第3話 奇襲
何か為さなくてはならないことを自覚し、その時間が間近に迫っていることを把握していると、不思議と時間の流れが遅く感じることがある。今日一日がまさにそれだったと、志具は思っていた。
ななせを連れ戻すと決心し、それを決行するまでの一日は、志具にとって千秋の思いに近かった。ただ、傷が満足に癒えていない自分がするべきことは、少しでも治癒に専念することであり、そのために一日中病室のベッドで仰向けになっていることだった。……が、そのことがどれほど歯痒い時間だったことか。マリアや菜乃が暇つぶしに話を振ってくれたのが救いだった。
「よし……」
志具はベッドから抜け出す。外出許可は、昼の間に佳織がとってくれたことを、志具は菜乃から聞かされていた。どのような手を使ったのかは……聞かない方が身のためなのだろう。
立ち上がり、身体を適当に動かしてみる。急で激しい動きを起こすと、節々が軋みを上げるような感じがするが、概ね想定の範囲内だった。魔力の使い方を身体が無意識の内に扱い始めてからというもの、回復力が尋常でないほどに早い。医者が不思議がるのも無理はないというものだった。
「志具君、大丈夫? 無理してないかな?」
傍で志具が身体の様子を確かめているのを見て、マリアが心配そうな声をかける。
「ああ、大丈夫だ。支障が出るほどの痛みはないよ」
「そう? ならいいんだけど……もし何かあったら言ってね? できる限りのサポートをしてみせるから」
「わかった。マリアこそ、私のことばかり気を向けていないで、自分の身の安全に気をつけるんだぞ? 『エニグマ』があるからとはいえ、君はもともと一般人なんだから」
「それを言うなら、志具君だって前まで一般人だったじゃない」
それもそうか、と志具は苦笑する。
妙な気持ちだ。自分はもう、一般人としての立場を捨て、魔術師として生きようとする心構えをしつつあるらしい。時間にして半年も経っていないというのに、なんとも気が早い話だった。
――……もし。
もし、自分が魔術師ではなく、一般人としての人生を歩もうとしていたのなら、今頃どうなっていただろうか。少なくとも、今と違う道を歩んでいたことは確かである。
一般人ではなく、魔術師として生きていく。
そこに後悔は、していないだろうか……。
…………。
――いや、よそう。
余計な考えだ。少なくとも、今考えることではないはずだ。
志具が頭を左右に振るのを見て、マリアは首を傾げていた。
そのとき、病室の扉がノックされた。数回のノックの後、室内に入ってきたのは、
「志具様、マリア様。準備が整いましたので、下まで来てください…………って、おや? ひょっとして、お邪魔でしたか?」
「別に、邪魔なんぞしていないが?」
「そうですか? てっきりわたしは、マリア様がライバルがいないことをいいことに、色々と画策しようと目論んでいたのかと思いまして……」
「か、かかか画策⁉ な、なに言ってるのかな、菜乃さんは! わたしは常にフェアプレーだよ、フェアプレー! 戦うときは常に正々堂々、同じ土場に立って争ってみせるんだから! …………裏で賄賂とか渡して根回しはするかもだけど」
「ちょっと待てマリア。君、さっきよからぬ発言をしなかったか?」
「気のせいだよ志具君♪ 何を言っているのかワカリマセン」
「どうして片言なんだ!」
「ワタシ、ハンブン外国人デスカラ、時々ニホンゴ、わからなくなりマース」
「その誤魔化し方はもういいから!」
「ふふふ。マリア様、ななせ様がいないことをいいことに志具様と夫婦漫才ですか?」
「その通り。こうやって漫才ができる仲だということを周囲にアピールして、指示票を集める作戦だよ!」
ドヤッ、と言わんばかりに親指をグッと立てて力説するマリア。
いったい何でななせと争っているのか……。昔はよくわからなかった志具だが、今ではおおよそ推測できる。今までは「そんなことあるわけがない」と目を背けていた事案だったが、これは認識しなければならない時期に来ているのだろう。
――マリアは、私のことを……。
好きでいてくれているのだということを。
それは、友達としてはもちろんのこと、恋愛対象としてでも、だ。
どうして今になって気づけたのか。それはきっと、志具が己の恋愛感情というものを自覚したからであろう。人間、経験があることに対しては、自他問わずに敏感になるものだ。
