上青年は、ゲルディが前に言った言葉を、そっくりそのまま返す。


 ――糞野郎……っ。


 今すぐ解体してやりたい。解体してもなお意識を保たせて、そのまま鮫の餌にでもしてやりたい……。


 そんな残虐非道な考えを浮かべるゲルディ。その考えが面相となって表れていた。


「まあいいや。返す意志がないということがわかっただけでもよしとするよ」


 怒髪天突く形相であるゲルディに、じゃあね、と手を振ると、金髪の青年は裏路地の闇の中へと消えていった。


 今から追いかけて、後ろから襲ってやろうか、などとも考えたが、すぐに無駄だと判断を下した。


 チッ、と舌打ちを吐くゲルディ。


 ――忌々しいやつに会ってしまったな。


 やつの何が起きても動じないあの態度が、昔からゲルディは気に食わなかった。あの青年が自分より優れていると知り、様々な嫌がらせの限りを尽くしても、青年はまるで動揺した気配を見せないのだ。それどころか彼は、何をやっているんだか、と言わんばかりに、馬鹿な人間を見るような眼差しを向けてくるのだ。


 それが腹立たしくて仕方がないゲルディ。それが完全に自分勝手な恨みだということに、ゲルディ自身はまったく気づいていなかった。


 そんなだから、ゲルディは彼から、愚か者の烙印を押されているのだというのに……。


 ゲルディは、彼の名を頭の中で憎々しく思い返す。


 傍若無人、天上天下唯我独尊、己以外に優れたものなどひとりとしておらず、いたとしてもその者を力ずくで叩き潰すことで「いなかったこと」にする、そんなゲルディ・サイマギレッジに、唯一畏怖を抱かせる金髪の青年。


 彼の名は、アレイスター・クロウリー。


 あらゆる魔術の師父であり、魔術結社『銀の星』現盟主、その人であった。



 ――◆――◆――



 エデンにある、とある高級高層マンション。その部屋のひとつが、まひるとイザヤの住居だった。


 玄関ホールでカードキーを通した後に指紋認証を行わないとマンションの敷地内に入ることができないのだが、イザヤはそのセキュリティを完全に無視し、人知を超えた跳躍で、人様のマンションのベランダを踏みつけながら上へと向かい、我が家のベランダで停止した。


「ただいま~」


 ベランダの引き戸には鍵がかかっていなかったので、イザヤはまるで玄関からやって来た的なテンションで、室内へと入った。


「…………あ、イザヤ君」


 まひるはソファに座っていた。テレビをつけてはいるが、彼女の様子を見れば、ちゃんと視聴していないことがわかる。


「おいおい。ベランダから失礼したことにノーリアクションかよ」


 失笑を浮かべるイザヤ。


「今はそんな気分じゃな…………って、イザヤ君⁉ どうしたの、その怪我!」


 先程のローテンションから一転、まひるがイザヤの身なりに今気づいたとばかりにてんやわんやとし始める。


 イザヤの衣服はボロボロに千切れ、服を着ているというより、布をかぶっているような状態だった。それだけではなく、彼の身体中には裂傷が走り、じわりと血が滲んでいた。


「た、大変! すぐに手当てしないと……! っていうか、大丈夫なの⁉」


「ああ、大丈夫だ。深傷はほとんど負わなかったからな」


 とはいえ、久しぶりにこれだけの大怪我をしたな、とイザヤは思った。


 『グラム』の『龍殺し』を受けたイザヤだったが、『クラウ・ソラス』で威力の中和を行っていたこともあり、致命傷を負うまでには至らなかった。その上、イザヤの身体強化術は、志具のそれとは練度が違う。防護性能も、志具のものが紙だとすれば、自分のは数ミリほどの鉄板ほどの固さがあると、イザヤは思っている。


 その後、まひるが救急箱をもってくると、イザヤの傷の手当てをし始めた。


「えっと、痛くない?」


 消毒液を傷口に塗りながら、まひるが尋ねてくるので、


「ああ。こんな痛み、あってないようなもんだ」


 と、イザヤは答えてみせた。


 そっか……、とまひる。彼女の声色がやや沈んだのを、イザヤは聞き逃さなかった。


 ちらりとまひるを一瞥したイザヤは、彼女の小さな異変に気づく。


「……ん? どうした、その指」


 まひるの人差し指には、絆創膏が貼られていた。


「ちょっと……弦で指、切っちゃったの」


「『オルフェウスの竪琴』でか?」


 と、イザヤ。


 そこにますます引っ掛かりを覚えるイザヤ。


 様々な音色を奏でることで、聴者に良くも悪くも魔をもたらす『オルフェウスの竪琴』。


 まひるがあの『アーティファクト』を使ってそれなりに日が経つというのに、今更そんな素人のミスをするとは考えられなかったのだ。


「何かあったのか?」


 イザヤは一切オブラートに包まずに、訊いた。


 彼の傷の手当てをする、まひるの手が止まった。


 しばらくの沈黙の後、まひるは言葉を漏らす。


「……私、人形なのかな?」


「……どうした、急に」


 イザヤは一瞬、言葉に詰まった。彼女の生まれを知っているがゆえに。


 自分の出生を何ひとつ知らないまひるは、さらなる言葉を口にする。


「あの万条院さんって人に、言われたの。それと……あの大道寺さんにも、似たようなことを……」


 そっか……、とイザヤ。


 まひるには悪いが、イザヤは彼女たち二人を責めるつもりはなかった。憤りも感じなかった。むしろ、よく言ってくれたものだと、思っているくらいだ。


 敵対している身とはいえ、その点に関しては、イザヤは彼女たち二人と同意見だった。


 まひると長らく付き合ってはいるが、彼女には自発性というものが希薄な感じがしてならない。すべてにおいて他人の意見や命令に従い、それに対して疑問も反感も対して抱いていないのだ。それどころか、他人の言っていることだからそれは正しい、というような幻想すら持っているように思えてならない。


