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神奇世界のシグムンド  作者: 上川 勲宜
第6章 L:さようなら
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エピローグ L:さようなら

 自分がようやく掴み取ろうとしている平穏を守るために。


 自分を深い闇から救い出してくれた先輩たちのために。


 なずなは覚悟を決め、パンドラに戦いを挑んだ。その決断に迷いはなく、今まで迷惑をかけ続けていた志具に対しての、ある種の贖罪も込めてのことだった。


 ただ、贖罪をするためとは言っても、それは決して義務的な響きは宿っていない。誰に強制されることもなく、なずな本人が選び、決断したことであり、それは人の血が通ったものだ。


 ――先輩さんに、これ以上負担をかけないために……。


 少しでも自分が、先輩の背負っているものを軽くしてあげるために。


 そしてなにより……、


 ――今までの自分と、決別するために……!


 どす黒く……誰の血とも判別がつかないほどに真っ黒に心身ともに汚れていた過去の自分。そんな自分を否定することで、己の罪を無かったことにしてしまおうとは思っていない。


 むしろ、逆だ。何色にも染まらない白の光の中で生きると決めることで、闇の中で生き続けていた過去の自分をより鮮明に浮き彫りにさせ、己の罪から目を逸らさないように生きるために、だ。決別とはすなわち、そういうこと。過去の自分の行いから逃げられないからこそ、あえてラインを引くことにより、見つめ直すことをいうのだ。


 その第一歩を行くために、なずなはパンドラと得物を交える。


 パンドラが扱う得物は、扇。骨組みが古めかしい木でできており、それに木々の緑と風をイメージしたような絵が描かれたものだ。見た感じは洒落たアンティークの扇なのだが、それが放つ異様な力の波動は、魔術師であれば誰でも感知できる。紛れもなく、『アーティファクト』だった。


 見てくれが古めかしく、少しでも余計な力を加えればへし折れそうなほどに柔く見えるにも関わらず、その扇はなずなの『アーティファクト』――『村正』の一撃を軽々と受け止めてみせる。細い木の骨組みに食い込むこともなく、まるで鉄扇のようだった。なにより、なずなのその一撃を、パンドラは片手で制してみせるのだ。


 それでもなずなは怯みもせずに、幾度となく『村正』を踊らせる。


 柔と剛を入り混じらせ、パンドラの強固な防御を突破しようとするなずな。だが、それに対しパンドラは、まるで変幻自在に形を変える水のように、なずなの太刀筋を受け流す。ぬかに釘を打ち付けるような、まるでない手ごたえに、なずなは歯噛みをする。


 一度距離を取り、なずなはパンドラのことを見据えた。なずなの睥睨に、パンドラは涼しげな表情だった。


 なずなは背後を一瞥する。なずなの背後には、不安そうな眼差しを向けている菜乃とマリアがいた。彼女ら二人も何か役に立ちたいのだろうが、入り込むべき時がいつなのかわからず、立ち往生しているみたいだった。


 しかし、それも仕方のないことだと、なずなは思う。菜乃はななせとともにいる時間が多かっただろうから、こういった場面に立ち会うことも多かっただろうが、彼女は魔術を使うことがない、本質的にはただの一般人だ。何もすることができない。


 それはマリアも同じだ。ただ、マリアは『エニグマ』という、魔術の行使を補助する特殊な機能をもった銀時計をもってはいるが、使いどころがわかっていない様子だ。なずなとしても、それがどういった代物かよく理解していないので、指示しようにもできない。よってなずなは、ひとりで戦わなくてはいけなかった。


 ……いや、それはいい。むしろ、望むところだ。この戦いはなずなにとって、過去との決別の意味も含めた重要なもの。他人の力を借りずにひとりで壁を突破してこそ、意味もあるというものだ。


