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神の贈り物  作者: 若君
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第六話 不明な第四の枷

ミーアは簡単に荷物をまとめ、スーツケースを手に、5年間住んだ家を後にした。


「お迎えに参りました、ミーア・ハーパー大尉」

整列した兵士たちが厳粛に敬礼する。


「ご苦労様」

ミーアは淡々と応え、彼らの視線を浴びながら毅然と軍用車へ歩み寄った。


──


「なんで女兵士なんぞを特別迎えに来ねぇとならねぇんだ」

二人の兵士がひそひそ話す。


「計画から女子は除外済みだろ!」


「女性排除前に重要ポストに就いてたらしい」


「ただの大尉のくせに、この扱いはな」

不満そうに舌打ちする。


「人員の無駄遣いだ」

嘲るように囁き合う。


ミーアは全て聞き逃さず、しかし微動だにせず、まるで他人事のように車へ向かう。


──


軍用車が止まり、イーサンが降り立つ。


「敬礼!」

隊長の号令が響く。


「イーサン・リード大佐、ご機嫌よう!」

兵士たちの声が一斉に轟く。


ミーアはイーサンの前に進み出て、簡潔に敬礼する。


「ミーア・ハーパー大尉、本日より復帰します」

凜とした声。


「復帰を許可する」

イーサンは敬礼を返すと、さっきの私語した二人を鋭く睨みつけた。


──


「ご苦労、ジェームズ中尉、マイケル中尉。本日付で当部隊から除隊だ」

冷徹な宣告。


「抗弁は無用」

刃のような視線に、二人は青ざめてうつむくのみ。


「乗車を、ミーア・ハーパー大尉」

イーサンは平静を取り戻し、車を指し示す。


──


乗り込もうとした瞬間、慌ただしい足音が。


「ミー…ミーア!」

ノエルが家から飛び出し、ミーアの袖を必死に掴む。


「ノール…ノエル…」

ミーアの目に一瞬狼狽が走り、イーサンへ助けを求めるように視線を移す。


「ターゲット確認…」「攻撃禁止命令発令中」

兵士たちが警戒の眼差しをノエルへ向ける。


ノエルは震えながらミーアにしがみつき、右手のブレスレットが不気味な赤い光を放つ。


「ようこそ帰還した、ノエル」

イーサンの低い声が冷たく響く。


ノエルの指先がますます力を込め、緊張が張り詰める。


──


車内で三人は向かい合う。


「そのブレスレット…成程」

イーサンはノエルの手首を凝視する。銀のブレスレットは未だ微かに赤く脈打っていた。


「昨日の通話内容は把握済みだ」

イーサンが沈黙を破る。


「基地到着後、詳細な報告書を提出せよ」

容赦ない指示。


「承知しました、イーサン・リード大佐」

ミーアの声は平然としている。


──


「イーサンで構わん」

機械的な声。

「貴女にはミーア大尉と呼び続ける」

どこか諦めを含ませる。


「基地での円滑な連携のためだ」

イーサンの視線はノエルから離れない。ブレスレットの光が強まっていく。


「基地でノエルが何をしたのか、聞けますか?」

ミーアが慎重に尋ねる。


「自ら語らなかったか?」

イーサンは相変わらずノエルを見つめたまま。


「話したがらないようです」

ミーアがノエルの頭を撫でる。


(基地行きの前から、ずっと聞き出そうとしたのに…)

