第五話
あれだけ駄目だっていったのに、ルゥはするりとベッドに入ってきてぴっとりと背中に張り付いた。でももう弾く気にはならない。
腕の付け根から肘に向けて何度も撫でてくれる。
関節痛が辛かったから、気持ち良い。
時折、耳の後ろあたりに唇が押し当てられくすぐったい。
「他は?」
今度は腰から足の付け根をさすりつつ問い掛けられる。
加減が分かったのか少し力を込められると、心地良い。
なんか、嫌だなぁ。
優しくされたいのに優しくされると怖いなんて、凄く矛盾してる。なくすのが怖い、なんて考えると鼻で笑われそうだ。
でも、いつもそうだったから、予防線みたいに寂しくても平気の壁を作ってしまう。
ルゥはいつまでここに居てくれるんだろう。
「心配?」
「……別に」
心を読むなともう繰り返す気にもならない。
今更だ。
全く、学習能力に乏しいんだから。
「なぁ、りんりん」
「んー……?」
「すげー可愛いんだけど」
すりすりと大きな体を小さくして肩口にすり寄って、さすってくれていた手は私の前で組まれ、ぎゅーっと抱き締めてくる。
私の体温の方が高いはずなのに、首筋にかかるルゥの吐息が熱い。
「私マジで熱あるから、勝手に欲情しないで」
「する。しない、無理」
何人デスカ? という片言になっている。
「……でも、一応、我慢する」
一応なんだ? もっと頑張れよ。
でも、凄いしょんぼりしている気配に、ふふっと笑ってしまう。
「バレンタイン過ぎちゃうかもだけど、元気になったらケーキ作ってあげる」
「マジで?」
嬉しそうだな。
確認出来ないのが残念だけど、耳とか出てそうだ。
そう思ったのがバレたのか、前に回っていた手が僅かな間離れて戻ってきた。ぽつりと「出てねーよ」と報告してもらう。
ぷくく。
「そうだ、一緒に作ろうか? お菓子作りなら、混ぜたりこねたりが基本だから、切ったりがないし焼くのだって……けほっ、オーブンが温度管理も時間もやってくれる」
きっとルゥにも出来るよ。
「でもさ、それってりんりんが俺のために作ってくれることに価値があるんじゃねーの?」
「ルゥのは桜崎さんにあげるんだよ」
きっぱり告げれば、びくりとルゥの身体が強ばった。
「お世話になったんでしょう?」
「―― ……」
無言で腕に力が籠もって、うーっと唸っている。
私は笑いたいのを堪えて、頑張ろうねとその腕に頬を寄せた。
***
「良かった、元気になったんだね」
バレンタインも過ぎた翌々日、私は無事に出社した。
そして、社内に設けてある喫煙場所も兼ねた休憩スペースで、人が居ないことを確認してから、桜崎さんにあの日お借りした器を返した。
紙袋を受け取ってくれた桜崎さんは、かさりと中身を見て「あれ?」と声をあげ小さいほうのタッパーを一つ取り上げる。
「クッキーだ」
「はい、その、お世話になっちゃって、お礼というにはそんなもので申し訳ないんですけど」
「嬉しいな、手作り?」
にこやかに蓋を開けて一つ摘む。
私はそれを眺めつつ「はい」と頷いた。
私だけじゃないけど。そういえない私を不審に思うことなく桜崎さんは、ぱくりと一口。
「……これ、」
「頑張ったと思うんですけど」
一言目に美味しいといえないことをどこか申し訳なさそうにした桜崎さんに苦笑する。
「もしかして」
「いまいちだったなら、ルゥが作ったやつだと思います。私がお手本で作ったのもあるので」
「ロシアンルーレットみたいだね」
苦笑した桜崎さんと同じように苦い笑いを零した。
おかしいよねぇ。
同じ材料で同じように作ったのに、味が全く違うのだ。形だけは同じ型抜きを作ったので大体一緒何だけど。
私は桜崎さんの手元を覗き込んで、えーっと、と物色する。
「多分こっちが私が作った奴じゃないかなと思います。味の保証は」
ないといいたかったのに、それを聞き終わる前にぱくりとされてしまった。
そんなにお腹が空いている時間だったかな? それなら丁度良かったけど。
「あ、本当だ。園枝さんのは全然違う。美味しいよ、凄く」
おや? 「さん」に戻ってるな。
まあ、どちらでも良いけど。
お上品に口元を押さえてもぐもぐしつつ、にっこりと笑ってもらえた。
ルゥには悪いけど、私もルゥが作ったより美味しいと思うよ。あんなに頑張ってたのにね。
***
帰り道に並ぶお店たちは直ぐに、ホワイトデーに切り替わった。
こうやって時間も季節も流れていく。
何一つ止まってしまうものなんてきっとない。永遠なんて存在しない。
いつまでの口約束なんて、きっと価値がない。ううん。きっと、嘘になる可能性があることは口にしないんだろうな。
結局ルゥはあの夜も「いつまで」なんて約束口にしなかった。
「桜崎さん美味しいっていってたよ、良かったね」
ただいまーと、ショートブーツを玄関で脱ぎながら部屋の中へ話しかける。
返事がない。
ちらと玄関を見たら靴はあるから、居ると思うんだけど……。
よっと私はもう片方をつま先に引っ掛けたまま玄関に落として、スリッパに履き替える。聞いてるー? と部屋を覗けば
「寝てるし」
先日の私と同じようにコタツに突っ伏して寝ていた。
まさか私の風邪がうつったのではなかろうかと、びくびく額に手を当てたけど、火傷するような熱はない。いたって普通だ。
そして、やけに満足そうな顔をして寝ている。
そのときやっと、中央に追いやられたお皿が目に付いた。
「―― ……こいつ」
一緒に食べるから、帰るまで待っているといったのに、私も楽しみにしていたのにっ!
そこにあったはずなのは、チョコケーキ。
私が昨日、丁寧にデコレーションまで仕上げた一品だ。我ながら美味しそうにできたと自負していたのにっ! それを一人で食すとは……万死に値する。
「ル ド ル フ!!」
華麗なる踵落としが決まった。