いつからマリアが、自分に対して恋愛感情を向けていたのかまでは、さすがにわからない。だが今、彼女が好いてくれていることは、おおむけ正解だろう。
――私は……。
どうしたらいいのだろうか。
それを考えたとき、自分はマリアの恋愛感情をはねのけるべきなのだろう。理屈ではそうなる。
だが、それがたとえ正解なのだと理解していても、実行するだけの行動力を、志具はもっていなかった。それは、自分の推測が外れていたときの失態を想像すると恥ずかしいと感じる気持ちがあったり、今の関係を壊したくないという臆病な感情もあったりする。結局のところ、マリア自身の気持ちを彼女の口から直接聞くまでは、志具としては動きようがないのが事実だった。
だが、ここまで理解している以上、
――私は……決断しないといけないな。
マリアが気持ちを吐露したときに、自分はどんな返答をするのかを……。なまじ、自分の気持ちが決まっている以上、なおさらと言えた。
「どうしました? 志具様」
急に沈黙した志具を気にし、菜乃が声をかけてきた。
「まさか傷が疼くとか? やっぱり安静にした方がいいんじゃ……」
「いや、大丈夫だよ。少し、考え事をしていただけさ」
「考え事?」
ああ、と志具はマリアに頷いた。ただ、その考え事を彼女に打ち明けるわけにはいかない以上、志具はそこで言葉を止めた。
「さあ、行こう。下で西元さんが待ってるよ」
「う、うん。そうだね」
志具の悩みが気にかかるものの、今行うべき順序を間違ってはいけないことをマリアも把握しているらしく、それ以上の追及はしてこなかった。
――◆――◆――
留美奈市民病院の駐車場に行くと、閑散とした広大な敷地の一角に、黒の車だった。月明かりを照らす黒ツヤがかった塗装が、どこか高級感を醸し出していた。
その車の前には、すでに佳織となずなが待機していた。
「あっ、先輩さん! 遅いですよー」
「すまない。身支度に時間がかかってしまったんだ」
「身支度って……特にやることないですよ?」
あ~、と志具は言葉を詰まらせる。
まさかちょっとした諍いがあったんだ、だなんて言えない。しかもその諍いの種は、なずなの好みそうなものであり、与えれば最後、また話があらぬ方向へと路線変更してしまうことだろう。
なので志具は、ははは……、と乾いた笑いを漏らすだけで誤魔化した。
話の折りを見計らって、警官服姿の佳織が口を開いた。
「では、これから私たちが責任をもって、真道さんたちを目的地まで警護します。道順はあらかじめ菜乃ちゃんに教えてもらって、地図にも印をつけたので大丈夫です」
あれ? と志具が疑問をひとつ持つ。
そんな彼の疑問を察してか、菜乃が言った。
「ついて行きたいのは山々なのですが、わたしは魔術師ではない以上、万が一の場合はただの足手まといにしかなりません。マリア様のように『エニグマ』も持っていませんし、援護もできそうにありませんから、ここに残ることにします」
そうか……、と志具。
菜乃としても苦渋の決断だったのだろう。浮かべている微笑に、どこか哀愁を感じさせる。自身が仕える主人であると同時、身近にいてくれている親友が囚われの身となっているというのに、手助けに行くことができないことが歯痒いのだろう。
その気持ちは、志具もよくわかる。自分には力があるが、それでも手を伸ばせば届く距離にいたななせを、引き止めることができなかったから……。
どう声をかけていいかわからない志具のもとに、なずながニコニコと駆け寄ると、
「ボクたちが出かけてる間、お手伝いさんがお兄ちゃんの看護をしてくれるんですよ」
「悠里さんの?」
なずなの実兄の玖珂悠里は、ゲルディの奸計によって死へと追いやられようとしていたところ九死に一生を得たが、身体はまだまだ健康体とは言い難いらしい。それでも、車椅子での移動と、ちょっとした分厚い書籍をもち、長時間読書できるくらいには回復しているということは、なずなから聞いていた。
徐々に回復こそしてはいるが、それでもひとりにしておくには心配であることには変わりないのだろう。そんな悠里の世話役をどうやら、菜乃が請け負ったようだ。
「表立っては何もできない私ですが、影ながら微力を尽くすことにします」
「……ああ。それで十分だと思うぞ」
菜乃も菜乃なりに、自分が今できることを見つけ出し、力になろうとしているのだということがわかり、志具は頷きを返した。
「……では、行きましょうか。皆さん」
しばらくの沈黙の後、佳織がそう促してきた。
それに抗う者は誰ひとりとしていない。
