第三話
「―― ……でね」
「あ、ごめんなさい。聞いてなかった」
つい考え事をしていたら何か話が続いていたようだ。いつの間にか向き直っていた。
あっさり人の話を聞いてないとか失礼なことを口走ってしまう私に、桜崎さんは曖昧な笑みを浮かべて「良いよ良いよ」手を振った。
怒って帰ってしまうような人でなくて良かった。
「まだ本題じゃなかったから」
「本題?」
首を傾げて見上げれば、がっつりと視線が絡む。
えーっと逸らしたら駄目だよね? 今すぐ猛ダッシュで逃げ出したい雰囲気になってる気がするんですけど。
私は社内の人間関係を深める気はないんです。
いえ、本当、すみません。
違うよね。
そうだよね……目の淵までほんのりと赤くなっている気がするのは、お酒のせいですよね?
「あ、えーっとその、もし、まだ」
「まだ?」
「園枝さんの隣りが、空いてるなら……僕、君のことが」
どどどどうしようっ?! やっぱりこれは告白っ!
ふわふわっと私の顔まで真っ赤になっていく。鼓動がはたはたと早くなり、思考がぐるぐる回る。え、あ、あの……声も出ないから口ぱく。
そんな見詰めないでくださ、い、と思ったら急に両肩が重くなった。
ずんっ!!
肩から伸びた二本の腕の先に嵌っているバングルには見覚えがある。
「っ! 馬鹿っ! おま、止まるなっていってんだろ……はぁ、はぁ……しんでぇ、ぉ、まえ、可愛いから、絶対変なのに絡ま、れる、って……ぜぇはぁ」
激体力値が低くて息が上がっている。
室内警備ばかりしているからだ。変質者レベルではぁはぁいってるんですけど、背後の人。
一瞬にしてときめき系の熱が冷めた。
「仕方ないだろっ! 靴が慣れないんだよ」
ぶーぶーとぼやく。
蹄でしたもんね。仕方ないよね。仕方ないかどうかは私にはわかんないけどさ。
「で、何、何に絡まれてるの? あー、あんた。これ俺のだから誘っても無駄。ほらいっていって」
人の肩越しに、ぶらぶらと桜崎さんを指差して失礼極まりないことを告げる。
桜崎さん固まってる。
当たり前だ。
「しっ! 失礼なこといわないのっ!!」
慌てて乗っかってきたルゥを叩き落として、桜崎さんに深々と頭を下げる。
「すみません。本当にごめんなさい。ほら、あんたも謝って!」
「な、何で俺っ?!」
「なんでってあんたが最悪のタイミングで最悪のことをいってるからでしょっ! 桜崎さんは会社の先輩なの! 一人だったから心配して途中まで送ってくれてたの。あんたはお礼をいう立場なのっ!!」
ぐぐぐぐっとルゥの頭を押さえつけて、頭だけは下げさせる。
「え、ええと、良いよ良いよ。気にしないで、あの、えーっと、俺のっていってたし恋人?」
「ペットです!」
しまったぁぁぁぁっ!
ルゥが得意気に頷きそうだったから、反射的に出てしまった。
ペットってなんだペットって! そっちのほうが問題だろうっ!
