川辺の音と、拾いもの
セレン村を囲むように流れる細い川は、季節によって姿を変える。
春は雪解け水でにごり、夏には澄み、秋には落ち葉を静かに運ぶ。
冬の終わり、川は最も静かに、深く呼吸する。
イルロが川辺を訪れたのは、用事の帰り道だった。
川向こうの農夫に頼まれていた鍬の柄を届け、帰り道を歩いていたとき――ふと、水際に何かが引っかかっているのが見えた。
流木だった。だが、ただの木ではない。
表面が不自然に滑らかで、彫られたような線がある。
誰かが何かに使っていたもの。それが、水に流され、流れ着いたのだ。
イルロはそれを拾い上げ、しばらく見つめた。
木の表面に、わずかに残る焦げ跡。削り跡。だが、何の道具だったかはもうわからない。
「……忘れられた形」
そう口の中でつぶやいて、彼はそれを工房に持ち帰った。
数日間、その木片は作業机の隅に置かれたままだった。
使い道もわからず、名前もない。けれど、不思議と捨てられなかった。
ある夜、イルロはその木を手に取り、静かに削り始めた。
形は定まらず、ただ木が求めるままに刃を進めた。
指先に伝わる木の硬さと、水を含んだ重み。
やがて出来上がったのは、掌に収まる不思議な形の“置きもの”だった。
器でもない、飾りでもない。
けれど、指をあてると、なぜか安心する。
彼はそれを、村の川辺の石の上にそっと戻した。
「見つけた人が自由にしてくれればいい」――そんな思いで。
数日後、村の子どもがそれを拾って、工房にやってきた。
「イルロさん、これ……“手のひら石”みたいな感じだね。おばあちゃんが握ってたら、寝ちゃったよ」
その言葉に、イルロは初めて、少しだけ笑った。
「じゃあ、それはもう、“そういう道具”だな」
形に名前はなくても、人の手に触れたとき、意味を持ちはじめる。
それを、拾われた木片が教えてくれた。
川の音は、今日も静かだった。
水はただ流れて、誰かの忘れたものを、誰かのもとへと運びつづける。