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神奇世界のシグムンド  作者: 上川 勲宜
第3章 心の境界線
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第5話 エデン侵入

 金髪の青年と話をつけた翌日の晩。


 ななせは自宅でマリアと合流した後、青年が指定した目的の場所まで向かうことにした。


 ななせは、この町に住んでまだ日が浅いということもあり、彼の言っていた場所がどこなのか知らなかったのだが、どうやらマリアには心当たりがあるらしい。現に彼女は、今日学園に通った際に、本人が言ったのだ。


 ちなみに、万が一、日が変わるまでに志具を見つけられず、町に戻ってくることができなかった時を想定し、学校に休みの電話が入るように菜乃が手配してくれていた。菜乃の友人である、西元(にしもと)佳織(かおり)に頼んだとのことだ。


 やがて一行は、その目的の場所へと到着した。森を割るようにある石製の階段を上った先に、公園は存在していた。


 誰も立ち入らないのだろう、ということは、公園のありさまを見てななせは即座に理解した。


 長短問わず雑草は伸び、遊具は鉄錆で赤茶色に染まっていた。荒れに荒れ果てた様が、目の前に広がっていた。


 しかし、そんな中で比較的惨状の程度が低い場所があった。――砂場だ。


 もともと砂場は、肥料になるような腐葉に満ちたものではないので、雑草もなかなか育たないらしい。ポツポツと新芽のような雑草が生えているだけだった。


「ここか……」


 ななせは被害の少ない砂場まで向かうと、周囲を見渡す。金髪の青年は、まだ来ていないようだった。


「まったく、レディを待たせるとは、いい度胸だな」


 そんなだから、あいつはモテないのだろう、とななせは勝手に解釈した。


「そうですねぇ。紳士を自称したいのであれば、せめて待ち合わせ時間の十五分くらい前には来ていただきたいものです」


 菜乃の言葉に、ななせは「まったくだ」と同意する。


「なぁ、マリアもそうは思わないか?」


 マリアにもそう話を振ろうとすると、彼女の様子が奇妙なことに気づいた。


 マリアの表情……。それはどこか懐かしむような、後悔するような、そんな色を見せていたからだ。


 そういえば……、とななせは思い出す。金髪の青年にここを待ち合わせ場所に指定されたとき、マリアは驚いていたことに。


 何か関係があるのだろうか?


「……マリア、何か気がかりなことでもあるのか?」


 ななせはそれとなしに訊いてみた。これで「なんでもない」というような返事があれば、それ以上は突っ込まないつもりでいた。


 マリアはななせに言葉に、やや肩を震わせた。それは唐突に話しかけられたことに対する驚きだった。


「あ……。その……」


 言葉を濁らせるマリア。視線が逡巡の様を表わしていた。


 だがやがて、マリアは決心したように小さく頷くと、言葉を紡ぎ出す。


「ここはね……。わたしが志具君と初めて友達になった場所なんだ」


 それだけで、ななせは察した。察せないとおかしい、というべきか。


 ここはマリアにとって、思い出の場所なのだ。初めての想い人との邂逅の場所だから……。


 そんな場所が、このように荒れ果てて、彼女の心情は複雑なのだろう。もちろん、それ以外の思い出もないまぜになっているはずだろうから、それだけが理由ではないだろうが……。


