<EP_005>
木曜日の午前10時過ぎ。
昨日と同じように窓から登庁したばかりの哲也は、デスクに足を投げ出し、抗議電話の喧騒を遮断するようにヘッドホンをして、気だるげにマンガを読んでいた。
外野の批判も、最下位報道も、彼にとっては「どうでもいいハエの羽音」でしかなかった。
その扉が、乱暴な音を立てて開いた。
「特区長!緊急事態です!」
飛び込んできた特区庁職員は、息を切らし、顔面蒼白だった。ヘッドホンをずらした哲也は、いつものように舌打ちをする。
「あぁ?んだよ、またドローンか?ハエは自分で潰せよ」
「ち、違います!<つくば>の各地に、同時に複数のゲートが出現しています!そこから、極めて重度のマナ中毒者が多数出てきています!」
一瞬にして、哲也の顔から怠惰な表情が消え去った。
「…何ィ!すぐに自警団と警察に総動員をかけろ!一般市民を最優先で特区外に避難させろ!それから、阿見と百里の防衛隊基地にも連絡しろ!ヤツらを特区外に出すな!」
「はいっ!」
哲也の号令とともに警報が特区内に鳴り響いていく。
哲也も特区長室を飛び出す。
「特区長、何処へ?」
「家に決まってるだろ。装備を取ってくるんだよ!」
そう言うと、特区庁舎を飛び出していった。
警報が鳴ったことで、入口にいた報道陣は既に退避して誰もいなかった。
自宅に戻り、スーツを投げ捨て、押入れから迷彩服と剣を取り出して身につける。
押し入れの片隅の段ボールに目をやると意を決してヘルメットを被った。
金庫から杖を取り出すと腰に差して特区庁舎へと戻っていった。
特区庁舎に戻った哲也は職員に聞く。
「どうだ、避難は順調か?」
「はい、順調です。しかし、数も多く自警団も手が回らないようです」
職員の報告に哲也は舌打ちをする。
「防衛隊はどうした?」
「阿見の陸戦隊は既に向かっているそうです。百里はまだ…」
「百里は航空隊だからな。防衛隊には一般人の避難を優先するように伝えろ。魔導具の無い防衛隊の装備じゃ戦うのは無理だ」
「わかりました」
矢継ぎ早に指示を飛ばしていると、別の職員が飛び込んできた。
「特区長!雷研究所の近くにもゲートが出現したとのことです」
「そうか。あそこにはルージュがいるし、電撃発射の魔導具もあるから大丈夫だろう。あの周辺には大学もあるんだ。防衛隊の一部を回して貰えるように連絡しろ」
雷研究所には、すっかり痩せて元の姿を取り戻した、ルージュがいることから哲也は多少は安心していた。
哲也はスマホを取り出すと雷研究所へと電話をかける。
「おい、鳶田!近くにベルゼスはいるか?代わってくれ」
ベルゼスが電話に出ると「ベルゼス、至急<つくば>に戻ってくれ。このままじゃマズい。…ん?大丈夫だって、ルージュも戦えるだろ?こっちはもっと酷いんだ。頼む!」哲也の言葉にベルゼスは逡巡するが、遠くからルージュの「ここは私に任せて。行って、ベルゼス!」の言葉にベルゼスは了承してくれた。
<つくば>は今、風雲急を告げていた。
ベルゼスが到着すると、哲也は最もマナ反応が大きい<つくば>メインストリートへと向かわせた。
「特区長!百里基地よりヘリコプターが飛び立ったそうです!」
「よしわかった。洞峰公園に着陸させろ。そこから特区周辺に展開して貰え!」
「特区長。C-1地区にて雄大隊が交戦。被害甚大で後退するそうです」
「了解だ。無理はするなと言っておけ。メインストリートにベルゼスがいるはずだから、そこに誘導するように言え」
次々に飛び込んでくる報告に哲也は指示を飛ばしていく。
「特区長!一般人の避難が完了したそうです!」
唯一の朗報とも言える報告に、哲也は声を張り上げる。
「よし。自警団に連絡しろ。自警団は士郎隊とベルゼスの元に敵を誘導しろ!避難は終わってるんだから、容赦なくブッ放せ!」
一般人の避難が終わったという報告を聞くと哲也は安堵の思いで椅子に深く沈み込んだ。
(これで、どうにかなるか?)