 それは自分に対して生じるはずの責任を放棄するような態度であり、他人にとって(てい)のいい操り人形も同然だ。


 だからイザヤは、言ってやった。


「お前は……不完全な人形だ」


「人形、なんだ……」


「ああ、不完全な、だけどな」


 そこのところを強調するイザヤ。


 まひるは訊く。


「どういうこと?」


「人形は、傷ついても痛がらないだろ」


 イザヤは、簡潔に答えてみせた。


 そう。人形は傷つかない。それは、人形には「人情」がないためだ。人の形をしているだけであり、そこに温かな情は宿っていない。だから傷つかない。ゆえに痛みを知らない。


 他人の痛みを考えることのできない人間は、痛みを知らないからそのようなことができるのだ。ましてや痛みを知ろうともしない人間は、傀儡も同然。そういう生き方を良しとしたその瞬間から、その人は精神的な成長が止まってしまっていると言ってもいい。それは、人間が生きていくうえで、人として生きていくために必要な「人情」を捨ててしまっているためだ。人として生きる以上は、人である尊厳を、心に大切にしまっておかねばならない。


 転んでひざ小僧をすりむくと血が流れる。当然、痛い。だけど、時間が経てば傷口は塞がる。塞がるだけでなく、怪我をした箇所の皮が厚くなる。そしてその人も、転ばないようにどうしたらいいのかを考える。


 傷を受けるということは、その痛みについて考えるということに繋がっている。


 だから、痛みを知る人間は、それだけ自分のものでも他人のものでも、痛みを吟味することができる。


 だから、傷ついたことのない人間は、痛みについて考える機会がないゆえに、人を平然と傷つけることができるし、傷つけていると本人も自覚できていないことが多い。


 それはある意味、自分自身すらもまともに見ていないということに相違ない。自分を見れていないから、他人の言いなりになっている自分のことに、気づけない。それは本当に、人形そのものだ。


 人が人であるために必要なのは、自分が感じた痛みよりも、他人の痛みに鋭くなければならないと、イザヤは考えている。それが人間から「人格」へと昇華できるひとつの道筋であろう。


 だから、イザヤは言う。


「お前を感じた痛みを、少しでも相手のそれを想像する手助けにすりゃ、人形じゃなくなるだろうさ」


 言った後、こんなこと、人を主に肉体的に傷つける戦士の言う台詞じゃないかもしれないけどな、とイザヤは内心で自嘲する。


 だけど彼とて、他人の痛みに気づいていないわけではない。これまでの人生の道中、イザヤは戦場で生きる戦士としての職業柄、肉体的にはもちろん、精神的にもボロボロになっていた。


 イザヤは、戦闘に楽しみを見出しているような戦闘狂だ。だけどそれは、弱い相手を虐げるのが愉しい、という感情からではない。


 イザヤは、自分よりも強い人間や、これから伸びるであろう将来性のある人間と戦うのが好きなのだ。彼らと戦うことで、自分がより高みへと望むための刺激を受けるのが。その刺激を求めるためなら、自分が傷つくこともいとわない。むしろ、そのくらいの覚悟はするべきだと、イザヤは考えている。


 今回の怪我だってそうだ。全く痛かったわけがない。だけど、この傷はやがて、自分自身を更なる上へと伸ばす起爆剤となってくれることだろう。


 痛みを、自分を上へ上へと行かせる強さへと変換していく。イザヤはそれをひたすらに繰り返していくことで、今の強さを手に入れたのだ。


 まひるは彼の言葉を聞き、「…………うん」と頷いた。


 その頷きには、素直なものがあった。ただ、彼女の素直さは、どこかやはり、人の言うことを一から十まで信じきってしまうような危うさがあった。


 それを感じ取ったイザヤは、まひるにある提案をする。


「まひる、試しに本でも読んでみろよ」


「……? どうして?」


 突然の提案に、まひるはきょとんとしている様子だ。脈絡がない、唐突の話題転換だと思っている顔だ。


「まあ、お前が読みたくないっていうんなら、別に強要はしねーけどな」


 あくまで促す程度にとどめておくイザヤ。ここで本を読めと言った理由を明かし、強要してしまえば、彼女はそれこそ他人の意見でしか動けない人形のようになってしまうだろう。


 まひるは返事に窮しているようだった。戸惑いの色が見て取れる。


 ……が、やがて、


「…………考えておくよ」


 ――『考えておく』、か……。


 その回答に、イザヤは満足げを微笑を浮かべ、まひるに傷の手当てに、己が身を任せることにした。

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