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巡っても尚

作者: 望月

慶安元年、秋。長屋までの帰り道を、源之丞(げんのじょう)さんと二人で歩く。

「夜の河原撫子(かわらなでしこ)は映えますね」

屈んで一本手に取ってみた。源之丞さんはふっと小さく微笑むと、ゆっくり先を歩き出す。私も河原撫子の花を持ったまま、源之丞さんの二歩後ろをゆっくりついていく。

特に何か話すわけではない。のんびり二人で沈黙を歩くのだ。時折私は藍色の空を見上げ、今日という日を深く味わう。さわさわと吹くそよ風が心地好い。



初めて会った時からだったか。源之丞さんは長く留まるという事をしない。ふらふらっと何処かへ行っては、月が満ちる頃に帰ってくる。そうして、何事も無かったかのように私の肩を抱き寄せる。一日中離すことなく抱きしめて、私も源之丞さんのことを抱きしめ返えそうとした時、今度は風を切るより早く離れてしまうのだ。

いつか一度、どうして行ってしまうのか聞いてみたことがあった。

源之丞さんは表情一つ変えず、一言だけ

「すまない」

と言った。その時程、私は自分という者の愚かさと無神経さを恨んだ事は無い。私の小さな我侭で、一人のお侍様を深く傷つけた気がしたのだ。顔には何も出さなかったが、源之丞さんの一言にはとても深くて重い何かがあったようだった。そしてその短い言葉を発する為に、自身の自尊心を削り取ってしまわれたようだった。

それから暫く経った時、また源之丞さんは何処かへ行ってしまわれた。

次に源之丞さんが帰ってきたのは、居なくなってから3度目の満月を見た次の日だった。



「もうすぐ冬ですね」

河原撫子の花をくるくると指で回してみる。

「ああ、もうそんな季節か」

源之丞さんの低い声が胸元へすとっと落ちる。

源之丞さんは顔もさることながら、声も好い。源之丞さんの声は私のちっぽけな悩み事なんか忘れさせてくれるような、何かとても優しいものを感じる。一緒に居る時くらい、四六時中声を聞いていたいのに無口な所がもどかしい。(反面、そんな語らずなところも好いているのだ。)

「ゆき」

源之丞さんの足が止まる。

「はい」

つられ私も足を止めた。

源之丞さんは振り向かない。

「お前は、(それがし)の事を好きか」

辺りは薄暗くて、源之丞さんの背中は闇に()けてしまいそうだった。

私は何故だか無性に寂しさがこみ上げて来て、はたはたと涙を零した。どうもとめられるような感情ではなかった。

「・・・・・・好きです。あなたの全てを好いてしまっています」

「そうか。・・・・・・妙なことを聞いたな」

そう言って、ぐずぐずと鼻をすする私をよそに源之丞さんはまた歩き始めた。私はどうしようもない感情に駆られ、涙と鼻水で顔を汚しながらも源之丞さんの後を追った。

源之丞さんがぱったりと姿を見せなくなったのは、翌日のことだった。










平成X年、春。

「すごく似合ってるよ、雪菜」

白のスーツを着た忠邦さんは、ほんの少し頬を赤らめる。

「ありがとうございます。忠邦(ただくに)さんも、素敵です」

慣れないウェディングドレスを着て、戸惑いながらも忠邦さんの元へ歩み寄った。

付き合い始めてから約6年。周りからも催促され、やっと踏み出すことが出来た結婚。お互いがお互いを大切にしすぎてなかなか言うことが出来なかったが、一番この時を待っていたのは、やはり当人なのだ。

