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神奇世界のシグムンド  作者: 上川 勲宜
第3章 心の境界線
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第3話 突然の来訪者

 翌日。


 マリアを元気づけたななせは、学校を終えた後、彼女を我が家に招待した。もっとも、厳密にいえば、志具の家なのだが、そのような些細なことはどうでもいい。自分は彼の許嫁である以上、彼のものは自分のものなのだ。


 マリアを呼んだのはほかでもない、今後の方針について語るためだ。


 当初、ななせは学校での昼休み時間にでも話そうと考えていたのだが、情報収集が遅れていたために、満足な知識を披露できる自信がなかった。


 情報収集は菜乃が行ってくれている。彼女がもつ情報網を駆使し、わかる限りの情報を探し出してくれていた。その奔放に追われているのか、菜乃は昨日今日と学校に登校していない。それどころか、家にも戻ってきていなかった。菜乃が学校を休んでいる理由は、「たちの悪い風邪をひいている」ということにしているが、長引くようであるなら、別の理由を探す必要があった。


 とりあえずマリアには、それだけのことを学校では伝えていた。


「ところでななせさん。具体案は決まってるの?」


 居間にあるソファに腰掛けているマリアは、向かい側に座っているななせに、ふと湧いた疑問を口にした。


「いんや、全然」


 あっさりと無計画なことを知らされたマリアの顔は、若干不安の色が陰った。本当に大丈夫なのかな、とでも言いたげだ。


「大丈夫なの?」


 案の定、表情から読み取れる通りの言葉を言うマリア。


 そんな彼女に、ななせは内心苦笑しながらも、


「いいんだよ。考えるより先に行動を示すことが大事なんだ」


 と、悪びれた様子も見せずにななせは答えてみせた。


「……それって、そういう意味で言った言葉なの?」


 ジト……、と湿気のこもった目つきでマリアはななせを見る。


 確かに、マリアにしてみれば、その場しのぎの方便のように聞こえても、無理もなかった。


 だけど……、とななせ。彼女にも彼女なりの言い分があるのだ。


「仕方ないだろ。菜乃が情報をもらってくるまでは、動きようがないんだよ」


 志具を助けに行くという行動を決めたところまではよかった。……が、そこから先に進むためには、今回の場合、ある程度の情報が必要だった。丸腰でどうにかなるほど、相手が甘い存在でないことは、一度衝突してわかっていたことだった。


 何の準備もなしに、再び同じ相手とぶつかるのは、同じ轍を踏むも同然の行為。愚行も甚だしいというものだ。


 なのでせめて、必要最小限の情報だけでも集める必要があった。


 その中でもとりわけ重要なのが、エデンに行くためにはどうしたらいいのか、という問題だった。


 実はななせ。町に戻ってからもう一度エデンに行こうと、エデン行きのチケットを手に入れようとした。そのとき、先刻述べたような準備など一切していなかったのだが、志具が奪われたという焦りもあり、ろくに思考が回っていなかったのだ。


 チケットを手に入れようとした結果……どういうわけか、その申し出が弾かれてしまうのだ。エデンが有名かつ人気の観光スポットだから、すぐにチケットが取れない、というのが先方の理由なのだが、それにしては不自然だった。というのも、旅行の申し込みが殺到するゴールデンウィーク時、彼女は一週間ちょっと前に申し込んだにもかかわらず、エデン行きのチケットを購入できたのだ。それも宿泊するホテル込みでだ。ピークを越えた時期にもかかわらず、チケットが手に入らないのは、どうにも腑に落ちないところがあった。


 ――おそらくは……やつらが裏で手を回しているんだ……。


 やつら……。言うまでもなく、イザヤとまひるである。


 これはななせが自力で探した情報なのだが、彼らが所属している『ゴスペル』は、エデン全土のあらゆる科学技術の開発に関わっている組織だ。そのため、『ゴスペル』のエデン内における発言権は大きなもので、たとえ些細な事情であろうとも、組織の意向にはほとんど逆らえないというのが現状だ。


