第9話 迫る刻
コミフェス会場最寄りの駅。これから一大イベントが開催されることもあってか、駅内も会場周辺同様にごった返していた。大型のリュックやバッグを持ち歩いている人がほとんどで、コミフェス帰りになると、それらがパンパンに膨らむことになるのだろう。
液を埋め尽くすほどの人の塊。大きなリュックやカバン。加えて、コスプレ衣装を身にまとっている人も大勢いたため、周りがそんな感じだったため、男の身なりに目を向ける人は、誰ひとりとしていなかった。
男の身なりは、黒のスーツ姿だった。皺ひとつ、乱れひとつない真摯な服装は、オフィス街に出れば、木を森に隠すがごとく目立たないことだろう。ゆえに、アニメや漫画、ゲームのキャラクターがメインのコスプレ会場があるこのコミフェス会場では異質になる。……かのように思われたが、意外にもそんなことはなかった。その男の身なりそのものすらも、「生真面目で頑固なエリートサラリーマン」というコスプレの枠中にはめられていた。周囲の人が彼に奇異な視線を向けないのも、それが理由である。それを寛大に受け入れるだけのものが、コミフェスにはあった。
それを肌で感じ取っていた男――万条院源武は、堂々とした態度を取っていた。……まあ、彼のことだ。仮に不審な目で見られたところで、心を揺らがせるほど脆弱ではないのだが……。
しかし……、と源武。娘の居場所を特定したのはいいが、さすがにこれだけの人の集まりから一個人を見つけ出すのは、さすがに骨が折れるというものだ。
なので源武は、『人探しの術』を用いることにした。家を出る際、娘であるななせは、『人探しの術』で自分の居場所を見つけられないように、必要最低限なものは持ち出し、不要な持ち物はすべて処分していた。ゆえに、彼の屋敷には娘の衣類はもちろん、ベッドやタンス、ハンカチといった小物までなくなっていた。
ただ……、と源武。そんなことは、彼にしてみれば想定の範囲内の出来事だった。
娘は気づいていない。自分たちが親子関係であるがために、決して捨てられないものがあることを……。
源武は『それ』を使い、ななせの居場所を特定した。彼女のほかに、友達と思われる少女が三人と、少年がひとり。楽しげに語りあっている。
「いた……」
その声は、周囲の喧騒にかき消される。だが、その消えた声には、娘の姿を確認できたがゆえに宿った、確かな決心があった。
ななせを含めて五人。その中には、娘の専属侍女として仕えている菜乃と、問題の彼の息子がいた。
――アナタのしようとしていることは、あの娘をもっと不幸に陥れることになるわよ。
パンドラの、そんな言葉が脳裏をかすめる。
友達や彼と一緒にいる自分の娘は、楽しげに笑っていた。その笑顔は、長い親子関係の中で、自分は一度として見たことのないほどの、眩しい笑顔だった。
娘が自分に笑顔を向けない理由は、源武にはわかっていた。それが、自分のせいであることを……。自分は元来、感情表現が苦手で、人当たりもよいとは言えない。それがゆえに、彼女に笑顔を向けられたことがない。だから、太陽のように燦々とした笑顔をするななせは、源武には金銀のような貴金属よりも価値のあるものだと感じた。
だが……、と源武は決意を揺らがせはしない。
だからといって、彼の息子と一緒にいさせるわけにはいかない。長い年月で見たとき、彼の息子と一緒にいることは、彼女自身を不幸にさせてしまう。
だからこそ、源武は自分がこれから行おうとすることに、一切の躊躇いはなかった。
時刻は間もなく、十時を回ろうとしている。
パンドラはまだ、この場所に来ていないようだ。『念話』を試みるが、彼女と繋がる気配がなかった。
――まあ、約束の時間にはまだなっていないから、構わないが……。
源武は思うと、『人探しの術』の使用をやめた。このまま発動させ続けていてもよかったが、我が娘にもプライバシーというものがある。不躾な人の目にさらされたくはないだろう。
――今のうちに、楽しんでいればいい。
そう、源武は思っていた。
つかの間の平穏を、楽しめばいい、と。
どうせもう、二度と会えなくなるのだから――――。
――◆――◆――
「……?」
「どうした? 万条院」
間もなく、会場が開かれようとしたとき、ななせが急に、周辺を見渡し始めたので、志具が声をかけた。
志具に声をかけられても、ななせはしばらく遠方に焦点を合わせるように、目を細めたりして、何かを見つけ出そうとしていた。そんな彼女の行動を、志具が不審に思っていると、
「……いや、なんでもないさ。駄目だな、あたし。ずいぶんと繊細になってしまってる」
「なにか、あったのか?」
いや……、とななせは、あはは……、と笑みを漏らすと、
「なんか、視られているような気がしてさ」
「視られている?」
「ああ。ずいぶんと突き刺さるような視線さ」
突き刺さるような視線、と聞き、志具も念のために周辺を見渡した。……が、如何せん人が多すぎるため、それが誰なのか特定など、できそうになかった。志具はやがて、見渡すのを止めた。
「きっとあれだな。今まで来たことのないところにやって来て、必要以上に神経が鋭くなってしまってるだけだな」
ななせはなにかを誤魔化すように、笑ってみせる。……が、志具はどうにも、腑に落ちないものを抱いていた。ななせの先程の行動には、何かしらの『危機』を感知したような、そんな真剣みを帯びていたような気がしてならない。それは人間の理性というよりかは、動物的な本能で察知した、というようなものだった。
言ってしまえば直感、第六感のようなものかもしれない。だがそれは、潜在的な野生動物のような原始的感覚であるがゆえに、そう容易に度外視していいものではない。志具は、そう考えていた。
「どうしたんだよ、志具。そんな真剣な顔をして。面相が怖くなるぞ~」
そう言い、ななせは志具の頬を人差し指で突っつく。
「な、何をするんだ⁉」
不意打ちに、志具は狼狽した。
そんな彼に、ななせはニシシ……、と歯を見せて笑うと、
「お前の顔の筋肉をほぐしてやってたんだよ」
「そんなことをしても、筋肉はほぐれないぞ」
「凝り固まっていた感情はほぐれたみたいだけどな」
「……うまいこと言ったつもりか?」
半眼でななせを睨む志具だが、彼女は懲りた様子もなく不敵に笑っていた。
彼女のペースに乗せられていることに、志具は自分自身に呆れかえっていると……、
――……ん?
