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神奇世界のシグムンド  作者: 上川 勲宜
第3章 心の境界線
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第1話 奪われた者

 ゴールデンウィークが明けた。


 長期休暇明けの学園は、やや倦怠感に満ちていた。まだ休み気分が抜け切れていないのだろう。


 同時に、休暇中の話題で盛り上がるクラスメイトも、決して少なくなかった。家でのんびりしていた人もいれば、家族や友達と一緒に旅行に出かけたという生徒もいたりし、各々が思い出に残った休暇を過ごせたようだ。


 ななせは、屋上にひとりいた。


 まだ朝のホームルームまでは時間があるため、暇つぶしにここまでやってきたのだ。


 暇つぶし……。


 今までは、暇を持て余したときはスキンシップもかねて彼に接触していた。彼は鬱陶しく感じている顔ながらも、それなりに相手をしてくれるので楽しかった。そこにマリアが加わり、菜乃がギャラリーとなり……そんな日常が、この町に来てからは繰り広げられていた。


 だが……そんなななせの相手をしてくれていた少年――真道志具は、今、ここにはいない。


 彼は今、エデンに残ったままだ。


 どうしてこんなことになったのか……。


 ななせは、はるか遠くの景色を眺める。その眼は、険しい色が宿っていた。


 視線の先の延長線上には、エデンがある。ただ、当然のことながら遠すぎてここからは見ることができない。ただ、ななせの眼差しは、意地でもその姿を捉え、目に焼きつけようとする強い意志が感じられた。