 イザヤたちが『ゴスペル』を通じて、自分たちをエデンに入らせないようにしているとすれば……。


 あくまで可能性の話だが、十分にあり得ることだった。


「じゃあ、なんでわたしを呼んだの?」


 不満に感じながら、マリアはななせに訊いた。


「今日くらいに、菜乃が戻ってくるはずだからな。いちいちあたしが後で説明するのも面倒だし、だったら呼んで一緒に聞いてもらおうと思ったわけだ」


「菜乃さんが来なかったら?」


「あたしとお茶が飲めるんだ。光栄だろ?」


「…………どうせなら、志具君と飲みたいよ……」


「何か言ったか?」


 ボソリと、蚊の鳴くような声で言った言葉を、ななせは聞きもらさなかった。


 にっこりと、そして威圧を込めた笑顔をマリアに向けるななせ。


 その気迫に押され、マリアはたじろぐ。


「……き……聞こえてたんだ……」


「あたしの耳は犬の十倍は優れているからな」


「……にしては、あのときは聞こえないとか言ってたのに……」


 あのとき、というのが、先刻マリアに会いに行ったときのことを指しているのはすぐにわかった。


 あのときはあえて、聞こえないフリをしただけだ。……もっとも、それはマリアも、何となくながらも理解しているはずだが……、とななせ。


 ななせはマリアの不満な声を、華麗にスルーし、耳に手を当て、


「だから聞こえる……。あたしには聞こえるぞ! 志具のやつが、あたしを猛烈に求めている、熱い吐息が!」


「あ、熱い吐息⁉」


「『ああっ……。ま、万条院、私はもう……我慢できそうにないっ……!』。――そう言って志具は、熱した鉄よりも熱い自らの想いをたぎらせ、慰めを――――」


「ち、ちちちちちちちょっとちょっとちょっとおおぉぉぉぉ⁉ 何言ってるの⁉ ななせさん!」


「今現在の志具の声を、あたしを通じて声に出したんだ」


「し、し……志具君はそんなことしない! 志具君は…………そうっ、紳士なんだから!」


「ふっ……。実に儚い幻想だな。男という存在は、常にエロいことに興味津々なんだ! 例外はない!」


「で……でもでもっ、志具君だけは例外だよ!」


 頑なに志具の身の清純さを強調するマリア。


 そんな彼女に、ななせは憐れみとも取れる眼差しを向ける。


 ついでに、はぁ~、とため息。


「マリア……。お前ってやつは……ほんっっっっとうに愚かだなぁ~」


「……ななせさん。さすがのわたしも、さっきのにはイラッと来るものがあったんだけど」


 気にするな、とななせはマリアの言葉を無下にする。


「いいか。生きとし生きるものというのは、そういうものに興味を持っていないと健全とは言えないのさ」


「は……?」


 唐突に語り始めたななせに、マリアはポカンと口を半開き状態。しかし、ななせはかまわず、話を続ける。


「そもそも生き物とは、そういうことを為すからこそ、子孫が繁栄し、数を増やしていくものだ。もしエロスに一切興味がない生き物がいたとしたら、その種は遅からず絶滅の岐路を辿ることだろう。なにせ、興味を持たない以上、それを行おうとする意志がないからだ。そうなれば最後、それは不必要なものと判断される。不必要なことをする生き物は、この世には存在しないものだ。生き物っていうのは合理的だからな。必要最低限のものは得ようとする傾向がある」


 はぁ……、とマリアは生返事。


「エロスへの好奇心……。その延長線上には、種の保存という極めて生物学的にも偉大な所業が待っている! エロスへの興味というものは、あまりに健全的なことであり、決して否定される事情ではないということだ。 ――わかるな?」


 わかりません、とマリアはぽかんとした表情ながらもあっさりと答えてみせる。


 しかしななせは、それを華麗に流す。今の彼女は、自分に不都合な言語はすべて、鼓膜で弾くか、あるいは鼓膜を伝う際、理解不能の神経回路とシナプスの結合によって、彼女の都合のいいようなものへと解釈、変更させていた。


「つまりだ。あたしが言いたいのはただひとつ。――――志具はエロい。以上だ」


「どうしてそんな結論になるの⁉」


 やっとこさマリアは正気に返る。その直後に、猛烈なツッコミを入れた。


「なんだ、マリア? お前は志具が健全じゃないって言いたいのか?」


「そ、そういうわけじゃないけど……」


「志具は健全だ。健全だからエロスにも興味がある。――だろ?」


「…………どうしてその二つを結びつけるの?」


「さっきのあたしの論理がすべてだ!」


 鼻高々だとばかりに、ななせは威張る。


「……ななせさんのその自信がどこから来るのか、わたしにはわからないよ」


「気にするな。世の中、わからないことだらけだ。それを解明するために、世界中の学者たちはがんばっている」


「なんかスケールが巨大になったんだけど⁉」


「気にするな。とにかく、志具はエロい。これは厳然たる事実だ。なにせ健全なのだからな」


「………………はぁ、もうそういうことでいいよ」


 諦観の域に達したのか、マリアは嘆息とともにそう言った。


 そんな彼女の様子を見て、ななせはつい口元が緩んでしまう。


「……? どうかしたの?」


「いや。なんでもないさ」


 と、お茶を一口つけるななせ。


 ななせは、マリアがだいぶ、元の調子を取り戻しつつあることに、内心安堵していた。マリアの屋敷を訪れたときの彼女の様子は、本当に儚く、危うい感じを受けたのだ。あのときのマリアは、ちょっと強めの風が吹こうものなら、ボロボロと崩れ去ってしまいそうなほどの脆さがあった。