互いに顔を見合わせて、頷き合うと、志具たちは車へと乗りこもうとする。
「ですけど、ずいぶんとチャチな車ですね~。こんなんで大丈夫なんですか?」
「見た目に騙されてはいけませんよ、なずなさん。見た目は普通の乗用車ですけど、れっきとした警護車の造りをしているんですから、ちょっとやそっとのことが起きてもびくともしませんよ」
「警護車って……」
お偉いさんがSP付きで乗るような車だ。そんな車をわざわざ用意するなんて……。
志具が驚きを顔に出していると、佳織は薄く笑みを浮かべ、
「私の部署は特別なんですよ。ただの強盗やチンピラならまだしも、私たちが相手にするのは主に魔術という神秘ですから、このくらいの警戒は常にしますよ」
「……そうだったな」
佳織は、『警視庁対魔導資料整理室』という魔術師が関与したと思われる事件を捜査する部署の室長をしている。志具と出会う以前からそこにいるのだから、当然、自分が想像つかないような魔術関連の事件に遭遇しているのだろう。言うなればこの警護車は、そこから得た経験からの備えだ。
「総理大臣が乗るようなリムジンもあるにはあるんですが、如何せんあれは目立ちますし、静かに立ち回る場合は、こういう見た目が一般車両のほうがよろしいかと」
ごもっともだ、と志具。なずなもその言葉に納得した様子だ。ただ、「ですけど、一度はセレブなリムジンに腰を落ち着かせたいですよー」などと、不満を漏らしている。
運転席を見ると、運転手である妙齢の女性がサイドミラー越しにこちらを見つめていた。早く乗れ、ということなのだろうか。
その視線に押されるように、志具がなずなに続いて後部座席に座ろうとしたとき、
「志具様」
「どうした? 花月」
菜乃に呼び止められ、志具は振り返る。
振り向いた視線の先。志具の眼に、菜乃の姿が映った。
憂い。哀愁。
切望。活路。
負と正が入り混じった複雑な微笑みをしている、彼女の姿が。
志具はじっとそんな彼女を見つめていたが、やがて菜乃が、深々と頭を下げると、
「ななせ様を……よろしくお願いします」
頭の下げ具合が、そのまま菜乃の願いの深さを表わしているようだった。
返す言葉は、決まっている。
「当たり前だ。必ず連れ戻してみせるよ」
その言葉に嘘はない。
濁り無き、ひとつの意志。
菜乃はそれ以上何も言わず、そして志具もそれ以上何も言わない。視線で挨拶を交わすと、志具は車へと乗りこんだ。
――◆――◆――
時刻は深夜零時を過ぎていた。
この時間になると、道を走る車の影は皆無に等しく、たまに運送トラックとすれ違うくらいだ。淡い暖色のライトが車道を淡々と照らす中、警護車は細く長い道を走っていた。
志具たちが乗る車が行くのは、深い山道だ。民家の影はほとんどなく、仮にあったとしても、朽ちた木造の廃屋が肩身が狭そうに脇にあるだけ……。
車から見て、左側が登ることは無理であろう高く急な崖があり、崖崩れ対策にコンクリートで補強されている。もう片方はガードレール越しに深い谷がある。谷の底には幅広な河が流れていた。山奥のせいか、流れは下流に比べると急である。その上、岩と見間違うほどに大きな石が我が儘顔で河の両端に流れ着いており、足場が悪いことは一目見ればわかる。
「この先に、万条院の屋敷が?」
病院を出て一時間半。ほとんど無言で、深夜ラジオだけが場を和まそうと必死に放送している中、志具が口を開いた。
「はい。万条院の本家は、この山道をずっと向かった先の頂にあるみたいです。屋敷がある近くの街からは目立つ場所に立地されているみたいですけど、私たちのほうからだと、過酷な道になっちゃうんですよね」
「回り道とかなかったんですか?」
と、なずな。
「回り道も、あるにはあるんですけど……この道を使うよりも時間が倍以上かかります。山を大きく避けて回る道を通らないといけなくなりますので」
止む無しか……、と志具。
道は舗装されているものの、頻繁に人が行き交う場所と比べると質が悪いようだ。時折ガタガタと車両が小刻みに揺れる。その上、人の気配がまるでない道のため、不安な気持ちになってくる。人間、他人と深くかかわろうが浅くかかわろうが関係なく、無意識の内に繋がりというものを意識する生き物なのだろう。こういう狭く暗く、人の気配がない場所に置かれると不安になる心境が、特にそう思わせる。
「ご心配なく。貴方たちはちゃんとわたしが目的地まで届けるから」