 どことなく憂いを滲ませているマリアに、ななせは言う。


「お前の思い出は、これほどまでには荒れていないだろ? だったら、それでいいんじゃないか?」


 それが、今のななせが言える助言の限界だった。


 マリアの過去について、ななせは深く知らない。だったら、このくらいの言葉をかけるのが精いっぱいというものだった。


 もしかしたら、この言葉さえも、余計なものだったかもしれないが……、とななせ。


 ななせの言葉に、マリアは柔和な微笑みを浮かべた。そうして「うん」と頷きを見せた。それは思い出を噛みしめ、存分に味わうような、そんなしっかりとした頷きだった。


「ごめんごめん。待たせてしまったね」


 そんなとき、場の空気をぶち壊さん勢いで慌てた調子でやってきたのは、例の金髪の青年だ。


「遅いぞ」


 ななせは息を切らしてやってくる青年に、厳しい声を向けた。


 予定の時刻よりも、十五分ほど遅れてやって来ている。普通は「後」ではなく「前」にやってくるべきだろう。


「どうして遅れたんですか?」


 主人に代わって菜乃が尋ねた。


 すると金髪の青年は「あ~……」と気まずそうに視線を泳がせながら、言葉選びに思案する。


 やがて、青年は後頭部を掻きながら、愛想笑いを浮かべてこう言った。


「寝坊しちゃったんだ」


 てへっ♪ とついでに舌も出しかねない雰囲気を出す青年に、ななせのジト目の度合いはグレードアップする。


「…………ビンタの一発くらいは、許されると思うんだが、どうだろう?」


「奇遇だね。わたしもそう思っちゃった♪」


「ご主人様のご命令には、逆らえませんよね?」


 女性陣全員の意見が一致した。


 団結の意志を見せる女性三人に、金髪の青年は慌てふためく。下手に丸く収めようと茶目っ気を出したのが悪いと理解したが、もう遅い。


「キミたち⁉ ひどくないかい⁉ ――待って待って! 話し合おげぶぅっ!」


 言い終わる前に、ななせの渾身のビンタが、青年の左頬に炸裂した。威力は、とても女性の放つ一撃とは思えないほどに重たいもの。確実に威力を削がないように、計算されつくしたビンタだった。


 続いて菜乃、マリアと立て続きにビンタを受ける青年。すべてを受けた時には、金髪の青年は地面に倒れこんで、ピクピクと痙攣していた。


「んで、どうやってエデンに行くつもりだ?」


 地に倒れこんでいる青年に、ななせはとっとと話を進めるように促す。


「ちょっと待ってよ……。殴られた人に対するいたわりの言葉はないのかい?」


「もう一発いっとくか?」


 氷のように冷たいななせの一言に、青年は即座に立ち上がり、居住まいを正す。……が、愚痴をこぼさずにはいられないようだ。


「今の世は、女尊男卑の時代なんだね……」


「あんたが約束の時間に遅れるからだろ。自業自得だ」


 実際、今回の場合はその通りだった。


 だが青年は、恨みがましくこう言った。


「昔は男が遅れても、女の人はにこやかに接してくれたのに……」


 いつの時代の話をしているんだ、この人は……、とななせ。


 いずれにせよ女々しいな、と思い、ななせは無言でスッと片手をビンタをするべく構える。それを見て、青年はビクッと身体を震わせた。


 これ以上はまずいと判断した青年は、冷や汗を流しながら、


「まあ、無駄話はこの辺で、そろそろ話を進めるべきだね、うん」


「最初からそうしろよ。んで、どうするんだ?」


 再度、ななせが問いかけると、金髪の青年は砂場にひとり立った。


 砂場の中心に立った青年は、手のひらをかざす。すると、手のひらから一筋の光が地面に向かって降り、それが砂場を這うように動き始める。


 魔法陣だ、とななせは気づく。


 その手際は実に鮮やか、一片の躊躇いもない。魔法陣を描くには、それなりの知識と技術が必要であり、念――想いを込めながらでないと、仮に陣だけが描けたとしても、効力を発動しないようになっている。念じながらかつ、魔法陣に描く模様が複雑なため、創るのにはそれなりの時間がどうしても必要になってくるのだが……。


「はい、完成っと」


 金髪の青年は、ものの二分ほどで魔法陣を完成させた。あれだけ即席に創っている風に見えたにもかかわらず、効力が得られているようだ。その証拠に、魔法陣が淡い青白い光を放っていた。


「……転送陣か?」


 魔法陣に描かれた幾何学模様や式を見て、ななせはそう訊いた。


「使い捨てのね。一度使うと効力はなくなるけど、足は付きにくいよ」


「でも、大丈夫なのか? 向こうに気づかれるなんてことは」


「僕の術式をなめてもらっちゃ困るね。これでも一応、腕のいい魔術師なんだよ」


 自分を誇る、金髪の青年。どこまでが本当なのだろうか? とななせは疑りに満ちた眼を向ける。


 でも、魔法陣を描く手際の良さを見れば、もしかしたら本当なのかもしれない、という考えも浮かんでくる。少なくとも、ななせの身の回りには、青年ほどに魔法陣をすばやく制作できる魔術師はいない。


