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神奇世界のシグムンド  作者: 上川 勲宜
第6章 L:さようなら
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第12話 監視の視線

 足元も満足に見ることができないほどの、人の波。その波を築くひとりとなっている志具は、マリアに連れられて、会場の中を回っていた。


 マリアの行動力は、普段以上に発揮されており、志具はそれに振り回されている状況だ。ともあれ、人の密集している場所にそれなりに長い時間いるということもあり、人だかりに圧倒されることはなくなっていた。


 ――荒行事、というやつだろうか……。


 つい、そう思ってしまう志具。ともあれ、気持ちに余裕ができてきたことに変わりはない。


「……にしても、すごいな、マリアは」


「なにがかな?」


 志具の手を引っ張り、先行していたマリアは志具へと振り返り、首をかしげる。


「何がって、足取りがだよ。これだけ広い会場の上に人がたくさんいるというのに、歩みに迷いがないではないか」


 そう。マリアの動きには無駄がないように思えたのだ。常に、目指す場所を特定し、そこに向かって最短の距離を突っ走っているような気がしてならない。


「この日の為に、コミフェスカタログで目当てのサークルをチェックして、場所もどの辺になるか、毎日頭の中でシミュレートしてきたからね」


「どれだけこのイベントに賭けているんだ、君は……」


「命をだよ!」


「そこまでなのか!」


 大げさすぎる、と志具は思わず声を上げる。……が、マリアは志具に振り返り、人差し指を彼の顔に向かって突き出すと、


「志具君! どうやらコミフェスのことを、まだよくわかっていないようだね」


「ま、まあ、な……」


 気迫に満ちたマリアの態度に、思わず志具は気圧される。


 圧倒されている志具に向かって、マリアは言った。


「コミフェスは、わたしたちオタクにとって聖戦の場なんだよ! 日々、心身を削って蓄えてきた軍資金を使い、目当てとしているサークルさんの宝を買い取るための、聖戦の場なんだよ!」


 それだけじゃない、とマリア。


「それはサークルの人たちだって同じこと。寝る間も惜しみ、時間を割いて創り上げた作品が、このコミフェスという大きな場でどこまで通用するか、夢をつかみ取れるか、プロアマ問わず試す場でもあるんだよ!」


 わかったかな? とマリアは尋ねてきた。


「……まあ、熱気がすごいということはよくわかったよ」


「まあ、それでいいよ。一般人はこの辺を理解せずに、コミフェスの場を単にエッチな本の売買所としてしか見てないところがあるからね。この誤解を払しょくさせておきたいし」


「エ、エッチな本?」


「あれ? 言ってなかったかな?」


 初耳だぞ、と志具。マリアはすっかり、言ったつもりになっていたようだ。


 するとマリアは、口をわなわなと震わせはじめ、頬をピンク色に染めさせた。そうしてマリアは、視線を志具から逸らし、明後日のほうを見つめる。冷や汗がマリアの額から一筋、流れていた。


 二人の間に流れる沈黙。志具とマリアが立ち往生している脇を通り過ぎる人々は、二人のことを一瞥はするが、関心は持っていないようで、すぐに視線を外す。


 やがてマリアは、回れ右して志具に背を向けると、


「なんでもないよ、さあ志具君。行こっか」


 手をぐいぐい引っ張って、マリアは先へと行こうとする。


 それを志具は、まるで巨岩にでもなったかのように、その場から一歩も動くまいとする。志具に手をつかまれ、先へと進めないマリアの様子は、まるでリードに繋がれた犬のようだった。


「……マリア…………」


「ほ、ほら志具君。早く行かないと売り切れちゃう……」


「先ほどの話……」


「ナンノコトイッテルノカワカンナイヨー」


「君が片言になるときは、大概何かを誤魔化すときなのだが……」


「…………チッ」


「舌打ち⁉ 今、舌打ちしたのか⁉」


「ナンノコトイッテルノカワカンナイヨー」


「それはもういいから!」


「…………チッ」


「無限ループはやめろ!」


 はあ……、と志具は嘆息を漏らす。


 もういい。これ以上追及するのはやめよう。マリアがいったい、何の本を買っているのか訊くつもりでいたが、それをすると永遠に話が終わりに向かうことはなくなりそうだ。


 よくよく考えれば、妙だとは思ったのだ。すべてとは言わないが、展示されている同人誌には、なかなか扇情的な表紙があるなとは思っていた。マリアが同人誌を買うときは、決まって自分が彼女から視線を逸らしている間に会計を済ませていることが大半だったし……。


