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神奇世界のシグムンド  作者: 上川 勲宜
第3章 心の境界線
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第11話 蝕まれる心

 ゲルディは、目の前で起きた結果を、頭の中で却下しようとしていた。これはただの夢だ。モニター上でのシミュレーション映像であり、現実ではないのだと。


 ゲルディは、自分に不都合な現実は受け入れられない性格であった。仮に起きてしまった場合、ゲルディは常にその原因となった存在を消去して、なかったことにしていた。それは、自分の想像通りにいかなかったためにデータを改ざんする手口に似ていた。


 不都合な因子をすべて取っ払い、己の抱く未来にのみ忠実な、理想的な現実しか受け入れる気はなかった。それ以外はゲルディにとって、現実ではないのだ。


 非常に傲慢かつ自己中心的、そして利己的な人間がゲルディ・サイマギレッジなのだ。


 だから……、ゲルディは赦せなかった。自分に危害を加えるような排他的な人間を。


 そんなやつには、地獄を見せてやらねばなるまい……。


 どうしてやる? どうやったらやつに己の行いを後悔させてやることができる? 涙や鼻水を垂れ流し、自らの悪行に対し懺悔させることができる?


 そこまで考えると、後はゲルディにとっての得意分野だった。ああいった輩は、自分よりも自分に関わる他者に危害を加えてやれば、深く傷つき、後悔と苦痛を抱かせることができるのだ。


 ――幸いにも、いるじゃないか……。無力なくせに、ワタシに歯向かおうとする愚かなネズミが!


 ゲルディの視線の先にあるのは、金髪の少女。名前は確か……マリアとか言ったか?


 マリア、か……。聖母たる名前を受け継いでいるとは、なかなかに身の丈に合わない存在だな、とゲルディ。


 そして思い知らせてやろうとも思う。自分が他者に慈愛を向け、救う存在などではなく、関わった人間すべてを奈落の底へと突き落とす地獄の使者であるということを――――‼


「まひるくん。あの金髪ゴキブリにあれをしかけたまえ」


 あれ、と聞いただけで、まひるは何をするべきか理解したらしい。


 まひるは多少、逡巡する様を見せたが、「……はい」と頷いてみせた。


 その結果に、ゲルディはご満悦の笑みを浮かべる。――そうそう。こういった従順なペットが、ワタシには必要なんだ、と。


 ゲルディは、自分に付き従えてくれているまひるのことを、人間として見ていなかった。


 ……いや、まひるだけではない。自分に従えている研究者も、さらにいえばイザヤもそうだった。ゲルディにとって彼らは「者」ではなく「物」であり、代替えの利く存在なのだ。唯一、替えが利かないのは、自分自身だけとしか認識していない。


「――ん?」


 そのとき、自分に向かって猛スピードで向かってくるななせの姿が、ゲルディは視認した。


 ――まったく、鬱陶しいハエだなぁ、おい……。


 糞に集っているハエを見るような不快な眼差しをななせに向けるゲルディ。だが、内心では愉悦に浸っていた。――この勇ましくも立ちむかってくる彼女の顔が、深い後悔に彩られる時を想像して。


 ゲルディはななせの突進気味に繰り出された斬撃を、横に飛び回避した。彼の脚の傷はだいぶ癒えており、このくらいの動作をする分には問題なかった。


 クク……、とゲルディはつい、笑みを漏らしてしまう。


 そんな彼の様子に、ななせは不快さと不思議さを混ぜた眼を向ける。


「…………何がおかしい?」


「いやなに……。人生に潤いを与えるためには、いかなる状況に立たされても自分なりの愉しみを見出さないといけないと思っただけだ」


 ゲルディの言葉に、首を傾げるななせ。だが、その表情が更なる緊張に引き締まる。


「何をするつもりだ!」


 叫ぶと同時、ななせが再度ゲルディに斬りかかってくる。


 ――ばぁ~か。ワタシにかまっている場合じゃないっていうのに……。


「――ゴミ虫野郎はそのことに気づかないんだよなアアアアァァァァ!」


 ゲルディが哄笑混じりに叫ぶと同時、まひるの演奏が始まった。


 ななせの気が一瞬そちらに逸れたのを、ゲルディは見逃さなかった。


 彼女の視線が逸れた瞬間、ゲルディは自分がかけている片眼鏡に手を触れる。


 すると、一瞬にして彼の姿が掻き消えた。それは空気に溶け込むように、とか、霧のように消えゆく、とか、そういう次元の話ではない。


 本当に、瞬きをしたら、そんな所作もなしに消滅してしまったのだ。パラパラ漫画でいうなら、今まで描かれていた人物絵が、次のコマからいきなり消えてしまってしまったかのように。


