第4話 神業の狙撃者
警護車は歪な怪音を立てながら、公道を疾走していた。
静けさを掻き消すパンクしたタイヤとアスファルトの擦れる音で、眠りについていた野鳥たちが騒ぎ出し、夜空を群れで飛び立つ。
耳がおかしくなりそうな苦痛な音を止めたいと思うのは志具一行も同じだ。……しかし、止められない。車を停止させようものなら――殺られる!
ひび割れた車窓。その向こう側を見透かそうと志具は目を凝らす。
ジグザグに車が動くため、視界が非常に不安定だ。それでも志具は、『次』が来るであろうそれを視認しようとする。
街路灯以外には星と月の光しかない、暗い夜道。だが、それがかえって、志具が見ようとしているものがはっきりと見える要因となっていた。
「――来るッ!」
はるか遠方――距離にして1キロ弱の山の頂付近が、わずかに明滅する。志具の叫びとともに、結月がハンドルを大きく切ると同時、ブレーキを踏み切った。
突如、鼓膜が破けるのではないかと思うほどのけたたましい音と同時、車体がコマのように回転する。三半規管が暴力的に揺さぶられ、視界がぐちゃぐちゃに掻き乱される。マリアの悲鳴が上がっているのだろうが、そんな彼女の声は鳴り響く雑音にかき消される結果となっていた。
直後、警護車の前方の地面が爆発した。……否、爆発したのではない。吹き飛ばされたのだ。遠方より飛来してきた、対物ライフル弾によって。
強固なアスファルトが粉々に吹き飛び、大小の破片がフロントガラスに雹のように叩きつけられる。だが、防弾ガラスであるそれが砕かれることはなかった。
再び、警護車がアクセル全開で走り出した。乱暴にアクセルを踏まれたことで車両がその場でスリップするが、しばらくすると地面とうまくかみ合い、走り出した。
敵からの一撃を回避できたと判断した結月が、再度車を走らせる。その的確な判断力と、それを実行に移せるだけの度胸は、いったいどこから来るのだろうか……。
初めこそ驚いた様子を見せていた結月は今、恐ろしいほどの冷静沈着ぶりを見せつけていた。先程、目の前で対物ライフル弾によって地面が吹き飛んだときも、眉ひとつ動かさなかった。
鉄の心臓。鉄の意志。
警察官という法の正義を振りかざす者としての厳格な態度が、彼女の雰囲気から感じ取ることができた。
「……しかし、向こうもやるね。あんな遠距離から動いている車をピンポイントで狙撃とは……。よほど撃ち慣れてるんだろうね」
ハンドルを複雑に切りながら、ボソリと結月はそんな感想を漏らしていた。
射撃に関してはずぶの素人の志具にでも、敵がやってのけている狙撃の腕前のすさまじさは、否応でも気づかされていた。1キロメートル先のものを狙い当てるなんて……、スコープという補助があったとしても、そんなことが平然とやってのけることが可能なのだろうか?
「普通なら神業ですよ、真道さん」
そんな志具の疑問を察したのか、佳織が応えた。
「動いていない的ですら当てるとすごいと言われるレベルなのに、これだけ不規則に動き回っている車を確実に狙い撃とうとして成功する確率なんて、腕を磨けばどうにかなる世界を超えています」
「でも、相手はそれをやってのけた……てことですよね?」
こくり、と佳織は信じられませんが、という表情で頷いた。
「偶然が二度続いただけ、なんて考えは楽観視し過ぎだよ、真道君。これはもう確実だ。敵さんは『狙ってやってみせてる』んだ」
結月が断言した。そして、それは間違っていないだろう。
三発目が来るならば、こちらもそれに合わせて対処をしないと、確実に狙い当ててくる。
「……ねえ、志具君」
「どうしたんですか、幼馴染みさん」
恐怖で声を震わせるマリアに、なずなが訊いた。志具は外に注視しないといけないので、マリアに顔を合わせることができないためだ。
それを承知なのだろう。マリアは恐る恐る口を開いた。
「この道……さっきから全然他の車が通っていないんだけど……偶然なのかな?」
その質問に対して、志具は無言。つまりは、それが答えだった。
志具も薄々不自然には思っていた。
深夜帯。車通りが少ない道。それらを踏まえたとしても、あまりにも静かすぎる。人がいるとはどうしても思えないのだ。
マリアも、その質問をする時点で、勘付いてはいるのだろう。言うなればこれは、質問というよりは確認作業だ。互いの意志疎通の。
マリアはそれ以上、追及してこなかった。わめかない辺り、理解したと同時、腹をくくったということだろうか……。
チカッ――!