心の中で呟く。


「…そうか」

イーサンは一瞬考え込む。


──


「詳細は上層部の指示待ちだ」

冷たい宣告。

「現時点で開示可能な情報はない」


懐中時計をちらりと見て、

「会議がいつまで続くか」

独り言のように呟く。


書類鞄からファイルを取り出し、

「臨時命令により、貴女が当座の監視責任者だ」

淡々と説明する。


「前任者は死亡したため、引継ぎもない」

書類を差し出す。

「このリストに従い、10時までに必要書類を提出せよ」


──


ミーアは書類に目を通し、眉をひそめる。


「こんな量、10時までに…」

圧倒的な量の要求事項に重いため息。


「死んでも完成させろ」

無慈悲な返答。


「必要なら貸与のノートPCを使え」

イーサンはようやくノエルから視線を外し、

「ただし、彼には見せるな」

付け加える。


「以前と同様だ」

つまり、ノエルに不必要な情報を与えるなという暗喩。


──


「いやだ!いやだ!」ノエルはヘリコプターの前で叫び、ミーアにしがみついて離れようとしない。


「ノエル、私は別の用事があるの。別のヘリに乗らなきゃ」ミーアは諭すように言ったが、どこか諦めが混じっていた。


「昨日も言ったでしょ?ついて来たくないなら来なくていいって」冷静を保ちながら説明を続ける。


軍からノエルを連れ戻す直接命令は出ていない。もしノエルを過度に刺激すれば、今度は本当に誰にも見つからない場所へ逃げてしまうかもしれない。


「でも……」ノエルの声は苦しげで、抑えきれない悲しみに震えていた。


家を出てからずっと、ノエルの右手のブレスレットは赤い光を放ち続けていた。


──


最初は首の首飾り、次に左手のブレスレット。


(あの二つはなぜ現れたかわからないけど……右手のは私と二人きりの時に突然現れた)ミーアは思い返す。


今朝からずっと赤く光り続け、今も不規則に点滅している。


(ノエルの様子を見る限り、この光は何らかの感情と連動しているようだ)ミーアは理解しようとする。


「ノエル、ヘリを降りたらまた会えるから……」優しく諭す。


──


「うそつき……」ノエルの声は震え、目には失望と悲しみが溢れていた。


ミーアの心がざわめく。驚いてノエルを見つめる。


「あの日……かえってくる……って……」絶望的な口調。ミーアが計画を去った日のことだ。


いつものように検査を終え、「部屋で待ってて」と言って去り、そのまま5年が過ぎた。


ノエルはゆっくり後ずさりし、ミーアとの距離を取ろうとする。


「ノエル……」ミーアは手を伸ばし、不安げに見つめた。


周囲の兵士たちはノエルの一挙手一投足を警戒しながら見守っている。


ノエルの左手のブレスレットもゆっくりと光り始め、右手との赤い光が不気味に交錯する。緊張が高まる。


──


「実行せよ」イーサンの冷たい声が響く。


ノエルの首筋に素早く針が刺さり、薬液が注入される。ノエルの意識が遠のき、かすんだ視線でミーアを見つめた後、地面に倒れこんだ。


「ノエル!」ミーアは叫び、駆け寄ろうとするがイーサンに制止される。


「何をしたんです?」怒りと不安を滲ませて問い詰める。


「単なる麻酔だ」イーサンの声は冷ややかで、これ以上説明する価値もないと言わんばかり。


──


「長官、目標は眠りにつきました」兵士が報告する。


「専用ヘリに運べ」イーサンは感情のない声で命じる。


「我々も急ごう、ミーア大尉」そう言い残し、イーサンは振り返りもせずヘリに向かった。


「はい、長官……」ミーアは呟きながら、重い足取りで後に続く。


──


ヘリコプター内でミーアは報告書を作成していた。ノエルが町に現れてからの全事象と、ノエルに現れた異常現象について記述する。


対面の席のイーサンは、ノエル専用ヘリから送られてきた生体データを受け取る。


「これをどうぞ、ミーア大尉」報告書を読み終えると、ミーアに手渡した。


「これは?」問いかけながら書類を受け取る。


「専用ヘリには最新の医療機器が搭載されており、リアルタイムで生体データを監視できる」


──


「最初から麻酔針を使うおつもりでしたか?」ミーアは当時のノエルの状態が把握できていなかった。


「必要であれば、だ」イーサンの冷たい返答。


「必要がなければ使うつもりはなかった」と付け加える。


「賭けでもあった」イーサンの声にはリスクを顧みない冷淡さがにじむ。


「今の彼なら麻酔が効くかもしれない」推測めいた口調で続ける。


これは無謀な行為ではなく、ミーアの昨夜の報告と、いくつかの推測に基づいた判断だった。


「君の判断は正しかったようだ、ミーア大尉」イーサンは相変わらずの平坦な声で言った。


──


ミーアの昨夜の報告内容が思い出される。


「あくまで私見ですが……」ミーアはゆっくりと切り出した。


窓の外はまだ夜が続き、ノエルはベッドで静かに眠りについている。


「彼の装飾品は何らかの能力制限装置かもしれません。具体的な作用は不明ですが、光の発生は能力使用と関連している可能性があります」


「首の首飾り(第一の枷)では少女の傷を治癒しましたが、激しい痛みを伴いました。その際、首飾りは強く赤く光りました――つまりこれはノエルの能力を封印する装置と推測されます」