「なっ⁉」


 相手は、何が起きたか理解できていない様子だった。突然消えた対象を探すべく、彼女はあたりを見渡す。


 クク……、とゲルディは内心でほくそ笑む。


 ななせは気づいていない。自分が探している相手が、自分の目の前にいることに。


 ただ単に、姿が見えなくなっているだけではなかった。ゲルディは、自らの姿どころか、気配や呼吸遣いも消していた。


 こんなことを平然と苦なくやってみせることができる『アーティファクト』に、ゲルディは大層ご満悦だった。


 ――欲を言えば、今このモルモットの息の根を止めてやりたいのだが……。


 それはかなわないことを、ゲルディは知っている。


 片眼鏡の形状をしているこの『アーティファクト』は、姿だけでなく、気配なども消すことが可能なのだが、相手に触れて干渉することができないのだ。さらにいえば、声を発することもできない。完全に隠れるためだけの『アーティファクト』なのだ。


 まあいい、とゲルディ。こいつには死ぬよりも恐ろしい目に、これから遭うのだからな、と。


 ななせから距離をとった後、先程から竪琴で音を奏で続けるまひるを、ゲルディは見やる。


 身を委ねたくなるほどの、たおやかな旋律。しかしまさか、この曲が、地獄へと誘うものだとは、誰も思わないだろう。



「きゃああああぁぁぁぁあああぁぁぁ――――‼」



 そのとき、絶叫が上がった。


「マリア⁉」


 ななせが金髪の少女へと視線を向ける。


 マリアは頭を両手できつく抱え込み、身を屈ませて震え上がっていた。


 来たか……、とゲルディ。まひるの旋律が、彼女を蝕み始めたことを、ゲルディは確認した。


 ――ククク……。興奮するねぇ……。愉しくなりそうだ……。


 彼女たちに自分の姿は見えないのをいいことに、ゲルディは下衆な嗤いで表情を満たしていた。それは人というより、もはや悪魔。


 ゲルディは邪魔にならない場所まで移動すると、目も前で繰り広げられるであろう惨劇を期待し、ギャラリーと化すことに決めた。



 ――◆――◆――



 ななせは、突然苦悶の叫びを上げたマリアに困惑していた。


 ……が、それも数秒ほどの時間。マリアがこうなった原因は、十中八九、


「まひる!」


 彼女が演奏しているこの音色のせいだ。


 ななせには効果が及んでいないことを見ると、まひるはおそらく、マリアをピンポイントで攻撃していると判断していいだろう。


 それも物理的なものではない。直接、精神に危害を及ぼす類のものだ。


 ――早く止めさせないと――!


 ななせは『桜紅華』で、まひるを――正確には彼女の持っている『アーティファクト』を破壊しようと試みる。


 だが、攻撃が当たる直前で、前回のように攻撃が防がれてしまう。


「くっ……この……っ……」


 魔剣を振り上げ、炎の勢いを上げ、さらなる強さをもって障壁に刀身を叩きつける。


 しかし、びくともしない。障壁に当たると同時、発光しながら攻撃地点から波紋状に衝撃が伝うのが見られるだけだった。


 ――なんて強力な障壁だ……!


 『桜紅華』の攻撃力には、ななせは自慢があった。ななせが感情を高ぶらせるとともに威力を増していくので、彼女が本気になれば、大抵の壁となるものは叩き壊せたのだ。


 だが、ここにきてこの体たらくだ。ここ最近の戦闘では、自分は身の程というものを散々に思い知らされていた。これまでは圧倒的と思えていた実力が、ただの井の中の蛙のような力しかないのだということを知らされていた。


 ――お前は驕りが過ぎる。


 ななせが志具の護衛をするために家を出るとき、父親からそんな言葉を聞かされたことを知る。


 威張り腐って他人の気持ちを顧みない父親の言葉だったせいで、ななせはその言葉を聞き流していた。


 驕り……。


 決して慢心しているわけではないと、ななせは今まで思っていた。……が、ひょっとするとそうなのかもしれないと、最近では薄々思うようになっていた。表には出さないだけで、焦燥ともいえる感情が、彼女の中に生まれていた。


