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神奇世界のシグムンド  作者: 上川 勲宜
第3章 心の境界線
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第2話 立ち上がる意志

 ゴールデンウィークが明けた。


 ……が、マリアの心は、鼠色の厚い雲に覆われているかのように暗澹と、そして沈鬱としていた。


 マリアはゴールデンウィークが終わったのにもかかわらず、学校を休んでいた。


 とても、行く気にはなれなかった。


 行けば、マリアは非情な現実を突きつけられる。


 教室に入れば、嫌でもそれが目についてしまう。


 彼がいない、無残な現実を――――。


 そして、そんな現実に仕立て上げたのは、他ならぬ自分だという事実を――――。


 ――志具君…………。


 家に帰ってから、幾度となく彼の名前を心の中で反芻していた。


 そのたびに胸が締め付けられ、泣きたくなるほどに痛くなって……泣いた。涙を流すのをやめたいと思っても、できなかった。


 志具の姿が、脳裏にこびりついて離れない。それは同時に、自分に対しての罪の意識を鮮明なものにしていた。


 家の人たちは、旅行から帰ってきたマリアの変貌ぶりに驚いていた。


 無理もない。旅行前の彼女は、今にも小躍りそうなほどの高揚感に包まれていたのが、傍目からでもわかるくらいだったのだから。


 それが……この結果だ。


 マリアの両親は、当然ながら心配する声をかけた。それは屋敷で給仕する使用人たちも同じだった。だがマリアが、「なんでもないの……。静かにしてください。お願いします……」と消え入りそうな声で言葉を発すと、誰も何も言えなくなった。たった一言で、彼女の中に巣食っている辛辣なものが、容易に察することができたのだ。


 そのため、マリアが学校を休むと言ったときも、両親は文句を言わなかった。親も、今は休養させる必要があると判断したのだ。その心遣いに、マリアは感謝していた。


 両親は大会社の重鎮ということもあり、娘がこのような状態でも仕事に行かなくてはならない。出勤する際、「気兼ねなく、ゆっくり休めよ」と父親が自室にいるマリアに声をかけた。母親も似たような言葉をかけてくれた。その言葉だけでも、本当は会社を休んででも傍にいたい、という気持ちが、痛いほど伝わってきた。

 

 せめてもの気持ちとしてなのだろう。マリアの元に、頻繁に……という頻度ではないが、仕事が空いた片手間に様子を見に来るメイドたちがいた。両親に言われたのか、それとも自分たちの意志で顔を見せてきてくれているのか……。その心遣いが胸に染み入ると同時、申し訳ない気持ちも膨れ上がった。


 いつまでもこうしているわけにはいかない、という気持ちは、もちろんマリアにもある。……が、心がそう思っていても、身体が拒絶反応を起こしたように、動こうとしない。それは、心の中にある気持ちが、二分に分かれているせいであろう。


 前に進みたいという気持ちと、その場にとどまろうとする気持ち。


 そんな両極端な思想が、マリアの心中に蜘蛛の巣のように張り付いていた。


 ――なにがいけなかったのかな……。


 自問するマリア。その答えは、あっさりと導き出される。


 自分が、あのイザヤとかいう青年の言葉に乗せられたのが悪いのだ、と。


 あのときのマリアは、志具たちが隠し事をしているのが気になって仕方がなかった。自分の知らないところで距離ができてしまっていることに、たまらない恐怖心を抱いたのだ。


 そこまでマリアが必要以上に考えてしまうのは、過去のトラウマ……。かつて独りにされてしまったときの辛辣な記憶が、マリアを焦らせていたのだ。


 どうにかして彼らに近づきたい……。


 もっと彼らのことが知りたい……。


 そんな気持ちの隙をぬって入り込んできたのが、イザヤの言葉だった。


 旧約聖書の、アダムとイヴの話を、マリアは思い出す。


 蛇にそそのかされ、知恵の実を食べてしまい、罰を受けた双方……。


 ただ、あの神話は双方の責任だったが、今回のはマリアひとりの責任だった。


 自分の過ぎた行い、好奇心が、志具をあのような目に遭わせてしまったのだ。


 彼があんな仕打ちに遭ってしまったのは、一重に自分の罰のようなもの……。――マリアは、そう感じていた。


 自分で決断した意志、好奇心に駆られた結果に、マリアは己が巨大な力によって押しつぶされるような感覚を得ていた。罪の意識が無尽蔵に膨れ上がり、小さな彼女を潰そうとしていた。