運転手が淡々とした口調でそう言った。
美人だが、どことなく人を寄せ付けない雰囲気のある女性であることがわかった。
「結月さん。私の我がままに付き合ってくれてごめんね」
「いいよ、別に。今度買い物に付き合ってくれたらチャラにしてあげるから」
どうやら運転手の妙齢の女性は結月という名前らしい。
声色は平坦なもの。だが心なしか、佳織に向けられる言葉はわずかながらに温かみが感じられるものだった。
「……あの、西元さん。結月さんも魔術師なんですか?」
ひとつ疑問に思ったことを、志具は口にした。
その質問に、佳織は首を左右に振る。
「ううん。結月さんは魔術師じゃないですよ。一般人の警察官。――でも大丈夫よ。結月さんはそういうのに偏見をもたない人だから」
そういう問題なのだろうか、と志具。
ただの一般人が、こんな危ない世界に足を踏み入れていいものだろうか、と志具は若輩ながらも心配な気持ちをもってしまう。
もしくは、菜乃と同じように魔術師と何か浅からぬ関係をもってしまったのだろうか……。
少し訊いてみたかったが……止めた。プライベートな話をいきなり振られても困るだけだろうし、何より結月の「話しかけるな」オーラがすごかった。佳織に対しては穏やかさをもっているのに、なぜか自分に対しては風当たりがきついような気がして志具にはならなかった。
有無を言わせない会話のシャットアウトを突き付けられ、志具は閉口せざるを得なかった。まあもともと、志具自身も会話の得意なほうではないため、助かったといえば助かったのかもしれない。隣を見れば、なずなが「何ですか~、先輩さん。口説こうとしたのに口説く暇すら与えられなかったからって、ボクに助け舟の視線をよこさないでくださいよ~」という意味合いが感じ取れる視線を向けていた。決してそれは、志具の自意識過剰な気持ちからきたものではない。この後輩は、どこまで自分のことをスケコマシロクデナシ野郎と思っているのだろうか?
その視線から避けるように、志具は外の景色へと視線を向ける。……といっても、見えるものは鬱蒼とした木々の群。月明かりも届きにくいのか、遠方の森は緑を通り越して漆黒の様相を晒していた。外が暗闇のせいで、窓には薄らと自分の冴えない顔が鏡のように映りこんでいる。
「先輩さん、どうしたんですか? 『自分のクールな顔決まってるZE☆』とか思ってるんですか?」
「気持ち悪いね、死んでください」
「誰もそんなこと思ってない! それと結月さん! 何さりげなく物騒なこと言ってるんですか?」
「犯罪者に向けて言う決め台詞を考えていただけだよ。たまたま口から出てきてしまった。お気になさらず」
「まあまあ、落ち着いてください、結月さん。真道さんはまあ……多少は? 女好きなところがありますけど、決してナルシストではないと思います? ので?」
「どうしてそんな過剰に疑問符をつけるような話し方をするんだ、西元さん!」
どうしよう。この中には自分の味方となってくれる人がひとりもいない。すでに敵は身内に紛れ込んでしまっていたようだ。……そんな気持ちになってしまう。
彼女たちの非難から逃れようと、志具は外の景色に意識を集中させる。女性陣の言葉なんぞ、耳に蓋をして聞かないことにする。
そうして完全無視を決め込んだ志具。
そのとき、
チカッ――
一瞬、向い側の山の頂上付近で、何かが点滅した。
――今、何かがひか――――
光った。
そう言い切る直前、耳を劈かんばかりの爆音が響いた。
窓ガラスに放射状の亀裂が走り、車両が宙に浮き、大きく傾いた。
「きゃああああぁぁぁぁ!」
女性陣の叫び声が響く。……が、先刻の爆音のせいで耳鳴りが激しく、人の声というよりは雑音にしか聞こえなかった。
倒れかけた警護車を、結月が強引に立て直した。だが、タイヤがパンクしたのか、走る際の振動が酷い上、車の動きが非常にぎこちない。
「何が起きたんですか?」
なずなが事態を呑み込めていないようだ。いや、理解しているが、あまりにも唐突な出来事に、彼女の脳が現実を拒絶しているのかもしれない。それゆえの言葉なのだろう。
だが、志具はわかる。なぜなら、見てしまったのだから。
あの光の明滅。映画とかで見たことがある。おそらくは、マズルフラッシュ。要は、狙撃されたのだ。
彼我の距離は目測1キロ弱。そこからピンポイントで走る車を撃ち抜いた。
これは……認めるしかないようだ。
「……敵だ。向こうから先手を打ってきたんだ」