え、と当然声を詰めた桜崎さんにわたわたと両手を振りつつ、違っ! 違うっ! といいたいのに慌てすぎて言葉にならない。
「俺はペットでも良いけど」
誤解を重ねるから黙れ。
にやにやと重ねられるので、がつっと足を踏みつけておいた。ピンヒールだから痛い。私が足を退けるとともにしゃがみ込んだ。暫らく悶絶しているだろう。
「ル、ルームシェアしているだけです。はい」
まあ、シェアする部屋はないけど……1DKだからね。
「恋人っていうか、それ未満っていうか、自宅警備員っていうか、」
困惑している私を見ながら、ちらとだけルゥを見て桜崎さんはゆるりと微笑む。
うわ、この人、こんな顔するんだ。っていうくらい、どきりとする綺麗な笑み。
「君が変わるきっかけをくれた大切な人なんだね?」
「へ? ……ぁ、はぃ……」
「―― ……そっか、羨ましいな」
物凄い真摯な瞳で真っ直ぐに見詰められて、ふわりと頬が熱を持つ。いわれた声がいまいち耳に届かなかったけど、反射的にはいと答えてしまった。
私の答えに桜崎さんは僅かな間、瞑目してゆっくり深呼吸したあと「そっか」と重ねてにこりと笑った。
「じゃあ、迎えも来たみたいだし。二次会に顔出してくるよ」
「え、あ、はい」
気をつけて帰ってね。と付け加えてぽんぽんと私の肩を叩く。ありがとうございます。と気の抜けた声で答えるのが精一杯だった。
「はぁ、腹減った」
ごんっ!
「痛ぇ」
足が痛いとしゃがんだままだった、ルゥの頭頂部には拳骨一つ。お前はそれしかいうことないのか。
「俺の方が二センチ背が高い。俺の方が良い男」
やっとこ立ち上がって、ぱんぱんと立ち居を正しつつ唇を尖らせる。
子ども染みた内容だ。笑いそうになるのを堪えて
「……耳出てるよ」
「えっ! 嘘っ!!」
「……嘘だけど」
慌てて頭頂部を押さえるルゥを見てちょっと楽しむ。
吃驚すると時々耳がちょこんとでる。怒ると角まで出る。一度だけレコーダーの録画が上手くいってなかったと、レコーダー相手にマジギレしているときに出ていた。小さすぎて、気の毒で、あれは見ていて切なく涙が出そうだった。
「立ち居振る舞いは桜崎さんのほうが数段上。その上、女子社員からのウケも良い。ルゥの方が上だなんてとてもとても」
ワザとらしくいって肩の位置に手を持ち上げて首を振る。
なっ! と慌てているルゥをほっぽって「帰ろう」と足を進めると慌ててついてくる。
「なんか反論ないの?」
隣りに並んで歩き始めたルゥを見上げて、にやりと問い掛けたのに、ルゥは頭の後ろで手を組んでのんびりと足並みを揃え「ない」といいきる。
なんだ、もっと食いついてくれるかと思ったのに。
「あいつがどんなヤツで、どんだけりんりんのこと好きだったとしても、りんりんは俺のことが好きだから良い」
「っ! は、はぁっ?!」
ななっ、なんて馬鹿げた恥ずかしいことをさらっといってしまうんだっ!
思わず足が止まる。声まで裏返してしまう。そのせいで数歩先に出てしまったルゥは、振り返ると、得意気に口角を引き上げる。
「間違ってる?」
「―― ……っ」
間違ってる間違ってる間違ってる間違ってるーーーっ!
「ひでぇ、そこまで脳内大合唱すんなよ。ま、いっけど。俺の方がラブりんりんってことでいーよ」
ぷすーっと頭の天辺から湯気が出そうになるくらい真っ赤になってしまう。
そんな私を益々赤くさせるようなことをルゥは口走ったくせに「早く帰ろう。俺マジで腹減った」と締め括り踵に重心を載せてくるりと進行方向に向き直って歩き出した。
今度は私が追いかける番だ。
「恥ずかしくないの?」
「別に。どーせ俺、嘘吐けないし。俺はりんりんの心が読めるけど、りんりんは読めないから口に出してるだけ」
「……それさ、やめてくんない? 脳内台詞で会話が成り立つのいい加減気持ち悪いんだけど……」
「いいじゃん。大したこと考えてないし」
……何気に失礼なんですけど、それは私があまり物事を深く考えていないとか、能天気女だとかいいたいのだろうか? ぶすっと眉を寄せた途端「違う違う」と笑われる。
だから、心を読むなといったばかりなのに。