 正直、マリアが立ち直ってくれるか、五分五分の賭けだった。そのつもりでななせは、彼女の屋敷に行った。その結果、うまくいったわけだが……。


 腑に落ちなさそうな疑心を抱いた顔をするマリアに、ななせは言う。


「お前はやっぱり、そういう感じが一番だな」


「……どういうこと?」


「しっかりしてそうでどこかズレていて、少し馬鹿な感じがだよ」


「なっ……! そ、それって、褒めてるのかな⁉」


「褒めてる褒めてる。遠慮なく、あたしの讃辞を受け取ればいい」


「……なんか、素直に受け取れないよ…………」


 マリアは文句を言いたげだ。非難を宿した眼が、ななせに向く。


 その眼光を、ななせは涼しげに受け止めていると、


「ただいま戻りました~」


 玄関の扉が開き、声が聞こえてきた。


 その声は、まぎれもなく――、


「菜乃さん?」


 マリアは視線を居間と廊下を結ぶ戸口へと向けると、ちょうど玄関から菜乃がやってくるところだった。


「あら? マリア様?」


 菜乃はまさか、マリアがここにいるとは思っていなかったようで、驚きに目を丸くさせていた。


 そういえば、菜乃にマリアのことを話してなかったな、とななせは思い出す。なにせ菜乃が情報収集をしている間、彼女に連絡を取れなかったのだ。スマートフォンにメールや電話をかけようとしても、電源が入っていなかったらしく、返事が一切なかった。菜乃はプライベート用と仕事用に二つスマートフォンを所有しており、仕事中は私用のものには手を付けないようにしていると、ななせは思い出すと、それ以降はしつこく連絡を乞うような真似はしなかった。


 ゆえに菜乃は、ななせとマリアの間で何があったのか、知らないのだ。菜乃の今のリアクションは、当然のものと言えた。


「あ~、そうだな……。菜乃、事情は後で説明するよ。とりあえず、着替えてきたらどうだ?」


 ななせは菜乃に、そう提案する。……というのも、マリアは菜乃の服装に少し呆気にとられていたためだ。


 菜乃の今の服装は、婦警の服装を思わせる格好をしていた。ただ、世間一般のそれとは、やや堅さが緩い感じだ。堅実、実直さも感じるが、それ以上に、やや緩い空気も併せ持っていた。それもこれも、装飾過多にならず、かつ下品にならない程度にとりつけられた白いフリルのせいかもしれない。それはどこか、メイド服を思わせる仕様だった。


「あっ、そうですね。それでは、しばし、お待ちくださいな」


 自分の服を見てから、ななせの言うことがもっともだと判断した菜乃はそう言うと、礼儀正しいお辞儀をし、自室へと戻っていった。


「……あの、ななせさん。菜乃さんもその……関係者なの?」


 関係者、というのが、魔術師側(こちらがわ)のという意味だと理解したななせは、ああ、と肯定した。


 マリアは「そうなんだ……」と、驚きながらも、どこか納得したような感じだ。ななせと志具の件を聞いたときから、薄々直感はしていたようだ。


「ただ、あいつはあたしと志具と違って、魔術の類は使えないけどな」


「え? そうなの?」


 意外だ、とばかりに、マリアは訊く。


「ああ。あいつはお前と同じ、生まれは一般人だよ。異能は一切もっていない」


「へぇ~。……それってかなり珍しいことなんじゃ……」


 まあな、とななせは返事をする。


 基本的に一般人が魔術師の世界を知ることは、一生涯かけてもないことが普通だ。そのくらい秘匿とされていることであり、魔術師側も表沙汰にするのは避けている。別に魔術の存在を公開しても問題ない、と唱える輩もいるにはいるが、懸案事項があまりにも多いため、黙殺されている。


