第14話 旋律を追うと……
時刻は少しさかのぼる。
明日に備えて寝ようという、ななせの提案により、マリアと菜乃はベッドに横になった。
部屋にはベッドが三つ備え付けられており、各々に彼女たちは寝転がっている。
ベッドに寝転がり、マリアは志具の部屋でのことを思い出していた。
――どうしてななせさんは、志具君のところに行ってたんだろ……。
ま、まさか……、夜這い、だろうか? 寝ている志具の不意を衝いて、既成事実を築き上げようと強硬策を……⁉
ぼぼぼぼ……、とマリアは火がついたように赤面させる。そんなことはないはずだ、と思い込もうとしても、彼女ならやりかねないかも……、という思いが浮上してくる。
それに……、とマリア。
ここのところ、志具の守りが徐々に緩んできているような気がしてならない。今まで女性――いや、同性にも言えるか……――に対し、ベルリンの壁のごとき堅牢さをもっていた志具が、度重なるななせのアタックによって、崩れ始めている感じがするのだ。
どんな壁も、幾度となく体当たりをかませば脆くなる、ということなのだろうか、とマリア。
自分は今まで、そんなことを一切してきていなかった気がする。好きな人に、呆れられるくらいにアタックをすることなんて……。
そんなことをすれば嫌われると思っていたし、失礼だという念があったためだ。
志具のななせに対する応じ方を、マリアは振り返ってみる。
初めは……彼らが出会った当初は、それなりに拒絶をしていたと思う。それは傍目から見ていても明らかなくらいに。
ただ……、今はどうなんだろう?
今も、さほど変化は生じていないような気がする。それは時間がまだそれほど経っていないからという理由もあるだろう。
……が、前述したとおり、彼の守りに、徐々に綻びが生じてきていることは事実だ。それは周囲の人からすれば「そんなことはない」と一笑するかもしれないが、マリアにはわかってしまうのだ。
なまじ、志具とは幼馴染をしていないから。
なまじ、彼に一途な想いを抱き続けていないから。
否が応にも、わかってしまう……。
よほど注視しないとわからない、微々たる変化。それにマリアは気づいてしまう。マリアは気づいてはいるが、ひょっとしたら志具本人はその変化に気づいていないかもしれない。灯台下暗しのようなものだ。一番近くにいる自分のことは、自分自身ではよくわからないものなのである。他人を通して、初めてわかることが多いのはそのためだ。
――ひょっとして……志具君、ななせさんのこと……。
好きとまではいかなくても、気になっているのかな?
そんな気がしてきた。
すると、マリアの胸がチクチクと痛み始めた。同時に、目の奥が熱くなってきた。
――まだ決まったわけじゃない。だけど……。
氷でできた針が、心に突き刺さるかのようだった。痛みが生じ、どうしようもないほどに心が冷たくなっていくのだ。
辛い……。心の冷たさが、身体にまで伝達していきそうな勢いだった。
彼が……手に届かなところにまで遠くに行ってしまったような感覚。今までは手を伸ばせば届いたのに、今はもう……伸ばした手は宙を掴むだけだ。
心に吹き込む隙間風。それは孤独の空気を運んでいた。
考え過ぎなのはわかっている。だけど……マリアにとって志具は、そこまで大きな存在になっていたのだ。
――それに……志具君は気づいてくれない……。
……いや。それも無理はないことなのかもしれない。
なぜなら自分は、彼に自分の気持ちを気づいてもらえるような行動を、ほとんどしてこなかったのだから。
匂わせるような行動は、時折してきた。
だけど、彼の場合はそれでは駄目なのだ。だって鈍感だから。鈍い彼を振り向かせるには、もっと大胆な行動に出るべきなのだ。
……が、マリアにはそれができなかった。
物怖じしてしまうのだ。もし大胆に接近して、それで急速に距離が離れるような状況になってしまったら……今度こそ自分は立ち直れなくなりそうな気がして……。
そういう意味で、マリアはななせにはかなわないことを知っていた。
ななせは、自分に振り向かせるために猛烈なアタックをしかけている。だいぶ度が行き過ぎていることがあるが、それは彼女の必死さを示しているのかもしれない。