そう哲也が思った瞬間、職員が悲鳴にも近い声をあげた。
「特区長!とんでもなく巨大なマナ反応が出現しました。こ、これはベルゼス級です」
「何ぃ!」
哲也の安堵を吹き飛ばすような報告であった。
ベルゼスはジェミアテラの中でも最強クラスの魔族であり、ダンジョン内にもベルゼス級のモンスターはまず出現しない。
ベルゼス級の魔族に対抗できるとするならば、士郎とベルゼスぐらいのものである。
「くっ……」
哲也は奥歯を噛みしめるしか無かった。
ベルゼスは<つくば>メインストリート上空で迫りくる異形のマナ中毒者に対して腕を振るい衝撃波でなぎ倒していた。
しかし、自警団により誘導されているため、数が多く身動きが取れないでいた。
そんなベルゼスの元へ一人のフードを被った者が近寄ってくる。
「ベルゼスよ、人間風情に使われるとは、お前も堕ちたものよな……」
嗄れた声にベルゼスは咄嗟に腕を振るう。
生み出された衝撃波に魔族のフードがめくれると、中からは白髪を生やした骸骨のような顔が現れた。
「ライカーグ!なぜ、貴様がここにいる!」
見知った顔の登場にベルゼスは驚きを隠せないでいた。
「知れたことよ。サートゥス様の遺志を継ぎ、ここ<つくば>を我ら魔族の安住の地にするために来たのよ!」
ライカーグは、さもおかしそうに喉を鳴らしながら話してくる。
「貴様、ジェミアテラの不文律を忘れたか。地球を戦場にするつもりか!」
「ふん、不文律など人間が決めたことよ。我ら魔族が従う理由もない。<つくば>を安住の地とし、ゆくゆくは地球全土を支配してやるわ!」
「貴様ぁ、させるかっ!」
ベルゼスはライカーグに攻撃を仕掛けようとするが、地上から雄大の声が聞こえてくる。
「ベルゼスっ!」
見れば、雄大たちの自警団は敵に囲まれてしまっていた。ベルゼスは腕を振るって衝撃波で一角をなぎ倒した。
「ベルゼスよ。貴様の処刑は後回しだ。せいぜい、そいつらと遊んでいるがよい」
そう言うとライカーグは飛び去っていった。
地上の雄大たちとライカーグの後ろ姿を交互に見つつベルゼスは唇を噛み、下降して敵陣へと突入していく。
(テツヤ殿、頼みましたよ…)
迫る敵軍をなぎ倒しつつ、ベルゼスは祈った。
ルージュは雷研究所の上空にて電撃を放ち続けていた。
数は多くないものの、研究所にいるのは戦い慣れていない研究所員とルージュの治療を受けにきた数人のダンジョン探索者たちだけである。
研究所員は研究のために取っておいた魔導具を使って電撃を飛ばし、ダンジョン探索者もルージュの願いを受け戦ってくれた。
防衛隊員も加わり、多少は押し込めるようになったものの、戦況は予断を許さない状況であった。
そこへライカーグが飛んできた。
「これは、ルージュ様。お久しぶりでございます」
ライカーグはルージュにむかい慇懃無礼な態度で芝居がかった礼をした。
「あー、アンタはあの時の魔族!何しに来たのよ!忙しいんだから手伝ってよ!」
ルージュの言葉にライカーグは声色一つ変えない。
「おいたわしい限りですな、ルージュ様。お父上が見たら、さぞ嘆くことでしょうな。人間風情を守るために戦うなど、実に嘆かわしい」
「うっさいわね。手伝ってくれないなら、とっとと帰ってよ!」
「そう言われずとも帰りますよ。まったく、サートゥス様の娘ならばと思って送り込んだのですが、とんだ見込み違いでしたな。サートゥス様の真の後継者は私のようです。勇者テツヤを倒して真の後継者となってみせましょう」
そう告げるとライカーグは飛び去ろうとする。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
ルージュはライカーグを追おうとするが、下から叫び声が聞こえてくる。
「うわっ!こっち来るな!」
見れば魔導具を振るっていた鳶田へ敵が迫ろうとしていた。
「鳶ちゃん!んもぅっ!」
ルージュは電撃を放ち、打ち倒す。
遠ざかるライカーグの後ろ姿を見ながらルージュは願った。
(テツヤ、負けるんじゃないわよ。これからも、嫌がらせし続けてやるんだから!)