「色々あるんだよ」


 最後にななせは、ぽつりと呟いた。


 それは本当に、そよ風に吹かれれば消えてしまってもおかしくないほどの小さな声だったので、マリアには届かなかったようだ。


 けど、それでいいと、ななせは思った。必要になれば、本人から話すことになるだろうし、と。


「お待たせしました」


 やがて、その話の中心人物が現れた。


 菜乃は家にいるときは、大概メイド服でいる。今回もその例に漏れていなかった。


「……本当に菜乃さんって、メイドさんだったんだね」


 話でしか聞いていなかったマリアは、実物を目の前にして、そのようなことを言った。


 菜乃は、ふふっ、と微笑みを漏らし、


「どうですか、マリア様? 一般家屋に従事するメイドさん……、なかなかそそるものがあるとは思いませんか?」


「そ、そそるって……」


 マリアの顔が赤くなっていく。どうやら菜乃が言わんとしていたことを想像したようだ。


 本当はななせも、もっとマリアを突いてみたかったのだが、今はそれよりも優先するべきことがある。己の欲望を胸の中にしまい込むと、


「菜乃。それよりも、目ぼしい情報は手に入ったのか?」


 主であるななせの言葉に、菜乃は忠実なようだ。マリアを茶化す態度をすぐに正すと、


「失礼しました。それはかまわないのですけど……ななせ様。その……マリア様のことを先に説明していただけませんか?」


 情報をマリアのいる場で明かしていいものか、判断に窮しているのだろう。一応菜乃も、エデンでの成り行きは大味ながら伝えているが、そこから先は知らない身だ。


 だからななせは、菜乃に事の経緯を説明した。


 筋を通して話すと、菜乃は納得したようだ。うんうん、と納得の頷きを見せると、


「そうですか……。ではマリア様も、これからはわたしたち側になるということですね?」


 菜乃の言葉に、マリアは「え?」と驚きの声を上げた。


 ななせも、その理由を想像するのは容易だった。


 マリアはただ、志具を助けたいだけだ。それ以外の事情に関しては、はっきりいってまだ踏ん切りがついていない状態なのだろう。まだそこまでの覚悟はしていないのだ。


 しかしななせは、彼女に置いて言えば、別にそれでもかまわないと思っていた。


 マリアは一般人。志具を助けた後に、以降はこちら側に首を突っ込まなければ、それで解決することなのだから。


「いや。あくまで志具を助けるまでだ。あいつを助けた後は、無関係になる予定だ」


 ななせの言葉に、菜乃は「あ、そうなんですか」と了解の意志を見せた。


 ただ、マリアの顔が、なんとも複雑なものに変化したのを、ななせは見逃さなかった。


 ――除け者にされるのが嫌なんだろうな……。


 今回、マリアが志具を救出すると言ったのも、そもそもあのとき、戦場にまでやってきたのも、その意志が強く働いたのがひとつの要因だ。


 彼女の過去に何があったのか、ななせはマリアから伝えられていない。ただ、それを訊くのは野暮というものだ。人のトラウマを興味本位で穿り返そうとするのは、友達でも何でもない、ただの野次馬だ。


 相手のすべてを知れば友達、というわけではない。むしろそれは、相手の弱みを握り、いざというときに逃げられないようにする枷と鎖のような役目をすることだってあるのだ。


 真の友人関係というものは、相手が隠し事をしていても、よほどのことでない限りは不必要に踏み込もうとはせず、知らぬ存ぜずの態度を気取る間柄ではないだろうか、とななせは思う。相手が話したくなれば、自然とその時がきた際に、ちゃんと告白してくれるはずだ。それまでは、察しながらも気づかぬふりをしてあげるというのが、優しさの形のひとつだ。


 ――まあ……、マリアは焦ってたせいか、あんな行動をとってしまったけどな……。


 だからといって、彼女に非があるとは思っていない。志具がああなってしまったのを自分のせいだと責めていたが、そこまで責任を感じる必要は、マリアにはない。かといって、無責任でいろとも、思っていない。

ようは、ちょうど今の感じがいいのかもしれないな、とななせは感じていた。


 ななせは、マリアのその顔を見なかったことにした。そして、話を進行させる。


「それじゃ、菜乃。早速、お前が集めてきた情報を教えてくれないか?」


「はい、わかりました」


 菜乃は頷きと、眉根をやや引き締める。


 そして、菜乃は手に持っていた手帳を広げると、訥々と話し始めた。


「まず、志具様の安否ですが……正直、わかりませんでした。志具様のいる場所も不明です。なにせ、エデン内の情報は、わたしたちの情報網を駆使しても、なかなか得られるものじゃないんです」


 だろうな、とななせ。


 エデンは、異常とも取れるレベルで都市内のあらゆる情報を外界から遮断している。ななせもスマホで、適当に写真を撮り、家で確認してみたところ、どういうわけかエデン内で撮影した写真だけが、すべて消去されていたのだ。


