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神奇世界のシグムンド  作者: 上川 勲宜
第3章 心の境界線
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第4話 片眼鏡の男

 視界いっぱいに広がったのは、白一色だった。


 目に優しい、白い光を照らす電灯が天井にあった。


 ――ここは……?


 ぼんやりとする意識。頭の中に霞がかかっているように、はっきりとしない。ただ、自分は目覚めている。――そんな感覚だけが、(しん)(どう)志具(しぐ)のすべてだった。


 ピ……ピ……、という電子音が、志具の鼓膜を規則正しく震わせる。何気なく視線をそちらへとやると、そこにあるのは心電図モニターだった。緑のモニターに、一定の波が流れていた。


 ついでに志具は、周囲を見渡すことにする。


 あたりは、天井と同じように真っ白だった。清潔すぎて気分が悪くなるくらいに。ただ、余計なものは何ひとつとして置いていなかった。


 そこでようやく、志具は自分がベッドで寝かされているのだということに気づいた。


 どうして? と疑問に思い、志具は身体を起こそうとするが、


「――っ……!」


 即座に、全身に激痛が走った。それはまるで、高圧電流を不意打ちで流されたかのようだった。一瞬にして全身の神経が灼けるように熱くなり、脳みそを刺激した。


 そのおかげで、志具は思い出した。自分がどうしてこのような怪我を負ったのか、ということを。


 ――そうだ……。私はイザヤに負けて……。


 彼の放った、光線の一撃に飲み込まれたのだ。イザヤが扱う『アーティファクト』――『クラウ・ソラス』の一撃によって……。


 そしてそのとき、志具は確かに見たのだ。


 あそこに、本来いるはずのない幼馴染みの姿が、戦場にあったのを……。


「マリア……」


 彼女の名前を、志具は自然と呟いていた。


 ――マリアはどうして、あそこにいたのだろうか?


 浮上する疑問……。だが、それはいくら考えても、志具にはわからないことだった。


 いや、そんなことよりも……、と志具。


 志具は、深い眠りの中、確かに思い出していた。――幼い時に、自分がマリアと出会っていたことを……。


 だけど、忘れていた。忘れてしまっていた。


 理由はなんとなしにわかる。あのときは、自分も大変だったのだ。周りの目を欺くために、偽りの自分を演じるための仮面をつくるのに、とにかく必死だったから……。目立たないように目立たないようにと、きわめて凡庸さを求めることに全力だったから……。それも結局、最終的には無駄に終わったのだが。


 しかし、あの手この手で自分の身を守ることに専念しているうちに、彼女との幼い頃の記憶を捨ててしまっていた。


 人間、使わないものは、片っ端から捨てていく傾向がある。それは記憶とて同じだった。構う暇のない記憶は、回想することもないから、頭の片隅に追いやられ、やがて埋没していく。ゴミを腐葉土にするべく、土に埋めるように……。過去の不要な記憶は、新たな記憶を植え付けるための肥料になるのだ。そうすることで、新しい記憶が育つことで、過去の記憶が最終的に、完全に頭の中から抹消される。新しい記憶の糧となり、昇華するのだ。


 それを志具は、寸のところで止めることができた。そのまま腐って肥料になるしかなかった記憶を掘り起し、思い出すことに成功した。


 幼き頃の、輝いていた微笑ましい記憶を。


 失ってはいけない、小さな宝箱に入れるべきものを。


 だが、同時に志具に押し寄せるのは、申し訳ないという懺悔の気持ちだった。


 マリアはきっと、あのときのことを憶えているのだろう、と志具は察していた。それは日頃の彼女の言動を振り返ってみれば、薄々感じ取れることだ。


 同時にマリアは、自分が彼女のことを憶えていないことに気づいていたはずだ、ということにも気づいた。


 知らなかったこととはいえ、忘れてしまっていたとはいえ、あまりにも残酷なことをしていた。

 

 マリアはいったい、どんな気持ちで自分に接してくれていたのだろうか、と志具は想像する。


 自分ならあきれ返り、見切りをつけてしまうかもしれない。実際、それくらいされても文句が言えないことを行っていた。


 それでもマリアは、懲りずに自分と接してくれた。


 ――いったいなにが、彼女をそこまでの行動に至らせるのだろうか?