「さあ、乗って乗って。エデンまでひとっ飛びするから」


 青年は制作の段階から陣の中心にいたこともあり、すでに魔法陣の中にいる。


 マリアがどことなく、不安げな顔をしている。未知の力に頼ることに対する恐怖心があるのだろう。それは一般人が抱いても、無理もない心理だった。


 大丈夫だということを証明するために、ななせは先陣を切って魔法陣の中へと入る。すると、マリアがそれを見て安全だと理解したのか、次いで陣の中へと入った。最後に、菜乃が足を踏み入れる。


「それじゃ、行くよ」


 青年の合図とともに、魔法陣が一層、眩い光を放ち始めた。


 一同の姿が、光の中へと消えていく。


 ななせの視界が、青白い光でいっぱいに満たされる。


 転送陣は、『ホライゾンスペース』を利用しているものがほとんどだ。


 現世と幽世の狭間であるその空間は、実体と霊体の区別が非常にあいまいなものとなる。それは、『ホライゾンスペース』が空間として非常に混沌とした要素を持っており、常に不定形であるためだ。


 不定形……つまり、明確な形をもっていない。それは、あらゆるものの境界が希薄なものになっているも同じなのだ。


 曖昧であるがために、境界を飛び越えることも十分に可能だ。――そういった思想のもとに編み出されたのが、転送陣である。


 あらゆる境界を飛び越え、やがて光が徐々にその眩さを軽減させていく。そうしてななせの視界に広がってきたのは……、


「ここは……港か?」


 近くに海がある。倉庫群がある。それに見覚えがあった。間違いない。ここはイザヤたちと戦った場所だ。


 本当にエデンに来たらしい。


「そうだ。志具の居場所を探さないと……」


 だが、草の根を分けて探している心の余裕はない。せめて、だいたいの目星をつけることができれば……。


「マリア。あのハンカチをもってないか?」


 あのハンカチとは、マリアが小さい頃、志具からもらったハンカチのことだ。それを使って、人探しの術で志具の居場所を突き止めようと、ななせは考えた。


 マリアは、わかったよ、と頷くと、小さな肩下げポーチから思い出の品をとり出した。こういうときも、ちゃんと持ってきているんだな、とななせは内心驚いた。マリアにとって、志具からもらったハンカチは、御守りのような役割を担っているのだろう。こうした心のよりどころがあるから、マリアは短時間で立ち直る意志を見せたのかもしれない。


「はい、これだよ」


 マリアがななせに、ハンカチを手渡した。


 それをななせは両手で包み込み、瞼を閉じて念じる。このハンカチの本来の持ち主である志具の居場所を、ハンカチに残っているかすかな繋がりを感じ取ることで、特定しようとする。


 ……が、頭には何の景色も浮かばない。彼の姿も。ヒントとなりそうな断片的なイメージも。


 自分が識別できる効果範囲外に志具がいるせいなのか、それとも、相手の妨害が入っているせいなのか……。


 いずれにせよ、これで探すことが不可能なことがわかってしまった。


 目を開け、ハンカチをマリアに返すななせの顔は、やや沈鬱としていた。彼女のその表情で、マリアは結果がわかってしまったらしい。同様に顔に陰りが出た。


 どうする? とななせは思案する。もたもたしていると、自分たちが侵入していることがばれてしまう。エデンのセキュリティは、常識では計り知れないのだ。


「志具君の居場所が知りたいのかい?」


 行き詰った様子のななせを見て、金髪の青年が言う。


「ああ、そうだけど……」


 ふむ……、と青年は小さく頷くと、目を凝らし、周囲を見渡し始めた。


 何をしているんだ? とななせのみならず、マリアと菜乃も首を傾げる。


 そんな彼女たちにかまうことない様子の青年は、やがてとある一方へと焦点を定めると、


「あそこだ」


 指をさした。


 青年の指差した方向には、志具が一時的に入院していた病院――研・ジーニアス総合病院がある。


「わかるのか?」


 まあね、と平然と答えてみせる青年に、ななせはやや疑りの眼差しを向ける。


 ――どうやって調べたんだ?


