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神奇世界のシグムンド  作者: 上川 勲宜
第3章 心の境界線
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第10話 ハイリスク、ハイリターン

 そして、時間は戻る。



 ななせたちとゲルディたちは、戦う前の状態にリセットされていた。


 ……いや。全く同じというわけではない。ななせの衣服は、傷がマリアによる治癒によって塞がれているものの、衣服には血がついてる。対しゲルディは、ななせによって受けた脚の負傷が、今なお残っており、血がたらたらと壊れた蛇口から漏れ出る水のごとくの様相を見せていた。けっこう深く斬りこんだつもりだったななせだったが、あの様子を見るに、どうやらゲルディは己の魔力を使って傷の手当てを少しずつ行っているようだ。


 ――さて……どう出るか……。


 ななせは考える。


 理想論を述べるならば、ななせは真っ先にゲルディを叩きたかった。彼に対する憤りは今も衰えなく、彼女の内心で燃えていた。それを『桜紅華』がまとう魔力の炎が証明していた。


 しかし……、とななせ。


 ゲルディの前には、彼を護るように『オーガ』が壁となって立ちはだかっている。あの怪物は、とてもではないが無視できるような相手ではない。


 それにまひるもいる。彼女の『アーティファクト』の竪琴による旋律は、なかなか侮れるものではない。これまでの経験から察するに、どうやらまひるは、攻撃系の魔術を行使できないようだ。完全にサポートに回っている感じがする。


 ただ、その補佐能力が非常に厄介だ。ゲルディを守護した結界の強固さは、そう簡単に打ち砕けるものではない。


 ――狙うとしたら、まひるか『オーガ』だな。


 そこまで照準を絞るななせ。そこで更なる思考を巡らせる。


 まひるを真っ先に狙った場合、『オーガ』がフリーな状態になる。そうなったとき、怪物が狙うのは自分ではなくマリアだろう。


 ななせは、自分が彼らの壁――マリアへの攻撃を制止するための役目を果たしているのを自覚していた。それは向こうも――特にゲルディ――同じだろう。下手に動き回れば、危害を真っ先にマリアへと向けるはずだ。


 ――やはり、先に狙うはやつだな!


 気持ちを固めると、ななせは『桜紅華』をかまえ、低姿勢になり、そのまま突進した。


 蛇が地を這うように体勢を低くし、彼女がターゲットに選んだのは『オーガ』だ。やつさえ倒せば、ゲルディを護るものも激減する上、攻撃手段がほとんどなくなることだろう。


 ゲルディの所有している『ゼウスの雷霆』が気がかりだが、今のところは心配する必要はなさそうだと、ななせは判断していた。


 もし『雷霆』が使えるのなら、先程ななせが考えている最中に轟雷を落とせば済んでいたはずだ。それをしなかったということは、


 ――できない、ということなんだろうな。


 理由はななせも知らない。ただ、『アーティファクト』の発動条件が原因なのか、と推測は立てている。


 空には暗雲が立ち込めているのだが、その雲は、戦場一帯にしか出ていないようだ。あれが『ゼウスの雷霆』とみて、間違いないだろう。


 ただ、雲が雷を放った時よりもやや散り散りになっているようである。そこから考えてみるに、攻撃のチャンスは、


 ――あの雲が集まりきるまでが勝負だ!


 一度目はギリギリ耐え切ることができたが、二度目はそうとは限らない。実際、一撃目でも、意識が一瞬で吹き飛びそうになったくらいなのだから。


 雷撃が来る前に、ななせは『オーガ』を仕留めるべく、魔剣を一閃した。


 狙った箇所は腹ではなく、右腕だ。丸太のような腕の脇から肩にかけてのところを、振り上げた――――のだが、


 ッグン――――


 ななせの斬撃は、途中で止められた。腹部よりも肉付きが薄い場所を狙ったのだが、そこもゴムのように弾力があり、そのせいで決定打が与えられない。


 ななせが攻撃がくるのを察知し、『オーガ』のどてっ腹を蹴り飛ばし、その反動で後方に退いた。そのおかげで、『オーガ』の虫でも握りつぶすかのような手の動きに捕まることはなかった。