マズルフラッシュ。その光を確認し、志具が言葉を出すより早く、結月は行動を起こしていた。おそらく、視界の端にでも映っていたのだろう。
結月は再び急ブレーキをかける。散れぢれになったゴムタイヤが火花を散らし、横滑りになりながら車体が急停止しようとする。
直後、爆音が轟いた。敵から放たれたライフル弾の衝撃音。……だが、
「な――っ⁉」
志具は絶句する。それは、車の中にいた誰もが同じ反応だった。
敵の狙撃手が狙ったのは、スクラップ同然の警護車ではなかった。車が走っている公道の側面にある、地滑り防止の防壁だった。防壁が破壊されたと同時、衝撃でせき止められていた山の土が怒涛となって道へと滑り落ちる。しかもその滑り落ちる先は――、
チィッ、と結月は止まりかけていた車のアクセルを踏みぬいた。土砂崩れが起きたその場所は、今まさに志具たちの乗っていた車が止まろうとしていたところだったからだ。
――車の動きを予測しての狙撃だと――⁉
単純に疾走し続ける車ならば、神業であることには違いないが、予測も可能かもしれない。だが、不規則に動き回り、いつ止まるかもわからない、ブレーキをかけたとしても傾いた車体やパンクしたタイヤによってあらぬ方向へと動くかもしれないスクラップ寸前の車の動きを、こうも完璧に予測した上での狙撃なんて……ありえない。これも狙ってやってのけたものなのだろうか?
土砂崩れが地鳴りを上げ、地面を揺るがせながら警護車を飲み込もうとする。結月がまともな制御を受け付けない車を巧みに動かし、大河へと落とそうとするそれから逃れようとする。粘土質の土や石つぶてが窓や車体を叩き、歪な形へと車を変形させる。
そうして、土砂崩れから抜ける直前――、
ガコ――ンッ――――!
車体が大きく揺れた。
同時、志具たちに訪れるのは、浮遊感。
外を見れば、わずかに車体が宙を浮いている。崩れてきた土砂の衝撃に耐えきれず、タイヤが吹き飛んだようだ。
「まず――」
まずい! と叫ぶ頃にはすでに、車体は真横に傾いていた。接地していない以上、結月がどれだけハンドルを動かしたところで、どうにもならない。
覚悟を決める間もなかった。直後、志具たちに襲い掛かるのは、ノイズのような衝撃音と、脳を揺るがすほどの振動だった。車内を割れた窓ガラスの破片が飛び交うため、志具は目を固く閉じ、顔を腕で守っていたために中がどうなっていたのは視認できない。視界を遮られたまま身体を洗濯機の中に放り込まれたように振り回される感覚は、まさに地獄だった。
車体と道が擦れる金属音がようやく鳴りやむと、志具はゆっくりと目を開けた。
ぐわんぐわんと視界が揺らぐ中、まず自分の身体がシートベルトで真横に宙づりされていることに気づく。左肩に加重を感じたのでそちらを見ると、なずなとマリアが同じように宙づりになっていた。
「大丈夫か! みんな!」
「……か、かろうじて……大丈夫です」
「い、生きてるの……?」
志具の声に、なずなとマリアが実感がないとばかりの口調で応じてみせた。
「真道さん、皆さん。急いで車から出ますよ! 次が来ます!」
佳織が緊迫した様子で言うと、天井側となっている左側のドアを押し開いた。衝撃のせいで脆くなっていたようで、佳織が普通に力を加えただけでドアが車体から取れてしまう。
マリアも倣ってドアを押しやると、這いずるようにして外へと出た。続いてなずな、志具と続き、最後は結月が出ようとした――そのとき、
「来る!」
志具が車から出た際、注視した向かいの山の頂付近。そこが再び瞬いたのだ。
結月はまだ車体の中。自分たちが逃げることができても、結月が間違いなく助からない。
