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神奇世界のシグムンド  作者: 上川 勲宜
第3章 心の境界線
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幕間1 幼い光

 意識が――――――――――――――落ちていく…………。


 暗闇から伸びる手に、己の身体が引き込まれ、底へと落ちていく感覚。


 抗おうにも抗えなかった。身体が動かなかった。底なしの沼に四肢が埋まり、身動きが取れなくなるように……。


 落ちていくとき、志具はマリアの顔を見た。


 それは驚きと悲哀に満ちた顔。


 その顔はとても儚く、切なく、虚しく……。


 触れてしまったが最後、砂でできた楼閣のように脆く崩れてしまいそうで……。


 ――…………初めての気がしないな……。


 彼女のその顔を見たのは、と志具。


 いつだろうか?


 最近? ……否、違う。もっと昔だ。


 昔……。昔っていつだろうか?


 沈み行く意識。どこまで落ちるかわからない深淵。


 その流れに逆らえず、ただ意識だけははっきりと。


 その中で……志具は見た。


 それはまるで、砂場に埋まった宝物を掘り出すかのごとく。


 志具は、あのときの記憶を、掘り起こした。



 ――◆――◆――



 志具が五歳の頃だった。


 その日、幼稚園は卒園式だった。


 来月からはもう、この幼稚園の子供ではなくなるのだ。


 志具は両親の勧めもあり、また試験に合格したということもあり、町でも優良と呼ばれている堂守学園に入学することになっている。堂守学園は私立の学園で、一度入ると小中高とエスカレーター式に上がっていける学園だ。節目節目にテストはあるが、大半の人がパスできるという。


 志具は幼い頃から頭が良かった。神童、といっても問題ないくらいに。

周囲の同い年の子からしても、志具は明らかに頭ひとつどころか三つほど抜け出ていた。背伸びをしている、というわけではない。本当に頭が切れる子供だった。


 偉い、とか、将来有望だね、とか、志具はよく言われた。


 ただ……それを快く思っていない人も、世の中にはいるのだ。


 ある日、周りの同年齢の子供が、徐々に志具を避け始めた。頭の冴えゆえに、それは子供が自発的に、というわけではないことが、志具にはすぐにわかった。


 原因は、子供たちの親だった。志具の才を疎ましく思った一部の親が、志具を孤立させようとしたのだ。


 志具ほど思考が回る幼子など、そうそういるわけもなかった。幼い子供は、その幼さゆえに、親の言うことは絶対だと思ってしまう節があるのだ。それがたとえ、理不尽な行いだったとしても……。


 志具はその親たちの策略通り、孤立の道を辿った。同時に、志具は大人たちの汚さを学んだ。


 そして、思った。――自分はこのような人間にはならない、と。


 抵抗するためには、当時の志具はあまりにも弱い存在だった。その親に文句のひとつでも言ったところで、子供の戯言と一蹴されることは明らかだった。それどころか、無関係な自分の両親にまで、危害が及びかねないと、志具は感じたのだ。子供の失態をやり玉に挙げて……。


 だから志具は、耐え凌ぐことにした。耐える勇気、というのであろうか。幼い子供には、あまりにも辛い選択だった。


 同時に、目立たないように努めた。自分の存在を空気のように薄れさせ、言動の端々に怜悧さを宿らせないように努めた。そうして、幼いながらの処世術を身につけた。


 今振り返ってみると、幼児とは思えないほどの、異常なまでの配慮だった。それは彼が神童故だったから為せたことか、それとも、追い詰められた人間は、歳に関係なしにこれほどのことを為し得るだけの技量をもっているのか……。


 それが功を評したのか、志具は目立たなくなった。


 出しゃばりができなくなったことを察すると、親たちは手を引いた。こういう引き際の良さを見る限り、きっとあの人たちは今までも同じようなことをやってのけていたのだろう。そういう生き方を一度身につけてしまうと、魂にこびりついて離れなくなってしまうものなのだ。


 自分の生き方が、自分自身の手によって汚されていることに、あの人たちは知らない。そしてその罪を、他人に被せるのだ。


 卑怯で、臆病……。そういう人たちだ。


 もっともこのことは、今振り返ったときに思うことであって、幼い頃はここまで達観していたわけではない。


 卒園式を終え、志具は自宅に帰った。家に戻っても、両親はいなかった。仕事で忙しく、滅多に返ってこないのだ。今となっては、その仕事内容もわかるのだが……。


 志具は幼稚園から家へと帰ると、とんぼ返りのように外に飛び出し、いつもの場所へと向かった。


 いつもの場所――山にある、古びた公園のことだ。


 志具はあのとき、その場所に行くのが楽しみだった。


 知り合って間もないが、マリアとの交流は、心が温かくなるようだった。


 心が温かくなる。――それは、あのときの志具の心が、少なからず冷めついていたことを意味していた。気にしないフリをしていても、やはり心は正直なのだ。


 ――早く彼女と会いたい……。


 そんな思いを強くし、志具はやがて、公園までやってくる。


「マリアちゃ……ん…………」


 明るい声で彼女の名前を呼ぼうとするが、途中で言葉の勢いが落ちた。……というのも、マリアの姿がそこになかったからだ。


 出会ってからというもの、常に彼女は自分より先にこの場所にやって来ていた。なのに、今日に限って来ていない……。


 ――どういう、こと……?