「左手のブレスレット(第二の枷)はノエルの身体変化と関係があります。睡眠行動に加え、人間的な生理的欲求が現れ、体温にも変動が見られるようになりました――本来なら36.5度で一定だったはずです」


「右手のブレスレット(第三の枷)は私と二人きりの時に突然現れました。当初は光りませんでした。出現は目撃しましたが、原因は不明です。会話内容から、私の軍隊復帰の決断と関係があると思われます」


「以上が現時点での観察結果です」


「彼の身体はもはや人間と変わらない」まだ検証されていないことだが、イーサンは自らの判断を確信しているようだ。


ミーアは専用ヘリから送られてくるノエルの変動する生体データを見つめる。


「とはいえ、5歳児に麻酔を打つのは危険です」報告書を精査しながら疑問を呈する。


「用量は調整済みだ」イーサンの冷たい返事。


「仮に死んでも構わない」イーサンが突然言い放つ。


ミーアの表情が硬くなる。内心の葛藤を隠せず、俯く。


「上層部の命令は生死を問わない」イーサンの声は冷徹な刃のようだ。


「有効な制御方法が見つからなければ、処分するよう命じられている」平然と言い放つ。


他国に逃がすよりはましだ。


「これは良い試みでもあり、発見でもあった」イーサンの目には感情の影すらない。


ミーアは書類を置き、イーサンを直視する。


「イーサン大佐、率直に申しますと、ノエルはあなたを嫌っているようです」ミーアは率直に言った。疑問を抑えきれなかった。


特に知りたいわけではなかったが、なぜか心に引っかかっていた。


「私はすぐ異動になる」イーサンは答えず、淡々と言う。


ノエルを逃亡させた失態のためだ。


「新しい責任者が着任する」


強硬派か?穏健派か?どちらにせよ、我々は命令に従うだけの軍人だ。


「それも良かろう……」イーサンはつぶやき、目には何の感情もなかった。


──


ヘリコプターが目的地に到着した。


「あと1時間ある、ミーア大尉」朝9時ちょうどだった。


「10時までに報告書を提出せよ」イーサンは振り返りもせず、基地内部へ歩いて行く。


ミーアはため息をついたが、やるべきことはやらねばならない。


「慎重に運べ」一方、ノエルは担架に縛り付けられ、兵士たちによって注意深く基地内へ運び込まれる。


「いつ覚醒するか分からない。目的地に到着するまで覚醒させるな」


「目を覚ましたら麻酔を打て」


彼らは基地内部へ入っていく。ノエルが長い間過ごした場所だ。同じ場所、同じ部屋、そしてノエルが脱走した場所でもある。


兵士たちが部屋を去ると、ベッドの上のノエルはすぐに目を覚ました。


見覚えのある天井を見上げ、恐怖がこみ上げる。慌てて起き上がり、あたりをきょろきょろと見回し、何かを探しているようだった。


めまいが思考を遮り、苦しそうに口を押さえ、涙がこぼれそうになる。


突然、枕元に積まれたぬいぐるみに気づき、少しだけ気持ちが落ち着いた。


一つのぬいぐるみを抱きかかえ、「ミーア……」と小さく呟く。


──


廊下でミーアは書類の束を持ち、イーサンのオフィスへ急いでいる。


ドアが開く音。


「5分早いな、良い心がけだ」イーサンは懐中時計を見ながら言った。


ミーアは書類を差し出す。


「命令があるまで、配置についていろ、ミーア大尉」イーサンは書類を受け取り、ぱらぱらとめくる。


「ノエルの様子を見に行かなくてもいいのですか?」ミーアが尋ねる。


「必要ない」イーサンは書類に目を通しながら答える。


「上層部から呼び出しがあるだろう。それまで待機だ」素早く書類に目を通し、封筒にしまう。


すると、スマホのメッセージに目をやる。


「待機は必要ないようだ。ついて来い」イーサンは立ち上がり、ドアへ向かう。ミーアがその後を追う。


──


部屋には軍と政府の高官たちがすでに集まっていた。


イーサンに連れられてミーアが入室する。


