第13話 退けない境界線
「――きゃあっ!」
突如、バチッとまひるが弾いている竪琴から火花が散り、まひるがそれに怯み、演奏を中断した。
なんだ⁉ とななせ。『桜紅華』による魔力の膨大な消費により、足元がふらついている中で起きた現象に、ななせは驚きの声を上げた。
パァン、とそれに次ぐように、空気がはじけるような音がマリアから聞こえた。
ななせが、音につられてそちらへと視線を向ける。すると、マリアを護るように、半透明のシャボン玉のような結界が、彼女を包み込んでいた。
――どういうことだ……?
間違いなく、マリアはまひるの魔術による精神攻撃を弾いたのだ。
でも、どうして? マリアは魔術を行使できない一般人のはずだ。だというのに、どうしてそのような魔術無効化のようなことができているんだ?
……と、そこまで考えたとき、ななせの脳裏に浮かんだのは、あの金髪の青年がマリアに手渡した、あの銀色の懐中時計。
もしかしなくとも、あれしか考えられない。そもそも、あの懐中時計の名前からして怪しいのだから……。
「マリア、大丈夫か?」
マリアに駆け寄るななせ。額に玉の汗をかいてはいるものの、マリアの顔色は、精神攻撃を受けていたときよりも、血色がよくなっていた。
「う、うん……。わたしなら大丈夫だよ……。もう、平気だから」
疲れた表情をしているが、その瞳は強い意志が宿っていた。
いかなる困難に出会っても、決して譲らない想い……。それをマリアの眼から感じ取り、ななせは少なからず驚いていた。
――なんだか……最近のマリアには驚かされてばっかりだな。
思わずふっ、と口元を緩ませるななせ。
「……どうかしたの? ななせさん」
「いや。なんでもないさ」
友の成長を間近に見られたななせは、そのように彼女の言葉をあしらった。
「ど、どうして……?」
ななせは戸惑いの声を漏らしているまひるに、厳しい眼を向けた。
まひるは再び演奏を試みようとしているようだが、いくら指を弦に滑らせても、音が一切鳴ろうとしていないようだった。意地になって力を込めると、まひるの薄い指の皮がめくれ、血が出てきた。
「……っ……」
まひるの指先に滲み出す血。それを見て彼女は、苦痛に眉を潜ませる。
「指先だけでも、切ったら痛いだろ?」
切った指先を口にくわえ、止血しようとしているまひるに、ななせはそう言った。
まひるは目線だけで「痛いけど……それがなに?」と言葉を返してきた。
だから、ななせは言ってやる。
「お前がしでかして相手に負わせた傷は、お前が今、感じている以上の痛みを伴っているんだよ」
心にナイフを突き立てられた人間の痛み……。まひるのは目に見えるものだが、ななせやマリアにつけられたそれは、目に見えないがための苦痛があるものだった。
目に見える傷と、目に見えない傷……。どちらがマシなのかという問いかけに、正確な答えはない。目に見える傷は、その度合いが大きいほど衆目にさらされる可能性を大きくし、場合によっては何らかのデメリットを生じさせるからだ。
だけど、それは目に見えない傷も同じこと。いやむしろ、見えないゆえの非情さがある。傷が視認できないため、善人であっても、その人を傷つけてしまう可能性が生じるからだ。傷が見えないために、その傷口を抉るような真似を、悪気がなくてもしてしまう。心の傷とは、そういうものなのだ。
まひるが今負った傷は、よほど性格が捻じ曲がった人間でない限り、そこに針を刺すような真似はしないだろう。それだけでもありがたく思え、とななせは心の中で吐き捨てる。
そして、実際の口では、
「その傷から、少しは他人の感じている痛みってやつを、想像できるような人間になるんだな」
そんな言葉をまひるに放った。
まひるは呆然としていた。『アーティファクト』である竪琴を使えなくなり、戦意喪失をしているのだろうか。いずれにせよ、戦意を失っている相手に、これ以上用はない。殺生など、するつもりもない。
ななせはマリアを立ち上がらせると、まひるの脇を通り過ぎ、志具のもとへと目指すべく、歩き出す――――。
――◆――◆――
青色と暖色が幾度となく交差し、その度に火花を散らしていた。
火花と同時に鳴り響くのは、金属音と打撃音が入り混じった混合音。
それは、傍から聞く者を震え上がらせるほどの闘志に満ちた音ではあったが、当事者たちからしてみれば、それは己の戦闘本能を一層滾らせるものだった。それはいうなれば、たき火に木をくべるようなものである。
圧倒的な戦闘に対してのアドバンテージはイザヤにある以上、こちらはそれを越える工夫で乗り越えるしかない。
その結果、志具が選び取ったのは、防御に徹するという策だった。攻撃を極力封じ、相手の攻撃を受け止めるのだ。
しかし彼とて、ただ単に受け止めるだけで手いっぱいになっているわけではない。
イザヤの流水のごとき剣舞は、時折志具の身体を掠め、薄い切り傷を生じさせていた。……が、志具はそのたびに、イザヤの行動を一切見逃さないとばかりに注視していた。
攻撃に転じるには、まずは向こうの動きを把握する必要がある。――そう考えていたがゆえの行動だった。
その結果、志具はイザヤの動きに翻弄されながらも、断片的には、彼の動きが見えるようになっていた。
己の身を削りながらの行動が、確実に功を奏しているという手応えを、志具は感じていた。
――行ける!
