第2話 客人
鬱蒼とした木々に囲まれた小高い丘。その丘すべてが代々魔術師としての血を受け継いできた万条院家の領地だった。
丘の頂上には古めかしさから来る荘厳さと厳粛さを漂わせる洋館がある。屋根はワインレッド色で、もともと白かったであろう外壁は長年雨風にさらされてきたせいで灰色に染まっていた。一部は蔦植物が外壁を這っており、幽霊屋敷のような様相をさらしていた。
時刻は間もなく0時を回ろうとしている。屋敷から見下ろすことができる町の明かりは、深夜になろうとしているのに光が途切れることがない。人工的な明かりが広がるその様は、どこか無機質で温かみを感じさせないものだった。
太陽の陽とは異なる明かりの質。生きているという感じを与えない人工的な明かりはまるで――、
「実の娘を実家に連れ戻した気分はどうかしら、源武」
「……パンドラか」
夜景を窓から眺めていたダークブラウンの髪色をした長身の男――万条院源武は、内心で舌打ちを鳴らした。それは背後にいる彼女に対してでもあり、自分自身に対してでもある。
源武は屋敷の様相を表わしているような厳格な面持ちをし、振り返った。
視界に入るは、部屋の扉の前にたたずみ、こちらを見つめてくる白髪の少女がいた。
ルビーのように丸く赤い瞳が、じっと源武を見据えている。見た目こそ華奢な少女だが、源武は知っている。目の前の少女が、人智を超えた怪物であることを。
決して油断していい相手ではない。だというのに、自分はさっき、パンドラに声をかけられるまで彼女がそこにいることに気づけなかった。己の失態を源武は憎んだ。
「何の用だ」
「愛想がないわねぇ、源武ちゃん。そんなんだからななせちゃんに逃げられたんじゃないの? 娘が戻ってきたから、ちょっとは丸くなってるかなぁ~って思って会いに来たのに」
ななせ。
その名前を聞き、源武は無意識に片眉がぴくつくのを自覚した。
それを見て、パンドラは意地の悪い薄ら笑みを浮かべた。
「あら? 気のせいかしら? 前より不機嫌な感じになっているような気がするんだけど……。ひょっとして、ななせちゃんに完全に嫌われちゃったかしら?」
「何の用だ」
先ほどと変わらない声色で言葉を返す源武に、パンドラは堪え切れないとばかりに笑いを上げた。
「あははっ! やっぱりそうなんだ。ま、それもそうよねぇ。好きな人と無理やり引き離されれば、誰だって怒るわよ。特にななせちゃんくらいの歳の女の子は。……おっと」
パンドラは「しまった」とばかりに口を手で押さえた。……が、その所作はわざとらしい。わざわざ相手の感情の起爆点を見つけ、そこを的確に突くような底意地の悪さが、彼女の言動に出ていた。
源武は内側からわき出る激情を抑える。こういったことには慣れていた。いちいち癪に障るたびに感情をぶちまけていては大人は務めていられないし、子供なんぞ育てられる立場ではない。
呼吸を深く長く行うことで昂ぶる感情を鎮め、源武は今一度パンドラに問うた。
「何の用だ、パンドラ。俺を小馬鹿にするためだけにここに来れるほど、貴様は暇ではないだろう」
「ん~、確かに。暇じゃないことはそうなんだけど、だからといって期限が定められているわけじゃないしねぇ。わたしの好きな時間に働いて、好きな時間に休めばいいの。今は休んでいる時間帯だから問題ないわ」
「気楽でいいな」
フン、と鼻を鳴らす源武。人間とは違い彼女は、時間の制約を受けることのない存在であることを源武はわかっていた。わかった上で訊いたわけだが、やはりむかっ腹が立つのには変わらない。人が、己が限られた生を削って叡智を得ようとしているのを、こいつは高みから見下ろして笑いながら見物しているのだ。
源武の皮肉も案の定、笑みで返された。
「用がないなら帰るんだな。機嫌が悪いことが理解した上で煽ってくるのは、痛い目を味わいたいからか?」
「痛い目を味わうのはアナタでしょ、源武。……でもまあ、いいわ。この辺でいじるのは終わりにしてあげる。わたしも、仏頂面のアナタに付き合うのは嫌だしね」
一言が多いパンドラ。
だが、彼女の話を源武は顎で促す。すると、パンドラが扉の前から脇へと逸れた。
「アナタのお客様を連れてきたわよ」
「…………ああ、そうか」
ここに来て、源武はようやく納得した。パンドラがここに来た理由を。
あいつを連れてきたのだ。
パンドラの言葉を合図に、部屋の主である源武の了解を待たずに扉が開き、客人が現れた。
それは、妙齢の美女だった。月のわずかな明かりを反射するアッシュブロンド色の長髪。涼し気というよりは他者を圧倒する威を与えるような、鋭さをもった容貌。碧眼は刃物のような鋭利さをもち、鼻は高い。身長は170センチをゆうに越えており、体躯はすらりと細長い。だが、そこに女性の脆さは感じられず、触れるものを刺し貫く茨のような茨のような気高さを感じさせた。
泰然とした雰囲気を漂わせた彼女を見、源武は先程パンドラから受けた苛立ちを吐き出すように言った。
「やっと来たな、クリス。わざわざパンドラなんぞ連れてきて、俺のご機嫌取りがそんなに不満か」
