第三話
―― ……コツ。コツコツ。
「……痛いんですけど」
「へ? いや、泣かれると面倒くさいし、俺が泣かしたみたいじゃね? だから、撫で撫で、りんりん良い子良い子と……」
そうか、これは小突かれていたのではなくて撫でられていたのか。
頭の上に乗っかったトナカイの前足を、ぺっと払った。
撫でるなら撫でるで、着ぐるみくらい脱ぎなさいよね。と、いう気にもならない。
私はがっくりと肩を落としたまま「お風呂はいってくる」とトナカイを追い返すことを諦めて、シャワーを浴びることにした。もう、随分酔いも覚めたし。大丈夫。
明日はクリスマスイブだというのに、私は変な拾いものをしてしまった。
今夜は終電も終わっただろうし、どこに住んでるんだか知らないけど……朝一で追い出せば良いか。
わしわしと髪を拭きながら部屋に戻れば、トナカイはコタツで丸くなって寝てしまっていた。
ぺたんっとその傍に腰を降ろし、毒づいていた偉そうなときとは違い、可愛らしく――間抜けというほうが正解かもしれないけど――くぴぴっと眠っているトナカイを眺める。
着ぐるみ蒸れたりしないのかな?
なんか変な汗かいて湿疹とか出来そうな気がするんだけど。
そぉっと撫でてみる。
う、わぁ……良く出来てるな。本物みたいだ。固くてごつごつした短毛。これどうやって着てるんだろう? 皮膚もうにんうにんってなるんですけど。リアルすぎる。ぷくく……。
ふはーっ! 手のひらにくすぐったいっ! え? なんか気付いたのかな?
耳が動いた。
ぴるるって……何払ってんのっ! ちょ、可愛い。角も綿とか詰まってる感じじゃないなー……。
「……っう、鞭は、やめ、ろ……って」
唸って寝返りとか打つからびくっとなったけど。寝言が怪しすぎるんですけど。どんなお店にお勤めの方ですか? あまり親しくなりたくないタイプだな。
うん。
きっとそうに違いない。
「あ」
転がっている向きが変わったから、丁度こめかみの傷が目に入った。
かすり傷だ。
すりむいた程度。数日で治ると思う。
酔ってたから、そのくらい! って強気に出たけど、実はビビリだから、相当ドキドキした。傷害罪とかで訴えられたらどうしようかと思った。そんな心配要らなさそうで良かった。にしてもなんで、あんなところに捨てられてたんだろう。
休んでいたという場所じゃない。
「絆創膏……」
そうだ。
そのくらいなら、と、ふと思いついて、身体をベッドサイドの方へ向け小さな棚へと手を伸ばす。
ごそごそ……あったあった。キティちゃんだけど、まあ、良いよね。
嫌なら直ぐ剥ぐだろうし。
私は目的のものを発見して元の位置に戻り、再度じーーっと眺める。そっと腰を折って、前に流れてくる邪魔な髪を耳に掛け後ろへと流す。
「―― ……」
ちゅっ。
軽く傷口に唇を寄せた。ほんの少しだけ血の味がして苦味が口内に残る。少しだけ早くなる鼓動と高くなる体温が心地良い。
「ごめんね」
小さな小さな声で謝った。ちゃんと悪いと思ってます。
ぺた……っと。ぷっ。トナカイにキティちゃん。かなり異色カップリングだ。
可愛い可愛い。よしよしと一人頷いた。
―― …… ――
「どうしたの? 凜夏。今朝は若干ぼろくなってない? あ、ああ、昨日のショック引きずってる?」
事務所に入る早々同僚にそう声を掛けられた。昨日? 昨日のショックってなんだ。昨夜の最大の誤算は、トナカイを拾ったことくらいだ。
「確かに、あの顔があそこまでくるときついよねー」
「え? あ、ああ! そ、そうだよね」
はは。同僚には悪いけど忘れていた。
今朝目を覚ましたら、目の前にトナカイの顔があったのだ。
もちろん、一緒に寝た覚えはない。コタツで爆睡していたから、ブランケットを突っ込んで寝冷えしないように一応気を使ってやったつもりだ。手当てだって一応した。
それなのに、いつの間にかベッドに潜り込んでやがった。
あの獣。
トナカイだから獣か、いや、着ぐるみ脱げよ。
寧ろそれで助かったのか。蹄ではなにも出来ないだろう。うん。と、納得して落ち着こうとしたのに「口があれば大抵のことは出来る」とのたまった。
死ねば良い。
とりあえず、両足で腹部を蹴り倒しベッドから落としたが、それだけでは気がすまないっ。
一人暮らしの女の子の部屋でそんな暴挙を犯すとは! 私もお酒が残っていたとはいえ……成人男性がいるのに爆睡するなんてしくじった。
私の苛々を悟ったのか、彼女はそれ以上突っ込むことはしないで「元気出せ」とぽんぽん肩を叩いて、自分の席に戻った。
ロッカーに荷物を置きにいって、鏡を見たら確かにやつれている。というか、髪が綺麗に整ってない。ぶすっとしたまま私はロッカーにおいてある、スプレーを使って一通り直していく。
昨日だって祭日だ。
今日なんて土曜日だ。なぜ私は仕事してるし……。
振られたショックから、あっさりと休日出勤を変わってしまったのだ。私の馬鹿。仕事してれば虚しさを少しは忘れるかと思ったけど、余計に虚しくなってくる気がした。