 志具にはそれが、一番不思議だった。志具には、そこまで考えを至らせることができなかった。


 そんな健診なマリアに、志具はありがたい、と思うと同時に、申し訳ない、とも感じた。


 ――マリアは大丈夫だろうか……。


 一巡して、志具の脳裏にそんな不安が再度訪れる。


 ……いや、マリアだけではない。ななせもだ。彼女も怪我をしていた。大事には至らなかっただろうか、心配だ。


「…………いつまでも寝ていても始まらないな」


 自分に言い聞かせるように、志具は呟いた。


 そして、上半身を起こし、手を動かそうとしたときだ。


「これは……っ」


 ジャラ……、と金属音が鳴り、手首が上がらない。掛け布団をはねのけてみると、そこで志具は、自分の両手首に枷が嵌められ、鎖でベッドに繋がれていることを知った。


 それは手だけではない。両足首にも、同様の枷が嵌められ、鎖で繋がれていた。


 事実上、ベッドから抜け出せないように拘束されている状態だと知った志具は、戸惑いの表情を浮かべる。


 ――これはまさか……っ。


 嫌な予感はしていた。……が、まさか本当にその通りになっているとは……。


 こういう予感だけ的中してしまう、己の不運を嘆く志具。昔も今も変わらないことが、実に恨めしい。


「このっ……!」


 無駄だとわかりながらも、志具は力の限り鎖を引っ張る。何もしないよりはしたほうがいいという意志の表れだった。


 何度も何度も、手や足をがむしゃらに動かしてみるが……びくともしない。どうやら相当、頑丈な枷らしい。試しに身体強化の術を使ってもみたが、無駄に終わった。


 ひとりベッドで暴れ、息を熱くさせていると、


「おやおや。ずいぶんと威勢のいいモルモットだな」


 不意に、そんな言葉が聞こえてきた。見ると、出入り口である扉についている小さな格子窓から、こちらを覗いている男性がひとりいることに、志具は気づいた。


「……誰だ?」


 叫びたい気持ちをこらえ、志具は冷静さを保って尋ねた。


 男は扉を開け、部屋の中に入ってきた。すると、彼の後ろからぞろぞろと、白衣を着た人たちが四人ほどついてきた。


 彼らを後ろに従え、男は言う。


「誰だ、とはずいぶんと無礼な物言いだねぇ。さすがは下賤なネズミ。礼儀というものを知らないようだ」


 他者を威圧し、見下すような口調のその男も、周りの人たちと同じように研究職についている人が着るような白衣を着ていた。


 髪はアッシュブロンドで、瞳は炯々とした紅。怜悧さと非情さが滲んでいる、そんな眼だ。


 身長はかなり高いほうだろう、百八十センチ近くはありそうだ。それだけに、彼の放つプレッシャーは、言葉で受ける以上のものを感じさせる。その他の特徴としては、左目に片眼鏡をかけていた。


 会って早々の暴言とも取れる発言に、志具は言い返す。


「不躾という点では、貴方も私に劣っていないと思えるが?」


 なに? と片眼鏡の男は不快に眉を潜ませる。


「初対面の人間に向かって、いきなり下賤なんて言葉を使うなんて……貴方も恥を知るべきだと私は言っているんだ」


「ドブネズミが、何を一丁前の台詞を言っているのかね? ネズミはネズミらしく、糞にまみれた暗い下水に住み着いて、時折流れ着く排泄物でも食っていればいいのだよ」


 こいつ……、と志具は憤りを感じる。


 ここまで大っぴらな悪意を向けられることは、あまりないことだろう。たいていの人間は、姑息さを身に着けているから、もう少し回りくどいやり方で相手を貶めるものだ。


 そんな憤りに満ちた志具の気持ちなど知ってか知らずか、その男は志具に歩み寄ると、無遠慮に彼のことをじろじろと観察し始めた。


「ほう……。これが……。確かに、言われてみれば面影はあるか……」


 志具のことを「これ」呼ばわり。もはやこの男は、自分のことを人としてすら見ていないらしい、ということを志具は察した。先程からモルモットだの下賤なネズミだのドブネズミだの罵るところからも、おおよその想像はついていたが……。


「盟主、どうなされますか?」


 背後で待機していた研究者のひとりが、片眼鏡の男に声をかける。すると男は、顎に手を当て、思案を始めた。


 盟主? と志具。この男は何かの組織のトップなのか?


