第二話
「なんか近い気配がすると思ったら、どこかの神遣い? 誰かのお遣いでここまで来たの? 少年」
にこにこにこと毒のない笑顔で声を掛けてきたのは、神主さんのような格好をした青年だ。
人じゃないのは確かなんだけど……。
何しろ、胡座かいて座っているけれどそのお尻は地面に着いていない。浮いている。
「酔っぱらいが絡むな」
「えー、滅多にこの境内で他のに出会うことないからさー、もっと友好的に行こうよ」
ね? お嬢さん。と今度は私に振られてしまった。
でも私は人間です。
一般人なので解放してもらっても良いだろうか?
「どうしたのぉ? うっちゃん。お客さん?」
うっちゃん……なんて庶民的な愛称なんだろう。
つぃっと神社の中から出てきたのは、流れるような黒髪の美しい美女だ。天女といえばこういう雰囲気の女性を思い浮かべるだろう。
「そうそう、どっかの神遣いちゃん。一緒に飲もうよーって誘ってたところなんだ。弁天ちゃんも、誘ってよぉ。祝宴は人数多い方が良いじゃん」
べ、弁天ちゃんってあの弁財天のことだろうか? そういえば、ここは本殿の氏神様の他に商売の神様と賭事に御利益のある神様の祀られていた気がする。
「飲まない。俺はここらの神さんの遣いじゃないから。それにオフだし」
「え、オフ。神無月以外にオフ。ってことは、本当にここらの遣いちゃんじゃないんだー、どこどこ? どこから来たの? 一緒のお嬢さんはどちらかといえば人間よりっぽいけど、もしかして人間?」
もしかしなくても人間です。
「あぁ、そっかやっぱり人間か。匂いが違うと思ったんだー」
ん。やっぱり脳内会話が成り立ってしまうんですね。
そして私は何か特別な匂いがするのだろうか? すんっと肩口に鼻を寄せて匂ってみるけど、分からない。
ど、どうしよう体臭キツい系だったら……。
「気にする類の匂いじゃない」
私が気にしたのが分かったのか、そういってルゥが近くに寄ってほんの少しだけ私より前に出る。
「それにしても見える人間も今時珍しい。最近じゃあさぁ、神主だって俺ら見てくんないしさー、退屈してたんだよね。人間と話せるなんて嬉しい」
朱色に頬を染めた――酔いが程よく回っているともいう――うっちゃんが、にこにこと笑顔のまま愚痴てそう続ける。
「おおっ! 客人か、歓迎するぞっ!」
なかなか宴席に戻ってこないから気になったのだろう。
ニ、三人ぞろぞろと出てきた。
みんな大盛り上がりだったのか顔を赤くして機嫌が良さそうだ。にしても、今度出てきた人は小さいおじさんと大きなおじさんだけど、金ピカ衣装でちょっと眩しい。目に痛い系だ。
どうしよう。逃げたくなってきた。
「ちぃちゃんたちが出てくるから、りんりんが怯えちゃったじゃん」
「おおっ?! そうなのか? 別にワシは捕って食ったりせんぞ? 人間を食べる趣味はない」
うっちゃん……。なんで貴方まで私をりんりんと呼ぶのですか。
「もう、俺らのことは良いからさ、宴会でも何でも続けてろよ。暇神め」
「うわっ、ヒドい。ちゃんと仕事してるよー、だからさー、あそこで宴ってたんじゃんー。一応、聞いてるよぉ」
「聞いてるだけだろ」
「ぶーーーっ。そうだけど、仕方ないじゃん。無用な干渉はしちゃいけないんだよー」
気分の問題だけど。にこりと締めくくる。
そうか気分次第なのか。
あまり神様をあてにするようなことはしない方が良いってことなんだろうな。さっきお願いしたこともちゃんと自分で何とかするように努力しよう。
「本当、役にたたねぇよな」
「む。そんなことないよ。参道を人間が埋め尽くしちゃうから、移動出来ないし仕方ないから酒盛りしてただけじゃん」
あ、そういえば私も真っ直ぐ通って来ちゃったや。
普段だったら、絶対真ん中なんて通らないのに、悪いことしちゃったな……。
「りんりんって良い子ね」
弁天様にまでりんりんって定着しちゃったよ。ほろり。
綺麗に整えられた指先が、ふわりと私のほうへと延びてくる。赤く彩られた爪が印象深く美しい。
「触るな。こいつはあんたらへの貢ぎ物じゃない」
触るなと重ねたルゥはあからさまに怒りを露わにしていた。
完全に私をその背に隠してしまったから、神様たちの様子を伺い知ることは出来ないけれど友好的な雰囲気が消えてしまったような気がする。
「ルゥ、そんなに怖い声出さなくても」
きゅっとルゥの袖を掴んでそう小声で告げてもルゥには聞こえないようだ。
「捕って食ったりせんといっておるのにのぉ。嬢ちゃん、こっちおいで」
ちぃちゃんと呼ばれていた神様が手招いているのがちらと見えた。
ルゥは「行かなくて良い」と零したけど、早くここから解放されたい。そのためには従うのが一番手っ取り早いと思った。
恐る恐る廻り縁に腰掛けているちぃちゃんに歩み寄ると、手を出すようにジェスチャーされた。私はそれに促されて右手を差し出す。
「うわっ」
突然両手で出した手を取られて吃驚してしまった。
ちぃちゃんはごつごつしたたくましい手のひらで私の手をぽすぽすと叩き豪快に笑う。
「すまんな。うむ。小遣いをやろう。これで、神籤でも引いていくと良い。今日は誓いを立てるに良い日だ。嬢ちゃん、しっかりお願いしていくと良い」
「……あ、ありがとう、ございます」
ぶんぶんと手を振って暫らく握られていた手を解放されたときには、私の手に小銭が入っていた。
か、神様にお小遣いを貰ってしまった。
どうしようかとおろおろしていると、ルゥが「早く行くぞ」と私の腕を引いた。
「りんりん、まったねー!」
と陽気な声に見送られ、私はずるずると本殿から離れていった。