第七話
「ルドルフっ! 何をしておる。全く、勝手に迷いおって、お主がおらねば仕事にならん」
かつんっ!
ベランダの柵に足が掛かった。
黒のピンヒールのレースアップタイプのレザーブーツだ。
うわあ……、と視線を上げていけば、次は予想通りサンタコスプレの超絶セクシー美女が立っている。右手には鞭を持ち、長い柄を左手にぱしぱしと打ちつけている姿が、決まってる。
明らかにこの人がトナカイの寝言の原因だろう。
そんな不安定な場所に立つと危ないですよ。
それから、家の玄関はあっちでそこはベランダです。
いいたいことは山ほどあるが、口に出来る雰囲気ではなかった。
「げ、サンタ……サンタ来たよ、サンタ……」
微妙にお隣でトナカイさんがガクブルっている。いきなり打たれたり大人の世界が始まったりしないよね? 私そういうのには慣れてないんですけど……見るのも嫌なんですけど……。
そ! そうだ、話。話とかしてれば、手を挙げている暇がないかもしれない。え、えーっと、何か。
「サ、サンタって、サンタクロース? 白髭のおじいさんじゃないの」
こんなの話題でもなんでもなーぃ!
ごめんなさい、本当すみませんっ。ていうか、いやその、その格好は明らかにサンタだけど、なんというかどこかのお店のサンタさんだ。店内で超増殖している系。
「なんじゃ、娘は爺が好みか?」
あ。でも、乗っかってくれた。
とんっとベランダへと降りた美女を見れば、そこには白髭の恰幅良いサンタクロースイメージそのもののサンタさんが居た。
「え!」
「ほっほっほ、メリークリスマス!」
白髭がほわんほわんと揺れる。
私がその姿に呆然としていると、サンタは元々あったのかなかったのか分からない白くて長い眉に隠れていた瞳を細めた途端、再び身軽にとんっとベランダの柵に腰掛けた。
「飽きた。もう爺の格好は飽きたのじゃ」
いって、ゆるりと長く美しい足を組み妖艶に微笑む。
そして、整って美しい顔を僅かにゆがませてトナカイを睨んだ。美女は僅かな所作で全てを制する。圧巻だ。一般人の私には、何も口出しが出来ない。
「ルドルフ、早く先導せんか。お主がおらねば他のトナカイが迷うじゃろうが」
「ルドルフっ! あんたルドルフなんて名前だったのっ?!」
自分でも、もうドコに驚いて良いのか分からないからとりあえず、細かいことに驚いてみた。
盛大な溜息を吐きつつトナカイは「ああ、面倒臭ぇ……」と蹄で頭をごりごりとしつつ女王様の元へと歩みながら「そうだよ」と答えた。
なんだか背中に哀愁を感じるんですけど、大丈夫ですか?
別にこんなやつに愛着はないけれど、それでも、にこやかに送り出す雰囲気でないのは気の毒に感じる。
そんな私に、トナカイはベランダまで歩み出るとこちらを振り返って、ふ……と微笑んだ。
―― ……え。
一瞬だったから見間違いかも、もう一度、ルドルフの顔を見てもルドルフは気だるそうな顔をしている。
続けて反射的に胸に手を添える。こっちも気のせいだ。もうどきどきしてない――この状況にはどきどきしているけれど――
「赤鼻のトナカイっていえば、昔も今もずーっとこの俺、ルドルフだよ」
そこは納得しないといけないのか、知らない私が世間知らずみたいな話になってしまっている。
あまりにも女王様と、トナカイ・ルドルフが強烈過ぎて見ていなかったが、その後ろを見るとデカイそりが宙に浮いている。
引いているのはもちろん……だから、どこのお店ですか? という感じのトナカイコスの男性だ。
私が情報整理も出来ずに混乱している間に、女王様は綺麗に整えられた指先を爪と同じ色に彩られた赤く美しい唇に添えて悩ましげに「ん~」と唸る。
「事故とはいえ、うちのトナカイが世話になったんじゃ。特例ではあるが、何か望みをかなえてやろう」
「は?」
「本来ならば、親や大人の庇護がなければ生きていけぬ子どもにしか許されぬことだが……まあ、何事にも特例というものはある。何でも良いぞ。好きな望みをいうが良い」
寛大な女王様のお言葉に、思わず色んな思考が頭の中をどどーっと流れていく。
望みっ?
そんなものを急に聞かれてなんて答えれば良いんだろう?
夢。そう、夢だよねこんなの。だったら、本当になんでも良さそうなものだけど……。
どど、どうしよう。
身長があと五センチ欲しい? 胸ももう少し形が良く……ああ、こめかみの傍にある染みも消して欲しいっ。
はっ! それって全部お金があれば出来るか……じゃあ、お金? 時間? 癒し? 世界征服! って私は厨二病か……なんだろう、い、一個ってどこに絞れば良いのっ!?
パニックで考えれば考えるほど、頭が真っ白になる。
はぁ、と女王様の色香を含んだ溜息にぶつぶつと考え込んでいた頭を上げる。
「我は、女王ではなくサンタじゃ。それにしてもやはり大人は面倒臭いの。望みがありすぎる。一つに絞れ。何でも良い。何でも。対象者が望んだものを叶えるのが我の役割じゃ。その制限は何もない。時間もないぞ」
何一つ口にして居ないのに、人の心を読んだように、呆れた溜息を吐きそう答えた女王様……もとい、サンタクロースに「ちょちょちょ、ちょっと待ってっ!」と慌ててストップを掛ける。