 ――逃げたい……。


 切に、マリアは願う。


 そのとき、不意に自室の扉がノックされた。心配して、また様子を見に来たのかな、とマリア。


「…………どうぞ、開けてもいいですよ」


 涙を拭い、マリアは許可をした。


 数秒後、扉は慎ましやかに開けられ、案の定、使用人が入ってきた。


 一礼すると、メイドは口を開いた。


「マリア様。貴方に会いたいとおっしゃられている、お客様がいるのですが……」


「お客様? ……誰ですか?」


「万条院ななせ様です。以前も一度、屋敷に来た方です。マリア様のお友達ですよね?」


 ななせさんが……。


 ここで、マリアはようやく、夕刻時になっていることに気づいた。時間の流れすらも満足にわからなくなってしまっていることに、マリアは否応にもわかってしまう。


 いったい何のために? などと、考えるまでもない。


 マリアは逡巡する。ななせに会うべきか否か……。


 自分が彼女の立場だったら……間違いなく非難の言葉を浴びせることだろう。大切な人を窮地に追いやったのだ。それくらいの報いを受けるのは、当然のことだ。


 だけど……、とマリア。今の自分に、その怒声に耐えうるだけの精神力があるのかどうか、疑問だった。今の自分は、風前の灯火に等しい存在だということを、マリアはうっすらとながら自覚していた。


 長い沈黙。メイドはマリアの言葉を、心配そうにしながらも待ち続けていた。


「…………呼んでください」


「いいのですか?」


 メイドのその言葉は、マリアを思ってのものだ。それを彼女も理解していた。


 それでも、


「はい。呼んでくださっても結構です」


 そう、マリアはきっぱり言った。


 どのような辛辣なものであれ、自分はそれを受けなければならない。その義務があると、マリアは感じたのだ。


 ななせが自分に向けるであろう悪態に堪えられなかった場合、それは自分の覚悟がそれまでだったということなのだろう。マリアは、そう考えた。


 それは傍目から見れば、自暴自棄になっていると、受け取られるかもしれないものだとしても…………。


 マリアの意志が変わらないことを察したメイドは、「わかりました」と一礼をして、退出した。


 マリアはその間に、着替えることにする。朝からずっと、マリアはパジャマ姿だった。


 ラフな私服に着替え、マリアはじっとその時を待つ。


 すると…………来た。


 コンコンと、ノックが入り、扉越しに先程のメイドの声が聞こえてきた。


「マリア様、万条院様を連れてまいりました」


「入ってもかまいません」


 逃げ出したい気持ちがあったが、マリアはそれを押し殺し、許可を出した。


 扉を開かれる。ななせが……来る。


 ――ななせさん…………。


 扉の先にいる彼女は、どんな顔をしているのだろうか?


 怒りに満ちたものか?


 非難に満ちたそれか?


 もしくは……敵意を込めた眼光を向けてくるのか?


 マリアは内心、畏怖に震えていると、やがて彼女が現れた。


 扉を開き、現れたのは――、


「よおっ、マリア! 調子はどうだ?」


 ニカッと白い歯を見せ、快活な様子でななせだった。



 ――◆――◆――



 マリアは戸惑っていた。


 理由は無論、ななせの態度だ。


 ななせは、マリアの部屋を訪れると、いたって普通のテンションで彼女に話しかけてきた。後からマリアの侍女が部屋を再度訪れ、紅茶とケーキをもってきたときも、普段の彼女とさして変わらない態度をとっていた。


 ななせの様子は、マリアの想像していたのとは真逆をいっていた。


 ――いったいどうしたんだろう……。


 もしかして、彼がいなくなって頭のネジが数本吹っ飛んじゃったとか?

それでおかしくなっちゃったの?


「ほほう。マリア、ずいぶんと失礼なことを思っているな。あたしは別におかしくなったわけじゃないぞ?」


「な、なんでわかったの⁉」


 ――ま、まさかテレパシーかなにかなの⁉ ななせさんも、あのまひるさんとかいう子と同じように、人の考えていることがわかるの⁉


 あわあわと慌てふためくマリア。


 その様子を見て、ななせは「アッハハハハ……!」と愉快そうにけらけらと笑う。


「わかりやすいなぁ~、お前は。カマかけてみたらすぐに顔に出るんだから」


 どうやら、自分はまんまとハメられたらしい、とマリアは気づく。


 恥ずかしさに顔を熱くさせている内にも、ななせは運ばれてきたイチゴのショートケーキをフォークで適当な大きさに分けて、食べていた。


「うまいな、このケーキ。この近所にこんなおいしいケーキ屋なんてあったっけ?」


「い、いや……。それは、うちのメイドさんたちがつくったものだよ。わたしの屋敷に働きに来ているメイドさんたちの中に、お菓子作りが好きな人がいて、その人が趣味と実益を兼ねてつくってるの」