なずなが前に出、手に持っていた『村正』の柄に手を伸ばしたそのとき、突如、敵の対物ライフル弾が空中でひしゃげた。なにか不可視の壁に阻まれたかのようなライフル弾は、身をひしゃげさせると同時、衝撃波と爆音で大気を震わせるが、志具たちには音以外の危害はなかった。
「いったい何が……」
なずなが不思議そうに呟くが、すぐにその理由がわかったらしい。志具がなずなの視線の先を追うと、その先にはマリアが呆然とした面持ちで棒立ちになっていた。そんな彼女が手に握りしめているものは、
「マリア……もしかして君が?」
「そ、そうなのかな? やっぱり……。『グリモア』を握りしめて、必死に自分たちを護るように念じてみたんだけど……まさかうまくいくなんて……」
『グリモア』。魔術結社『フリーメイソン』が魔術と科学を複合させて生成してみせた超技術の塊だ。魔術師としての素養がなくとも、『グリモア』が『魔導核』としての役目を果たし、人工的に魔術を体現することができる魔具。金髪の青年から譲り受けたらしいそれのことを、正直志具は胡散臭いとしか思っていなかったのだが、こうして命を救ってもらった以上は、少しは感謝してもいいのかもしれない。
「いや、大したものだよ。ありがとう」
車から脱出できたらしい結月は、素直な感謝をマリアに言った。その感謝の言葉に、マリアはどう返事すればいいのかわからない、複雑な表情をした。
「皆さん、長話はほどほどに。今はとにかく逃げましょう!」
「……そうですね。正直、あれだけ距離が離れているんじゃ、こちらとしてはどうにもすることができない。今は体勢を立て直しましょう」
志具の意見に反対する者はいなかった。全員の意見が一致したとわかった瞬間には、一同は一目散に駆けだした。駆けだした先にあるのは――土砂崩れによってできた傾斜だ。
傾斜は大小の岩が転がってはいたが、土は粘土質が主と足元が安定する土質でできていた。傾斜も、登れないわけでは決してない程度のものだった。
ただ、のんびりはしていられない。もたもたしていると狙撃手に狙い撃ちされることは確実だった。ましてや傾斜を阻むものは何もない以上、のんびりしていると体のいい的になってしまうことだろう。
「マリア、ちょっとごめん」
志具は身体強化術を発動させると、マリアをおもむろに担ぎ上げた。一般的に言う、お姫様だっこだ。
「ふえっ⁉ えっ⁉」
戸惑うマリア。だが、そんな彼女にかまわず、志具は俊足で傾斜を軽々と登っていく。そんな彼に続いて佳織と結月が、二人を警護するように後ろから『村正』を片手に持ったなずなが続いた。佳織はその気になれば魔術を行使できるが、あまり他のメンバーには知られたくないということを、志具は知っている。どこまでそのスタンスを貫き通すのかはわからないが、基本的には戦力として計算しない方がいいのかもしれないな、ということは理解した。正直、歯痒い気持ちではあるが……。
――今は気にしていられないか。
今、この瞬間も相手はこちらに銃口を突き付けているかもしれないんだ。対物ライフル弾で撃ち抜かれようものなら、人間なんぞ木端微塵だろう。いくら魔術で肉体を強化しているとはいえ、ただではすまないのは明白。
なにより……、と志具。相手が源武の雇った刺客だとしたら、自分と同じ魔術師であることはほぼ確実だ。さっきの銃弾も、普通のものだったとは限らない。
「早く行きましょう! 先輩さん!」
全員傾斜を登り終え、最後尾にいたなずなが志具の脇を通り過ぎる際、そうせかしてきた。
志具は一度、マズルフラッシュが見えた山の頂を睨みつける。……が、どれだけ視力がよくても暗闇の森の奥を裸眼ではっきりと視認することはできなかった。