志具がそう確信した。
イザヤは、自分の身を一瞬屈ませ半身になり、『クラウ・ソラス』の切っ先を志具に向けているところだった。――が、次の瞬間には、腰のひねりの反動を利用し、そのまま体重移動を行った、刺突が繰り出された。
瞬きしている間に、身体を貫きかねないほどの速度をもった一撃。それを志具はまず、『グラム』の刀身を『クラウ・ソラス』の切っ先に少し触れるまで、自分の前に壁のようにはばからせる。
そして、イザヤの魔剣の剣先が幅広の大剣に触れた手ごたえを感じ取ったとき、
――これで…………。
『グラム』の刀身を、少し傾けた。ちょうど、魔剣の切っ先が滞りなく滑るような、的確な角度をつくって。
――どうだ――――?
志具は魔剣の切っ先とは反対面に、自分の身体を滑り込ませる。結果、志具とイザヤが、『グラム』の幅広の刀身を挟んだ形となった。
そのまま志具は進行し、イザヤの脇を通り過ぎる。イザヤはスピードを停止できないようで、志具とすれ違うことになった。
そうして志具の視界にとらえたのは――――イザヤの背後だ。
「なっ――⁉」
まずい……、とイザヤは驚きの後に歯を食いしばる。
即座に振り返ろうとするイザヤめがけて、志具は、
「くらええええぇぇぇぇ――――――‼」
『グラム』を真横にフルスイングした。
ブォン、と重低音とともに繰り出される大剣の一撃を、イザヤは『クラウ・ソラス』を間に挟むことで直撃は免れた。
……が、衝撃まではそうはいかない。超重量の『グラム』の一撃は、イザヤをまるで野球ボールのごとく、向かい側の樹まで吹っ飛ばした。
「がっ……!」
ベキイィッ、と豪快な音がしたと同時、樹の幹が、イザヤが当たった場所からへし折れた。そのまま枝や緑の葉を散らしながら、倒木する。
「……へぇ……。やるじゃねーか……」
しかし、勝敗を決するほどの傷には至らなかったようだ。イザヤは呟くと、よろよろとしながらも立ち上がってみせた。
「なるほどなぁ……。サンドバック状態になっているから何をしてるんだと思ってはいたけど…………俺の動きを読むために、わざとそうしてたんだな」
さすが、と言うべきだろう。志具の思惑をあっという間に見抜いた。
一撃喰らわされたところから、二度と同じ轍を踏まないように即座に反省し、答えを導き出す。――そんな彼の行いに、志具は称賛すら覚えた。
――ここからは、さっきのようにはいかなさそうだな……。
イザヤがそう反省したということは、新たな手を使ってくることは明白。再び行動を読むところからしたいところだが、それを相手が許してくれるとは思えない。読み取られる前に、確実にこちらを沈めに来るだろう。
――どうする……。
先程ので気絶させられなかったのは正直痛かった。彼はしとめるなら、低威力のジャブを数十発繰り出すよりも、必殺のアッパーを叩き込んだほうがいい相手だ。
志具が状況を打破する戦術を、頭の中からひねり出そうとしていると、
「――なあ、王様さん。もう一回、やらねえか?」
「……なにをだ?」
「とぼけるな。港でやったあれだよ、あれ」
あれ、と聞いて、志具が想起するのはただひとつ。
『グラム』の青の閃光と、『クラウ・ソラス』の暖色の閃光。それらのぶつけ合いだ。
「あれをここでするのか? そんなことしたら――」
志具は自分の背後にある、研・ジーニアス総合病院を見やる。距離はそれなりに離れてはいるが、あの光線は、天にも届くほどの長距離かつ高火力の攻撃だ。撃ってみなければわからないとはいえ、下手をすれば衝撃波で病院に何かしらの被害が出てしまうことだろう。
それゆえに異論を口に出そうとしている志具を、イザヤが制す。
「病院に迷惑がかからないように戦うんじゃねーのかぁ?」
イザヤがそう言うと、彼が構える『クラウ・ソラス』が、橙の暖色光を強くし始めた。
「――っ、おい!」
志具が止めるように声をかける。
しかし、イザヤは聞く耳を持っていないようだ。
「病院に被害を出したくなけりゃ、俺の一撃を打ち負かしてみろよ。そうすりゃ、助かるぜ?」
イザヤはニヤリと笑う。
確かに、彼の攻撃より自分の攻撃の威力が上回れば、『クラウ・ソラス』の光線を飲み込み、イザヤにはじき返すことができるだろう。
しかしそれは、うまくいった場合の話だ。自分が押し負けた場合、彼の光線は病院を掠めるか、下手をすれば直撃。甚大な被害が出ることは間違いない。
――…………っ!