 焦りと慢心……本来なら相反するはずの二つの感情がななせの中でぐるぐると回り始めていた。


 ――お前のその慢心は、魔剣こそ強くするだろうが、お前自身のことは、むしろ弱くするだろうな。


 父親の耳に痛い言葉が、ななせの脳をチクチクと無数の針となって刺激する。頭を抱えたくなるほどに痛くなる。


 ななせは父親が憎かった。


 憎いのだ……。憎悪なんて抱きたくないが、父親にだけはどうしてもその感情を捨てきれない。


 家族の幸せをすべて排除した、父親が……赦せない…………!


「……ぁ……あ…………ぁあ…………」


 ハッと、ななせは正気に返る。深い憎念の波からのまれるのをやめることができたのは、友達の悲痛な呻き声のおかげだった。


 ななせはマリアを一瞥する。彼女は身体を小刻みに震わせながら、今にも崩れてしまいそうな儚げな様相を呈していた。


 ――……マリア…………っ!


 そうだ。今は自分のことなんてどうでもいい。


 マリアを……自分を慕ってくれている友達を護ることにすべてを捧げる必要がある。


 ひとりの想い人を助けるために、ここまでやってきた彼女の勇気に報いるためにも――!


「へぇ……。すごいね、貴方。加減してたとはいえ、私の旋律から逃れられるなんて」


「旋律?」


 うん、とまひるは演奏を続けながら言う。


「貴方の心の傷、視せてもらったよ。あっけらんとした性格とは裏腹に、なかなかに波乱に満ちた人生を送ってたんだね」


「……っ!」


 こいつ……、視たのか⁉


 他人には知られたくない過去を覗かれたことに、ななせは愕然さと憤りを感じた。


 同時に、まひるが今弾いているこの演奏の効果も理解した。この音色は、心地よさとは裏腹に、聞いている者のトラウマを呼び覚ますものだということに。


 ――精神攻撃……っ!



 それを確信すると同時、えげつない攻撃に、ななせは唇を噛みしめる。


「でも、私の本当の攻撃対象は貴方じゃないんだ。本丸は――あの子だよ」


 まひるの視線の先には、演奏によって引き出されるトラウマの苦痛で、身体を蹲らせるマリアの姿があった。


「どうしてだ! あいつは一般人だぞ! 魔術に対しての耐性がないあいてに、なんでそんなむごいことをするんだ!」


 肉体ではなく、心そのものを直接干渉するまひるの攻撃。それはある意味、身体に痣をつくり、切り傷をつけられるよりもえげつないものだった。


 そのことに、ななせは抗議の声を上げたが、


「ゲルディさんの命令だからだよ。決まってるじゃない」


 そっけなく、まひるは答えてみせた。


 要は彼女、命令されたからという理由のみで、精神攻撃を実行に移したのだ。


「…………お前……まるで人形のようなやつだな」


「人形?」


 ピクリと、まひるの眉が動く。


「ああ。他人の言われるがまま、物事の善悪を一切考えようとしないお前は、糸で操られたマリオネットみたいなものだ。自分の意志どころか、お前には人格すら持とうとしていないじゃないか」


「どういうことよ……」


「人格があるやつ……自分が生きるための道標となる芯をもっているやつは、行動に移す前に、自分の頭でその行いが善行か悪行かを知恵を振り絞って考えるものだ。それをせず、ただ人の言いなりになっているお前は――他人の考えという糸に操られた、ただの人形だ!」


「…………っ!」


 不愉快だとばかりに、まひるが表情を歪ませる。


 そして――どういうわけか、忌々しげな視線をななせにではなく、マリアへと向ける。


「……あの子にも、似たようなことを言われたよ…………」


 ぼそりと怨嗟の込められた声色で呟くまひる。


 直後、


「ああああああぁぁぁぁ――――‼」


 マリアが悲鳴を上げる。頭を抱え、地面に額を押し付けて何かに堪えていた。


「――っ! お前……‼」


「あの子を助けたかったら、私に演奏を止めさせるべきだよ。そうじゃないと…………あの子は壊れちゃうよ」


 自分に対して向けられるべき怨恨を、他人(マリア)にあてつけるまひるに、ななせは激怒の念を、心の中に渦巻かせる。


 ――マリア……! 今、助けるからな!


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