だが、確かにそこにる敵を凝視すると、志具は鬱蒼とした森の中へと入っていった。
――◆――◆――
「逃げられましたか」
スコープをのぞき込みながら、狙撃手はソプラノボイスで呟いた。
年はまだ二十歳に満たないだろう、あどけなさが残った容姿だ。雪のように白いセミロングの白髪と肌。凛とした瞳は深海のような蒼。スラリと華奢な細身の身体を腐葉土に這いつくばらせ、落ち葉や朽木を背中に被せていた。こうでもしないと、暗闇の中での彼女の白髪は非常に目立つのだ。一応、迷彩服を着、頭にも迷彩柄の帽子をかぶせているのだが、用心するに越したことはない。
這った姿勢で、白髪の少女は自分の身長の7割ほどもある狙撃銃を構えていた。
M39。狙撃銃モシン・ナガンバリエーションのひとつであるそれは、彼女の愛用の狙撃銃だった。今となってはいくつも改良型が生産されてはいるが、自分にとってはこれが一番使いやすい。
白髪の少女は、自分が標的としていた者たちが逃げた森を、スコープ越しにじっと見つめていた。
――一撃で仕留められなかったのは痛かったですね……。
狙撃とは、最初の一発が肝心だ。相手に気づかれないうちに、最初の一発で、一撃で仕留めるのがプロというもの。それが失敗したなら、本来ならば退却しなければならないのだ。でないと、反撃を受けることになりかねない。今回は、こちらに分があったため、継続して狙撃してみせたのだが……、
――向こうもなかなかしぶとい……。運がいいだけなのか、実力なのか……。
一発目を放つ直前、右後部座席に座っていた少年と目が合った。思えば、あれがいけなった。目が合ったと思ったときにはすでに弾は発射されてしまっており、結果としてこちらの存在を気づかせてしまった。
二発目も撃ってみせたが、やはり失敗。なので彼女は、三発目で仕留めることを止め、車の足止めをすることに考えをシフトさせたのだ。
そして四発目。確実に当ると思われていた弾は、不可視の壁に阻まれ、無力化された。どうやら向こうには、支援を得意とする魔術師がいるらしい。情報では、近接戦闘を得意とする相手が二人いるだけとされていたが……、
――やっぱり、素直に与えられた情報を信じ込むのはいけないということですね。
物事に常にイレギュラーはつきもの。これまでだってそうだった。幾多もの経験から少女はそのことを知っていたゆえに、大きな驚きはなかった。
冷静に、事務的に、白髪の少女は『念話』で自身の仲間と通話をはかる。
『コレットさん。聞こえますか?』
『は~い。聞こえますよ。どうしましたか? パルヴィさん』
『念話』によって、直接頭の中に響いてくる声の主は、自分よりも幼い少女の声だった。穏やかで快郎とした声の主に対し、白髪の少女――パルヴィは言う。
『ターゲットがそちらの森の中に逃げ込みました。貴方とマリウスさんで迎えうってください』
『あはは~、そんなことだろうと思ったよ。人の気配が一気に五人も増えたからさ、パルヴィさんが森まで追い込んでくれたのかな~って』
本当は仕留めそこなっただけなんですが……、まあ善処してくれているわけだし、ここは乗ることにしよう。
『そうです。私がちゃんと追い込みましたので、後はよろしくお願いします。念のため、私も狙っておきますが』
『はいは~い。了解了解~。まっかせてくださいよ!』
それを最後に、コレットとの念話を切った。
パルヴィはスコープから目を離し、彼らが入っていった森を見やる。
彼らは一時しのぎにと森の中へと隠れたつもりなのだが、それは違う。
徐々に追い込まれていっていることに、彼らは気づいていない。