 調べ方が不明だが、かといって青年がでたらめをついているわけでもないようだ。


 まさか透視だろうか? とななせは推測する。……が、それも考えにくい。こんな雑多と高層ビルが立ち並んでいるのに、それらすべてを無視して、目標だけを捉えることのできる高性能の透視など、ななせは聞いたことがなかった。


 即興で使い捨ての転送陣を制作したことといい、この青年はどうも、只者ではないような気がする。


 少なくとも、気を許していい相手ではないだろう、とななせは感じた。


 ななせが警戒をしているのを知ってか知らずか、金髪の青年はさてと……、と一呼吸置くと、


「じゃ、僕は僕の用事を済ませるよ。君たちは君たちで好きにするといい。用事がすんだら、ここに集合ってことでいいかな?」


「え? ああ……別にいいけど」


 意識を現実に戻し、ななせは首を縦に振った。


 ――そうだ。今はそんなことを考えている場合じゃない。


 今するべきことは、志具を助けることだ、とななせは意識を切り替えると、菜乃に振り向き、


「菜乃は念のため、この場所を見張っておいてくれないか?」


「わかりました」


 菜乃は文句を言うことなく、頷きひとつを返した。


「それがいいね。脱出するときに魔法陣を描く場所が確保できてなかったら手間取るだろうし」


 と青年も同意するが、そのとき、別のことを思い出したらしい。


「あっ、そうだ。マリア君」


 と青年はマリアに、とある代物を手渡した。


 それは一見、銀色の懐中時計のようだ。しかし、マリアが蓋を開けてみると、中には時計ではなく、代わりにメーターのようなものが取り付けられていた。中央には、得体のしれない紅い液体が入ったカプセルがあった。


「これは?」


 マリアはやや戸惑い気味だ。いきなりわけのわからない代物を手渡されたら、こうなるのも無理はない。


 ななせも、見たことがないものだった。市販されているものではないことは明らかだ。


 その奇妙な存在感から、ななせは『アーティファクト』だろうか、とも考えたが、それもなさそうだ。そこまで巨大な力を、この懐中時計モドキからは感じられない。


 三人が不思議そうにそれを見つめていると、青年は答える。


「『グリモア』って言うらしいよ」


「らしいよって……あんたのものじゃないのか?」


 とななせ。


 それに『グリモア』という名前……。それは魔導書を意味する単語だ。


 やはり、ただのアクセサリーとかではなかったんだな、とななせ。


「ちょっともらったものさ」


 もらった……というより、どこから盗んできた、というニュアンスがしっくりくるような気がする。


「使い方は知らないけど、いざというときに頼りになるんじゃないかな?」


「ですが……使用用途がわからないものを渡されても、マリア様が困るだけなのでは?」


 と菜乃。


 現にマリアは、困り顔だった。


 次いで、ななせも言葉を紡ぐ。


「そうだ。それに、こんな得体のしれない代物、あげても迷惑なだけだぞ」


「だけど、丸腰よりは幾分マシさ。――じゃあね」


 それだけ言うと、青年はその場を後にした。ななせたちの意見など、もう聞く気もないようだ。逃げるように、その場からいなくなった。


 夜の港に、女三人で取り残される。


 三者は互いに顔を見合わせると、


「……えっと…………これ、どうしたらいいと思う?」


 懐中時計モドキを示し、マリアがおずおずと訊く。


 正直、手放したほうがいいというのが、ななせの本音だ。しかし、この先何があるのかわからない。マリアは一般人だ。万が一にも戦闘になれば、丸腰である彼女は明らかに危険にさらされることになる。


