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神奇世界のシグムンド  作者: 上川 勲宜
第3章 心の境界線
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幕間2 意志の在り処

 視界はただ、黒一色が支配していた。


 辺りを見渡す……といっても、どちらが右でどちらが左なのか、判別がつかない。上も、下も。


 重力から解放されたような浮遊感が、なんとも気味が悪かった。地に足がついた生き方をする、という言葉があるが、その言葉の意味の大切さがわかった気がした。地面に足がついていないというだけで、人はこれほどまでに言いようもない不安を抱くのだと。


 それは、何かに触れあっているという実感がないせいかもしれない。それは、相手が人や動物でなくてもいいのだ。草木や花、言ってしまえば地面というものは、普段生活していると必ずと言っていいほど触れ合っている。これまでは当たり前のように感じていたそれらの存在が今、なくなってしまい、初めてそのありがたみが理解できた。


 ――……まあ、今知ったところで、もう手遅れなんだがな……。


 志具はただ呆然としていた。


 何かを意識的に見ている、というわけでもない。触れているというわけでもない。ただ……呆っとしていた。


 時間の感覚がわからない。あれから――自分が『ホークラックス』に魂を吸い込まれてから、どれだけの時間が経ったのだろうか?


 数秒? 数分? 数時間? 数日? 数か月? それとも……数年?


 秒と年ほどの時間の流れすら、判別できなくなっていた志具。そんな自分に、志具は失笑する。それは自虐を孕んだ笑いだった。


 それは一種の諦めからきているものだった。もうここから出られない。未来永劫の牢獄に、自分は取り込まれてしまったのだ。


 抗う術はなかった。そんな気力も、湧いてこなかった。


 ほんの少しでも光明を見出せるのなら、志具はまだ諦めていなかっただろう。


 だけど……わかってしまうのだ。ここに閉じ込められてしまった以上、自分の意志では出られないということを。


 光などない。今、自分が見ている、この視界全体の暗闇のように……。


 ――本当にそう思っているの?


 不意に、そんな声が聞こえた気がした。それは耳から伝ってくる言葉ではなく、心そのものに語り掛けてくるような声だった。


 声色から判断して、相手は女性だ。


 誰だ? と志具は険とした口調で訊いた。


 ――ふふ……。元気そうね、貴方。安心したわ。


 微笑ましいとばかりに、女性の声は言う。


 笑っている場合ではない! と志具は女性に対し、憤りをあらわにした。


 どこの誰かは知らないが、人が諦観に暮れているところを笑うとは、おおよそまともではない。


 ――そんなに怒らないの♡ もっとリラックスリラックスゥ~♪ しましょ? 志具君♪


 なんだこの人……、と志具は姿の見えない人物にあきれ返る。あまりにも軽いノリを、この女性はしている。時と場所、場合をいっさいわきまえていない。


 けど……、と志具。彼女はいったい何者なんだろうか?


 片眼鏡の男曰く、『ホークラックス』にはひとつの魂しか入らないはずなのに、自分以外の誰かがここにいるのは、不自然なことではないか?


 そんな疑問を抱く志具。そんな彼の心を読み取ったかのように、女性の声は言葉を紡ぐ。


 ――魂っていうのはね、その人が生きるべき指針となるもの――目標、道標、夢というのをしまい込むための器みたいなものよ。強い願いや想いを、自分の肉体を支えるための目に見えない芯とするための土壌なの。


 女性の声色は、先程とは一転、やや凛とした色を宿らせていた。


 唖然とした心情である志具に、女性は言う。


 ――まあ、簡潔に言ってしまえば『意志』よ。自分が(まこと)だと想う道を……(こころざし)を築き上げるためのね。(うつわ)を満たすための(なかみ)が、『意志』なのよ。


 女性のその言葉に、志具はある引っ掛かりを覚えた。


 どこかで……聞いたような気が……。


 どこだっただろうか、と志具は考えようとするが、女性の問いかけに、志具は思考を中断せざるをえなくなる。


 ――志具君。貴方は……ここから出てみたいとは思わないの?


 思うさ、と志具は言う。


 だけど……打開策が何もない。自分では、どうすることもできないのだ。


 ――本当にそう思っているの?


 女性の声は少し、志具の態度にがっかりした様子だった。


 女性は言葉を連ねる。


 ――『ホークラックス』は、魂の牢獄って言われているわ。けどね……牢獄の中で暴れまわれば、意外と鉄格子が壊れるものよ。――聞いたことない? 無実の罪で捕まった囚人が毎日、決まった時間に看守からもらった飲み水を鉄格子につけて、錆びつかせて脆くなったのを見計らって脱走した話を。


 仮にその話が本当だとしても、どうしたらいいんだ。


 ――さっき言ったでしょ? 魂は『意志』をしまう器のようなものだって。器にしまい込んでいるそれを使いなさい。


 意志を?


 ――ええ。貴方がもつ巨大な意志を巨剣として、鉄格子を叩き壊してやりなさい。


 意志。巨大な意志……。


 巨剣。巨大な剣……。


 意志をもって大剣を錬成し、






 牢獄を――――破壊する!






 瞬間、暗闇を一瞬のうちにかき消すほどの、青白い閃光が迸った。


 どこから? どこからこの光は出ているんだ?


 わからない。少なくとも志具の視界には、その光源は見つからなかった。


 そんな戸惑いの様子を見せる彼に、女性は微笑みながら言った。


 ――幸せの青い鳥って知ってる?


 聞いたことはある。だが、それがなんだっていうのだろうか?


 ――ふふ、ならいいわ。


 可笑しいとばかりの女性の声色。それはどことなく、小馬鹿にしているような、旅立つ鳥を見守るような、そんな調子も滲んでいた。


 ――さあ、志具君。その光で――――牢獄から解き放たれなさい!


 女性の声とともに、志具の視界が青白い光で一色に染まる。


 最初とはまるで真逆である、視界を染める色。しかしそれをかまっている暇はない。


 ――私の意志は……貴方の心の中で生きるわ。傍で、見守りたいものね。


 その言葉が女性の最後のものとなった。


 志具は、何かに引っ張られる感覚を得る。何かが……自分を呼んでいる……!


 そして確信した。――自分は、『ホークラックス』から解放されるのだと。


 その喜びを抱くと同時、女性の声のことを思い出す。


 姿は一切見えなかった。


 だけど……何かが心に引っ掛かった。その引っ掛かりは、初めは漠然としていたものだったが、今ではまるで、心にこびりついたように離れていないようだった。


 初めはシールのように張り付いていた妙な感じは、やがて心に浸透していった。そのことに不快な感じはなく、むしろ心地よかった。たとえれば、欠けていたパズルのピースがひとつ、当てはまったかのような……そんな快感。


 ――彼女はいったい、誰だったのだろうか……?


 いくら悩んでもわからない。


 ただ……なんとも言えない郷愁を、心のどこかで感じていた。


 魂が……肉体に宿ろうとする感覚。それはまるで、剣が元の鞘に戻るような安心があった。


 その感覚の中で、志具はふと思い出した。



 そういえば、どうしてあの人は、私の名前を知っていたのだろうか、と――――。

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