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<EP_003>

士郎たちに全ての仕事を押し付け、哲也は特区長室でテレビを見ながらビールをあおる毎日であった。

自警団への装備品や報酬の予算の決定、各種関係各所との折衝など特区長の仕事は山程あるのだが、哲也は「あー、テキトーにやっておいて」と職員へ丸投げして、特区長室に籠もってしまう。

職員たちからは不満も出たが、哲也は無視し続けた。


哲也が特区長室で冷蔵庫からビールを取り出そうとした時、特区長室のドアが荒々しく開けられた。

「テツヤ殿ぉぉ……テツヤ殿ぉぉぉ……お助け下さいぃぃぃ」

ベルゼスは入ってくるなり、特区長室のデスクに額を押し付けてくる。

見ると、その後ろには広報部の職員が蒼白な顔で立ち尽くしていた。

「ど、どうしたんだ?」

あまりのわけのわからなさに哲也は目を丸くして聞くが、ベルゼスは「お助け下さい」しか言わず、広報職員もどう説明して良いのかわからない様子だった。

「黙ってたら、わからねぇだろ」

哲也の言葉に広報職員は「あの…ルージュさんが……」とかろうじて言ってきた。

「ルージュが?」

「と、とりあえず……特区長、来て下さい」

わけがわからないまま、哲也は広報職員と号泣したベルゼスに連れられルージュの元に向かった。


ルージュの治療所は自警団により封鎖され、中に入れない人で溢れていた。

哲也は人混みをかき分けて中に入っていく。

見慣れたアパートに入り、ルージュの部屋に入っていく。

「あら、テツヤ。どうしたの?今日は患者さんが来なくてね」

ルージュの部屋に入ると、思わず哲也の口から言葉が漏れた。

「お前…誰だ?」


部屋の中央には白い肉塊が座っていた。

「やだなぁ。とってもキュートな<つくば>の堕女神、ルージュちゃんに決まってるでしょ。ブヒヒ」

肉塊が笑いかけてくると、哲也は信じられないという顔で振り返り、肉塊を指差しながら「マヂ?」と問いかけた。

哲也の問いかけに、ベルゼスはさめざめと泣き崩れ、広報職員は青い顔のまま何度も頷いた。

肉塊に目を戻せば、ショートカットの黒髪と小さな角に赤い瞳とルージュの面影は残ってはいるが、顔はパンパンに膨れ上がり、スレンダーだった体型は見事な三段腹を見せていた。

「ベルゼスもなんで泣くのよぉ。テツヤも少し会わないだけで、私を忘れちゃったの?」

椅子から立ち上がり、モキュモキュと肉の擦り合う音と共にドスドスと足音を立てて歩いて、かつてルージュだったものはシナを作る。

その姿はどう見ても、悶える二足歩行の白豚であった。


「ま、まぁ、良いんじゃねぇか?多少、太ってもマナ抜きはできるんだしよ……」

引きつった顔で哲也はベルゼスと広報職員に話しかける。

「やあねぇ、テツヤったら。太ったなんて女の子に言う言葉じゃないわよ、ブヒッ」

ルージュの面影を残した白豚が笑いながら抗議の声をあげる。

「テツヤ殿ぉ…ルージュ様を…ルージュ様を返して下さいぃぃ」

哲也の言葉にベルゼスは泣きながら哲也の足元にすがりつき、広報職員は神妙な顔で告げてくる。

「特区長。ルージュさんは現在<つくば>の象徴としてSNS等でバズっています。それはルージュさんの元の姿ありきの現象です。無法地帯である<つくば>のイメージアップのためにも、元に戻っていただく必要があるかと…」

広報職員の言葉に哲也も眉を潜めてしまう。

困った顔のまま哲也はルージュに目を移す。

「おい、ルージュ。なんで、そんなに肥えてんだよ?」

「だから、そんなに太ってないってば!」

哲也の言葉に、ルージュは鼻を膨らませて抗議をしてくる。

その姿は豚そのものだった。

「おい、ベルゼス。こいつ、鏡を見たことねぇの?」

足元で泣き崩れているベルゼスに聞くと「我々魔族は鏡に写りません」との答えが返ってきた。

「あ、そうなの……」

意外な返答に哲也が驚いてしまう。

(まぁ、吸血鬼も鏡に写らないって言うしなぁ…)