士郎も戦い続けていた。
異形の姿になったとはいえ、マナ中毒者は元は人間である。
士郎はシュツルムブリンゲンを振るいながらも剣の腹で殴りつけ、気絶させていく。
魔導鎧のおかげでダメージは抑えられているものの、切り捨てていけないため、時間はかかっていた。
自警団の仲間を助けるためにも士郎は奮戦していく。
「団長!巨大なマナ反応が近づいてきます!」
団員の言葉に士郎は周りを見渡す。
すると、士郎の頭上をライカーグが特区庁舎の方向に飛んでいくのが見えた。
空への攻撃手段を持たない士郎は歯噛みする。
(師匠、お願いします)
特区庁舎には哲也がいる。
その信頼を胸に、士郎は目の前の敵に向かって突撃していった。
「特区長!巨大なマナ反応が近づいてきます!」
「そうか……」
職員の叫びに哲也は重い腰を上げると職員へと通達する。
「お前ら、裏口からとっとと避難しろ」
哲也の言葉に職員たちが戸惑っていると、哲也は声を張り上げ怒鳴りつけた。
「とっとと逃げろって言ってんだよ!」
「は、はいっ」
そう言うと職員たちは裏口へと走ろうとする。
その流れに逆らい、哲也は入口へとゆっくりと歩いていった。
「特区長……どこへ?」
「決まってんだろ。アイツをブッ倒しに行くんだよ。俺が出るしかねぇだろ?」
首だけを振り向き、哲也はことも無げに言った。
「ならば、我々も…」
そういう職員を哲也は眼光だけで制する。
「たまには特区長の言うことを聞けや」
ニヤリと笑うと哲也は左手に杖を持ち、右手で剣を肩に担ぎながら入口から出ていった。
特区長の前に出ると、空に小さな黒い点が近づいてくるのが見えた。
(アイツか…チッ、面倒くせぇ)
哲也は黒い点――ライカーグに向かって右手の剣を振り下ろした。
剣の銀色の軌跡が光刃となりライカーグへと飛んでいく。
光刃はライカーグの前で障壁に阻まれ砕け散った。
攻撃を受けたことでライカーグは足を止めた。
「おい、クソ魔族。ここから先は通行止めだ。何しに来やがった」
上空のライカーグに哲也は声を張り上げる。
「知れたことよ。勇者テツヤを倒し、この<つくば>を我が魔族の安住の地とするのよ!」
「チッ、面倒くせぇことしやがって。テメェが親玉か?」
「そうだ。我こそは魔王サートゥス様の真の後継者。魔王ライカーグなり!」
ライカーグが高々と名乗りをあげると、哲也は目を細めた。
「ほぉ…じゃあ、テメェをブッ倒せば、この馬鹿げた騒ぎも収まるってことだな」
「できるかな?」
無言の返事で哲也は剣を振るうと光刃が生まれライカーグに向かっていくが、障壁に阻まれ粉々に砕かれてしまった。
「フッ、その程度か…笑止!」
ライカーグから黒い火球が繰り出されるが、その火球は哲也が杖を向けると杖に吸われて消えた。
杖から大蛇が身体に入り込むような不快感が走った。
(ベルゼス級ってのは伊達じゃねぇな)
哲也は不快感に一瞬顔をしかめるが、すぐに元に戻す。
「ケッ、この程度かよ。サートゥスの火球はもっと凄かったぜ」
哲也は不快感を押し殺し、ニヤリと笑ってみせた。
「ほぉ、サートゥス様を知っておるのか。貴様が勇者テツヤか?」
「だったら何だってんだよ!」
哲也は剣を振るい光刃をライカーグに当てるが、結果は同じだった。
「ならば、ここで殺してやろう!」
そう言うとライカーグは両手に黒い火球を生み出し哲也に向かって放った。
哲也はそれを杖で吸収する。
(クッ、この辺が限界か?)
全身の中に無数の蛇が這いずり回る不快感に哲也はそう判断する。
「魔力破!」
哲也が杖を向けると杖の先からは光弾が発射されライカーグに向かっていく。
狙いはわずかに外れ、ライカーグの左腕が根こそぎ吹き飛んでいった。
「やるな。さすがは勇者テツヤだ」
ライカーグは吹き飛んだ左腕に右手を当てると、吹き飛んだはずの左腕が生えてきた。
ライカーグは新しく生やした手を使い両手で黒い火球を次々と撃ち出してきた。
哲也は避けながら、時に吸収していく。
(ちっ、しゃあねぇな…あんまりやりたく無いんだけどよ……)
そう言うと、哲也は剣を投げ捨てると杖を両手で持つ。
(杖よ……<つくば>中のマナを集めやがれ!)
哲也が念じると杖の先端の宝玉が輝き、大量のマナを集めていく。
「ん?なんだ?」
哲也の異変を感じ、ライカーグが再び火球を放っていくも、一部は吸収され、大部分が哲也の周りに張られた障壁によって弾かれていく。
大量のマナを吸い込んだ哲也の身体は急速に黒ずみ、口からは牙が生え、全身から鱗のような突起が生え、頭からの角はヘルメットを突き破っていく。
「バ、バケモノ……」
悪魔のような姿へと変化していく哲也の姿にライカーグが恐怖のあまり震えた声をあげる。
「ああ…お前以上のな!」
哲也はそう呟くと杖の先をライカーグへと向けた。
「魔力破!」
哲也の言葉とともに先程とは桁違いの大きさの光弾が撃ち出されライカーグの全身を貫いていった。
光弾が収まると、ライカーグの全身は焼けただれ、そのまま墜落した。
哲也は剣を拾うとライカーグへと歩み寄っていく。
「バ、バカな…わ、私が人間如きに敗れるなど……」
全身から煙を拭き上げながら呟くライカーグを哲也は見下ろす。
「クソ魔族、テメェの敗因はたった一つのシンプルな答えだ…テメェは<つくば>を怒らせた…ただ、それだけだ!」
「な、なに…」
何かを言いかけたライカーグに哲也は剣を振り下ろした。
剣の銀色の軌跡が光刃となりライカーグの首へと叩き込まれた。
普段のライカーグなら障壁で弾き返せたであろうが、今のライカーグにそんな力は残っていなかった。
首と胴体を切り離されたライカーグはそのままボロボロと崩れ落ち、一陣の風の中に消えていった。
「ふぅ、やっと終わったぜ……さてと、職員もいなくなったし、ビールでも飲むかな」
哲也は剣を肩に担ぐと、そのまま何事も無かったかのように特区庁舎へと戻っていった。