「へぇ~。大したもんだな。あたしんちなんて、こういったもんは全部、外で買ってきたものが大半だったから新鮮だよ」


「あたしんち?」


 と、マリア。


「ん? 言ってなかったか? 自慢じゃないけど、あたしの家もそこそこの富豪なんだ。だから家に侍女さんがいたりもしてたんだ。――菜乃は、親が用意したあたし専属の付き人だよ」


 そ、そうなんだ……、とマリア。


 思えば、彼女からそのような話を聞いたのは、今回が初めてな気がする。薄々、菜乃がななせのメイドだということもあり、ひょっとしたらお金持ちなのかもしれない、という推測は、マリアの中にもあるにはあったのだが……。


「こういう手作りのものをわざわざ用意してくれるなんて……この家の人たちは、本当にお前のことを大事に想ってくれているんだな」


 何気ない口調で、ななせがそんなことを言った。


 その言葉に、マリアは胸に染み入るような温かさを感じる。


 マリアも……そのことに気づいていたから。自分が、とても大切に育てられていることに……。


 マリアは、うん、と頷いた後、俯き、言葉を発することができなくなった。


「ん? どうしたんだ? 急に暗い顔して」


 ななせがきょとんとした様子で、そのようなことを訊いてきた。


 ――ななせさんは、本当に気づいていないのかな……?


 自分の心の中に(わだかま)っている、黒くて重たい想いに……。


「…………どうして…………」


 蚊の鳴くような声で、ようやくひねり出されたマリアの言葉。それにななせは、「?」とでも言いたげに首を傾げる。


「どうして……責めないの? わたしのこと……」


「確かにあたしは、受け攻めで言うなら攻めのほうだけど……どうせなら女性じゃなくて好きな男性を攻めたいかな――――」


「そういう話をしてるんじゃないよ!」


 今まで溜めてきていた感情を爆発させるように、マリアは叫んだ。


 その表情は悲痛なもの。今にもくずおれてしまいそうなほどに、儚さを思わせるものだ。


 ななせは驚いたように、目を丸く見開いていた。そんな彼女に、マリアは抑えていたものを一気に吐き出す。


「わたしは志具君にひどいことしちゃったんだよ? わたしがあそこに行かなかったら……志具君はあんな目に遭わなくて済んだかもしれないのに……わたしに気を取られたから……っ……。わたしの身勝手な欲求を満たすために、志具君を……ううん、ななせさんにも辛い思いさせちゃった…………っ」


 せき止めていた思いが、言葉の怒涛となってあふれ出していく。


 言葉として発することで、自分のした事の重大さを再認識する形となり、自責の念が己の心を圧し潰そうとする。


 その圧力が辛くて、マリアは涙を流す。心の痛みに堪え切れず、心が流す血の代わりに、目から涙をこぼす。


 感情に任せてだだ漏れる言葉をとめることは、できそうになかった。


「わたしがいけなんだよっ! わたしが自己中心的な想いに駆られて、イザヤさんの言葉に乗っちゃったのが悪いの! あんな決断しなかったらよかった! 志具君のことをもっと知りたいって思っちゃったから、志具君がっ……志具、君……が…………」


 涙まじりの言葉は、それ以上続かなくなった。


 続けたくても続けられなかった。


 心が悲鳴を上げていた。


 これ以上、自分を追いやると、自分は一生立ち直れなくなる。


 地についた膝を、上げることができなくなってしまう……。


 マリアは声を上げることこそしなかったが、静かに泣いた。


 向かい側にいるななせの顔を見ることは、とてもではないができなかった。


 ――ななせさんは、どんな顔をしているのかな……。


 憤り?


 憐れみ?


 哀しみ?