 しかし、そんななずなが赦せないのは、パンドラの対応だった。涼しげに、何の苦労もなしにこちらの剣撃をさばいてくる彼女の腕は驚嘆すべきものだが、明らかに手を抜いていることがわかるのだ。パンドラのそんな態度が、こちらに対しての侮蔑に意志の表れのような気がしてならない。


「……ふざけているのですか」


「何がかしら?」


 なずなの憤りの意味がわからない、と言わんばかりのパンドラの口振り。それがなずなの神経をさらに逆なでする。


「手を抜いているでしょう? あまり舐めたことしでかしていると、ぶちのめしますよ」


「あらぁ、駄目よなずなちゃん。可愛い女の子が『ぶちのめす』なんて言葉を使っちゃ。もっと淑女然としないと、荒くれ女に思われるわよ?」


「別にかまいませんよ。か弱い女の子はそもそも、『村正(こんなもの)』振り回しませんし……なによりボクは、先輩さんを傍で助ける戦士になるって、決めましたから」


 あら……、とパンドラは興味深そうに目を細め、なずなを見やった。


「なずなちゃん。さては志具君に惚れた? 最近、勇ましくなってきたものね~、あの子」


「うるさいですね。細切れにしますよ」


 なずなはピシャリとパンドラを黙らせた。ただ、パンドラは物言わぬ代わりに顔で何かを語るように笑みを浮かべた。そんな彼女の態度に、なずなは苛立ちを募らせる。昔から彼女はそうだったが、とにかく人を食ったような態度が多かった。高みから人を見下ろすような超然とした様が、とにかく鼻につく。


 しかし、パンドラがそういった態度を取るのもきっと、自分の対応がまずかったのだろうと、なずなは思う。パンドラの言葉に、自分が即座に否定しなかったことが、彼女をつけあがらせる要因としてしまったのだろう。……まあ、今更否定しようにもタイミングを逃してしまったために、しようと思わなかったが。


「まあ、そうね……。いつまでも話をはぐらかすのもキミに悪いし、おちょくるのもこの辺にしておきましょうか」


 やっぱりおちゃくっていたのか……、となずな。そんななずなの心の動きにかまうことなく、パンドラは話し始める。


「わたしがキミのことを攻撃しないのは、あくまでわたしの役目が異界への門の守護、ひいてはあの人のやろうとしていることを誰にも邪魔させないためだからよ。だから、必要がないのにキミを傷つけることはしないし、本気でやりあったりしないっていうわけ」


「……やっぱり舐めていますね」


「単に平和主義者なだけよ」


 どの口が言うのだろうか、となずなは内心で吐き捨てる。パンドラが何をしようとしているのか、なずなにはわからなかったが、彼女のその言葉を納得できるほど、なずなは彼女のことを信じていなかった。


「……けど、その役目ももう果たせたみたい」


 不意にパンドラは、次の句にそう付け加え、なずなは「え?」と声を漏らした。


 パンドラはただ、それに対して笑みを浮かべるだけ。


 その笑みはどこか、残念そうな……。自分の望む結果を掴めなかったという、若干の諦めが滲んだような表情だった。



 ――◆――◆――



 ななせは見た。


 自分を護るために、このモノクロの異界にまでやってきてくれた少年が。


 自分の目の前で、真っ赤な血を散らせ、床に倒れ込む様を……。


 その倒れこむ一連の流れを受け入れることができないという自分の精神が叫んでいるかのように、また、その現実を受け入れろと運命が嘲笑っているかのように、志具が倒れる際、ななせには時間が引き伸ばされたかのように、その動きが非常にゆったりと見えた。見たくない光景が、目の奥に焼きつく……。