「彼女か…」

「女性は計画から除外すると言っていたはずでは」

「操られたらどうする!」

「もう人を殺しているんだ、今更そんなことを議論して何になる」

「我々がここに集まるのも危険だ…あいつの部屋からそう遠くない」

「処分するかどうかの話だろう。失敗すれば国が終わるのは我々も同じだ」


「だが今は戦争の瀬戸際だ。あいつの能力は欠かせない」

「だが今のあいつが命令に従うと思うのか?」

「戦場に放り込んで敵兵を壊滅させられないか?」


室内で激しい議論が交わされる。


「では会議を始める」イーサンが議論を遮る。

ミーアは彼の後ろの席に座り、プロジェクターに映るノエルの映像を見つめる。

ノエルはぬいぐるみを抱き、ベッドの上で再び眠りについているようだった。


兵士がドアを開け、ミーアの家から持ち帰った箱を運び込む。


「まず最重要事項から」イーサンは箱を開け、ノエルが作った銃を取り出す。

「脱走中に、軍が開発中の試作兵器を無許可で複製した」


出席者たちは深刻な表情で武器を見つめる――二度と脱走させてはならないという思いで。


「つまりもう兵器の製作命令に従わない可能性が…?」

この言葉の意味は誰もが理解していた。もはや役に立たず、脅威でしかない。


「接触する人員をすべて入れ替えることを提案する」イーサンは決断を下す。

この決定には彼自身も含まれていた。


「それで効果があるのか…あいつはバカじゃない」

絶対的な記憶力と情報処理能力、思考力を持つ非人類だ。


「脱走した時点で軍に協力する気はないだろう」

「気持ちなどどうでもいい!あいつに主導権を握られたら国が乗っ取られる!」

「慎重に対処すべきだが、機嫌を損ねれば我々が殺される!」

「以前の対応こそが最良だった」


主導権を握らせてはならない。


「だがこの大尉の報告書によれば」紙をめくる音。

「能力は大幅に弱体化している可能性がある」3つの装飾品についての記述。


「これらの仕組みが解明できれば…制御方法が見つかるかもしれない」

視線がミーアに集まる。


「これらの装飾品がどのように現れたか説明を、ミーア・ハーパー大尉」


ミーアは立ち上がり、室内の高官たちを見渡す。


「報告書にも記載した通り、出現過程は不明です」

「目撃したのは右手のブレスレットだけです。私が話しかけた瞬間、突然現れました」

「左手のブレスレットは、ノエルの身体が5歳の男の子らしい特徴に変化した時に発見しました」

「首の首飾りは町で見つけた時から装着していましたが、時期や理由はわかりません」

「どれも外すことはできません」


「首飾りは脱走時に現れた」「そうだ」「監視カメラに記録がある」小声の議論。


ミーアは着席する。


「イーサン大佐、あなたは首飾り出現を目撃したはずだ」 注目がイーサンに集まる。

ミーアは彼の背中を見つめる。


「その通り」短い返答。


「出現原因は何だと?」室内が静まり返る。


イーサンはゆっくりと口を開く。

「ルーカスの蘇生と関係がある」


ミーアは目を見開き、この言葉の意味を考え込む。


「もし戦死者を全て蘇生できれば」議論が再開する。

「武器は充足しているが、人的資源は不足している」

「だがそんな非科学的なことが行われれば、外部に知れ渡る」


ミーアの思考は会議から離れていく。

常識外れの存在...突然現れた装飾品...脳が高速で情報を処理する。


「生命...か」ミーアの小さなつぶやき。


イーサンは耳ざとく聞きつけた。「ミーア大尉は何か気づいたようだ」

「話してもらおう」


注目が集まる。


ミーアは立ち上がらずに話し始める。

「装飾品は枷です...首飾りは生命と身体を司る。治癒時に赤く光ります。蘇生能力も封印されているかもしれません」

「聖書のイエスのような能力だと?」高官が遮る。

「冗談ではない」「イエスはあんな恐ろしい存在ではない!」


騒然とする室内。