「ヒャハハハハ! 『オーガ』にそんなチンケな策が、通じるわけないだろうがあぁぁ! 脳みそついてるんでちゅかねぇ?」


 つくづく苛立つ言動をする男だ、とななせ。


 しかし、それで心を乱すわけにはいかない。むしろ、ここまで大っぴらにされると、かえって度胸が据わってきたというものだ。


 怒りを殺すことなく、心は静まり返っていく。それによって平静を取り戻し、思考が落ち着きを取り戻していく……。


 (まこと)に奇妙な感覚だった。


 でも、そのおかげで活路を切り拓くことができそうだ。


 ななせの脳裏に浮かぶ、『オーガ』を打ち倒す手段。それは危険が伴う上、多少の運要素が絡むものだったが、賭けてみる価値はあった。


 ななせはここに来る前の――正確には初めて出会ったときの――金髪の青年の言葉を思い出す。


 ハイリターンを求める以上、それ相応のハイリスクを負う必要があるのだという言葉を。


 ならば負ってやろうじゃないか。どの道そこにしか光明はありはしない。


 ――このまま何も行動を起こさなければ、ジリ貧になるだけなのだから……。


 ななせは『桜紅華』を構えなおす。


 『オーガ』は向かってこようとしない。あくまでやってくるななせを迎え撃つしかしないようだ。それは背後にいるゲルディの守護を最優先しているゆえか……。実際、このまま時間を与えてしまえば、『ゼウスの雷霆』の発動が可能になるぶん、ゲルディのほうが有利に立つことは明らかだった。


 ――無理して立ち向かってくるつもりがないのなら、こちらからそうさせるまで――‼


 ななせは再度、突撃を開始。一陣の熱風となって、『オーガ』に攻める。


 『オーガ』は右拳を振り上げた。間合いに入ってきた瞬間、叩き潰すつもりなのだろう。


 ――いいだろう。入ってやる!


 ななせは怯むことなく距離を詰める。


 両者の距離が縮まり、やがてななせの魔剣の攻撃圏内に怪物が入る。


 ……が、ななせは『桜紅華』を振るわない。さらにもう一歩、間合いを詰める。


 その結果、『オーガ』の拳の攻撃圏内に入った。


 刹那、振り下ろされる巨石の落下のごとき一撃。


 ドゴオオオォォォ…………! と破壊音が空気を振動させ、土を四方にまき散らす。


 ……そう。『オーガ』が殴ったのはななせではなく、彼女がもといたアスファルト面だった。


 ななせはというと、『オーガ』の背後に回り込んでいた。肥満体の鬼の背後に回ることで、ゲルディの姿がはっきりと捉えることができたのだが、ななせはグッと堪える。彼に怒りの一撃を見舞うのは、まだ早い。


 今はあくまで、『オーガ』討伐を最優先だ。――そう考えているななせは、『オーガ』の背を一文字に薙ぎ払う。


 しかし、『オーガ』の身体には傷ひとつつかない。異常なまでのゴムのような弾力性が、あらゆる攻撃の衝撃を吸収・緩和することで無効化しているのだ。その上、炎による耐性まであると来たものだ。


「クヒャヒャ! 肉が薄いところ狙っても無駄無駄無駄ァ! 『オーガ』の皮膚を切り裂くことはできないんだよおおぉぉ!」


 ななせの浅慮を嘲笑うゲルディ。その彼の意志に呼応するように、『オーガ』が振り向いた。


 それを確認すると、ななせはさらに後ろへと回り込む。


 『オーガ』はななせを見失い、少しきょろきょろさせていたが、


「こっちだ。化け物」


 ななせの言葉に反応し、すばやく『オーガ』はそちらへと振り向いた。……が、再度ななせの姿が背後へと消える。それを再度、『オーガ』が追う。


 それを数度繰り返すななせ。すると、『オーガ』は痺れを切らしたのか、「グオオオオオオォォォォォォォ‼」と雄たけびを上げるとその巨大な腕を無数の羽虫でも払うかのように振り回し始めた。無造作に振り回された拳が地面を砕き、砂埃を舞わせる。