 だからといって、ここで菜乃と一緒に待機させておくか……。


 いや、それも駄目だ。そんなのは、マリアが納得しないだろう。マリアは危険を承知で、ここまでやってくる意志を示したのだ。


 ならば……、彼女のその意志を尊重することが、大切なんじゃないか……。


 いざというときは、自分が護ってやればいい、とななせ。その際、この懐中時計が何らかの役に立つかもしれない。あの青年は油断してはならない相手だが、だからといって、今のところは自分たちにとって脅威となることはないようだ。そのことを、ななせはこれまでの金髪の青年の態度から、把握していた。


 だから……この『エニグマ』とやらも、きっと自分たちの不利となるような働きをすることはないだろう、とななせは解釈する。あの男は、何の意味もなしにこれを手渡すようなやつじゃない、ということを、ななせはこれまでの経緯で感じていた。


「……とりあえず、マリア。それはお前がもっていてくれ」


「え? いいんですか?」


 菜乃は驚く。てっきり彼女は、手放したほうがいいと判断すると思っていたらしい。


 マリアも驚きと戸惑いを見せていた。


「それをお前に渡したのは、お前にとって必要になるものだから、あいつは渡したんだと思ってるからな」


「どうしてわかるの?」


「勘だ」


「か、勘って……」


 呆れるマリア。そんな彼女に、ななせは言う。


「追い詰められたときの勘っていうのは、意外と役に立つんだぞ。それをあたしは、これまでの経験でよく知ってる」


 ななせのその自信が込められている言葉を、マリアは信じたようだ。


 うん、と頷くと、マリアはそれを、ポーチの中へとしまい込む。


 それを確認すると、ななせはとある一点を見据える。


 彼女の視線の先にあるのは――――研・ジーニアス総合病院。


「よし。――行くぞ!」



 ――◆――◆――



 片眼鏡の男は、手術台に乗せられている少年を、愉悦に満ちた眼で見つめていた。


「クク……。実に気分がいい。たとえるなら、ネズミの内臓を一切傷つけることなく解体できたくらいに気分がいい」


 それは、完成したパズルをバラバラに散らばらせる快感に似ている。


 それは、積み上げた積み木の城を、足で蹴とばした時の快感に似ている。


 それは、トランプを立てて作ったピラミッドを吹き飛ばす快感に似ている。


 完成した代物をぶち壊す快感……。それが他人によって築き上げられたものであればあるほど甘美な蜜の味となる。


 少年は今や、ただの抜け殻だった。肉体に魂は宿っていない。


 ただ、心肺は機能している。魂が抜け出ただけでは、肉体は死滅しないのだ。生存機能と魂は、イコールではないのだ。


 『ホークラックス』には、志具の魂が封じ込まれていた。これを使わない手はない。


 そして、彼の肉体も利用価値がある。


 片眼鏡の男は、焼き魚を食する際、身や皮だけでなく、内臓も食べる。そして骨はスープの出汁として、再利用するのだ。


 使えるものはすべて使う。――それが男の信条だ。


 志具とて同じだ。いけ好かないドブネズミ野郎のお気に入り。本来なら深海に沈めて魚の餌にしてやるのも手だが、どうせなら自分の実験に使ってやろう……。


 さて……、どうやって使ってやろうか……、と片眼鏡の男は笑みを浮かべ、思案する。その笑みは狂気に満ちた、下種の極みのものだった。


「盟主! 侵入者(イレギュラー)です!」


「あん?」


 報告をしに来た研究者の顔が引きつる。片眼鏡の男は、気分を害され、明らかに不満そうだった。


 それにたじろぎながらも、研究者は報告を続ける。


「二人の侵入者が、こちらに向かってきています!」


「どこから侵入してきた?」


「……わ、わかりません……」


「あぁ? わからないだぁ?」


 怒気を孕んだ様子で男は研究者に近づくと、その胸ぐらをひっつかむ。


「なにかねぇ~、キミィ~? 解体希望者なのかねぇ~? ちょうど薬の性能を確かめるための被験者が欲しかったんだよ、それになってくれるというのだねええええぇぇぇぇ?」