逆に言えば、そこまでしてでも志具に振り向いてほしいのだという気持ちの表れでもある。
――ななせさんみたいになれたら……。
せめて、今よりも一歩踏み出せるだけの勇気があれば……。
少しは、現状が変わるかもしれないのに……、とマリア。
と、そのときだ。
どこからともなく、心地よい音色と歌声が聞こえていたのだ。
それは鼓膜を震わせて聞こえるというよりは、頭の中に直接入り込んでくるような音色。無駄な障害物を一切無視した、その音本来の美しさを表わしているみたいだった。
どこから聞こえてるんだろ? とマリアが不思議に思っていると、不意にベッドで眠っていたななせが飛び起きた。
ななせの顔は、どういうわけか険を帯びていた。あんな彼女を、マリアはこれまで見たことがなかった。
マリアが呆気にとられているうちに、彼女は身なりを外着に着替えると、ホテルの廊下へと飛び出した。
その様子は、あまりにも鬼気迫ったものだった。
「どうしたのかな?」
起き上がり、そう呟くマリアはふと、あの人の言葉を思い出した。
病院で出会った、あの青年に言われた言葉。
『今夜、お前さんの友達の動向を探ってみな。お前の知りたいことがあるだろうぜ』
「わたしの……知りたい、こと……」
彼はいったい、何を思ってそんなこと言ったのだろうか? 正直、わからなかった。
ただ、あの青年は嘘を言っている様子ではなかった。そもそも、嘘をつくメリットがまるでない。相手をからかってただ愉しんでいる、という風でもなかった。
『人の口から聞くよりは、自分の目で見たほうが信憑性があるだろ? ――もっとも、それを見る覚悟がお前さんにあるのか、疑わしいがな』
続いて彼は、そのようなことも言った。
覚悟……、とマリア。
いったい、何の覚悟なんだろうか? そこまでしないといけないほどの何かを……、
――志具君は、もっているのかな……。
マリアは悩む。青年の話に乗るべきか、否か……。
……いや、違う。自分の気持ちだ。自分の気持ちがどれほどのものか、確かめられるか……。
マリアは想起する。
自分は今、一歩を進めるだけの勇気がほしいと。
彼に近づくための、一握りの勇気が欲しいと。
黙考し、やがてマリアは布団から抜け出し、外着へと着替える。
自分のこの行動は、ひょっとしたら彼の思いとは反するものかもしれない。病室で自分を追い出したことからも、マリアはそのことを自覚していた。
それでも……、見てみたかった。――自分の知りたいことが。
そんな想いを胸に、マリアは部屋の扉を開け、外に出た。
外は不気味なほどに静かだった。妙だな、とは思いつつも、マリアはホテルの外に出ることにした。
外に出ようと、フロントを横切ろうとした際、その静けさの原因がわかった。
人が……倒れているのだ。
「だ、大丈夫ですか!」
倒れている人に駆け寄るマリア。するとわかったのだが、どうやらその人は寝ているだけのようだった。
「寝ているの? ……でも」
どうしてこんなところで?
自然に眠ったわけではないことは確かだ。だからといって、泥酔の果てに、というわけでもないことは、酒臭くないことからも明白だ。
疑問に感じながらも、マリアは志具たちの後を追って、外へと飛び出した。
外はもっと凄まじい光景だった。
いたるところで人が倒れている。その異常な光景に、マリアは思わず声を上げそうになったが、かろうじて堪える。
――この人たちも……寝ているのかな?
試しに近くに倒れていた女性の様子を見ると、マリアの予想通りだった。とすると、ほかのみんなも寝ているだけなのだろう、と推察する。まさかこの中に死体がまじっているなんてことは、考えにくい。……というか、考えたくなかった。
「もしかして……この音楽のせいなの?」
さっきから心地よく聞こえてくる音色。今の状況から鑑みるに、そうとしか考えられなかった。
いったいどうやって? とまでは、マリアは考えないことにする。ただでさえ異常事態の連続なのだ。これ以上問題が重なると、頭がパンクしてしまう。
――ひょっとして志具君たち。この音を追ってるのかな?
