第九話
私は被害者なんだからここで叩きのめしても罪にはならないと思う。でも、出来るかな? いや、一瞬の隙をついて警察に通報とかすればなんとか……。
「出来るわけねーだろ。体格的にもりんりんのほうが劣ってるんだ。本気で掛かっても俺が伸されるわけない」
「そう、ですね」
だから、なんで私の考えていることが駄々漏れなんだろう。
私の疑いの目を一身に受け、自称トナカイは、深い溜息をひとつ吐いて、もぞりと動くと額にかかっていた前髪をかきあげて、染み一つない綺麗な額の隅に貼られた絆創膏をぺりっと外した。
「凜夏が、蹴った石が当たったところ。ほら、同じところに傷があるだろ?」
「…… ――」
メイク?
私は恐る恐る手を上げて、そっと、その傷に触れてみた。
「痛っ!」
「あ、ごめん」
本物だ。
「当たり前だろ……お前がサンタクロースに望んだから俺はここに居るんだ」
「……望んでないし」
願い事を決めたのはこいつだ。私じゃない。
「そう思うのは勝手だけど、星の数ほどあるりんりんの願いの一つにあったから、サンタは叶えたんだ。というか、叶えられたんだ。本当に微塵も望んでいなかったら俺はここに居ない」
う。
そういわれると自信ない。
確かに、ちょぴっとくらいちょっぴりくらいは思ったかもしれない。思ったか? 思ったかなぁ?
「で、でもなんで人間なの? トナカイでも問題ないみたいなこといってたじゃない」
なんというか、今のこの状況は普通じゃないと思う。動物保護していたときとはわけが違う。
「それはりんりんが、蹄が固いっていうから……」
ほら、これなら痛くないだろ? と続けて、つっと長い指先が私の頬を撫でる。
「柔らかいな。気持ち良い」
「っ、あ、あのねぇ!」
なんだか酷く幸せそうにそんなことをいわれると、恥ずかしいっ。ふわふわっと頬が熱持つのを払いたいのに、そのまま頬を包み込んでしまわれると、どんどん熱くなってくるばかりだ。
というか、本当にこいつがあのトナカイなら……年に一回しか仕事のない男だろうし、それってつまり、ひもじゃないかっ!
……私にこいつを養うだけの甲斐性があるだろうか……。
金銭的なことを考えると、やっぱり朝か夜、仕事増やそうかな……年が明けたら追加の仕事でも探さないと……。
「なぁ、」
「え、あ、うん、何?」
「そんな詰まんない心配しなくて良いからさ」
ちゅっ
「っ! なっななっ」
「驚いて真っ赤になってる顔も可愛いな」
「なななっ」
「俺、嘘吐かないよ。吐けねーし。お前も吐けないけどな、俺に嘘……」
にやりと意地悪く笑ったルドルフは静かに瞼を落として、私にゆっくりと唇を重ねた。柔らかく食まれて腰を抱かれる。
弾くタイミングを逃してしまったけど、でも、でも、これ以上は……だ、だって、
「あ、あんただって、私のミジンコみたいな願いに振り回されるの、いぃい、嫌、でしょう!」
「別に?」
トナカイは子どもが初めておもちゃを与えられたみたいに、私の身体のあちこちに触れ時折唇を寄せる。時折絡む瞳の色が、濃い緑……トナカイのときと同じ色で綺麗だ。
あぅっ! 見惚れている場合じゃなくて!