 ななせは遠景を眺めながら思い出す。あのときのことを――――。



 ――◆――◆――



 ななせが靄のように漠然とした意識の中、聞き取ったのは誰かの慟哭だった。


 悲痛に満ちた、胸が締め付けられるほどの嘆き。その声に導かれるように、ななせの意識ははっきりとした形を取り戻した。


 目を開けると、視界が不良だった。濁った煙と、鉄や有機物がないまぜに焼けた焦げた臭いが、鼻についた。


 ななせは身を起こそうとするが、脇腹に灼けるような痛みが走り、顔を顰める。その痛みが、自分に何が起きたのかを、一気に思い出させる起爆剤となった。


 ――そうか……。あたし、イザヤのやつにやられて……。


 隙をつかれて受けた強烈な一撃によって、有無を言わさずに意識をシャットアウトさせられたななせ。その不覚に、ななせは薄く唇をかんだ。


「そうだ! 志具は……っ!」


 そうなると、気になるのは彼のことだ。自分が行動不能になっていた以上、イザヤは志具に勝負を挑んだのは明白。


 ななせは痛み身体に鞭打ち、ゆっくりと立ち上がる。そうしている間に、煙は徐々に薄らいでいき、視界が晴れていく。


 同時に、ななせの耳に絶えず聞こえてくるものは……泣き声。


 意識が曖昧としていた時に聞こえた主のものだろうということは、深く考えなくともわかった。


 ただ……、とななせはえも言えぬ嫌な予感がした。


 先程からの啜り泣き……。その声にななせは、聞き覚えがある気がしたのだ。


 ――……まさか……いや、そんなことありえるはずが……。


 まひるの『アーティファクト』を用いた旋律によって、一般人はみんな眠りに落ちているはずだ。だから、同様に彼女も、ホテルで眠っているはずなのだから……。


 そう考えるななせだが、泣き声がその考えを否定している気がしてならない。


「志具……っ、志具、どこだ……っ!」


 腹から声を出そうとすると、脇腹がジンジンと痛みだすため、あまり大きな声は出せなかった。


 ふらふらと歩きながら、ななせは彼の名前を呼ぶ。


「よう。お目覚めか?」


 薄らぐ黒と灰の煙の中から、ななせの気を一層張りつめさせる男の声が聞こえた。


 声は前方から。目を凝らしていると、やがて声の主は見えてきた。


 黒髪で長身、黒の軍服を身にまとった青年――七夜(ななや)イザヤだ。その隣には、銀髪の少女――鈴野(すずの)まひるがいた。


 イザヤはななせに、顔だけを振り向かせていた。


「イザヤ……っ!」


 ななせは即座に、『桜紅華(おうこうか)』を呼び出そうとする……が、イザヤによって制止される。


「生憎だがな、俺はもうお前と()りあうつもりはねえよ。もう決着がついたからな」


「決着、だと……?」


 ななせの問いかけに、イザヤは視線をななせから外す。彼の視線の先を辿り、その先にいた人物に、ななせは驚愕した。


「マ……マリア……?」


 嫌な予感が的中した。すすり泣く声が彼女ではないかという、当たってほしくない予感が……。


 どうして彼女がここにいる?


 どうして彼女は眠っていない?


 どうやってここまで来たんだ?


 様々な疑問が心の中に現れるななせ。……いや、それよりも。


 マリアが、泣いている。


 それはいったいなぜだ?