 いずれの感情を抱かせるにせよ、それらの要因はすべて自分にあると、マリアは思った。


 こんなに心の内を明かしてしまったんだ。自分は、相手のどんな言葉も受け止めなければならない。――同時に、マリアはそうも感じていた。


「…………お前はそれでいいのか? マリア」


 十秒ほどの沈黙の後、ななせがぽつりと言った。


「え……?」


「お前はそれでいいのかって、訊いてるんだ。志具があいつらの手に渡って、こっちに二度と戻ってこないままで、それでいいのかって……」


 ななせの声は静かだった。先程のマリアのように、怒鳴り散らすようなことをしなかった。


 ただ……、とマリア。ななせのその言葉には、感情に任せて好き放題言い放つよりも、はるかに威厳を感じさせるものだった。


「……いいわけ……ないよ……」


「小さい声で聞こえないぞ」


 消え入りそうな声を聞く度量を、今のななせは持ち合わせていないようだ。


 だからマリアは、叫んだ。


「いいわけないよ! 志具君が戻ってこなくなるなんて……そんなの嫌だよ! 当たり前じゃない!」


 ななせに言われるまでもない。


 マリアは、志具に戻ってきてほしいと願っている。


 自分の想い人だからとか、そういう理由が一切なしに、彼に戻ってきてほしいと感じている。それは、自分の中にある罪の意識からきているものかもしれないが、それでも……。


 でも……、とマリアは言葉を続ける。


「わたしには……何もできない……。わたしには、ななせさんや志具君みたいな力はない……。なにも……できないよ…………」


「できるさ」


 きっぱりと、ななせは断言する。


「何を根拠に……」


「根拠? そんなものはない!」


 えっへん、とななせは胸を張って再度断言する。


 あまりの開き直りっぷりに、マリアは唖然とする。……が、次に沸き立つ感情は、怒りだった。


「ふ、ふざけないでよ!」


「ふざけてないさ」


 怒りに顔を赤くさせるマリアを、ななせは再度、静かな態度で接する。


「根拠を探すのは、確かに大切なことだろうさ。核となるようなものがあれば、それだけ自分の行動に自信がつくからな」


 けどな、とななせ。


「お前みたいに、何かをしないといけないという想いがある。にもかかわらず、それに達するまでの幹となるようなものが見つけられていない、というようなやつは、なんでもいいから行動を先に立たせればいい。いろいろと動き回っている内に、おのずと自分ができること、根拠となるものが見つかるはずだ」


 じっとななせは、マリアの泣いて腫れた目を見つめる。


 真剣で厳か、そして時代を築く先導者のような真摯な眼差しで。


「お前は今、立ち上がろうとしている。その意志があると見込んだから、あたしは言っているんだ。今のお前に必要なのは、考えるよりも先に行動、という理論だ」


 考えるよりも、先に行動をする……。


 できるのかな、わたしに……。


「あたしは準備ができ次第、あいつを助けに行く。その間、学園は休むことになるだろうけど……まあ、適当な事情を捏造してなんとかしてみせるさ」


「適当な事情って?」


「そうだなぁ~。……親の不幸があったから一週間ほど休みます、みたいな?」


「それは……不謹慎な気が……」


 マリアの指摘に、「確かにな」とななせは失笑する。


「けど、意地でも休む理由見つけて、あいつを助けに行くぜ、あたしは。それだけは絶対だ。どんな束縛も受けていない、あたしの意志だ」


 意志――――。


 ――わたしの……意志は…………。


 自分は今、何がしたい?


 何をするべき?


 何を得たい?


 ………………決まってる、そんなの……。


「……ななせさん」


「なんだ?」


 マリアはななせに訊かれ、一瞬躊躇う。


 また……迷惑をかけてしまうんじゃないか?


 お荷物になるんじゃないか?


 色々と、悩みの種はある。


 それらがすべて、解決できるとは到底思えない。


 だけど……それでも…………。


「――わたしも……連れていってくれないかな?」


 マリアは、そう決断した。


 それはななせに言われる以前から、マリアの心の内にあった想いだ。


 それを今まで、マリアは押し殺していた。自分には何もできないと決めつけて、諦めていた。行動を起こす前から、それを為すことを放棄していたのだ。


 結果的に、その想いはななせに後押しされる形となった。……が、その想いは紛れもない、マリアの意志が宿ったものだった。


 マリアはななせに、誠実な眼を向ける。


 そこに一片の揺らぎも宿さず、真っ直ぐな想いだけを視線に乗せて。


 ななせはじっ……と、マリアの顔を見つめていたが、やがて……、


「いいぜ」


 ニカッと、ななせは笑った。


 覚悟はできているのか? とは訊いてこなかった。


 訊くまでもない、とななせが判断したことは、彼女の笑みを見ればわかる。


 意志を固めた時点で、その問いかけは愚問なのだ。


 ななせはマリアに、そっと手を伸ばす。


 それが何を意味しているのか、マリアにはすぐにわかった。


 差しのべられたその手を、マリアは握った。


 手のひらを伝い、自分たちの想いが相互されたかのような気持ちに、マリアはなるのだった。

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