留まらない蓋
秋の終わり、風の音が冷たくなりはじめた頃。
村の北の丘に住む陶芸師グラーニが、イルロの工房を訪れた。
手には、割れも欠けもない陶器の壺が一つ。
深い緑をまとったその形は美しかったが、上に載せられていた蓋は、明らかに不安定だった。
「この壺に合う蓋を……作ってもらえないか」
彼は言った。
イルロは壺を持ち上げ、指先で縁を確かめる。
わずかに歪んでいる。
それは焼きの際に出たもので、偶然にしては計算されすぎていた。
「この縁……きっと、誰が作っても“ぴたり”とは合わない」
グラーニは小さく笑った。
「それでいいんだ。いや、“それがいい”んだ。
この壺は、“閉じられないもの”のために作った。けれど、手ぶらでは渡したくない」
イルロはうなずいた。
「なら、留まらない蓋を作ろう。けれど、“置くこと”はできるように」
彼が選んだのは、軽くて薄い桜の板。
形は完全な円ではなく、ごくわずかにずらした楕円。
置けばそっと留まるが、指先で触れればすぐ揺れる。
滑り落ちはしないが、しがみつきもしない。
仕上げに、蓋の裏側に小さな焼き印を入れた。
それは“留まらない”ことを示すための、ほんの小さな三本線。
完成した蓋を壺に添えると、グラーニはひとつ深く息をついた。
「……これは、“終わらないままの気持ち”にちょうどいい」
数日後、その壺は村の祈りの場に置かれた。
誰が願ったのかはわからないが、人々はその壺にそっと紙を入れていった。
願いとも、迷いとも、名づけられない思いが、小さく折られて。
壺の蓋は毎日、少しだけ位置が変わっていた。
けれど決して落ちることはなかった。
そして工房の棚にもまた、“留まらない蓋”の設計図が一枚増えた。
イルロはその図に、こう記した。
「閉じないことを、欠けとは呼ばない。
留まらぬものが、そばにある。……それだけで、十分。」