この音楽を聞いてからのななせの慌てようを見ると、それしか考えられなかった。だとすると、この音色を追っていけば、おのずと彼らのもとに行けるはず……!
そう推察したマリアは、走り出した。耳を澄まし、音色がどこから聞こえているのか判断しながら……。
こういうことに慣れていないせいで、なかなかそれらしいところに到着しなかったが、やがて大きな門前までやってくることに成功した。どうやらそこは、貿易港への入口らしい。そう、壁に書かれていた。
そこまでたどり着くと、音楽はピタリと停止した。そのことに慌てるマリアだったが、音楽が港から聞こえてきていたのは間違いなさそうだ。
本来なら立ち入り禁止であろう場所に踏み入るのには、やや躊躇いがあったが、先程の音色もあって、人は寝ているはずだ。ちょっとの間なら、入ってみてもいいだろう。どうせ何も盗るわけじゃないんだし……。
そう自己弁護をし、マリアは敷地内へと侵入する。
高く積まれたコンテナ類。大きな倉庫が一定間隔で設けられ、無機質な感じがした。
少しずつ進んでいくと……やがてそれは聞こえた。
それは、喧騒。……いや、それだけではない。
時折、何かしらが小爆発したような音が聞こえたりしていた。
ただ事でないことは確かだ。
これ以上進むのはまずいと、マリアの脳内のシグナルが赤色に明滅する。こういう場合は、警察に通報したらいいのだろうか?
マリアはポケットに手を突っ込むが……ない。どうやらスマホは、カバンの中に入れっぱなしのようだ。急いで出てきたために、そこまで考えが行き届かなかったのだ。
そしたら、近くの人に助けを呼ぼうか? ……いや、それも無駄だ。さっきの音色で、寝ている人が大半だろうし、起きている人を探すのにも、どれだけ時間がかかるか。もたもたしていたら、騒ぎが終了している恐れがある。
うんうんと悩むマリア。
「……よし」
やがて決意のこもった眼をすると、前進するマリア。
こうなれば、自分が一部始終を見るしかない。見て、騒ぎを起こしている張本人の顔を憶えて、それで対応を考えよう。
要は、気づかれなければいいのだ。物陰からこっそりと伺い見れれば、それでいい。
慎重に進むマリア。やがてコンテナの物陰に隠れ、騒ぎが起きている場を伺い見た。
そこは、ひらけた場所だった。
そこに今、二対二に分かれて、対峙する人物がいた。
一方はあの病院で見た青年だ。その傍らにいる銀髪の少女は、マリアの知る限り、初めて見る子だった。
――どうしてあの人がここに?
そんな考えが頭をよぎるが、それよりも衝撃的なものが、マリアの目に映る。
青年と銀髪の少女と対峙している二人の少年少女。それは紛れもなく――
――志具君……? ななせさん……?
二人とも、厳しい眼差しを青年たちに向けていた。中でもななせが手にもっているモノに目が移る。
薄らと炎をまとう、剣。あれはいったい何なんだろうか?
マリアの脳裏に浮かぶのは、彼女が以前から愛読しているティーンズ向けの小説だ。あれにはよく、あのような風変わりな剣がよく登場するのだ。
マリアの頭に、次から次へとクエスチョンが誕生する。
今見えているものが理解できない。あまりにも非現実的すぎる。
マリアは試しにほっぺたをつねってみる。
――……痛い。
……いや。きっとさっきのは、寝ている自分がベッドから転げ落ちたのと同じタイミングでほっぺをつねったせいだ。そうだ。そうに違いない。もう一度つねれば……。
と、今度は先程よりも一層強くつねってみた。念入りに引っ張ってみた。
――痛い……。
……ということは、これは……そういうことなの? とマリアはひとつの結論に至る。
目の前で起きているこれは、紛れもない現実だと――――。