悪魔然としたベルゼスを見ながら妙に納得してしまう。

「おい、ルージュ。そんなに肥えて、お前、飛べるのか?」

「やーねぇ、飛べるに決まってるでしょ」

哲也の言葉に、ルージュは背中の羽根をパタパタと動かして飛ぼうするが全く浮遊する気配は見られなかった。

焦ったルージュはジャンプを繰り返すが、アパートの床が震えるだけであった。

「えぇぇ…ベルゼスぅ…私、飛べなくなっちゃったよぉ……」

「おいたわしや。ルージュ様……」

飛べなくなった事実にルージュは焦りを覚え、涙目でベルゼスに助けを求めるが、ベルゼスはさめざめと泣くばかりだった。

哲也は現実を突きつけるためにも、スマホを取り出して、ルージュを撮影すると画面をルージュに突きつけた。

「おい、ルージュ。お前、今、こんなだぞ」

ルージュは哲也からスマホをひったくると画面をマジマジと見つめ、油が切れた機械のような動きで哲也たちを見てくる。

「嘘…でしょ……これが、私?」

すがるような目で見てくるルージュに全員が大きく頷いた。

「ホントに?」

ルージュの言葉に、再び全員が頷く。

「ぶ、ぶぇぇぇぇん!」

アパート、いや<つくば>中に、ルージュの慟哭が響き渡った。

(まるで、養豚場の豚か厩舎の牛だな)

その場にへたりこんで泣き叫ぶルージュを、耳を抑えながら見た哲也は素直にそう思った。


「テツヤぁ…あんたのせいよぉ……責任取りなさいよぉ…ぶぇぇぇ……」

「テツヤ殿。ルージュ様をお戻し下さい」

泣き叫ぶルージュとベルゼスの切実な嘆願に哲也も困り果ててしまう。

「いったい、いつからこうなったんだよ?」

哲也が尋ねると、ベルゼスから「最近は重度のマナ中毒者が増えてきてまして、その治療を行っていましたら、このようなお姿になってしまわれたのです」との答えが返ってきた。

哲也も自警団の報告から、最近は<つくば>内に異形化した探索者が現れて事件を起こしているということは聞いていた。

それを聞いてピンときた。

マナは魔族にとっては栄養源のようなものである。ルージュは異形化した探索者からマナを大量に吸い取った結果、太ったと思われた。

「マナの過剰摂取が原因だろうな。マナを放出すれば戻るんじゃねぇか?」

魔族であるルージュから哲也はマナを抜き取れない。

抜き取れたとしても、ルージュをここまで変えてしまうほどのマナなのだから、哲也自身がマナ中毒になってしまうだろう。

「わかったぁ…ぶぇぇ…」

哲也の言葉を聞いて、ルージュは窓を開けると、空に向かって手を突き出すと、轟音とともに電撃が虚空へと飛び出していった。

(まるで雷だな…ん?雷?)

哲也は数日前に承認したプロジェクトの中に「雷を利用した発電研究」というものがあったことを思い出した。

プロジェクトの研究者の中に古い友人の名前があったので覚えていたのだ。

「ちょっと待て、白豚」

再び、電撃を放とうとするルージュを止めると、哲也はスマホで電話をかけた。

「うん…俺だ。今いいか?……ああ、その雷発電のことだ……ああ、あれって雷の発生が予測しにくいから研究がしにくいって言ってたよな?……ああ、魔導具よりも、強くて良い発生源が見つかったぞ……ああ。安心しろ……今から連れていくけど、良いか?……わかった。今連れていくぜ」