 ギリギリと研究者を壁に押し付け、つり上げていく片眼鏡の男。その眼は見開かれ、瞳孔が開き、狂った意志を宿らせていた。


 首を絞めながらも、研究者はその男の殺気に恐怖する。死に対する恐怖よりも、目の前の男の狂気のほうが恐ろしいとばかりに。


 やがて研究者は、意識を落としたようで、身体の力が急に抜けた。そこでようやく男は研究者を解放した。


 そして、周りにいる研究者に適当に声をかけると、


「こいつを冷凍保存(コールドスリープ)しろ。薬の実験のためのストックにしておけ」


「わかりました」


 一礼し、二名の研究者は、気絶したその者をタンカに乗せると、運んでいった。目の前で卑劣な行為がなされたことに対しては、ノータッチだった。そしてそれは、残った他の研究者たちにも言えることだった。同胞が人体実験に使われることに対して、何の抵抗も感じていないようだ。それが当たり前だと言わんばかりの空気。


 邪魔な存在が目の前からいなくなったことで、少し落ち着きを取り戻す片眼鏡の男。


 ――侵入者か……。


 いったいどうやってセキュリティを潜り抜けてエデンに侵入できたのかはわからない。……が、相手の目的はおのずとわかっていた。


 男は手術台の上にいる志具を一瞥する。そして、志具の頭の傍らに置かれている『ホークラックス』に、視線をやる。


 本当なら、こいつをぶつけてやりたいところなのだが……、と男は考えるが、今は駄目だった。なにせ、何の準備もできていないのだから。


 ――もう少し遅く来てくれれば、舞台を整えることができたんだけどねぇ……。


 それも叶わないか。


 まったく……、物事が順序良くいかないのは不快だな、と男は思う。そして、そういう目に遭わせる奴らを、地獄に叩きつけてやりたいという衝動に駆られる。


 いかにして残酷な目に遭わせてやるか。


 いかにして絶望を体験させてやるか。


 それによって生じる、相手の絶望感に満ちた表情を想像し、男は身を震わせる。悍ましさにではなく、喜悦によって。


 ――そういえば、あれの実験がまだだったな……。


 片眼鏡は、魔科学によって制作しているとある兵器の試運転ができていないことを思い出す。同時、口の端をひきつり上げた。


 ――せっかくだから使うことにしようか。


 ……と、ここまで考えて、男はさらに妙案を思いついた。


 侵入者の亡骸を後で回収してここまで運び、『ホークラックス』に封じている魂を再び本人に戻す。そうしてこの少年に、自分を助けに来てくれたやつらの無残な死体を見せつけてやる、ということを。


 そうだな、それがいい……。徹底的に相手を苦しませて、愉しむことにしよう。回収した死体も、『人造人間(ホムンクルス)計画』に使えるかもしれないしな……、と片眼鏡の男は考える。


 道徳や倫理など、この男にとってはゴミのようなものだった。そして人を人たらしめるそれを捨てているこの男は、まごうことなき人間失格者だった。それを哀しいことに、本人は自覚していない。


「『オーガ』を出せ。侵入者を叩き潰す。――あと、ワタシも出ることにする」


 その発言に、研究者は驚いた様子だった。それをひと睨みで鎮まらせる片眼鏡の男。


「ワタシも研究室籠りで身体がなまっていてねぇ。運動が必要なのだよ」


 しかし、運動するにしてもひとりでは寂しいものだ、と片眼鏡の男。誰か付き人になってもらうとしよう。


 そうだな……、男の箔をつけるという意味でも、異性がいいか。


「――まひるくんを呼べ。ワタシと一緒に来てもらう」


 となると、問題は彼のほうだ。


 まひるが自分と一緒に行動することを知れば、彼が何らかの邪魔をしに来る可能性が高い。彼――イザヤくんは、ワタシのことを快く思っていないからな、と。


 ――首輪に鎖でもつけておくか。


「ああ、それと。イザヤくんはこの研究所の警備をするように言っててくれたまえ。決して、敷地内から出ないように、てね」


 わかりました、と研究者たちがあわただしく動き始める。


 だが男はあくまでマイペースを保ち、ゆったりと歩み、手術室を出ていく。


 己が描く明るい未来に、片眼鏡の男は愉悦に満ちた笑みをつくるのだった。

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