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神奇世界のシグムンド  作者: 上川 勲宜
第3章 心の境界線
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第7話 動き出す志具

 瞼を薄らと開けると、眩い白光が視界を一面に染め、思わず「う……」と志具は呻き、腕を顔にかざす。光の量が軽減され、ようやく志具は視界に入る情報を把握することができるようになった。


 ここは手術台の上だ。自分はそこで仰向けで寝ていた。光源は手術台の上部に設置されているライトが原因のようだ。


 ――戻って……これたのか……?


 志具は、自分があの『ホークラックス』の中から脱出できたことを理解した。と同時、全身の自由を奪っていた拘束具がすべて外されていることも知る。


「お……お前…………」


 不意に、やや驚嘆の混じった声が聞こえてきたので、そちらへと首をひねると、そこには七夜イザヤがいた。


 まだイザヤとは対して日数を共にしたことはないが、彼にしては珍しい表情だろうということがわかる。少なくとも志具は、先の戦闘で今のイザヤがしているような驚嘆の顔は見たことがなかった。


「まさか自力で『ホークラックス』から脱出するとはな……」


 浮かされたような口調で、イザヤは言う。『ホークラックス』は今、その口を堅く閉ざしていた。


 何をそんなに驚いているのだろうか、と志具は不思議に思っていたが、やがてそれも別の感情に変化した。


「七夜……っ!」


 彼のことを敵対視していると、言わんばかりの威圧のこもった声の志具。そのまま志具は、手術台からおり、イザヤに向かおうとするが、


「ちょっと待ちなって。まずは俺に言う言葉があるんじゃねえのか?」


 片手で制止し、イザヤはそう言った。


 彼に言われ、志具はあたりを見渡すと、そこでようやく気がついた。


 薄暗闇でよく見えなかったが、この手術室の壁際に、五人ほどの研究員が壁に背をもたれかけてうなだれていたり、床に転がるなりしている。パッと見る限り、どうやら彼らは全員気絶しているようだ。


 イザヤはしてやったり、と言わんばかりの微笑を浮かべていた。


 彼の目は再度問うている。――何か俺に言うべき言葉があるんじゃないのか、と。


 志具の中で、認めたくないという感情と誠実さが葛藤する。……が、やがて志具は、額を指で軽く掻くと、


「…………感謝する。ありがとう」


「どういたしまして」


 ニッとイザヤは人懐っこい笑みをつくった。嫌みのない笑顔に、志具は多少困惑を感じたのだが、頭を左右に振って、そんな考えを払いのける。


「い、いや、そんなことよりだ! どうして貴方は、私を助けるようなことをするんだ? ここに私を連れてきたのは貴方ではないのか?」


「お、気づいてたのか~。さすがだな……って言いたいけど、まああの状況だったんだから、わかって当然か」


 後半は独り言のように呟くイザヤ。


 それでは質問に答えていない、ということを知っているイザヤは、コホン、とわざとらしく咳払いをすると、


「そうだなぁ……。はっきり言うとだな……俺はあの鬼畜片眼鏡野郎――ゲルディが気に食わねえんだよ。やることなすことにムカついてしゃーねえぜ。自分よりも弱い人間をいたぶって悦に入ってるあいつの顔を見てると、奴の顔面に『クラウ・ソラス』の一撃を見舞いたくなっちまうくらいにな……!」


 なるほど。どうやらあの片眼鏡の男の名前は、ゲルディとかいうらしい。


 それとイザヤが、あの男のことを好いていないことが理解できた。


「そんな嫌いな人間に、どうして貴方はついているんだ?」


「いろいろあるんだよ。そのせいで、俺はあいつに表立って戦えねえんだ」


 己の不甲斐なさを悔いているようなイザヤ。まさかこんな彼の姿を見るとは思わなかった。


 ……が、イザヤも、敵対している人間にこれ以上自分の恥部を晒す気はないらしい。表情を底意地の悪い笑みにすり替えると、


「だからな、あいつが外出している間に、こうやってあいつが一番嫌だろうと思うことをしてるんだよ」


 だからな、とイザヤは言う。


「勘違いすんなよ。王様さん、あんたには俺の憂さ晴らしにつき合ってもらっただけだ。助けたかったから助けたわけじゃねえ」


 変な感謝の念を抱かれるのが嫌いなのか、イザヤはそう宣言した。


 まあ、それは志具とて同じ事。敵対している以上、変に同情の念を抱く気は、さらさらなかった。


「……だが、七夜。貴方はこんな大それたことをして大丈夫なのか? ゲルディとかいう男に、貴方の仕業だとばれたら……」


「ばれるだろうよ。けどな、証拠は極力出ないようにはしてるぜ。――たとえば、ここに取りつけてある監視カメラは壊してあるし、この施設をカメラを通じて監視しているやつらは、全員眠らせてるからな。当然、カメラの記録は片っ端から消去されるようになってるから、映像にも写真にも残らねえよ」


