影の向き
朝、工房の前に立ったのは染め物のイセラだった。
「イルロ、少し見てほしい」
抱えているのは、まだ乾ききらない布だ。
「色ですか?」
「色じゃない。
干す場所」
*****
工房の横手に回ると、
春の光が斜めに差し込んでいる。
「ここだと、
影が早い」
「乾きが偏りますか」
イセラは頷く。
「橋が落ち着いたら、
今度は布が気になって」
そこへ、畑番のオルナが通りかかる。
「何の相談だ」
「影の向きだ」
イセラが答える。
*****
水路番のグラドも加わる。
「影なら、
昼に変わるだろ」
「変わるけど、
午前が長い」
イセラが言う。
ユルンが袋を抱えて近づく。
「焼き場もそうだ。
朝は偏る」
「どうしてる」
オルナが聞く。
「置く位置を、
半歩ずらす」
*****
皆で干し場を見る。
「柱を一本足すか?」
グラドが言う。
「橋みたいに?」
ユルンが笑う。
イルロは首を振った。
「足さなくていい」
「じゃあ、どうする」
イセラが聞く。
「干す高さを変えましょう」
*****
オルナが縄を持ってくる。
「上げるか?」
「少しだけ」
イルロが言う。
「影の流れを
ずらすだけでいい」
グラドが布を持ち上げる。
「これでどうだ」
イセラが布を広げる。
「……いい」
*****
昼前、
干し場に布が並ぶ。
影は以前よりゆっくり動く。
ユルンが橋のほうをちらりと見る。
「今度は布だな」
「橋も布も同じだ」
オルナが言う。
「足す前に、
位置を見直す」
*****
午後、
風が少し強まる。
布が軽く揺れる。
「揺れるな」
グラドが言う。
「揺れてもいい」
イセラが笑う。
「戻るから」
皆が一瞬、橋を思い出し、
そして何も言わずに頷く。
*****
夕方、
干し場の布は均一に乾いている。
イセラが布を畳みながら言う。
「足さなくてよかった」
「足す前に話したからな」
ノルが応じる。
イルロは作業台に手を置く。
「……春は、
影の向きも
会話にしますね」
橋は静かに立ち、
布は揺れ、
人は話す。
セレン村の春は、
大きな支えのあとに、
小さな位置を整える。
それだけで、
暮らしは深くなる。
明日はまた、
別の影が気になるだろう。
だが今は、
干し場の布が
きれいに乾いた。
それで十分だった。