 そのほか、エデン内の案内地図は、紙としての媒体では存在しておらず、エデンに入ったときに、都市中にいくつも設置している端末から携帯電話やスマホなどの端末にダウンロードできるようになっている。……が、それらはエデンを出た際に、一切の例外なく消去されるようになっている。そのため、エデンの詳細な地形を把握している人は、エデン外にはほとんどいないと言ってもいい。地図を丸暗記できるのなら、話は別だが……。


 地図情報がなければ、探している相手がどこにいるのか把握するのは、かなり困難であろう。菜乃の得た情報結果も、仕方ないと言えば仕方ないものだった。


「イザヤたちの目的は?」


 いつまでも引っ張っても無駄だ、と判断したななせは、話を次へと進める。


「ななせ様たちが会った、七夜イザヤと鈴野まひるについてですが、目的はわかりません。……ですが、彼らの背後にいる組織がわかりました」


「組織?」


 ななせは眉を潜ませる。


 はい、と菜乃は会釈で間を置くと、言った。


「彼らの背後にいるのは、『フリーメイソン』である可能性があります」


「『フリーメイソン』……っ!」


 その組織の名を聞き、ななせは驚きの声を上げる。……が、同時に納得の様を見せた。


 ――そうか……。『ゴスペル』の背後にやつらがいるのなら、エデンの発展の具合も納得がいくものがある。


「あの……ななせさん。『フリーメイソン』って、なに?」


 わからない単語が出てきて、マリアは質問をする。


「ん? お前、ファンタジー系のジュブナイル小説を好んでいるんなら、名前くらいは聞いたことがないか?」


「わ、わたしが読むのは、主に恋愛系だから……。一応、ファンタジーはその次くらいで好きだけど、詳しいって程じゃないよ……」


 しどろもどろになるマリア。どうやら、ななせにライトノベル系列のものを愛読しているのがばれて、恥ずかしい気持ちになっているらしい。


 そんなこと気にする必要ないのにな、とななせ。


 だがそこは、軽く流すことにして、ななせは簡単に説明する。


「想像はついているとは思うが、『フリーメイソン』は、魔術結社のひとつだ。魔術と科学を融合した魔科学という分野を築き上げようと日々研究している組織でな、理論の組み立て具合からすると、魔術サイドというよりは科学サイドの人間に傾いている感じだ」


 さらにななせは説明する。


 『フリーメイソン』は、基本的に中立の立場をとる魔術結社だということ。世界中に数多に存在する魔術結社は、自らの組織の発言権や威厳を高めるために、より多くの『アーティファクト』を収集しようと考えている。それゆえ、『アーティファクト』の取り合いで、組織や結社間で抗争が起きることは、決して珍しいことではないのだ。


 そんな中、『フリーメイソン』は『アーティファクト』を回収するにはするが、あくまでそれは魔術研究の一環であり、調査が終了次第、他の魔術組織にオークションで売り渡すのだ。そして、オークションで仕入れたお金を、研究資金にしている。


 さらにいえば、そんな組織であるため、外部の魔術組織が、自分たちが獲得した『アーティファクト』の分析を、『フリーメイソン』に依頼することだってある。


 ゆえに、魔術組織からは、比較的頼りにされている組織のひとつなのだが……、


「『フリーメイソン』は時々、自分たちの研究がどれほどのものか確認するために、大規模な実験を行うことがあるんだ。その実験に魔術師や一般人の区別なしに巻き込むから、その行動が問題視されてる」


 特に最近はな、とななせ。


 これは志具の父親から聞いた話だが、『フリーメイソン』はここ十年ほどで組織体形が変化しつつあるとのことだ。


 今回の一件も、その因果のひとつであるかもしれない……。


 一通りの話を聞き、マリアは、へぇ~……、と声を漏らす。正直、一度に大量の情報を与えられ、理解が及んでいないというようなリアクションだった。まあ、たいていの人はそうなるだろうし、ということで、それを責めるつもりはななせにはなかった。なんとなくそういうものだ、ということを知ってもらえていれば、今はいいのだ。


 ……となると、問題は連中が何をしようとしているのかだった。


 志具を狙っていたことは事実。いったい、彼をどうするつもりなのか……。


 イザヤの話によると、別に抹殺してもよかったとのこと。というか、その割合のほうが、上層部の命令は強かったようなことを、イザヤの口振りからはうかがい知れた。


 ――単に志具が目障りだから、早めに始末しようとしていたのか?