 どうだ? とどこか鼻高々なイザヤ。


 そこまで用意周到に行動している辺り、実は彼、前々からこの計画を考えていたのではないか、と思ってしまう。


 ――……いや。さすがにそれは考え過ぎか。


 先程も言ったように、イザヤは敵だ。敵である以上、下手に恩情を抱くのは危険であろう。後で何が待っているか、わかったものではない。


「そんじゃ、とっととここから出るぜ。ついてきな」


 ここでの会話はこれで終わりだ、とばかりに、イザヤは志具に背を向けると、手でついてこい、と合図する。


 罠か? とも考えたが、今の彼がそんな手を使うとは考えにくい。何より彼は、そのような姑息な手段を好む相手ではない気がする。それは、これまでのイザヤの言動で、薄々感じ取っていた。


 ――ここで待っていても、何も変わらない……。


 とりあえず、今は動くことが先決だ。――そう判断した志具は、素直にイザヤの後を追うことにした。



 ――◆――◆――



 白亜の廊下が、まるで蟻の巣のように複雑に入り組んでいる。壁に窓が一切ないところから、どうやらここは地下なのだということを察した。


 同じような景色が延々と続くので、よほどここに慣れているものでないと、間違いなく迷うであろう構造だ。一応、ところどころに案内を示す矢印があるのだが、それでもわかりにくい。


 そんな中を、イザヤは黙々と駆け抜けており、志具はその後に続いていた。彼の行動は一切よどみがない。頭の中に、この施設の詳細な地図が暗記されているのだろう。それくらいに、迷いのない動きだった。


 走っていると、廊下のところどころに気を失った研究者が点々と倒れている。あらかじめイザヤが始末していたのだろう。


 迷宮のような施設の中だったが、時折階段を上がったりしているところから、徐々に地上へと向かって行っているのがわかる。どうやらイザヤは、本気で自分をここから出してくれるようだと、志具はここでようやく確信した。


 走り抜けることしばらく、階段を上った先に、ひとつの観音開きの白い鉄扉があった。


 鉄扉は固く閉ざされていたが、イザヤが扉の傍らにあるカードリーダーに自分の証明カードのようなものを読みこませ、暗証番号を入力すると、扉のロックが外れる音がした。


 イザヤが扉を開き先へと行ったので、志具も後に続いた。


「ここは……」


 まず鼻を突いたのは、消毒液の臭い。それとあたりの雰囲気から、どうやらここは病院の中だということを把握した。


「まさか……研・ジーニアス総合病院か? ここは……」


 志具の推測に、イザヤは答える。


「ああ。……けど、ここは本病棟じゃないぜ。病人が通う建物は、ここから一キロほど離れた場所にあるからな」


「じゃあ、ここは……」


「ここは新薬の研究開発施設さ。ここで制作して、ある程度安全が確認された薬を、総合病院で使えるようにしてんだよ」


 ただ……、とイザヤは声のトーンを低くさせる。顔を険に引き締めて……。


「それはあくまで表向きの話。本当は新薬の研究開発の傍らで、生物を用いてのキメラ制作や人造人間計画、強化人間を造るためのドーピング薬の開発に、違法で非人道的な人体実験などをやってる、頭のいかれた連中の巣窟さ」


 吐き気がする、とばかりにイザヤは言葉を吐き捨てた。


「それが『ゴスペル』の本当の姿なのか?」


「正確には『ゴスペル』じゃねえよ。『ゴスペル』はゲルディのやつが、自分の悪事を隠し通すための隠れ蓑のようなものだ。こうした研究を背後で操ってるのは『フリーメイソン』。そしてそれが、ゲルディの野郎が本当に所属している組織であり、やつはその組織の盟主だ」


「盟主……」


 研究者のひとりが、あの男のことをそう呼んでいたことを思い出す志具。


 ……にしても、信じられない。盟主、ということは、あの片眼鏡の男は、その組織の実質的なトップであることを示していることになるのだから……。


「あんなやつが……」


 思わずそんな言葉が出てきてしまう志具。しかしそれにイザヤは、気分を害した様子はなかった。むしろ、同感とばかりの笑みを漏らす。


「だよな。あれが組織のトップってんだから、なかなか世の中は腐りきってるぜ」


 そんな会話をしている間に、二人はようやく研究施設の建物から脱出できた。


 空には無数の星々が瞬いており、月が淡い光を地上に照らしている。――そこでようやく、志具は今が夜だということを知った。


「そういえば、七夜。その……ゲルディとかいう男は、どうして外出なんてしているんだ?」


 気になっていたことを、志具は彼に問う。


 すると先行していたイザヤは立ち止まると、ゆっくりと志具に振り向いた。


 そうして志具に放たれた言葉は、


「お前さんのお仲間が、エデンに侵入したってんでな。やつはその始末に向かったんだよ」


「し、まつ……」


 仲間……。それはおそらく、ななせのことを指しているのだろうということが、志具には理解できた。


 どうしてそんなことを? どうしてエデンに?