 そう思い、志具が考えて得た推論は、


「……貴方、『ゴスペル』の(もの)か?」


 考えているところを邪魔され、不快に感じたのか表情に表れている片眼鏡の男。


「ふん。薄汚いネズミの低能な脳みそでは、その程度しか考えが行きつかないようだな。まったく……。ネズミの脳みそも、カニみそのように美味ならば食ってやるのに、その価値すらないのだからゴミに等しいな」


 ひとつ尋ねただけでこの暴言だ。この人の気が知れない。人間、ここまで他人に対して無礼に振るまえるものなのか……、と志具はある意味で感心した。


 とはいえ、先程の発言で、この男は『ゴスペル』の者でないことは確定した。でなければ、あのようにこちらを貶める発言もしないだろうと踏んだからだ。


 男はこちらを一瞥し、やがてニヤリと口の端を釣り上げた。それは狂気が多分に孕んだもの。


「けど……。小汚い人生を送るネズミにも、利用価値があるのは事実だ。ワタシは研究者という立場ゆえに、そのことをよく知っている」


 男の紅い目が、志具を射抜く。


 背筋に悪寒が走る。この男の異常な思考が、彼の目を通じてこちらに直感として伝わってきた。


「連れて行け。ベッドごとな」


 男は下々の者にそう言うと、踵を返して部屋を退場した。同時、四人の研究者が、志具のベッドを動かし始める。


「……っ! 貴方たちは、あのようなやつの言いなりになって、恥とは思わないのか!」


 初対面の相手に、あれだけの暴言を吐いて見せる男に仕えているということだが、志具は彼らの良心に、そう訴えかけてみた。


 ……が、


「別に。盟主に従えば、我々にも利益があるので」


 淡々と、ひとりの研究者が回答してみせた。その言葉は平坦で、感情がこもっていなかった。


「利益って……それ以上に大切なことがあるとは思わないのか!」


「わかりませんね。世の中、結果が全てです」


 ばっさりと、志具の言葉を切り捨てる研究者。


 この人たちは、損得勘定でしか動けていないのか……、と志具は絶句する。それはあまりにも、人の心からほど遠いもののように感じられたからだ。つまり彼らは、人の良心よりも金が大事と、言っているようなものなのだから……。


 テキパキとした動きで、志具は部屋をベッドごと退場させられる。


 どこに連れて行かれるのか、志具にはわかるはずもなかった。



 ――◆――◆――



 連れてこられた場所は、薄暗い部屋だった。


 光源となっているのは部屋の中心部分のみで、部屋全体に光が行き届いていない。部屋の隅には、物品が雑多と置かれていた。


 志具がその部屋に入ると、生臭さと鉄の臭いが鼻腔を突いた。それは決して、気分のいい臭いとは言えない。


 いやそれよりも、志具は光源のある部屋の中心に視線が止まっていた。


 人ひとり寝かせられるほどの大きさの診察台、そしてその上には、眩い白光が台を照らしていた。


 手術台だ、と志具は直感した。同時に、自分の身に起きるであろう最悪の事態を想像し、戦慄した。


「や、やめ――!」


 やめろ、と騒ぐ前に、研究者のひとりに、鼻と口を塞ぐように白いハンカチを当てられた。


 瞬間、脳髄に痺れるような衝撃が走ると、全身に力が入らなくなる。言葉も発せなくなるほどに……。何らかの薬を嗅がされたことは明らかだった。


 身動きができなくなったのを確認すると、研究者たちは志具をベッドから診察台へと移す。台へと移すと、念には念をというわけか、四肢を頑丈なベルトで拘束し、さらに口にも猿轡をかませ、一切口答えできなくした。


「……っ!」


 焦る志具。今の自分はさしずめ、まな板にのせられた鯛といったところだった。


 身動きしようにも微動だにできない。金縛りに遭っているかのように、行動がとれなかった。唯一、というべきか、眼球だけは動かせるようだ。それで周囲の状況を見渡していると、


「キミィ~。もしかして、今自分がまな板に乗せられた鯉のようだとか、思っているのかね?」


 いつの間にか、手術室に入ってきていたのは、先刻の口汚い男だ。


 相手が抵抗できないのをいいことに、馬鹿にした口調をする片眼鏡の男。先刻の言葉は、まるで志具の心を読んでいるかのようなのものだった。


 それを男は、ハッ、と侮蔑を込めて鼻笑いした。


「鯛? 鯛だと? キミはそんな大層な高級品ではないぞぉ? ――カエルだよ! カ・エ・ル! 学校の理科の実験でやらなかったかね? 生物の実験で、生きたアマガエルの四肢を押しピンで止めて、カッターで腹を裂いて内臓の動きを見る実験を! 今のキミは、まさにそれだよ!」


