第三話
―― ……かこーん……っ
って鹿威しの音が聞こえるのなんて、ドラマとか何かの再現VTRの中だけだと思った。
実際自分が聞くことになるとは。
相手方のお喋りな仲介人のお陰で、おほほほほが響いている。
私も何度かお母さんに膝を突かれて、おほほをやった。頑張ってる私。相手のお坊ちゃんは、御曹司を絵に描いたような人だ。
ただ座っているだけで存在感がある。
というか、聞いてない。知り合いじゃなかったの? ただの知り合いがご立派すぎるんですけど。大体お母さんなんて、写メで見合い写真送ってくるし。
それだってへったくそに撮るから、ぼけてて顔も分からなかったんですけどっ!
でもって、めっちゃ見られてるんですけどっ!
結構顔の良い人……イケメン系は知ってるよ? ルゥだって顔だけは十人並み以上だと思うよ。うん。でもあれ、時々耳とか角とかしっぽとか出るし、人間じゃないし。
桜崎さんはほんわか美人さんだよ。うん。ていうか、威圧的なんですけど……。
「おばさん、そのくらいで良いですよ。凛夏さんも、どうして良いか分からなくなってますし」
にっこりと微笑んだだけで、この場を制圧した。
声を掛けられたおばさんとやらは、あらあらあらと、また、おほほ……何このホームドラマな感じ。つ、疲れる。
良いなぁ、ルゥは今呑気に釣りとかしてるのかな?
やっぱりあいつに釣られるような、魚いないと思うんだけど。
ルゥのことを思い出すと、ふふっと笑いが零れてしまった。はっとそんな自分に気がついて慌てて顔を上げたら、目があった。
は、恥ずかしいっ!
ぶわっと顔中に熱が集中して慌てて顔を伏せた。
***
「話長くて疲れましたね」
「え、ああ、いえ……そんなことないですよ」
そんなことあるといえるわけない。
体よく、付き添っていた二人を退席させ、私達も外に出た。外に出れば水場があるお陰か空気が少しひんやりとしていて、気持ちがすっきりした。少し篭った空気に当てられていたのかもしれない。
旅館から少し下がったところに山から下りてくる、小さなわき水が重なって出来た細い川がある。きっとこのどこかでルゥも時間を潰しているのだろう。
大体、ルゥが一言嫌だとかやめとけとか、いってくれたら私だってこんなところに今居なかった。責任転嫁なのは分かってるけど、分かっていても……複雑だ。
「でも、凛夏さんは写真より綺麗ですね」
「え、いえ、そんな」
どの写真を持って出た?!
「今は直しが上手いから大抵写真通り、もしくは上なんてことないですよね」
ん?
なんか、この人こんな雰囲気だっただろうか?
彼のいっている意味が分からなくて首を傾げる。
「で、でも、それはあれじゃないですか」
「あれ?」
「だから、その、好意を持って欲しいのだから、少し手を加えてどうにかなるくらいなら……褒められたことではないかもしれないけど、その方は、それなりに懸命だったのだと思うんですけど」
ちょっと前の私なら同じようにしていたかもしれない。
その程度のことで、ちょっとでも良く思われて、気に入ってもらえるなら、私は迷わないと思う。だって、誰も私そのままで良いと思うと思わないもの。
「どうせ顔を会わせれば分かることなのに?」
「でも会うきっかけにはなると思うし……きっかけさえあれば可能性も」
僅かな可能性にも縋りたい気持ちは良く分かる。痛いくらい分かる。
きっかけを掴み取りたい必死な気持ち、良く分かるんだよ。それなのに…… ――
「ああ、良いな。君は誰の前でもそうやって、偽善者が好みそうなことを嘯くことが出来るんだね」
今、嬉しげに、物凄く失礼なことをいわれたような気がする。
私が偽善者だと? それとも私の周りがそうだといいたいのだろうか? ぐるぐると頭の中で反芻する。
何となく隣りを歩く彼が怖くなって少し離れたら、同じだけ寄られた。
私は、防護柵と仲良く寄り添って歩いてしまっている。ひんやりと沢から上がってくる風が頬を撫でる。
ちらと見るとちょっと高い。
岩肌が露出して、でこぼこと三メートルくらいありそうだ。
「恋人は居ないの?」
ぴくりと肩が強ばった。
普通に考えれば居ないと答える。
いや、それ以前に居ると思われている方がおかしい。そんな人がここに立つわけはない……普通ならそう考えるはずだ。
「あ、貴方はどうなんですか?」
「僕、僕は居ないよ。お姫様一人囲えば十分、あとは好きにしていれば良いと思う」
ようするに自由にしている女の子が沢山居るということか。
どこが、何が真面目を絵で描いたような人だ。
すぅっと心の中に風が吹き込んだ気がする。
別に端からお断りするつもりだったから問題ないけど、なんというか、この人好きじゃない。
いっている意味も、気持ちもなんとなく察することが出来る。だから余計に面白くない。
「うん。君は察することにも長けていそうだ。話進めても良い」
「嫌です」
反射的に断っていた。
生理的に受け付けない。もう、完全に受け付けなくなった。
「どうして? 表向き装ってくれるなら、別に遊び相手が居ても構わないよ」
もちろん居ない方が良いけど。と続けてにっこり。
完璧に整っていて、非の打ち所がない容貌に威圧される。この人は自分の意向に逆らわせないだけの強い意志が言葉に宿っている。
以前の私なら、きっと頷いたと思う。
私は強い人に、弱いところがある。安心して居られる気がしていたから。
でも、今は違う。
そんなの安心でも愛でもなんでもない。ただおんぶにだっこみたいなものだ。
「それに、ちゃんと家に戻ったときには妻に愛を捧げると誓うよ」
そっと伸ばされた手が、指先が私の頬に触れる。
―― ……ぱんっ!
思わずその手を弾いた。弾いた瞬間、
―― ……がらっ
防護柵の境目があった……がらがらと音を立てて先に赤い鼻緒の可愛い草履が落下……下方向に引っ張られる重力に逆らいきれず、私も弧を描くように落ちる。
反射的に手を伸ばしたけど、私を助けてくれるような人は、今目の前にいるはずもなくて、彼はぶたれた事への衝撃から立ち直れていなかった。
―― ……暴力的なところを隠せば
突然ルゥがいっていたことを思い出す。
確かにその言葉通りになった。
落ちたら痛い。
怖いな……
―― ……リー……ン……
と細く長く小さな鈴の音が響いた気がする。
がりっと冷たい岩肌に踵をぶつけ冷たい痛みが走る。