 そんなこと、いちいち自問しなくても答えがわかる。


 ――私を……助けに来てくれたんだ……。


 ただ、そのせいで、彼女が危険にさらされているのは確実だ。なにせ相手はあの鬼畜外道を絵にかいたような人間だ。どんな手段を用いるか、わかったものではない。


 そんな焦りを覚えている志具に、イザヤはさらに追撃をかけるように言う。


「今、確認されている侵入者は二人。ひとりはあの『アーティファクト』を使うお前さんの騎士さんだ」


 そしてもうひとりは――――、とイザヤは言う。


「――金髪のお嬢さんだ」


「きん……ぱつ……」


 それを聞いて、志具は驚きのあまり、思考が固まった。考えることを拒否したと言ってもいい。


 だけど、考えなくてはならない。現実逃避をしているわけにはいかないのだ。


 志具の知るところ、金髪のお嬢さんと聞いて思い当たる人物は、ひとりしかいない。


「マリア……」


 それは、志具がずっと気になっていた相手だ。


 港でのことを思い出す。そして疑問も蘇る。


 彼女はいったい、どうしてあの場所にいたのだろうか? という疑問が。


 ――……いや。今はそんなことどうでもいい。


 マリアがどうしてあそこにいたのか……、そのような事象は、今は問題ではない。それよりも、彼女の安否が心配だった。……いや、『彼女』ではない。『彼女たち』の、だ。


 ――それを確かめるためにも、彼女たちを助けるためにも、自分は行かなくてはならない……っ!


 そう決意すると、志具は走り出そうとする。研究所の敷地から出ようと……。


 だが、それを遮る相手がひとり。


「七夜……っ!」


 志具をここまで案内した相手――七夜イザヤが、志具の行く手を遮った。


「どういうつもりだ?」


 彼はここまで脱出するのを手伝ってくれた相手。それゆえに、ここにきて自分の行動を妨害することが、理解できなかった。


 納得いかない志具に、イザヤは言う。


「いやなに。実はゲルディの野郎に、この施設の警備をするように命令されてるんだよ。侵入者や脱走者を見つけ次第、処分しろってな」


「貴方はゲルディに命令されるのが嫌いではなかったのか?」


「嫌いだ。嫌いだぜ、あの野郎の命令なんざ。破棄できるもんならそうしちまいたいさ」


 ならどうして! と志具は声を張り上げる。


「決まってる。俺にも俺なりの意志があるからだ。その意志にのっとって、俺は行動するまで。決して、やつの命令に(じゅん)じているわけじゃねえ」


 そう言われてもわからない志具。そんな彼の疑問に、イザヤはさらに言葉を続ける。


「俺はなぁ、お前さんのことをそれなりに面白いやつだと思ってるんだよ、王様さん。そんな面白いやつと戦える機会がこうして転がって来てるんだ。見逃すわけがねえだろぉ?」


 それにだ、とイザヤ。


「これはやつに対して言い訳をつくる機会でもあるんだよ。お前さんが『自力』で脱出したところを、この俺が迎え撃ったという面目をつくるためのなぁ」


 言うとイザヤは、拳を作り、中腰に姿勢を落とす。


「もし俺に砂粒ほどの恩を感じてるってんなら、相手になってもらうぜ」


「……もし、私が勝ったら?」


「そんときは好きにすりゃいい。俺にしてみれば、体面さえつくることができればそれでいいんだよ。――けど、()る以上はやっぱ、勝ちたいよなぁ?」


 ニヤリと不敵に笑うイザヤ。どうやら彼は、譲るつもりはないようだ。


 強行突破できるような相手でもない。これでは、選択肢がないも同然である。


 しかし……、と志具。


 志具の瞳には、静かな炎が揺らめいていた。


 それはいったい何なのであろうか? 志具にはわからない。


 ただ、目の前のこいつとは、真正面からぶつからなければならない。不思議とそう感じていた。そうしなければならないだけのものが、彼にはある!


 志具もイザヤに倣い、体術の構えをとる。同時に、精神を集中させ、全身の力を漲らせる。


 身体強化の術。志具はこの術を、今では苦なく発動することができていた。


 その様子に、イザヤは少々感心したようだ。……が、すぐに表情を引き締める。


 対峙し合う二人。


 遠くで波の弾ける音が聞こえる以外は、閑散とした場所。


 そこで、二人の視線は交差する。


 静寂の時を十秒ほど味わった後、イザヤの次の言葉で、戦いは幕を開けた。


「――――行くぜ!」

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