「べ、別にって、だって、そこにあんたの意志はないじゃないっ!」
「俺、りんりんのこと嫌いじゃない。んー……好き? 愛してる?」
く、首を傾げながらいうことじゃないっ。いうことじゃないけど……ふわふわっと身体が熱を持つ。
「そん、な、わけないじゃない!」
直ぐに手を挙げるし、口は悪いし……素直に優しくなんて出来ない。それに、私まだ寝起きで何も作ってないっ、顔も髪も、そのまま……こんな可愛くない子に好意を寄せる人は居ない。
「恐がるなよ」
大丈夫だからと重ねられる。何が、大丈夫なのか分からない。
「俺、人間ってあんまり好きじゃない。人間ってさ、人の不幸を平気で願うだろう? 自分以外の他人がどうなっても知らない。そういう部分がある……俺の知っている人間はそういうやつが多い」
「そんなこと、そんなことないよ!」
そんなことない。そんなことないから、私はこうやって生かされている。そんな悲しいことをいわないで、いわないで欲しい。そういう言葉はとても切ない。確かに私もリア充爆発しろっ! なんて暴言吐くけど、本当に不幸になって欲しいわけじゃない。寧ろ永遠に爆発しろといわれ続けていれば良いと思う。
なんだか酷く悲しい気分になって瞳を伏せれば、ふわりと柔らかく頭を撫でられる。今度は本当に撫でられている感じだ。
ふわふわと心地良い。
「お前は良い子だな」
「は?!」
「良い子だよ。俺にも見えた、お前の望みが。お前の望みって全部小さいのな」
くつくつと笑う。
う、馬鹿にされてしまっている。だって急に聞くから、何を望んで良いかなんて分からなくて。
「全部小さくて、他人に害を及ぼさない」
「?」
「あんな目に合ったんだぞ? その男の不幸を真っ先に願っても良いだろ?」
あ。
そういわれれば、そういう手もあった。全然気が付かなかったけど……いや待て、でも、どう願えば良いんだろう?
階段の最後の一段踏み外せとか? これは相当どきどきするよ。
自動販売機の前で財布あけたら一万円札しかないとか? うわぁ、これ可哀想だ。
数量限定のスイーツの列に並んでいて、自分の目の前で売り切れとか。これは泣く。絶対泣かないと駄目なところだ。可哀想過ぎるっ!
「ぶっ」
「は?」
トナカイが噴出した。なんだ? 何事だ?
「あ、はは、駄目、おかしすぎ、りんりん最高面白い。俺やっぱりスゲー好きかも!」
大笑いされながら告白されても、馬鹿にされているような気にしかならない。むすっと眉間に皺を寄せると、ぱくりと眉間を食まれてもぐもぐされる……。
「食うな」
「嫌、食べたい」
「トナカイは草食系です」
「俺今人間だから。気にしない気にしない」
気にしろよ。持ちキャラってもんがあるだろう。
そ、それになにより、その、えーっと、私はHが下手で……捨てられるような……。
「それ、相手の男が下手だっただけじゃねーの? 大丈夫、俺上手いから」
「―― ……~~~~っ!!」
どこからそんな自信が来るんだっ! その上、この男に羞恥心というものはないのかっ!
「んー、嗜虐心の方が強いかもー」
耳元に擦り寄ってそういうと、鼻先で私の髪を掻き分けて、首筋にちゅうぅっと強く吸い付いた。ちりりっと走る痛みに、痕が残ってしまうっ! と思ったものの、どういうわけかもう弾く気になれなかった。
そんな私の諦めを悟ったのか、少し身体を浮かしたルドルフは私を真っ直ぐに見つめて頬を撫でると再び静かに降りてきた。
私はただ、迷子で手負い――私がやった――のトナカイを拾って帰っただけだったのに。
何がどうなったらこんな結末になってしまうんだろう。
はぁ……と零しかけた溜息は、トナカイの唇によって塞がれてしまった。
「―― ……メリークリスマス、凜夏」
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ご愛読ありがとうございました。
ちょっぴり早いクリスマスのお話、楽しんでいただければ幸いです。
こちらは蒼衣さんの主催するLLS企画に参加させていただくものです。企画の提案ありがとうございます。それがなければ、私はこれを手がけることはなかったでしょう。縁とは貴重なものですね。
それもきっとこのクリスマスの奇跡。
どうか皆さまのもとにも素敵な奇跡が舞い降りてきますように……。
汐井サラサ拝。
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