 魔術師としての力を蓄えていない今を狙って……、とななせ。


 しかしそうなると、イザヤがあの場で、志具を連れて行く意味はないように思われる。あのときの志具は、放っておけばどの道死んでしまっていたような気がするからだ。あのときは、まひるの演奏によってエデン中の人々が眠りについていたので、病院に連れて行こうが起きている医師がいないので、手の施されようがなかったわけだし……。


 わからない、とななせはかぶりを左右に振る。下手な考え、休むににたりとはこのことだ。


 憶測を立てるよりも、もっと確実な情報を手に入れるためには……方法はやはりひとつしかない。


「どうにかしてエデンに潜り込む方法を探さないとな……」


 まずはそこからだった。


 エデンにさえ侵入できれば、後はその時考えればいい。楽観論だが、悲観し何もできない状況にいるよりは幾分マシだった。


 ななせの言葉に、菜乃は困ったように眉を八の字にさせる。マリアも考えが浮かばないのか、同様のリアクションをしていた。


 暗澹とした沈黙が、場を包み込む。


「――お困りのようだね、淑女の皆さん」


 そんな青年の言葉が聞こえたのは、そんな最中だった。


 透き通った、爽やかな男性の声。驚き、声のした方向へと一同の視線が向かう。


 居間にある、裏庭へと通じるガラス戸。戸を勝手に開け、身体を家屋に半分入り込ませているのは、金髪の青年だった。


 ――いったいいつから……?


 まったく気配がなかったことに、ななせは驚くとともに、警戒感を抱く。


 鋭い氷の刃物のような目つきをし、金髪の青年を睨むななせ。今にも飛びかかってきそうなほどに敵対心を露わにするななせに、青年は少し慌てた様子で、


「ち、ちょっと待ってよ。僕は別に、君たちと戦うつもりで来たわけじゃないんだ」


「じゃあ、どういう目的で来たんだ?」


 冷徹な眼のななせ。そんな彼女に怯みながらも、青年は、


「そうだねぇ……。むしろ逆かな? 君たちに条件次第で手助けしてあげようかなって思って」


「手助け?」


 その言葉にマリアが食いついた。


 青年の言う、その言葉の意味することはただひとつ――志具を助けるために手を貸すということだろう。


 だがななせは、マリアほどに楽観的ではなかった。


「見ず知らずの相手に、手助けしてもらうつもりはない」


「見ず知らず、か……」


 ななせの言葉を聞き、少々残念そうに金髪の青年は肩を落胆させる。


「……まあ、仕方ないか……。僕たちが会ったのは、ほんの一瞬だったもんね……」


 ほんの一瞬?


 ななせは過去の記憶を探ってみる。そういえばこの人、どこかで見たことがあるような……。


 思案顔になるななせだったが、やがてマリアが、「あっ!」と声を上げた。


「思い出した! 貴方は確か、警察の人に連行された人ですね?」


 ああ、そういえば……、とななせはようやく記憶が鮮明になった。


 志具とななせたちが一悶着起こしていた時に、金髪の青年は苦言を呈してきたのだ。もっともな意見だったが、その後に青年の心の声がダダ漏れ、警察に引っ張って行かれたのだ。