 マリアは、まるで地獄の底に叩き落されたような、悲痛な雰囲気を発していた。ななせの存在に、気づいていないほどに。


 ゾクリ、と不吉な現実が顔を見せるような気がし、ななせは背筋を震わせる。


 深い後悔と懺悔のいりまぜになった、その感情が向けられる先には、血だまりに沈む少年の姿があった。


 ボロ布をまとったような姿になっている、その少年の名は――


「……し……ぐ…………」


 衣食住を共にし、ななせが慕う、同年齢の少年――真道(しんどう)志具(しぐ)だった。


 瞬間、ななせの中で、急速に燃え上がる感情があった。


 地の底より噴出する、溶岩のごとき激情に、ななせは突き動かされる。


「イザヤああああぁぁぁぁ――――‼」


 『桜紅華』を召喚し、ななせは後先考えずにイザヤに突っ込んだ。


 大切な人を傷つけられた様を見せつけられて、平然とポーカーフェイスを気取るほどに、ななせは大人ではなかった。同時に、非情でもなかった。


 ななせの憤怒に呼応し、猛る業炎を宿らせた魔剣を、ななせはイザヤに叩きつけようとする。


 ――が、


「学習しろよ」


 ぼそりと呟くイザヤ。――刹那、彼の姿が掻き消えた。


 そのとき、ななせは感じていた。彼女の眼前から消える際、イザヤの魔力練度が飛躍的に向上したのを。


「がっ――!」


 一秒後には、ななせの腹部に鈍痛が走った。――イザヤだ。


 彼は神速ともいえる速さでななせの懐に潜り込み、掌底を叩き込んでいた。


 威力を削ぐこともできず、ななせは後方に弾き飛ばされた。身体の中にあった空気を一瞬でゼロにされ、ななせは数度、咳き込む。


「少しは頭が冷えたか? 王様に仕える騎士(ナイト)さん」


 淡々とイザヤは言葉を連ねる。


 悔しいことに、彼の言う通り、ななせの頭は幾分かほど冷静さを取り戻していた。


 呼吸を平常に戻した後、ななせは立ち上がった。腹がジンジンと痛むが、気にしている場合ではない。


「……女性の腹を殴るなんて……もう少し気を利かせたらどうだ?」


「なら顔のほうがよかったか?」


「自分の顔でも殴ってろ」


 フッ、とイザヤは失笑。


 だが、そんな彼にかまわず、問い詰める。


「イザヤ。どうしてマリアがここにいるんだ? お前が連れてきたのか?」


 悲しみに打ちひしがれている彼女を一瞥し、ななせは怒りを込めて言った。


「いや。ここに来たのはあいつの意志だよ。俺はちょっとした助言をやっただけだ」


「助言?」


「お前らのことを知りたいのなら、夜のお前らの動きでも探ってみろってな」


 イザヤの言葉で、ななせはハッとする。ホテルで、手紙のことについて話し終え、志具の部屋を出るとき、マリアがいたことを……。


 ――あれは、あたしたちが何をしているのか知るためだったのか……。


 自分の軽口に乗っかかった割には、あのときのマリアの態度はやや不自然だった。その不自然な理由が、やっとわかった。


 ……にしても、だ。


「それは助言なんてレベルじゃないだろ」


 ほとんどそう仕向けた、と言ってもいい。――そう感じたななせだったが、


「それでも、最終的に行動を起こしたのはあいつの意志だ。自分が納得できねえのに、行動を起こす馬鹿なんていないだろ? いたとしたら、そいつは木偶同然だ」


 吐き捨てるように、イザヤは言った。


「お前さんは、自分の友人を、そんな木偶人形のように思っているのか?」


 ななせは、苦虫をかみつぶしたような顔になる。


 そんなわけ……あるはずがないだろうっ!


 そう、声を大にして言いたかった。


 しかし、本人がいる手前、その発言をするのははばかられる。今、それを言えば、その言葉はマリアの心を抉るナイフになりかねないと危惧したからだ。


 ななせの沈黙に、イザヤは満足げに口の端を緩める。


「それじゃ、俺はこれで失礼させてもらうぜ」


 そう言うと、イザヤは血まみれの志具を片手で担ぐと、その場を後にしようとする。


 目の前から志具をいきなり奪い去られたことに、マリアは大きな動揺を見せていた。


「志具をどうするつもりだ?」


「どうなるのかねぇ……」


「ふざけているのか!」


「ふざけてねえよ。俺は単に、こいつを奪取しろって言われたんだよ」


 なに? とななせ。


「けどよぉ。ただ命令されるとおりに行動しても、つまんねえだろ? だから俺は、その命令の中に俺なりの楽しみを見出そうとした。それが――」


 今回の騒動ってわけか……、とななせはイザヤの後に続く言葉を推測した。


「本当は殺してもいいって言われたんだけどな。けど……ギリのところで止めてやったぜ。感謝しな」


 ということは、生きているのか!


 ピクリとも志具は動かないので、最悪の事態を予測していたななせだった。……が、イザヤの言葉で、多少なりとも救われた。


 ――それでも、あいつをボロボロにしたのは赦せんけどな。


 ななせは今一度、イザヤに攻撃を仕掛ける機会をうかがっていた。志具を取り戻すために。


 しかし、イザヤは言う。


「やめといたほうがいいぜ? お前じゃ俺には勝てねえよ。わからねーのか?」


「何度もやれば、一勝くらいはできるかもしれないぞ」


「確かにな」


 苦笑まじりに、イザヤはななせの意見に同意してみせる。


「だがな、仮に俺に勝てたとして……こいつはどうすんだ?」


 イザヤは志具を顎で指す。


「こいつは傷だらけだ。今は生きているとはいえ、すぐにでも治療しねーと死ぬことに変わりはない。お前が悠長に俺を相手している間に、王様が天に召される可能性も、ゼロじゃないんだぜ?」


 自明の理を言われ、ななせは言葉を紡ぐことができない。志具の傷が相当な深手だということは、見ただけでも明らかだ。


 けど……だからといって……、


 ――このままみすみす見逃さないといけないのか……っ。


 迷いが生まれるななせ。


 すぐに結論を出せず、辛苦に顔を歪めていると、


「……七夜さん……」


 マリアが、細々と声を発した。


 ずっと泣き続けていたのか、上げた顔の目は、赤くなっていた。


 イザヤはななせからマリアへと視線を移す。どういうわけか、彼の隣にいるまひるは、マリアのことを敵意のこもった目で睨んでいた。


 そのことにななせは多少疑問を抱いたが、マリアはかまわず言葉を続けた。


「七夜さんのところにいけば……志具君は……助かるん、ですか?」


「お前らに預けるよりかは、だいぶ確率が高まるな」


 『確実に』と言わない限り、イザヤのしたたかさが感じられた。


 だが、それでも助かる可能性があるということに、マリアは食いついたらしい。


「……じゃあ、…………………………………………よろしくお願いします。志具君を……助けて、ください…………」


 涙の入り混じった、悲痛な頼み。


 マリアの目が、ななせに向けられる。いつごろから彼女は自分の存在に気づいていたのだろうか?