「左手の枷は生物学的特性...性別。普通の人間の体になり、麻酔も効くようになった」

「右手の枷は意識...意志。他人を操る能力を失ったのかも」


ミーアは目を閉じ、最後にこう締めくくった。

「彼は人間になりつつあるのかもしれません」


頭を深く下げ、それ以上は語らない。


会議は続くが、ミーアの意識はもうそこにはない。


議論の焦点は制御方法から、能力喪失を防ぐ方法へと移っていた。


「ミーア大尉、今夜9時までにこれらを質問せよ」イーサンが書類を渡す。

「アシスタントが必要なら申し出よ」


正式にノエルの主任務者に任命された。


呆然とするミーアに、イーサンは耳元で怒鳴る。

「ミーア・ハーパー大尉!」

「はい!」はっと我に返る。


「こういう放心状態だから、女性は操られやすいと思われるのだ」書類を投げつける。

「そろそろ目を覚ますようだ」監視モニターを見やる。


ミーアは時計を見て驚く。

「もうこんな時間!」夜7時を指している。

「昼食も取っていない...」


イーサンは呆れたように彼女を見る。


「今後の接触は任せた」イーサンは退出しようとする。


「あのぬいぐるみは?」ミーアがふと尋ねる。

以前は私物の持ち込みが禁止されていたはずだ。


イーサンは足を止める。

「ルーカスが買ったものだ」

「私が許可を出した」

「遺品も廃棄処分になる」と付け加え、去っていく。


ミーアはイーサンの首に、ルーカスと同じ首飾りがあるのに気づく。


──


重厚な防護扉がゆっくりと開き、真っ白な室内が現れる。ベッドの上には様々なぬいぐるみが並び、ノエルがゆっくりと目を開けた。


「ミー…ア…」ベッドの上のノエルが小さく呟く。


「ノエル?」ミーアが扉を開け、食事用ワゴンを押して入ってくる。


「ミーア!」ノエルは抱いていたぬいぐるみを放り出し、駆け寄ってミーアに抱きつく。


彼の手はミーアの制服を強く握りしめ、顔をその胸に埋める。


「また会えるって言ったでしょう?」ミーアは優しくノエルの頭を撫でる。


「うん…」ノエルは小さく頷き、慕わしそうに甘える。


「まず食事にしましょう」ミーアはワゴンを押し、ノエルの前に食事を運ぶ。


──


「いただ…きます…」ノエルは目の前の食事を見つめ、

「摂食時間は…」ミーアが記録を取りながら、まだ手を付けないノエルを見る。

「どうしたの?」

「ミー…ミリア…たべない?」ノエルがミーアを見上げる。

「私はもう食べたわ」栄養ドリンクで一分で済ませた。

「食べなさい」ミーアが言う。

「カロリー計算もして…今夜は徹夜かしら、コーヒーを飲もう」独り言のように書き込みながら。


ノエルは寂しそうに食事を見つめる。ミーアが視線を上げる。

「明日は一緒に食べるから」ミーアはフォークを取り、野菜をノエルの口元に運ぶ。

「いい?」ミーアが見つめる。

「うん」ノエルは一口で食べる。


「ここではミーアと呼んでいいのよ」フォークをノエルに手渡す。

「なぜ?」首を傾げるノエル。

「人は場所によって名前を変えるものなの」

「ここではノエルって呼ばれるのよ」書類に目を落とす。

「うん」嬉しそうに頷く。


「この後アンケートもあるし…」上層部が考えた質問リスト。

「私がいない間は誰とも会話していないようね…」

書類をめくるミーア。

「今の時間は…」時計を見る。


──


「ノエル…ここ…いやだ…」右手のブレスレットが微かに赤く光る。

苦しそうな表情を見て、

「ぬいぐるみが気に入らないの?」

「ちがう…」ぬいぐるみを抱きしめ体を丸める。

「ひと…きらい…」かすかな声。


「私も?」

「いない!」即座に否定。

「こわい…ミーア…いなくなる…」右手のブレスレットが再び光る。

ミーアは記録を取りながら聞いている。

「ルーカス…しんだ…」恐怖に震える声に、ペンが止まる。

「ノエル…たすけられなかった…」胸の首飾りが淡く光り始める。