 そのとき、志具はようやく思い出した。


 卒園式に、マリアの姿がなかったことを――。


 マリアの引っ越しが、今日であったことを――。


 思い出すや否や、志具は彼女の屋敷まで駆け出した。


 息を切らし、自分の体力なんて考えずに、がむしゃらに走った。


 周りの人が何事か、という目で見ていたが気にしている余裕はなかった。


 自分は馬鹿だ、と志具は自虐した。


 自分の環境を変えるために偽りの仮面をかぶるのに気を使い過ぎて、彼女の大切なイベントを今の今まで忘れてしまっていた。


 懸命に走り続け、ようやくマリアの屋敷の前までやってきた。


 そこでは……………………誰もいなかった。


 屋敷は残っていた。しかし、人がいないことは目に見えて理解できた。


 堅牢な鉄格子の門扉が、侵入者を赦さないとばかりにがっちりと閉ざされていた。


 間に合わなかった……。


 愕然と、志具はその場に立ち尽くした。


 手にしていたものが、指の間からすり抜けていくような感じだった。


 志具にとって、彼女はおぼろげな光のようなものだった。


 それはまるで、ホタルのように、小さな光。


 だけど、心に染み入るような、温かな光。


 そんな、存在だった。


 無下に手放してしまった後悔。それと同時に押し寄せるのは、彼女に対しての申し訳なさ。


 マリアをひとりで往かせてしまった。


 見送りができなかった。


 彼女は、自分を頼ってくれていたのに……。


 自分が、彼女を頼っていたように……。


 彼女と面と向かい合い、友達になろうと言ったときに見せた、彼女の泣き顔が脳裏によぎる。


 見送りをしなかった自分を、マリアはどう思うだろうか……、と志具は考えた。


 自分が相手の立場になって考えてみたとき、明らかに幻滅するだろうという考えにいきついた。


 普段親しくしておいて、大切なところで放っておくのは、ある意味一番残酷なことではないか?


 それは、幼い子供が抱くには、あまりにも重い真実。だけど、幼いゆえに雑念がなく、そのためにフィルターにかけるものがなかった結果、いきついてしまった考えだった。


 彼女に、辛い思いをさせてしまった……。


 最後に、彼女の支えになってあげられなかった……。


 幼い志具に、深い後悔が押し寄せる。


 重圧が双肩にのしかかり、志具は抵抗できずに押しつぶされる。小さな子供には、あまりにも残酷すぎる圧力だった。それは、人並みの人格であるならば、決してここまで考えることはなかっただろう。しかし志具は、神童と呼ばれるほどに怜悧な頭脳を持ち得てしまっていたからこそ、ここまで思考が届いてしまったのだ。


 身の丈に合わない能力は、己を潰しにかかるものなのだ。


 そして志具も、その考えにいきついてしまった。


 その結果、志具は自分を抑えることにした。


 だけど、四六時中押し殺すのはさすがに無理だった。だから志具は、家の中だけは、本来の自分自身を大っぴらにすることにした。


 公共の場では、仮面をかぶった。要は猫かぶりだ。本来の自分とは違う自分を演じるのだ。


 大人が使うこすい手を、小さな子供である志具は使った。


 結果を言うと、それは見事に成功した。


 志具が好んで使った仮面(ペルソナ)は、普通の子というものだった。


 成績も、運動も、態度も、とにかく普通。何も秀でたものがない、だからといって劣っているものもない、普通の子供を演じた。


 ただ……演じ続けているうちに、志具の中で鬱屈した何かが発生しだした。


 ストレス、といえばいいだろうか。慣れないことをしているせいもあるが、それよりも演じるということが負担になっていたのだ。


 猫を被って、別の自分を演じるというのは、大人が多用することからもわかる通り、高度なテクニックだ。大人がやっても疲れるようなことを子供がするのだから、その負担は相当なものになっていたのだ。


 志具は悩んだ結果、演じることを止めた。


 その代わり、耐える覚悟を固めた。自分をさらけ出すことによって生じる圧力を、その身で受けることを決断したのだ。


 仮面を外すと、案の定というべきか、周囲の人間が彼の異質さに気づき始めた。


 だが、あのときほど酷い目には遭わなかった。あのときよりも、周囲の生徒が成熟していたということもあるし、学園の校風のおかげかもしれない。


 ただ、どことなく超然とした空気がまとわりついてしまっていたようで、人がなかなか寄り付かなくなった。ただ、嫌悪はされていないので、別にかまわなかった。


 そんなときに現れた、海外からの転校生。


 その転校生は、金髪の美少女だった。


 志具は、そんな転校生に、どことなく懐かしさを感じていた。


 何の懐かしさだろう。


 志具は考えた。考えに考え、考え抜いた。


 その結果――――志具は結局、わからなかった。


 記憶が深く、地中に埋められてしまっていた。



 ――◆――◆――



 埋没していた記憶が、落ちるときに手にすることができるとは……、と志具。


 それは、幸か、不幸か。


 意識が落ちる彼には、わからなかった――――。

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