電話を切ると哲也はルージュに告げる。

「おい、白豚。いいとこに連れてってやる」

「へ?」

ルージュは涙目のまま哲也を見つめてくる。

哲也は広報職員に車をアパート入口まで持ってくるように頼み、ベルゼスには二つ隣の哲也の部屋からシーツを持ってこさせる。

やがて、車がアパートの入口に到着すると、ルージュに頭からシーツを被せ、まるで犯罪者のように顔を隠しながらルージュを車へと押し込み、車を発進させた。


車は土浦学園線から東大通を抜け、筑波大学に近い研究施設へと入っていった。

研究施設にルージュを連れて入ると、電話で話しておいた友人の鳶田が待っていた。

「よう、鳶田。いきなり電話して悪かったな」

哲也が握手を求めると、鳶田も返してきた。

「いや、特区長直々のお願いだからね。で、彼女が話してた人?」

鳶田は哲也の後ろで恥ずかしそうに立っているルージュを見る。

「ああ。放電能力は俺のお墨付きだぜ。魔導具の電撃なんて目じゃないレベルの電撃を出せるぞ。雷研究にはうってつけのはずだぜ」

「そうか。じゃあ、早速、実力を見せて貰おうかな。えーと…」

「ガ、ガーネットです……」

ルージュは恥ずかしそうに、咄嗟に小さく偽名を名乗った。

「じゃ、ガーネットさん。こっちに来て貰えるかな」

鳶田に連れられ、巨体を小さく縮こませながらルージュはついていく。

その姿に哲也は吹き出しそうになるのをこらえつつ一緒についていった。

ルージュは研究室に入り、中が見えるようにガラス窓の入った隣の部屋に鳶田と哲也、ベルゼスが入った。

「じゃ、ガーネットさん。そこの避雷針に向けて放電して貰えますかね?」

マイクを手に鳶田が指示をすると、ルージュは手を突き出し、避雷針に向けて大量に電撃を放っていく。

その数値を確認し、鳶田は再び電撃を放つように指示をする。

何度かの放電をした後、鳶田はデータを確認すると、顔を輝かせ哲也に言ってくる。

「おい、秋月。素晴らしいよ。これなら、自然の雷レベルで研究ができるよ。放電の電圧も安定してるし、実験体としては最高だよ」

「おう、そうか。そりゃ良かったぜ」

「ああ。彼女の協力があれば雷からのバッテリー充電ができるようになるし、魔導具を使った充電も可能になるはずだ。これは発電の革命だよ」

目を輝かせながら話す鳶田の顔に、哲也は満足そうに頷いた。

「でも、大丈夫なのかい?これだけのエネルギー放出を何度もお願いできるのかい?」

「それは大丈夫だ。マナの補充は十分にできると思うしな」

鳶田の心配に哲也は胸を張って答える。

研究室のルージュは、来た時よりも顔がほっそりしたように見えた。

「おい、ルージュの治療所はここに移転したって書いておけ。<つくば>からは少し遠いから、治療希望者はバスに乗って連れてこれるように手配しろ。それと、研究があるから、治療は午前中のみに変えておけ」

哲也は隣にいた広報職員に伝えた。

「え?ルージュ?彼女はガーネットさんじゃ……」

鳶田が不思議そうに聞いてくると、哲也はゲラゲラと笑いながら答えてやる。

「ったくよぉ、妙な偽名なんか使いやがってよ。そいつは、<つくば>の堕女神ルージュ様だぜ」

「え?」

哲也の言葉に、鳶田の顔が固まった。

(あ、そーいや、コイツ、ルージュのファンとか前に言ってたな)

そんなことを思い出し、鳶田の中でルージュのイメージがガラガラと崩れていくのが分かり、哲也はこらえきれず腹を抱えて笑い出した。

「おい、ルージュ。良かったな、合格だってよ。これからは、どんどん放電しろよ。それで痩せるぜ」

哲也は固まったままの鳶田からマイクを取ると、研究室のルージュへ話しかける。

「んもう!なんでバラしちゃうのよ!私はここじゃガーネットなんだからね!」

「いいじゃねぇか。痩せれば、いずれはバレるんだしよ」

研究室で頬を膨らませるルージュを無視して鳶田に向き直る。

「んじゃ、元のルージュちゃんに戻せるよう、じゃんじゃん研究してくれよな、鳶田」

いまだ固まったままの鳶田の肩を叩くと、広報職員とベルゼスを促して、哲也は<つくば>へと帰っていった。


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