忠邦さんはそっと私の肩を抱き寄せた。私も忠邦さんの背中に手を回し、複雑な気持ちになる。これから披露宴が始まるからか、どうも落ち着かなかった。

忠邦さんも同じだったようで、抱きしめた手を離すと

「ちょっと一服してくるよ」

と言って、部屋を出て行った。

私は大きな姿見用の鏡を見つめ、最後の確認をする。

忘れているものは何も無いと思う。

化粧は完璧だし、ウェディングドレスもきまっている。

だが何か忘れているようだった。いや、忘れているというよりも、思い出せないといった方が正しいのか。

そんな思いを巡らせていると、後ろからドアの開く音がした。

「―――ゆき」

振り向くまでのほんの数秒の間に、私は私の魂が生きてきた記憶(みち)が色鮮やかに蘇って来た。

高校1年生の時に初めて忠邦さんを見た文化祭。

戦争によって夫も息子も何もかもを失ったのは昭和20年のことだった。

大正8年。あの時の私は火事で死んだ。

明治に入り、無理をして買ったドレスで勝義(かつよし)さんと二人、ぎこちないワルツを踊ったこともあった。

そして何より慶安3年の冬。風の噂で源之丞さんが戦で命を落としたことを知った。

「・・・・・・源之丞さん」

ああ、そうか。私がずっと気にかけていたのは彼の事だったのか。何年経っても、何度生まれ変わっても、私の中には源之丞さんという方が居たのだ。ずっと、片時も離れることの無く。

「ゆき、やっと気が付いたのか」

源之丞さんの逞しい腕が私を抱きしめ、懐かしい声が耳元から沁みる。いつかに流したどうしようもない涙が溢れてきた。源之丞さんはいつものように小さく笑いかける。

居なくなってしまうと思ったのだが、私は源之丞さんの背中に手をかけた。だが源之丞さんは居なくなりはしなかった。

「某は弱い男だ。お前に抱きしめられると、もう二度と離れることが出来ないような気がしていた。某は侍ゆえ、縛られるようなことがあっては駄目なのだ」

私はまた、どうして居なくなってしまうの、と聞こうとしていた。源之丞さんには私の心が分かるのだ。

「だがそれは違ったようだな。某はお前に抱きしめられなくとも、既に縛られていたのだ。死んでも尚、惚れた女のことが心配で見守り続けなければならなくなるとは思ってもいなかったよ。お前は泣き虫だから、目を離す余裕など無かった。某は人を殺めた事のある人間、死んだらそれっきりだが、何度生まれ変わっても、お前はお前だった」

私は溢れ出す涙が止まらなかった。止めるつもりも無かったが、止める力も無かった。

ただ今まで実現することの無かったこの時を噛み締めていた。

「ゆき、お前は某が好きか」

源之丞さんの腕に力が入る。

「好きです。あなたの全てを好いてしまっています」

「そうか、妙なことを聞いた」

「・・・・・・それだけなのですか」

最期くらい、しつこくなってもいいだろう。しつこくてあざとい女になってやろうと思った。

けれどそれすらも源之丞さんはお見通しのようで、微笑むよりも小さく

「某もだ」

と言ってみしてしまった。

結局私は最初から最期まで源之丞さんに敵うことは無かった。

どちらがというわけでもなく体を離し、源之丞さんはそろそろ行くかな、と呟いた。

頭の片隅では分かっていたのかも知れないが、体が勝手に源之丞さんの袖を摑んで離さずにいた。

「これからはもう、某の首を挟むところではなくなる。お前はお前の新しい人と歩け。お前はもう、某の者ではない」

嫌です、と言いたいのに口が動かなかった。

源之丞さんはドアを開け部屋を出ようとした時、思い出したように袖に手を入れた。

「おう、これは餞別だ、持って行け。あんまり旦那を困らせるもんじゃないぞ」

手渡されたのは、長屋への帰り道に私が拾った河原撫子の花だった。

源之丞さんが居なくなってから、私はもう一度涙を流して、さっそく忠邦さんを困らせた。

泣き癖は一度ついたら直らないのだ。

披露宴が始まるまでの間、私はずっと河原撫子を抱きしめていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 非常に秀逸にまとまっている。胸詰まる切なさが淡々とした文章により巧みに綴り上げられていて、感動を誘う。時代物は短編にしろ何にしろ存外に難しいので、さらりと書けてしまうのは凄い。後味が絶妙でむ…
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