 指をさし、高らかに志具の現状をそう言ってのけた片眼鏡の男。その瞳は爛々と輝きを誇っていた。


 それはまるで、新しいおもちゃを手にした子供のような目。……いや、違う。弱き者を圧倒的暴力でねじ伏せることに快楽を得ている、精神のねじまがった輩の残酷の眼だった。


「ああ、楽しみだ……。イザヤくんから聞いた話だと、『グラム』はキミの左胸に吸い込まれているんだってねぇ? だったら、胸部をかっさばけば、『グラム』がコンニチワしてくれるのかなぁ~?」


 志具は戦慄した。


 正直、人にこのような言葉を向けたくはないが……この男はイカれている!


 身体をオーバーリアクションでくねらせ、自分に酔いしれているような感じの男は、やがて冷静さを取り戻したのか、ふぅ……、と息を吐くと、


「いや、安心したまえ。いきなりはしないとも。物事には順序がある。数学の公式を理解するには、証明が必要なようにね」


 そう言い、男が手にしたのは、長方形の箱だった。


 大きさは両手のひらを広げた程度。元は金色なのだろうが、手入れがなされていないためか、色がくすんで黒ずんでいる。箱には奇妙な象形文字や幾何学模様が刻まれており、それがどことなく不気味な様相を醸し出していた。


「これはなにかわかるかね? 『ホークラックス』という分霊箱だよ。『アーティファクト』の一種でね、これをキミに使ってあげるよ」


 なにをするつもりだ! と志具は視線できつく問う。


 自分の絶対的優位が変わらないことを知っている男は、そのような反抗的な眼を向ける志具にも、気分を害した様子はない。それどころか、志具の訴えを読み取り、丁寧に回答してみせた。


「これは魂の牢獄というべき代物でね。『ホークラックス』の使用者が対象を選択すると、その相手の魂を、この黄金箱に閉じ込めることができるのだよ」


 笑みを浮かべながら話す片眼鏡の男。その言葉は続く。


「収穫できる魂はひとつだけなのがネックなのだが、生かすも殺すも使用者次第というところがいい。魂の使い方も、ワタシ次第だ」


 男の視線が、箱から志具へと向けられる。


 後は言わなくてもわかるよな? とでも言いたげな男の眼に、志具は恐怖を抱く。イザヤと戦ったときに感じた、あの恐怖とはまるで別ベクトルの恐怖だった。


 最悪のシナリオが、志具の頭の中で構築されていく。抗おうにも、身動きが完全に封じられてしまっている。抗議の声も、全く出なかった。


 志具の瞳に畏怖が色濃くにじみ出しているのを、男は感じ取っているように、喜悦に眼を三日月のように細める。愉しくて愉しくて仕方がない、といわんばかりの表情だ。


 人を傷つけることで、こうも愉しみを見出すほどに性格を歪ませている彼に、志具は決して相容れないものを感じ取った。


 それは志具が、自分自身のことを聖人君子だと思っているからではない。もっと根源的なものだ。聖人君子云々というより、人間としてどうなのだろうかという……。


「では、真道志具くん。この世との――さよならだ」


 喜悦を滲ませながら男は言うと、『ホークラックス』を開けた。


 中には何も入っていなかった。……が、次の瞬間、志具は得体のしれない感覚を味わう。


 それは、蝉が幼虫から成虫になるときに似ている気がした。身体の中から何かが外へと飛び出そうとしている。


 身体全体に浮遊感が訪れ、肉体から外へと……。何かが……。


 意識が、徐々に霧に包まれていく……。希薄になる……。


 自分というものが、認識できなくなる。


 それはまるで、砂の上に描かれた絵のように。


 風が吹けば、周りの砂に埋もれていくように。


 志具の魂が、肉体から抜け出そうとしていく。


 抗う術はない。初めは不快だった浮遊感が、少しずつ快楽へと変わっていく。気持ちいいとさえ、思ってしまう。それは、越えてはならない一線を越えてしまっているという事実の表れなのだが、今の志具にはそれすらわからない。






 なにも…………わからな、く……なって、い、く……。



 な…………に、も…………、



 ……ナ……に、………………モ…………………………。



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