「フン。露骨な媚売りを好くような男じゃないだろう。やつの門下にいる貴様に会いに来るのは嫌だったのだがな。昔馴染みの恩情、というやつだよ。お前も縁を切ろうとしているようだしな」
薔薇の棘のごとき言葉を吐く、クリスという女性。非難と嫌悪を隠すことのないその態度は、かえって清々しく、憤りの感情すらわき上がってこなかった。
まあ源武自身、クリスの太鼓持ちなど期待していなかった。彼女が元来、そういう人間でないことくらいは承知していたし、源武もまた、根拠のない称賛は、手に入れたところで喜びを感じることはなかった。むしろ、逆の感情がわきたつというものだった。
「わざわざ遠方までの足運び、感謝する。こうしてお前がじきじきに俺に会いに来たということは、俺の頼みを聞き入れてくれるということだな?」
「勘違いしないでもらおうか。お前に助力すれば、あいつが顔をのぞかせる可能性があるから誘いに乗ったわけだ。言うなれば源武、お前はわたしにとっての餌だ」
「ああ。それでかまわんさ」
餌と侮蔑してくる相手に、源武は平坦な返事をした。
憎らしいと思う心は多少あったが、クリスの実力は贔屓目に見ても褒め称えられるものであったし、源武もまた認めていた。
その上、どの道ここで歯向かったところで、自分程度の相手なんぞ彼女はさして苦労もせずに排してみせるだろう。決して埋めることのできない実力の溝が、自分とクリスの間にできあがっていることを、源武は理解していた。
源武のそうした感情を知ってか知らずか、クリスは言葉を続ける。
「それに……気にもなるからな。真道の息子のことも。……あのことは話したのか?」
あのこと。それが何を指したものなのか、わからない源武ではなかった。
「ああ。直接言ってやった。両親はとっくにこの世にいないことをな」
「そうか。……まあ、この世界に足を踏み入れているんだ。遅かれ早かれ真相に近づいていただろうな」
対して気にもとめていない、とばかりの素っ気ない言葉。
だが、源武は気づいていた。彼女もまた、あの小僧に対して好奇の視線を向けていることに。でなければこうして、仮にも大御所の魔術結社の盟主である彼女が敵に見つかるというリスクを負ってまで自分のところに赴くわけがない。
彼女のこの行動は遠回しに、自分はあの小僧よりも価値が低い、と知らされているようで、なんとも不快だった。
「どうした、源武。お前らしくないな。ずいぶんといきり立っているようだが」
「気のせいだろう。言いがかりはやめるんだな」
そうか、とクリスはそれ以上言及してこない。代わりにパンドラがくすりと嘲笑を漏らした。
パンドラを睨むが、彼女はまるでそれすらも愉しむかのように笑みを濃くする。
まったく……、と源武。我が家だというのに、まるでパンドラの箱に入れられたかのように気分が悪い。悪夢や絶望ばかりが己を苛むのだ。
「そういえば源武、お前の娘はどうした?」
「ななせなら自室だ。逃げ出さないように手は打ってある」
「やれやれ。子をもつ親のすることは理解できないよ」
「ほざいてろ」
クリスの皮肉に、源武は言葉を吐き捨てた。どいつもこいつも、苛立たせるような発言しかしない。
そのとき、クリスは軽く片耳に手をあてた。目を閉じ、まるで耳を澄ますかのような素振り。
――『念話』か。
ありていに言ってしまえば、遠くの者と念じるだけで会話ができる魔術だ。どうやらそれで、クリスは何者かと連絡を取っているらしい。
「どうした?」
『念話』が切れた頃合を見て、源武が訊いた。
「わたしの部下から連絡が入った。真道の息子たちは、明日にでもここに向かってくるらしい」
「小僧……」
源武が頭に思い浮かべるのは、殺し損ねたななせの想い人。どうやら性懲りもなく、攻め込んでくるらしい。
憤りを震わせた声で、源武は言う。
「クリス」
「わかっている。報酬を受けた以上、相応の働きはするさ。部下たちにも……『義の鉄槌』たちにも配置につくように伝えておくさ。――行くぞ、パンドラ」
「はぁ~い。――じゃあね~、源武ちゃん。枕を高くして寝れることを祈ってるわ♪」
好きなことを言うと、パンドラはクリスと一緒にその場を立ち去った。
……いや、立ち去ったといえるのか。パンドラがクリスの腕を掴んだ瞬間、空気に溶けるようにその場から消えたのだ。
――得体のしれないやつだ。
つくづく、源武はそう思う。パンドラに対しても。クリスに対しても。少なくとも彼女たちは、自分の手の届く領域にはいない存在なのだろう。
人という枠を超え、生きながらにして生物種として上位のものへと昇華した存在、といえばいいのか……。
本来ならば、ああいった輩は人の世など然したる興味をわかないはずなのだが……まあいい。わざわざ興味を持ってくれているのだ。そうである以上、利用できる。利用できるのであれば、なんだって利用してみせよう。そのための対価はすでに払っているのだから……。
月が明るい。
その明かりが照らすのは、
自分か、
やつか…………。