 とはいえ、と志具は思う。だからといって、彼女の見る目を変えるつもりはないが、と。


「あ、あの……志具、君…………」


 さすがに気まずい、と思ったのか、マリアはおずおずと声をかけてきた。


 思考の海から戻ってきた志具は、かぶりを一度左右に振ると、


「まあ……なんだ。人の趣味をとやかく言うつもりは、私にはないよ。ただ、その……節度は守るように」


 その言い方が適切だったかどうかは、志具本人にもなかなか判別がつかなかった。……が、彼が怒っていないことはマリアにも伝わったようで、


「う、うんっ! ありがとう!」


「別に感謝されるほどのことではないと思うけどな……」


 笑顔とともに告げられたマリアの一言に、志具はつぶやく。……が、彼の呟きは、会場の喧騒に呑み込まれた。


 ――まあ、楽しい雰囲気を壊したくはないのは確かだしな。


 マリアに手を引かれながら、志具はそう思った。


「……ちなみに訊くけど……」


 なんだ? と志具は訊き返す。


「志具君はエッチな本を異性に知られると興奮する派かな?」


「…………いきなりなんだ」


 ジト……、とした眼をマリアに向ける志具。


 そんな彼に物怖じした様子を見せることなく、マリアは言う。


「だって、志具君も健全な男の子なわけだし、そういうものに興味を持っていてもおかしくないかな~って思ってね。前にななせさんも、男の子はみんな、エッチな話に興味があるエロスの塊だって言ってたし」


 万条院……、と志具は頭を悩ませる。


「……あのな、マリア。それは偏見が過ぎると思うぞ」


「じゃあ志具君は、そういうことに興味がないの?」


 マリアのその言葉に、志具は閉口する。そう念入りに聞かれると、自信がなくなってくる。


 ――まあ、別に全否定するつもりはないのだが……。


 そうは思っても、あまり公に言葉とするのには気が引けるというものだった。恥じらい、というものがあるためであろう。


 志具が回答に窮していると、マリアはハッとした表情になる。


「ま、まさか志具君……。女の子じゃなくて男の人が好きなの?」


「…………なんでそうなる?」


「だって志具君。エッチな話に興味がないんでしょ? だから、そっち方面の人なのかな~って思って。考えてみたら志具君、一人称が『私』だし、それは自分に女性になりたい願望があるからじゃないの?」


「どうしてそうなるんだ! さんざん言っていると思うが、私はいたってノーマルな人間だからな!」


 全力で否定する志具。


 そんな志具に、マリアは聖母のように包み込むような微笑みを浮かべると、


「志具君。そうムキにならなくても、わたしにはわかるよ」


「……今の君の笑顔が、まるで信用ならないのだが……」


「大丈夫だよ。志具君はBLの薄い本の題材になるようなことが好きだってこと、ちゃんとわかってるから」


「うん、なるほどな。とりあえず、君が全然私のことを理解していないことはよくわかった」


「むぅ……。確かに……志具君の一から十のことをわかってるわけじゃないか……。身体にあるホクロの数まで知ってるわけじゃないし」


「そういう話をしているのではない!」


「えっ⁉ ということは、もっと先のことなの⁉ 一線超えるその先の話をしているの⁉」


「…………」


 言葉の代わりに、志具の口から出てきたのは嘆息だった。このままいけば、間違いなくこのままこの話を続けていけば、話の本筋から大幅にずれていく。


「マリア、この話はもう終わりにしようか」


「そ、そうだね。この話を膨らませ続けると、同人誌並にエッチな話になっちゃうからね。わたしはそれでもかまわないんだけど」


「……マリア。君の買った同人誌を破り捨ててもかまわないか?」


 その言葉に、マリアは悲哀に満ちた表情をすると、わが子を護るように同人誌の入ったバッグを抱きかかえる。


「な、なんてことを言うの、志具君! そんなことをしたら戦争だよ! 罰として志具君を題材にしたBL漫画を描いて、それを漫画投稿サイトにアップするよ!」


「……冗談だよ」


 そんなことをされたらたまらない、と志具。あらぬ疑惑をかけられる厄介さは、志具は嫌というほど理解していた。


「もうっ、志具君が変なこと言い出すから、会場内を回り切れなくなっちゃうじゃない」


「私のせいなのか?」


 なんだか納得のいかない決めつけをされる志具。そんな志具の手首をつかむと、マリアは、


「さ、早く行こう! 目当ての本が売り切れちゃう」


 と、志具を引っ張って会場めぐりを再開した。……と、そのときだった。


「……ん?」


 引っ張られるままに会場を回っていた志具は、不意に周辺を見渡し始めた。


「どうしたの?」


 志具の異変を感じ取ったらしいマリアは、同人誌の品定めを止めると、彼に訊いた。


 しかし志具は、すぐにマリアの問いかけに答えなかった。注意深くあたりを見渡し、人の波を確認する。


 ――誰かに……見られているような…………。


 そんな気がしてならなかった。志具、ならびにマリアを注視するような視線があるような気がしてならない。


 ――自意識過剰なだけか?


