雨の音と、木の傘
朝から静かに降り続ける雨は、村の屋根や地面をゆっくりと潤していた。
大降りではないが、湿気が重く、風もなく、鳥の声も控えめだった。
イルロの工房では、窓の外で雨が葉を叩く音が、リズムのように続いていた。
こんな日は、重たい仕事には向かない。
彼は古い棚から、数年前に途中まで作ってそのままになっていたものを取り出した。
それは、“木でできた傘”だった。
雨を防ぐための傘ではない。
木の細工で、傘の形だけをなぞるように作られた装飾品。
小さな柄に、薄く削った弓なりの板を差し込んである。
「なぜ傘を作ったのか?」と誰かに聞かれたことがあったが、イルロ自身も明確な理由は知らなかった。
ただ、あるときふと“雨の音を形にしたくなった”のだ。
その傘は、一部の骨が欠けており、長いこと放っておかれていた。
けれど今日の雨は、何かを呼び覚ますように静かだった。
作業を進めていると、扉の外で「コン」と控えめな音がした。
入ってきたのは、灯油屋の娘・ユラだった。
まだ十代の少女で、父の配達を手伝って村をまわっている。濡れた肩に掛けたケープが、淡い水色に染まっていた。
「イルロさん……急なお願い、いいですか?」
「どうした」
「雨の音を、家に持ち帰れるような……そんなもの、作れますか?」
突然の頼みに、イルロは手を止めた。
ユラは頬を赤らめて、ことばを補う。
「母が、昔は雨の日が好きだったんです。でも、寝込んでから、窓も開けられなくて……。私、なにか“雨の気配”を届けられたら、って思って……」
イルロは、言葉を返さず、木の傘を見つめた。
「……それなら、ちょうどいいものがあるかもしれない」
その夜、彼は木の傘の“骨”をすべて整え、柄の部分にはユラの母の名前の頭文字を小さく彫った。
傘の先に取り付けたのは、ごく細い金属の板。
それが雨粒を模した小さな玉に当たるたび、「コ、コ……」という優しい音が鳴る。
翌朝、雨は上がっていた。
ユラが受け取った木の傘は、開くと静かな鈴のような音を立てた。
「音、ついてるんですか……?」
「“雨の残り香”みたいなものだ。……枕元に置いておけば、耳がさみしくならない」
ユラは涙ぐみながら笑った。
「母、きっと喜びます」
その後、木の傘は“音の傘”として村で知られるようになった。
雨の日にしか作られず、注文は受け付けない。
けれど、誰かが“音のない雨”をほしがったとき、イルロの工房にはふたたび、その形がそっと削られていた。