 志具が倒れた音が、ななせの耳奥まで深く潜り込んでくる。閑静とした空間のせいか、生々しい音が嫌に鼓膜を響かせた。


「し……ぐ…………」


 彼の名前を呼ぶななせ。


 志具は答えない。ただ虚ろに天を見上げ、彼女の言葉が届いていないようだった……。


 カツン――


 足音が響く。そちらへと視線を移すと、源武がこちらに近づいているのが見えた。


 自分を連れ戻すつもりで来ているのだろう、とななせは思ったが……それは違うと理解した。確かにその理由もあるだろうが、それ以外の理由がメインだということを察した。


「死んだか……? …………いや、生きているな」


 近づきながら、源武は言う。


 確かに志具は、今のところは生きているようだった。ただ、それも「かろうじて」という言葉がつくほどの虫の息で、だ。このまま放っておけば、間違いなく志具は……。


 しかし源武は、それを赦さないようだ。その両手には、志具の血がしたたり落ちる『干将莫耶』が握られている。その双剣を握る父親から発せられる覇気に、ななせは背筋を震わせる。


 この男は……源武は、今すぐ志具の息の根を止めるつもりだ!


 放っておけばやがて死ぬくらいに弱っている志具だが、源武はそれでは気がすまないのだ。確実な安寧を得るために、自分の手で、自分の目の前で、殺したことを実感しなければ気がすまないのだ。


「やめろ! 父さん!」


 ななせが叫ぶ。娘の叫びに、源武が彼女を一瞥する。


「止めたければ力ずくで止めるがいい。醜く叫ぶだけでは、俺を止めることなどできんぞ」


「なんで……どうしてっ。父さんはそこまでして志具を……!」


「お前を縛っている鎖を、少しでも断ち切るためだ。真道家の人間と関わることは、この俺が赦さん」


「だからって……何も……殺そうとしなくても……」


 ななせにはわからなかった。どうして自分の父親がそこまでして、真道家との関わりを断ちたいのか。自分と志具を引き離そうとしているのか。意味が、わからなかった。


 それに彼は、それを主張するだけで、説明を一切しようとはしない。説明もなしに、ななせは納得できるはずもなかった。


 理不尽な怒りと、これから起こるかもしれない悲しみ……。それらが自分の心の中でぐちゃぐちゃとなるななせ。


 歯向かいたいが、自分では父親にはかなわない。圧倒的な実力の差が、自分から否定する権利を剥奪していた。


 源武の兇刃が、振り上げられる。


 黒の剣の切っ先が、志具の胸に――――


「…………何のつもりだ、ななせ」


 吸い込まれようとしたとき、その手がピタリと止まった。しかし、源武の握る黒の剣は、志具の左胸に触れるか触れないか程の近距離で停止させたままに……。


 源武は厳格でありながらも、やや驚きに満ちた眼差しを、ななせに向けていた。


 ななせも、どうして自分がこんな行動を取ったのか、わからない。ただ気づいたら、無意識のうちにこんな行動を取っていた。


 ななせは、自分が所有する『アーティファクト』――『桜紅華』の刃を、自分の首筋に当てていた。ななせの魔力が潰えようとしているためか、『桜紅華』の紅の煌めきは儚いものだ。しかし、少女ひとりの首を傷つけるくらいの刃の鋭さは、剣である以上持ち合わせていた。


 ななせは知っている。自分の実力では、決して源武にはかなわないことに。それは、先程戦ったときに、嫌というほどに実感したことだ。


 でも、だからといって、ななせは納得できるはずがなかった。自分のせいで、本来無関係なはずの少年が、目の前で殺められるのを。源武は無関係ではないというようなことを言ってはいるが、説明もろくにしようとしない彼の言葉を、到底受け入れることはできなかった。


 それに……、とななせは思った。仮に関係があったとしても……それでも……真道志具を失いたくはないのだと。もし、彼がこの世からいなくなったらと思うと、ななせの心は砕け散りそうになるほどに、痛く締め付けられたのだ。


 ああ……なんてことだ、とななせは今度こそ、自分の本心を、この瞬間になってようやく理解した。


 あたしは……。


 ――あたしは……志具のことが…………。


 好きなのだと。


 初めは護る対象として、許嫁という嘘をついてまで彼に接近した自分だったが、心身を削り、戦い続ける彼を傍で見続けるうちに、彼に心を奪われていたことに、ななせは気づいた。