 これだけ広い会場に、これだけの人間が集まっているのだ。人だかりに慣れていない自分が、必要以上に敏感になっているだけなのかもしれない。


 一瞬、そう考えた志具だが、それにしてはやけに気になる。こちらから視線を逸らさず、ずっと自分を見続けている粘着質な視線が、志具に不快感と気味の悪さを抱かせていた。


「志具君? どうかしたの? 怖い顔して」


 マリアを見ると、彼女は志具の変化した雰囲気を感じ取ったらしい。心配そうな表情を、彼に向けていた。


 気のせいであってほしい。そうは思う。本来なら「気のせいだ」と気持ちを切り替え、マリアとの交流を楽しむべきなのだろう。


 しかし……、と志具。無視するには、志具の感じ取った異変はあまりにも歪なものだった。これが虫の知らせ、というやつなのだろうか……。


「マリア。悪いがここで別れよう」


「え? どうしたの、突然」


「少し、気になることがあってな……」


 視線を感じる方向はわかっている。人波をかき分けていくのに苦労はしそうだが、その苦労を面倒くさがっているばいいではなかった。


 ――なに。少し見てくるだけだ。


 それで何もなければ、確認した後にコミフェスを楽しめばいい。漠然とした不安と不快さを感じながら、時間が来るまで会場をうろつきまわるのと、何もなかったことを確認した後、不安要因が一切ない状態でイベントを楽しむのと、どちらか選べというのなら、志具は後者を選択することに迷いはなかった。


「悪いが、君ひとりで楽しんでいてくれ。あとで合流するから」


 そう言って、志具がその場を立ち去ろうとしたとき、マリアが彼の腕をつかんだ。


 マリア、と志具が彼女の顔を見る。マリアの表情は真剣で、真摯な眼差しを志具に向けていた。


 手を放してくれ、と志具は言おうとしていたのだが、彼女のその表情を見て、思わずその言葉をひっこめる。


「わたしも…………行く」


 マリアは、志具が一体何の異変を感じ取ったのか、何を調べに行こうとしているのか、わかっているのだろう。彼女の表情には、真剣さのほかに、不安や恐怖が混ざっているように、志具には思えた。


「志具君。わたしは前に言ったはずだよ。どんな形でもいいから、志具君たちをサポートしたいって。もし志具君に、何か危険が迫っているのだとしたら、わたしは助けたいよ」


 そう言い、マリアは懐から『グリモア』を取り出した。金髪の青年から受け取ったという、懐中時計の形をした魔導道具。『魔導核』の代わりを務めることができる、『フリーメイソン』という組織が造ったもの。どうやらマリアは、それを首からかけて、ペンダントのように服の中に隠し持っていたらしい。


 マリアの覚悟を見せつけられた気がして、志具は雷に打たれるのにも似た衝撃を受けた。


 正直、今でも志具は、マリアを巻き込みたくないと思っている。できることなら、彼女のそんな意見を跳ね除けなければいけないのかもしれない。


 だけど……、と志具は思う。これだけ覚悟を決めている相手の意見を考慮に入れないのは、相手に対して真摯ではないのではないか、と。そう考えると、志具の回答は決まったも同然だった。


「……無理はするなよ」


 それは、ついてきていい、という志具の気持ちの表れだった。マリアは顔を明るくさせると、うん、と力強く頷いた。


 そんな彼女を見て、志具は一度、柔らかく微笑むと、マリアを引っ張って、人の波をかき分けていく。遠慮なしに人をかきわけていく志具たちのことを邪魔そうにほかの人たちは視線を向けるが、鬼気迫った志具の雰囲気の前には、何も文句は言えなかった。


 無遠慮な視線をたどるように行き、やがて志具たちは会場を出た。どうやら相手は、会場の外にいるらしい。


「人、少ないね……」


 と、マリアが呟く。


 会場の近くだというのに、そこは人の姿がまばらにしかいなかった。海に面しているそこを駆け抜けていくと、やがてまばらにいた人が、最終的には無人となった。


 明らかに異常だった。まるで見えない壁でもあるかのように、そこは人がいないのだ。


 街路樹が一定の間隔で植えられているその道を見渡していると…………いた。樹に隠れている、ひとりの人が。


 ――間違いない。あの人だ。


 そう直感すると、志具は走るのを止め、一度歩みを止める。


 その人物との距離は、目測で三十メートルほど。そこからは慎重に、相手に近づくことにした。不意打ちでの攻撃に備えるためである。


 相手が誰なのか、隠れているということもあり、ここからはよくわからない。あまり近づきすぎるのも危険だろう、ということで、彼我の距離が十五メートルを切ったところで、それ以上の歩みを止めた。


「貴方なのだろう? 私たちのことを監視していたのは。隠れていないで出てきたらどうだ?」


 木の陰に隠れている相手に向かって、志具は言った。オブラートに一切包まない、ストレートな言葉。それに相手は、くすりと笑っているようだった。


「すごいわね、志具君。わたしの『遠視』に気づいて、わたしのいる場所まで特定するだなんて」


「その声……っ」


 聞き覚えがあるその声に、志具は驚く。その驚きに満足するように相手は微笑みを漏らすと、木陰から姿を現した。


 絹のように滑らかな白髪に、ルビーのようなきれいな丸い瞳。人間離れした美貌をしたその少女を目の当たりにし、志具は彼女の名前を呟いた。


「パン、ドラ……」


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