第四話
RRR……RRR……RR……
さて、事務所に戻ろうと思ったら、ケータイが鳴った。切るの忘れてた。バッグからケータイを取り出せば、メールだ。
「う」
タイトル見ればあいつだ。
今更なんだというんだろう。新しい彼女自慢だったらどうしよう。面倒臭すぎる上に、やりきれない。
『今夜暇? 一緒にすごそう? ケーキ買って行くからさ』
どういう了見だ。
物凄く困惑した。困惑して、どきどきして、どうして良いか一瞬にして頭の中がパニックになった。
なっちゃんとやらとはどうなったんだろう? でも、でもでもでも、元カレと、仲良くイブを過ごすなんて無理だよ。
大きく深呼吸して、勇気を出し、ぱたんっとケータイを閉じた。
ポケットに滑り込ませたのは私の弱さだ。
バッグに仕舞いこんで、もう相手にしないということが出来ない。あっさり切り捨てることが出来ない。
何て返信すれば良いか分からないとか考えてる。
分からないということは迷っているということだ。
私は迷っている。
『やっぱり、凜夏が一番だよ。気付けなかった俺を許して』
昼時にメールがまた入った。
胸がきゅっと痛くなった。それは私のことが好きだということだよね? 私とまたやり直したいということだよね? 私が好きだっていってくれるんだよね?
別れ話をされたとき、あれだけ最低だと心の中で罵って、悪態付いて傷付いたのに、どきどきしてしまっている自分が情けない。
でも、そっか、なっちゃんには捨てられたんだな。ぼんやりとそんなことを考える。
―― ……セックスがヘタすぎて捨てられるような女。
むかっ! なぜか突然トナカイの台詞を思い出した。
べ、別にHだけが付き合っている上での価値じゃない。現にそれに気が付いたから彼は私のところに戻ってくれるって……。
―― ……素で居れば良いんじゃねーの?
素の自分を受け入れてもらえるか不安で、ずっと猫を被り続けて結局捨てられたのに、私はそんな人を許すの? そして、また猫を被り続けるの?
また、私は返信が出来なかった。
十八時過ぎに会社を出ると、またメールが入った。
『プレゼントもちゃんと用意したから。ご飯食べに行こうか』
……どうせ、使いまわしだ。
別れた女にそんなもの用意してあったはずない。きっとなっちゃんとやらに持っていく予定のものだったに違いない。
そんなもの、欲しくない。
はぁ、と嘆息してケータイを閉じ、今度はバッグの中に仕舞いこんだ。
「酷いな、返事くれても良いのに」
「え」
聞き馴染んだ声に顔をあげれば、歩み寄ってくる人影が。遊歩道を飾っているイルミネーションで視界を確保して見えてくる姿は忘れるはずもない。
「あ、あー、酷いのは俺、か。ごめんね?」
にこり。
不本意ながら心臓が跳ねた。
ふわふわと頬が熱を持つ。
嫌だ、まだ好きだといっているみたいだ。身体が勝手に反応してしまう。
「ついてないよな、二人ともこんな日に仕事なんて」
いって笑った彼もスーツ姿だった。
「ねぇ、なんとかいって。許してくれるよね? ちょっとした気の迷いというか、」
「……その気の迷いは、もう二度と起きないの? 電話一本で、別れ話をして、メール一つでよりを戻そうって……もう、二度とないの?」
寒さじゃなくて唇が震える。声を出す音が揺れる。
嬉しいとか、良かったとかそういう安堵ではなくて視界が緩む。
「ないない! 絶対ない。凜夏みたいに女の子らしくて、優しい子、居ないって」
で、都合の良い女だろ? 頭のどこかでそんな台詞が思い浮かんだ。
悔しい。
こいつ、絶対に繰り返す気だ。誠意が薄すぎる。悪びれるという空気が足りない。
「私、そんなに良い子じゃないわ」
「えー、そんなことないって、なっちゃんみたいにがつがつしてるわけじゃないし」
うだらうだらと話しているのは分かるけど、彼が言葉を重ねれば重ねるほど……私の腸は煮えくり返る。沸々とした怒りが湧いてきた。一瞬でもどきどきが戻ったとか、嬉しいとかそんなことを思った自分が恥ずかしい。
「いー加減にしてっ!」
―― ……ゴスッ!
気が付いたら殴っていた。
平手とか可愛いもんじゃない。グーパンチだ。愛も勇気も持ち合わせていない分アンパンチより確実に強いだろう。
喋ってる途中だったから、彼も意表を突かれたのか「ぶっ!」ってなった。
「馬鹿にするのもいい加減にしてっ! あんたは私の何も知らないっ! 私の何も、どれだけ、私が頑張って……」
頑張って園枝凜夏という偶像を作っていたか、気がつきもしないで……その上、必死に作り上げてきた私を馬鹿にして踏み躙ってっ!
もう一度何かいいそうだったから、反射的に殴ってしまった。
「っ!」
それとほぼ同時にちりっと鋭い痛みが頬に走り身体がグラついた。
自分が殴り返されたのだと気が付くのに時間がかかり、気が付いたら、じわりと堪えきれない涙が溢れた。自分から殴っておいてなんだけど……痛い。
口の中が切れて血液特有の鉄分の味がする。
「人が下手に出てりゃ、ぼこぼこ殴ってんじゃねーよ、ブス」
お互いに本心が出た。
―― ……もう、疲れたよ。
形だけの恋人ゴッコなんてこりごりだ。
私はバッグをぐっと握り締めて、力の限り振りぬいて、彼を殴ったあと、やり返される前に逃げ出した。