そのとき、志具はハッとする。同時に、情けなく思った。
何に対してか? ――それは、自分の先ほどの思考にである。
――私は今、自分が『負ける』ことを考えていた……。
イザヤの打たれ強さを目の当たりにし、自分の闘志の炎を弱めていたことに、志具は情けなく思ったのだ。
――仮にも戦っている身であるというのに、始める前から敗北を想像しているなど、負け犬思考全開ではないか……!
志具は奥歯をぐっと噛みしめる。目に力を宿し、眉根を引き寄せる。
瞬間、『グラム』の刀身が青白く輝き出した。どうやら『グラム』も、やる気満々のようだ。
『グラム』と奇妙な絆で結ばれつつあることを、志具は感じていた。しかしそれは決して、感じの悪いものではない。まるで大切な『相棒』のように感じられる絆だった。
互いの『アーティファクト』が宿す光が、加速度的に輝きを増す。
周囲に力の脈動による風が生じ、周囲の木々の梢を騒々しく揺すりはじめる。
パチパチと、力が反発し合う音が聞こえ、地響きまで聞こえてくる勢いだ。
志具はイザヤを見やる。イザヤも志具を見やっていた。
互いの瞳に宿すは闘志。戦場に立つ者同士が共有し合える、屈強な精神の意志だった。
「――はああああああぁぁぁぁぁぁ――――――‼」
志具は振り上げるや否や、放つ。青の閃光を――――。
「クラウ――――ソラス――――――‼」
イザヤは振り上げるや否や、放つ。橙の閃光を――――。
互いの放ったエネルギー波が衝突し合うのに、一秒と時間は必要ではなかった。
一瞬。
その間、周囲を昼のような明るさに暗闇を塗り替えると同時、幾重もの空気の層を打ち砕く爆音が轟いた。
周辺の木々が根を引きちぎって空を舞い、草が地面ごと吹っ飛ばされる。
黒い土煙と枝葉が乱流する空気に流され、空中を乱れ踊る。
そんな中、志具とイザヤはせめぎ合っていた。
時折、青と橙の電気のようなものが空中を走り、その度にバチバチという、鼓膜を棒で叩き割るような刺激音が鳴る。
それ以外にも、様々な耳障りな音がごちゃまぜになり、一々を聞きわけることなど到底できない。
ただ志具がわかるのは、眩い閃光の中で、自分は死と隣り合わせになっているということだ。
……いや。自分だけの死ではない。これはある意味、自分以外の人の命まで背負っているのだ。
志具の背後にある病院。彼は見えないが、音と光に驚いた病院関係者や患者の人が、窓からその様子を見ていた。……が、危険と感じた看護婦や医師が、急いで入院患者の移動を開始し始めていた。
――この一撃を許せば、自分もろとも病院が危険にさらされてしまう……!
志具は身体強化術を使って、己の身を魔術防護できているため、直撃を受けても前回のように、運が良ければ助かることができる。
しかし、病院の人たちは魔術による耐性がない。
志具が思い出すのは、ショッピングモールでの蜘蛛型ロボットに向けて放った『グラム』の一撃だ。
港での戦いの際、イザヤが『龍殺し』と呼んだこの一撃は、あのロボットを塵に変えた。ロボットでさえそうなるのだから、人間が受ければ跡形なく消し飛んでしまうことだろう。
――それだけは……避けなくてはならない……!
病院にいる人たちを助けるためにも。
この戦いに勝利するためにも。
そして、自分が彼女たちに再開するためにも――――、
――避けなくては…………、
「ならないんだああああぁぁぁぁ――――‼」
心からの叫び。その志具の言葉が力に還元されたかのように、『グラム』の青の光線がイザヤのそれを押していく。
イザヤは驚いたように目を白黒させていた。
しかし。次の瞬間、彼が浮かべたのは――――笑みだった。
それは自虐ではない。敗北を認めたが末に抱いた絶望ではない。
ただ純粋に、楽しめた、という感情が、その笑みには含まれていた。
彼のその笑みに引き寄せられるかのように、志具の青の光線が向かって行く。
「行けええええぇぇぇぇ――――‼」
絶叫する志具。自分でも、これほど声を張り上げたのは、生まれて初めてかもしれない。
その声が後押しするように、『グラム』の光はイザヤを飲み込む。
天に向けて、青の光線が昇っていった――――。




