第一話
雨がしとしとと静かにアスファルトを濡らす。
室内から耳を傾ける雨音は、心地良い子守歌にでもなるかもしれないけれど
「嫌な雨……」
徒歩通勤をしている身としては、あまり嬉しくない。
―― ……RRR……RRR……
右肩にバッグを預け、左手で傘を持ち家路を急いでいたというのに、途中で携帯がなって足を止める。肩と顎で傘を支えて不安定な状態で携帯電話を探り出す。
「もしもし?」
面倒臭かったのと、着信相手のせいで声は自然と不機嫌な物になってしまう。
『なぁに、久しぶりに連絡したのに、その態度』
「用事があったんでしょう? なあに?」
止めた足を進める。ぱしゃんっと足先で水たまりを弾いてしまった。最悪。朝降ってなかったから普通のパンプスで出てきてしまっていた。溜息も出ようというものだ。
***
「りんりん、おかえり」
帰宅すれば、自宅警備員が迎えてくれる。
こたつを仕舞ってしまったので最近は少し活動的になったのか、少しばかり忙しくしている風もある。まあ、日がな一日パソコンいじっている姿に変わりはないけどね。
私は、ただいまと返し短く溜息。
「何、帰るなり、なんかあった?」
「んー、そんなことはないんだけどさ」
いいつつ部屋へ入り、僅かに濡れてしまったスーツを脱ぐ。
「ねぇ、ルゥ。週末温泉行こうか?」
「別に良いけど、見合いって何?」
デリカシーのないトナカイだ。
どうしてこうも無遠慮に人の心を読むんだろう。
ぶすっと眉間にしわを寄せ睨みつけた私にルゥは小さく肩を竦めた。こいつにいわせれば、隠せない私が悪いらしい。そんなの知ったこっちゃない。
「二十歳も過ぎれば親がいってくることなんて一つよ。社会人にもなって落ち着いたし、これからは、きっとずーっといわれる」
「ふーん」
「お父さんの仕事関係ってこともあるらしくて……断れないんだってさ。会うだけだよ。たった数時間だし、それ以外はゆっくりしようよ」
ぱすっと部屋着のワンピースに袖を通して、ルゥを盗み見る。
特に動じている風もない。
まあ、断れるならここに話を持ってくる前に断っているわけだし、ルゥがどういっても行かないって選択肢にはならないんだけど、それでも、一応ルゥは私の特別なのだから、止めるとか、怒るとか……。
「何?」
「何でもない」
聞こえてるくせに馬鹿。
私は勝手にへそを曲げて、ぷいっと顔を逸らした。
***
週末私は実家へは戻らずに、お見合い場所にもなる旅館の一室に宿を取った。
着付けもここでしてもらうのだし、都合が良いといえば、来てくれるならそれで良いと別に反対もされなかった。
「へぇ、これ着るんだ、りんりん」
先に部屋に届けてもらっていた、着物を眺めて物珍しそうにしている。確かに、着物なんて着る機会そんなにない。
「ほら、もうすぐ着付けてくれる先生が着てくれるから、ルゥは外に出てて。散歩でもして時間つぶせば」
ちらと時計を見れば十三時。
予定では十五時からだし、少し早いけど遅れるのは嫌だから丁度良いはず。ルゥは、特に文句をいうでもなく、りょうかーぃ! と部屋を出て行ってしまった。小さく溜息。
―― ……嫌じゃないのかな……
そんな必要ないって騒ぐかと思ったけど、実に大人しいものだ。嫌だな。胸の奥がざわつく。
自分の勝手だって、分かってる。分かってるのに、変なほうに期待してしまう。希望的思考が身についてしまったものだ。以前の私なら…… ――
「これ、凄く上等なものですよ。アタシも長くやってますけどね、なかなかこういうのに会うことなくて」
にこにこだ。
馬子にも衣装にならなければよいのだけど……着物なんて着慣れないし苦しいだけだ。
美容師の先生はぺらぺらとよく話をしてくれる人だった。まあ、それにはいとかいいえとか答えるだけの簡単なお仕事になったから、くだらないことに頭を痛めなくて良いのは助かった。
「お話纏まると良いですねー。玉の輿ですよ。あそこのお坊ちゃんはアタシも知ってますけどね。真面目を絵に描いたような方で、そのせいでなかなか長くおつきあいできる方がいらっしゃらなかったみたいですよ」
……ん?
ちょっと引っかかった。
「それはつまり、短期なら沢山いるってことですよね?」
髪も仕上がる頃ぽつと訪ねれば、先生は「あら、そんなことありませんよ」と笑ったけど左の眉が変に上がっていた。胡散臭い……。