 生まれて初めて、好きになった異性……。


 だからなのだろう。自分がここまで、必死になるのは……。先程は無意識だと思った自分の突拍子もない行動も、すべては心の叫びだったのだと、ななせは理解した。


 そして、理解した以上、自分のこの行動の選択に、後悔はなかった。仮にこのまま源武が志具の胸を貫くことがあったら、自分は容赦なく、自分自身の首をかき切ることだろう。


「志具を…………殺さないでくれ…………」


 ただ一言、ななせは源武にそう言った。


 ななせの瞳に揺らぎはなく、真摯な光を宿して、源武を見据える。彼女の覚悟の程が視線を伝い、源武にも伝わっていることだろう。伝わっているからこそ、源武は鼻で笑うようなことをせず、行動も起こさないのだ。


 源武の最大の目的は、実の娘であるななせを連れ戻すことだ。その彼女を失うことになることは、彼としても避けたいことだろう。


「……ななせ。そこまで、この男に心を奪われたか……」


 ああ、とななせは隠さず答えてみせた。


「心中するほどか」


 ああ、とななせは躊躇いもなしに答えてみせた。


「……愚かだな」


 なんとでも言えばいい、とななせの意志は揺らがない。


 源武の鋭い視線が、ななせを射抜くが、彼女は怯むことなく受け止める。


 何を考えているのかわからないとされる源武だが、腐っても血の繋がった親子だからか、ななせにはわかった。彼の中で、気持ちの揺らぎが生まれていることに。瞳の奥が、葛藤に揺れていることに。源武が自分を見つめているのは、自分の覚悟と意志の固さを見極めることに他ならないのだと、ななせは気づいていた。


 だからななせは、彼の視線から目を逸らさない。逆に睨み付ける。彼の意志を、自分の意志で砕こうとばかりに……。


 しばらくななせのことを見つめていた源武。そんな彼がやがて、志具の胸から黒の剣を離し、虚空へと消した。それが、源武の答えだった。


 そして同時に、自分の運命が決まった瞬間だと、ななせは理解した。自分も、自分の答えを提示しなければ、今度こそ源武は、志具を殺すことだろう。わざわざそんなことは、言葉にする必要もない。親子だからこそ、互いの考えていることが、時々透けて見えることがあるのだ。


 ――腐っても親子か……。


 この縁からは、どう足掻いても逃れられそうにない。きっと自分がどこにても、あたしがこの人の娘であるという現実からは、逃れられないのだと、ななせは諦観にも似た思いを抱いた。


「……志具は?」


「知らん」


 短い一言を、背中越しに吐き捨てるだけだった。生きようが死のうが、彼にとってはもうどうでもいいということなのだろう。


 ――あたしが戻ってきさえすれば……。


 ななせは振り返る。自分の血の海に沈む志具の姿が、視界に入った。


 今すぐにでも彼のことを、ななせは助けたかった。でも、それは許されない。源武がそれを赦さない。あくまで源武は、志具のことを放っておくだけなのだ。


 少しでも戻れば届く距離にいる最愛の人に救いの手を差し伸べられない自分に、ななせはひどく嫌気がさした。


 自分はただ、祈るしかないのだ。志具が……助かることを……。


 そして……、とななせ。自分は彼に、伝えないといけない言葉があった。


「ありがとう……、志具」


 あたしを助けるために、ここまで駆け付けてくれて。


 そして今まで、あたしと一緒にいてくれて。


 家出同然にやってきたあたしを、家に住まわせてくれて。


 ありがとう。


 そして……、


「――さようなら、志具」






 神奇世界のシグムンド 第6章 ――終――

 今回で第6章は完結です。

 ここまで付き合ってくださった読者の方々、ありがとうございます。


 第7章連載開始日は、10~11月上旬の予定です。この続きからとなりますので、これからも読んでいただけると幸いです。

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