「なんだ。あのときのモテない嫉妬魂の男か……」


「き、君たち⁉ いくらなんでもその言い方はひどいんじゃないのかい⁉」


「人の家に勝手に上がり込んでいるやつが何言ってるんだ」


 白い目を向けて言うと、ななせは青年に近づき、引き戸を閉めようとする。――境目にいる青年を無視して。


「のおおおおぉぉぉぉ――――⁉」


 身体の正中に戸を叩きつけられ、金髪の青年は倒れこみ、痛みにもだえ苦しむ。


 ただ、


「……どうしてわざわざ、家の中に入ってくるんだ、お前は」


 倒れこむのが外ではなく、室内だった青年に、ななせは冷たい声を浴びせた。


「……な、なんだい? 僕へのこの仕打ちは、穆が君たちにここまでやられるような酷い目に遭わせたっていうのかい?」


「気にするな。単に虫の居所が悪かっただけだ」


 現にその通りだったので、ななせは嘘は言っていなかった。志具を助ける方針が決まらず、いら立ちを感じていたのだから。


 そんな彼女に、金髪の青年は鼻のてっ辺をさすりながら、


「だから……僕が手助けしてあげようって言ってるじゃないか」


「条件付きで、だろ?」


 ななせは突っぱねるように言い放つ。


 条件付き、という言葉ほど、胡散臭いものはなかった。ましてや相手は素性のしれない男。用心するに越したことはないだろう。


「だいたい、なんでお前は、あたしたちを助けようと考えたんだ? 今まで接点も何もないあたしたちに」


「接点か……。あるには、あるんだけどねぇ」


 意味ありげな含み笑いをする青年。彼はななせたちを一巡して見ると、


「まあ、今は言えないかな。こっちにも事情があるもんでね」


「なら話は終わりだ。とっとと出ていってもらおうか」


「ち、ちょっとななせさんっ」


 つっけんどんな言い方を続けるななせに、さすがに相手に失礼だと感じたのか、マリアが自制をするように言葉をかけた。


 だが、ななせとしては、警戒感のほうが先に出てしまうというものだ。こちらに一切気づかれずに、ここまで相手はこの家の敷地に入り込んできているのだから……。


「まあ、僕の話を聞いてよ」


 ななせの疑心暗鬼を解くためか、あくまで穏やかに接する金髪の青年。宥めるようにそう言葉を言うと、


「実は僕も、ちょっとエデンに用があるのさ。だから君たちを、そのついでに送り迎えしてあげようかなって思ったんだ」


「エデンに行きたかったら、新幹線を使えばいいだろ? お前の場合は」


「電車は嫌いなんだよね~」


 締まりのない顔で、青年は言う。


 ……が、ななせにはわかっていた。単純に、正規のルートでは行けない理由が、この男にはあるのだと。


「反対に僕から訊いていいかい? 質問されっぱなしは嫌いなんだ」


 思案している間に、金髪の青年はそんなことを言ってきた。


 ななせは考えた後、「なんだ?」と言葉の続きを促した。


「君たちはどうして、あの少年にこだわるんだい? 助かっているかどうかもわからない相手を、自らの危険を冒してまで救いに行こうっていうのが、穆には理解できないな」


 こいつ……っ、とななせは青年のこの言葉で感づいた。


 この青年は、あのときの戦いを見ていたんだ、と。


 先程のななせとマリアと菜乃の会話を聞いていた、という可能性もあるが、それにしては青年の目に宿るものが、あまりにも確信めいたものをもっている。決して、伝聞でどうこうなるような領域ではない。


 ななせは一層、神経を尖らせる。この青年に気を許しては駄目だと、彼女の心が叫んでいた。


「どうしたんだい? 早く僕の質問に答えてくれないかな?」


 金髪の青年は、あくまで先程と同じ態度だった。声色も。


 しかし、ななせには、彼に抱く印象がまるっきり別物へと変わっていた。青年の口調の裏には、有無を言わせない巨大な圧力が込められているような気がしてならなかった。


 それは、ある程度力をもった人間でないと察することができないほどのもの。無知であればあるほど、感じられない畏怖。それが、青年の口調には宿っていた。


 どこの誰かは知らないが、ここで抵抗するのはよくない、とななせは判断する。


 内心、苦い思いを感じながらも、ななせは本音をありのままに話した。


「友達を助けるのに、理由はいらないだろ?」


「それだけかい?」


 思いのほかあっけない回答に、青年はややポカンとしていた。


 そんな彼に、ななせは「ああ」と肯定した。


「…………君たちは?」


 同様の質問を、今度はマリアと菜乃に向ける。


 話を突然振られ、ややドギマギするマリアだったが、一度深呼吸をして落ち着いた後、


「志具君は……わたしにとって大切な人だから……自分にできることをしてあげたいから、助けたいです」


「た、大切な……ひ、と……っ!」


 なにやら青年が狼狽えている。同時に、何かしらの憎しみを抱いているようだった。


 ……が、すぐに元に戻ると、今度は菜乃の言葉に耳を傾ける。


「志具様は、ななせ様の大切な許嫁ですからね。使用人として、ご主人様のために全力を尽くすのは当然です。……もちろん、わたし個人としても、志具様には思い入れがありますから」


「い、いいいい許嫁ええぇぇ⁉ ご、ごしゅ、じ……んさ、ま…………」


 ジャブ、ジャブ、ストレートパンチを喰らったように怯みまくる金髪の青年。


 なんだ? この珍妙な客は……、とななせは気を引き締めたことをばかばかしく思い始めた。


 青年は突如、ななせたちから背を向け、ぶつぶつと何かつぶやき始めた。


 耳を澄まさないと聞こえないほどの小さな声は、こう言っていた。


「リア充爆発しろリア充爆発しろリア充爆発しろ…………」


 それはまさに呪詛。怨恨を込めた声色で、青年は暗い調子で延々と口に出していた。


「……おい。モテなくて嫉妬深い童貞野郎。あたしらはちゃんと答えてやったぞ」


「だ、だだだだ誰が童貞だ! 童貞違うわい!」


 正気に返り、金髪の青年は即座にそう言い返す。


 やたらと「童貞」という言葉を気にしている金髪の青年。リアクションが大変思春期真っ盛りの少年みたいだった。もうそんな歳でもないだろうに、とななせ。


 金髪の青年……。見てくれは誰もが認めるであろう程のハンサムっぷりだが、どうやら性格が駄目なようだ。それで女性が寄ってこないのだろう。そのことに本人は気づいているのだろうか……、とななせはいらぬ心配をする。