なにやら、刺すような視線を感じた志具は、そちらのほうへと振り返ってみた。
そこにいたのはマリア。マリアはわなわなと口を震わせ、志具とななせを睨みつけていた。ただ、志具に向ける視線と、ななせに向ける視線は異なるニュアンスを含んでいるみたいである。
「頬っぺたツンツン……。親しき男女の証たるシチュエーション……。わたしでさえまだやったことないのに……やりたくてもできなかったのにななせさんがするだなんて……なんて羨ま……もといハレンチな! 志具君は、いつからそんなななせさんとバカップルを見せ合う仲になったの⁉ わたしも混ぜて!」
最終的には息遣いを荒くして志具に詰め寄るマリア。その鬼気迫る迫力に、志具は慄きながらも、彼女に正気を戻させようと声をかけた。
「君も何言ってるんだ! ただの君の誤解だろ、それは!」
「いや! わたしにはわかるもん! 志具君の心の声が! さっきななせさんにほっぺをツンツンされて、志具君は『グウェッヘヘヘヘ。俺様のモテ度パネェわらわら』とか思ってたんでしょ!」
「だから君の中の私のイメージはどうなっているんだ!」
「え~っと……ハーレム王?」
「断じて違う!」
壮大な勘違いをしているマリアに、志具は全力のツッコミをした。マリアの自分に対して向ける目が、少しずつ異質なものへと変わっていっているような気がしてならなかった。
「あれあれぇ~? 全く違うってわけは、ないんじゃないですかぁ~? 先輩さん」
「ど、どういうつもりだ、なずな」
ニタリと口元を緩ませるなずなに、志具は訊いた。
すると、なずなの代弁だとばかりに、菜乃が代わりに答える。
「だって現に志具様、女の子だけを連れて、こうしてコミフェスに来ているではありませんか」
「そ、それはマリアに誘われたからきたわけで、私が君たちを誘ったわけでは……っ!」
「でも結果的に、ハーレム状態になっていますよねぇ~?」
「志具様は間違いなく、桃色の生活を謳歌していますよね~、なずな様」
ぐっ……、と志具は言葉に詰まる。桃色の生活を堪能しているかどうかはとにかくとして、結果的に周囲からそう見られてしまっていることは、あながち否定できないような気がした。
周りで聞き耳を立てていたのか、列に並んでいる人たちが志具を見やる。それはどこか、現実を存分に楽しんでいる人間に対してもつ、妬みのような暗い感情だった。中には、「くっ……」と顔を俯かせて歯を食いしめ、拳を固く握りしめる者まで現れる始末……。弁解しようにも、聞き入れてくれる様子とは、とてもではないが思えなかった。
現実が歪められて伝播されてしまった状況に、志具は何とも歯がゆいものを感じていると、
「大丈夫だよ、志具君。少なくともわたしは、全然嫌じゃないからっ! むしろ、バッチコイって感じ?」
「何も大丈夫ではないような気がするのだが……」
反論しようと言葉を連ねようとした志具だが、やがて嘆息のひとつで抑えた。これ以上、この件に関してものを言おうものなら、さらに自分の立場を不利なものにさせかねない、という理性が働いたからだ。
――じっと雨風に堪えしのぐことも大切だ。
志具はそう思い、これ以上の議論をするのをやめた。
そのとき、今まで動きのなかった列が、少しずつ動き始めた。会場のほうへと目をやると、入り口が開かれているのが見え、そこに向かって人が列を乱すことなく入っていた。
「あ、動き出したみたいですね」
そう言ったなずなの声は、若干弾んでいるようだった。今まで自分の踏み込んだことのない未知の世界へと入ることに対して、喜びを感じているみたいだった。
「さあ、志具君。それにみんな! 聖戦に挑む覚悟はできてるかな?」
「せ、聖戦?」
「聖戦だよ! 世のサブカル好きな人は、このイベントの為に、日々肉体を鍛え、戦力を蓄えておくんだから!」
肉体を鍛える? 戦力、だと……?
なぜたかがイベントに、そこまでの大げさな言葉を使うんだ、マリアは……、と志具は内心不思議であったが、突っ込まないことにする。言われなくても、これからわかるのだろう、と思ったからだ。
列が、移動する。
マリア曰く、聖戦の場へと向かって…………。




