午前の影を切るもの
それは、工房の扉が朝の光でまぶしくなったある日だった。
若い画家のレオが、まるで光そのものから逃れるように、息を切らしてやってきた。
「影を切る道具を……作れませんか」
イルロは手を止めて、彼を静かに見た。
「……影を、切る?」
「午前の光が強くなってくると、紙の上に映る影が、動きすぎるんです。
手の影、筆の影、自分の輪郭。……描きたいものより、“見せたくない自分”が浮いてきてしまう」
それは、光のせいではなかった。
描くことそのものに向き合うとき、レオはしばしば“自分の内側の揺らぎ”に引きずられてしまうという。
「光はいい。でも、“影”が自分を拒んでくる。
だから、それを切って、向こう側に置きたいんです」
イルロは少し考えたあと、小さくうなずいた。
その日の午後から、彼は工房の奥にこもって、何日も試作を重ねた。
完成したのは、“小さな影の斜面”だった。
ごく薄い木の羽のような板を幾重にも重ねた構造で、日の光を受けながら、それが“影そのもの”の輪郭を曖昧にする。
使い方は簡単だった。
絵を描く場所のすぐ横に、この“影の斜面”を立てかける。
すると、差し込む光と影の境界がやわらかく分散され、
輪郭が消え、自分の腕の影すら“模様”のようになる。
レオがそれを試した瞬間、筆が止まらずに動き始めた。
「……影が、邪魔じゃなくなった。
なんていうか、“自分の中の声”が、やっと絵のほうを向いてくれた気がします」
彼はその道具に名前をつけた。
「かげきり」
“影を切る”のではなく、“影をほどく”。
そんなふうな感覚だった。
数日後、レオは工房に一枚の絵を残していった。
それは、自画像だった。けれど顔は描かれていなかった。
その代わり、輪郭の周りには、“かげきり”を通った光のような模様が重なり、
まるで“これから現れる誰か”を待つような、空白が美しかった。
イルロはその絵を、工房の隅に立てかけた。
そして、影の斜面をそっとその前に置いた。
「影があるから、光は気づかれる。
でも、輪郭に縛られない影もまた、“自分”を自由にする。」
そう記された小さな札が、風に揺れていた。