 ……が、それよりもななせは、先に言うべきことがあった。


「次はあたしからの質問だ。あんたはなんでエデンに行きたがってるんだ?」


「ちょっと、会いたい人がいるんだよ」


「前にも行ったのに、会えなかったのか?」


 直球に訊くななせに、青年はやや驚いた様子だったが、やがて薄い笑みを浮かべると、


「へぇ……。気づいてたのかい?」


「だいたいな」


 簡潔に答えるななせに、青年は「へぇ……」と興味深そうに彼女を見やる。


 そうした後、青年は友好的とも取れる笑みに変えると、


「そうだよ。前はほかに面白いことがあったからね、そっちに気を取られていたら、会う機会を失っちゃったんだ。だからもう一度行こうと思ってね」


 面白いことというのは、十中八九、港での一戦のことを言っているのだろう、とななせは容易に推測できた。こんな発言をするあたり、青年はもう、観戦していたことを隠すつもりはないのだろう。


 それに……、と青年。


「僕としても、彼を失いたくないのさ」


 その言葉に、ななせは驚きと不審を覚えた。


「肩入れする理由はなんだ?」


「興味本位さ」


「ふざけた答えだな」


 フン、とななせは鼻を鳴らして言葉を返す。


「でも事実だよ。好奇心こそが、人間を高みに登らせるのさ」


「好奇心は人を殺す、というような言葉もあるがな」


「リスクを恐れていちゃ、本当に価値のあるものは手に入らないよ。リスクと報酬は、常にイコールで結ばれているものさ。ノーリスクノーリターン、ハイリスクハイリターン……。ノーリスクハイリターンなんて本当は存在しないし、ハイリスクノーリターンなんてものもない。もしそう感じているのだとしたら、それはその人が本当のリスクにも本当のリターンにも気づいていないってことさ」


 雄弁に語る金髪の青年。


 まあ、一理あるな、とななせは思った。彼女自身も、これまでの半生から薄々感じ取っていたことだったからだ。


「それで、君たちはどうする?」


 再度、金髪の青年は彼女たちに問うた。


「リスク覚悟で僕の言葉に賭けてみるかい? それとも、得体のしれない僕が怖いから、報酬(リターン)は求めないかい?」


「……自分で言うんだな……」


 まあね、と青年は悪びれる様子もなく言ってみせる。


 ななせは思案する。


 目の前の青年は、彼自身が言ったとおり、得体のしれない相手だ。どこまで信じていいものか、判断に困る。


 ただ、でたらめばかりを言っているわけでもなさそうだ。煙に巻きながらも、必要最低限のことは、なんとなしにほのめかすようなことを言っているのも事実。


 あらゆる物事は、毒にもなるし、薬にもなるものだ。


 金髪の青年自身は毒のような存在かもしれないが、使い方次第では自らを救う薬にもなりえるかもしれない……。


「……みんな、いいか?」


 迷った末、ななせは他の二名に問いかけた。


「ななせ様がいいのでしたら、わたしは別に反対はありません」


「わたしも。……っていうか、わたしもそういうの、よくわからないし……」


 よくわからないことに対し、後ろめたそうにするマリア。


 しかし、いずれにせよ、二人は自分の意志に従うという意志表示をしてくれた。


 正直、二人を別の危険に巻き込む可能性は十分にあり得る。しかし、それを承知で彼女たちが自分に預けてくれたことを、ななせは信じることにする。


「――いいぜ。あんたの話、乗ることにする」


 決然とした眼を向けるななせに、金髪の青年は、


「いいねぇ。面白くなりそうだよ」


 彼女の眼を見て、そんな感想を漏らした。


 ――別にあんたを楽しませるために決断したわけじゃないけどな。


 内心でななせは、そう毒を吐いた。


 そんな彼女の心の声を知らずに、青年は言葉を紡ぐ。


「準備も必要だろうしね、出発は明日の夜にしようか。時間は……そうだね~………二十二時にしようか。場所は公園にしよう。この町の山の中にある、寂れた公園だ。あそこなら人がいることは滅多にないしね」


 その言葉に、マリアは「え?」とびっくりしたような声を上げた。


 そんなマリアに、金髪の青年はにこっ、と笑いかけた。


 その意図がななせにはわからない。……が、マリアに何か関係あることだけは察することができた。


 話がまとまったことを確認すると、


「じゃあね、淑女のみんな。また会える日が待ち遠しいよ」


 にこやかな青年は戸を開いて、志具の家を退場した。


 残される三人。突然の事態から解放され、一同はやや呆気にとられていたのだった。


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