 ななせに向けられる瞳は、懇願に満ちていた。身を裂かれるような辛さを押し殺してまで、マリアは志具の無事を願っているのだと、ななせは理解した。


 ななせの逡巡が、急速にある一方へと傾き出す。


 マリアの切なる訴えに、抗えるほどの論理を、ななせは持ち合わせていなかった。


 ……くっ…………、と唇を強く噛みしめ、ななせは顔を俯かせた。


 言葉は、続かなかった。


 イザヤはその様子を見て「肯定」と受け取ったらしい。


 二人から背を向け、まひると傷ついた志具と一緒に、港を後にした。



 ――◆――◆――



 以上が、事の顛末だ。


 あれから、志具やイザヤたちがどこに向かったのか、どこにいるのか、わかっていない。マリアにもう一度頼んでハンカチを借り、人探しの術で居場所を特定しようとしたが、不可能だった。何らかの妨害がなされているのだろう。


 残りの日数の旅行は、とてもではないが楽しめる雰囲気ではなかった。旅行日程が終了するまで、ホテルで待機していた。ななせはどうにか手がかりを見つけようと、怪我をした身体を引っ張ってエデン内を歩き回ったが、有力な情報は得られなかった。


 彼女の腹部には、今は制服によって隠れてはいるが、包帯が巻かれている。これは、イザヤからもらった一撃だった。


 苦渋に満ちた表情のななせ。フェンスを掴むその手は、やるせなさの程を表わしているかのように、強い力が込められていた。


「あたしは……誓ったんだ……。あの人に……」


 志具の両親が行方不明と知ったあの日。この町に来ると決めたそのとき、ななせは志具の両親に誓った。彼らが大切に護ってきた息子を護ってみせると。


 そして、彼――志具にも言った。――護ってみせると。


 だというのに……。


 自分の口で言ったことが、これほど早く破られてしまうなんて……、とななせは現実の非情さを呪った。同時に、自分の慢心に対する憤りも。


 こうなったのも、少なからず内心に己の力を誇っていたところがあったのも事実だ。『アーティファクト』の所有者としての慢心、驕りが、こういう結果を招いたといってもいい。


 自分に足りなかったのは、おそらくは謙遜が足らなかったことだ。己の力を過信せず、多少低めに見ていれば、このような事態は起こらなかったかもしれない……。


「…………つっ!」


 ガンッ、とななせは勢いよくフェンスを殴りつけた。彼女が殴った個所が凹み、やや歪な形となる。


「……あたしらしくないな。こんなの……」


 志具がこんな自分を見たら、何と思うだろうか。身体に悪いものでも食べたか、と心配に思うはずだ。


 ――……まあ、あいつに心配されるのも、悪い気がしないけどな。


 失笑とも微笑とも取れる笑みを、口元に浮かべるななせ。それは苦し紛れのものではなかった。


 ななせはフェンスから両手を放すと、その手で自分の頬を左右からパシンと叩く。


「……よしっ」


 気つけの一発で、ななせの陰鬱としていた眼に、強い光が宿った。


 いつまでも気に揉んでも仕方ないことだ。今やるべきことは、過ぎたことに対して悶々と思いを焦がすことじゃない。


 同じ時間を消費するなら、これからどうするべきかを、悩むべきだ。


「ああ、そのほうがあたしらしい」


 その結論に、ななせは満足げに笑う。


 思い立ったが吉日。早速、行動に移るべきだ。


 ――なら、まず最初にしないといけないことは、と……。


 ななせは思い立つと、自分の教室に戻ることにする。


 もうすぐ朝のホームルームが始まる時刻だということもあるが、それよりもまず、確認することがあるからだ。


 ――マリアは、どうしているのだろうか……。


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