午睡と小さな修理
昼下がり。
セレン村の空は柔らかく、ひらけた丘の上では風が浅く息をしていた。
イルロは、朝からの作業で疲れた肩をゆっくり回しながら、工房の縁台に腰を下ろした。日がちょうどよく当たって、背中がぬくもりに包まれていく。
目を閉じると、道具棚の音、刃物の鳴る感触が、まだ手に残っている。けれど、それも次第にほどけていった。
ふと、軽い足音が近づいてきた。
「イルロさん、お昼寝?」
声の主は、帽子をかぶった若い郵便配達人のノヴァだった。
彼女は村を自転車で走るのが日課で、よく道の途中で“落としもの”を拾っては届けてくれる。
「……ちょっと、目を閉じてただけだ」
「なら、ちょうどよかった。これ、届け物」
彼女が渡したのは、木製の小箱だった。裏に「ヴァリ家」と彫られている。ヴァリ家は村の北側、陶器を焼く一家だ。
「中身、なんだろうな」
「急須の蓋がまた割れたって。今度は取っ手の方だそうです。……イルロさん、あの家の猫に気をつけてね。昼寝してると鼻をかじられるって有名なんだから」
そう言ってノヴァは笑いながら去っていった。
イルロはため息のように小さく笑い、立ち上がる。
ヴァリ家へ向かう道の途中、畑の脇に座っていたのは、野菜作りが得意なマズリ婆だった。彼女は日陰に籠を置き、糸で袋を繕っていた。
「イルロかい。こないだの杓子、よかったよ。粥がくっつかなくなった」
「それはよかった」
「ただね、棚の足が一本がたがたでねえ。……ほら、ここの、指の節が痛くて。金槌がうまく握れんのさ」
イルロはしゃがみこみ、棚の脚の状態を見た。
「直せる。木の楔を一本、差し込むだけでいい」
「ありがとねぇ。あんたがいると、ほんと助かる」
マズリ婆は、そっと手を重ねてきた。細く、乾いた指。そこには土の匂いと、長く積み重ねてきた暮らしのぬくもりがあった。
ヴァリ家に着くと、猫が本当にいた。
玄関の石段の上で香箱を組み、イルロを睨んでいる。まるで「今日はこっちが主人だ」とでも言いたげだった。
「ご苦労さま。あの猫、気にしないでね。最近はすっかり工房猫気取りでさ」
陶器師の妻が笑いながら迎えてくれた。
急須の蓋は、たしかにぽきりと折れていたが、土台はまだ丈夫だった。
「持ち帰ってみる。同じ木で、継ぎ目が見えないようにできる」
「いつも助かるわ。あなたの仕事って、道具じゃなくて“暮らし”を繕ってるみたい」
そう言われたとき、イルロは少しだけ目を伏せた。
「……そういうつもりじゃないが、喜んでもらえれば、それでいい」
帰り道、丘を越えたところで、再び陽が差した。
風はまだ冷たく、けれど優しかった。
今日もまた、小さな修理をいくつかこなして、日が暮れる。
誰の名前も残らないような時間が、確かにこの村を静かに繋いでいた。