 ――この辺でいいか。


 ななせはちらりと『オーガ』ではなく暗雲の様子を見て、そう判断すると、『オーガ』と距離をとる。


 すると怪物も、ななせが距離を離したのを感じ取ったらしい。すぐに拳を振り回すのをやめ、彼女のいるほうへと振り返ろうとする。


 そこを見計らい、ななせは地面を一気に蹴り飛ばす。熱風をまとい、突き構えをとり、そして地面を這うようなほどに低姿勢で『オーガ』に迫る。


 『オーガ』の背後からはみ出して見えているゲルディの軽薄な笑いが、ななせの視界に映る。


 かまうものか、とななせは内心で挑発的な笑みを返した。


 ななせが狙うは腹ではなく、かといって腕でもない。


「喰らええぇぇぇぇ‼」


 ななせが放つ渾身の刺突。それは『オーガ』の膝だった。


 突きが直撃した瞬間、ググ……、とめり込んだかと思うと、パキン、という破砕音が確かに聞こえた。


「グオオオオォォォォォォ――――‼」


 『オーガ』が苦悶の叫びを上げる。


 見た目的には、何の傷もついていない。先程突いた個所が、少しめり込んだだけで、すぐに元の様相となった。


 ……が、どうやら『内部』まではそうはいかなかったらしい。ななせの刺突による一撃は、『オーガ』の膝の皿を打ち砕き、関節を破壊したのだ。


 ななせが『オーガ』の周辺を旋回することによって、足への疲労を増やしたところでの一撃。柔軟な動きを忘れてしまったところでの一撃は、確かに届いたようだ。


「なっ……⁉」


 ゲルディが驚愕の色を浮かべる。


「どうだ? 自分の思い通りに事がいかなくなった感想は。ねぇねぇ、今どんな気持ち?」


 ななせが嫌味たっぷりにゲルディに声をかける。


 彼女の言葉に、ゲルディはブチブチと憤怒を抱いているようだ。額に血管が浮き出し、目が血走り始める。


 ――なんて煽り耐性の低いことだ……。


 ななせは内心であきれ返る。きっとこの男はこれまで、散々暴力で他者を支配してきたのだろう。ゆえに自分に向けられる侮蔑の言葉に対する対処の仕方を、彼はわかっていないのだ。湧き出してくる感情の波に、ゲルディが浸食されていくのが目に見えてわかる。


「…………殺す…………。殺してやる。塵も残さずに…………」


 ギリギリと歯噛みし、ななせを睨み付けるゲルディ。


 そのとき――ななせは確かに感じた。膨大な魔力の波動に。


 ――来るか!


 『ゼウスの雷霆』が……。


 先程ゲルディは「塵も残さずに」と言ったあたり、今度は呪力をフルでいくつもりなのだろう。……というか、一発目のあれは、一応加減はしていたんだな、とななせ。


 好機は一瞬。それを逃せば、自分は間違いなく骨すら残らずに絶命する。


 しかし……、とななせ。失敗なんて考えている暇は、今はない。成功のビジョンのみを胸に抱き、それに向かって行動を起こすまでだった。


「死ねええええぇぇぇぇ! 害虫がああぁぁぁぁぁぁ‼」


 ゲルディが憎悪の呪詛を吐いたとき、


 ――今だ!


 ななせは『桜紅華』で、軽く地面を小突く。


 直後、変化が起きた。


 『オーガ』の足元から、紅い光が迸った。ゲルディはその光で目が眩んだらしく、目を閉じた。……が、それも一瞬だけだった。


 だけど、それだけで十分だった。


「なに⁉」


 ゲルディの再度の驚愕の声。


 先刻の一瞬の閃光。その間に、ゲルディの傍らから『オーガ』の姿がいなくなっていたのだ。


 しかし、どこにいったのかは、探すまでもなかった。なぜなら、ゲルディの視線の先にいたためだ。


 ななせのいる場所に――――。


 ゲルディは何が起きたかわかっていない様子だ。それを気味がいいとばかり、ななせはほくそ笑む。


 ななせが仕掛けたのは『転送陣』だ。それも使い捨ての。


 いつそんなものを造ったのか? 決まっている。『オーガ』の周囲を回り、攪乱させていた際に生成したものだ。幸いなことに、ななせが造った『転送陣』は、『オーガ』が暴れてまき散らした細かな砂塵によって埋もれる形となり、ゲルディにはなかなか判別できない状態となっていた。


 ただ、金髪の青年がエデンに来る際に使ったような上等なものではない。そのために距離的にはほんの一〇メートル強しか転送できなかった。


 ……が、これで十分だった。要は、手負いで動けなくなった『オーガ』を、ここに移動させることだけが目的なのだから。


 ななせは転送を確認すると、すかさず後方に飛び退いた。






 ――――直後、轟雷が『オーガ』を撃ち貫いた。






 くっ……、とななせは眩い閃光に目を灼かれないように、瞼を閉じる。その際、自分の身体が正面から来る衝撃波で一気に吹き飛ばされる浮遊感を味わう。鼓膜が音とは思えないほどの雑然としたものを拾い上げ、ななせの脳を揺さぶった。


 やがて、地面に豪快に背中を打ち付けるななせ。その衝撃にやや呻き声を上げるものの、雷に撃たれるよりは数千倍マシだった。


 閃光が止んだのを感じ取ると、ななせは目を開ける。


 神の雷が落ちた場所からは、濛々と黒煙が立ち込めていた。上空に舞い上げられていた細かな塵が、パラパラと降ってきていた。


 う、うう……、と背後から呻き声が聞こえる。声色からしてマリアだ。どうやら、自分と同じように爆風で吹っ飛ばされたらしい。


 一瞥を向けると、マリアは身体に走る痛みに耐えながらも、よろよろと立ち上がろうとしている最中だった。彼女の強い精神力に、ななせは心からの敬意を抱いた。


 煙が……晴れていく…………。


 雷の落下地点を見ると、なにやら黒ずんだ大きな物体が、クレーターの中心にあった。


 動かないそれを注視していると、風がどこからともなく吹いてきた。


 その風に当てられると、黒い物体はパラパラとその原型を崩していく。やがて、臨界に達すると、その物体は泥で造った像のように、脆く崩れ去った。



『オーガ』を討った瞬間だった。



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