──


重い扉が開く。

「ミーア…」一人ベッドでぬいぐるみを抱き、ミーアの背中を見つめるノエル。

ミーアが振り返る。

「ごめんノエル、今夜は忙しいの」睡眠時間も取れない。

ドアまで歩く。

「明日の朝来るから、ここで待っててくれる?」

かつてと同じ言葉が、同じ人物から再び発せられる。

「いや…」ノエルが言いかける。


「失礼します」女性兵士と二人の男性兵士がドア前に立つ。

先頭の女性が口を開く。

「リオラ・グレイブス、見習い軍医、階級は中尉。ミーア・ハーパー大尉の補佐を命じられました」

「こちらは人事異動書です。署名をお願いします」書類を差し出す。

残る二人の兵士。

「ダミアン・ワイルド、見習い軍医、少尉です」

「クリス・ジョンソンです、伍長です。よろしくお願いします」

三人が揃って敬礼する。


「人事の回転が早いわね…」書類を手に呆然とする。

たった1時間前に要請したばかりなのに…?

(以前は人手が来るまで三ヶ月もかかったのに…)前任者が違ったのだ。


「ちょうど良かった」部屋の奥でぬいぐるみを握りしめ、不安そうに見つめるノエルに目をやる。


「クリス伍長」

「この資料をタイプして、すぐに提出してください」

「承知しました」資料を受け取り走り去る。


「ダミアン少尉、ノエルの付き添いを」

「はい」

「怖がっていたら、近づかず見守るだけにしてください」署名を終える。

「リオラ中尉はイーサン大佐にこれを届けて」

「了解しました」

「それと私服に着替えてきて」

「え…はい?」自分自身の軍服を見下ろし困惑する。


──


重い扉が開き、私服のリオラが入室する。

部屋の隅で屈み込むダミアン少尉。

「交代か?」扉際でリオラを見上げる。

「これは…?」ベッドを囲むぬいぐるみの壁。その向こうでノエルが怯えたように二人を見つめている。


「何をしたの?」リオラが訝しげに尋ねる。

「何もしてないよ…」泣きそうな表情。

一歩近づくだけで震え上がり、ぬいぐるみでバリケードを作る始末。

「この状態で30分も…」


「もう…何があったかは知らないけど…」命令優先。

ノエルに近づいていくリオラ。ノエルはぬいぐるみを抱き締め、恐怖の眼差しで彼女を見つめる。


──


ミーアは机に積まれた書類の山を見上げる。

「はあ…」深いため息。

「ミーア大尉、資料のタイプが完了しました」

「ご苦労様。これをイーサン大佐に届けて」

「承知しました」


扉を開けようとした瞬間──

「ピピピッ!」基地内に警報が鳴り響く。

「コードXが脱走!繰り返します、コードXが脱走!現在位置A3-03、A3-02方面へ移動中!」

「現在位置A3-03、A3-02方面へ移動中!」


「A3…ここと同じ階だ!」クリスが振り返る。

ミーアは急いで監視カメラを切り替える。

「映ってない…」廊下には誰もいない。


まさか…

「ミーア!」突然、壁をすり抜けてノエルが現れる。

「ノエル!?」驚愕するミーアに、ノエルは制服の裾を強く握る。

「あっちに行ったぞ!」扉の外で兵士たちが騒ぐ。

「まったく…」リオラとダミアンも後から到着。

「壁を通り抜けるなんて信じられない…」


オフィス内。


「ノエル、部屋にいると言ったでしょう?」ミーアはノエルを見つめながら言った。


「でも……ミーアがいないと……」ノエルは俯きながら呟く。


リオラとダミアンが傍らで二人を見守っていた。


「彼女たちが付いているでしょう?」ミーアが諭すように言う。


「ミーア……がいない……」ノエルは服の裾をぎゅっと握りしめた。

「ノエルはまた……騙されちゃう……」声は震え、視線は床に落ちたまま。


「ノエル……」ミーアはそっと彼の手を解き、

「私がずっと一緒にいられるわけないでしょう?」


ノエルの瞳がぱっと見開かれた。


「上層部の命令に従わなければならないの。私は軍人ですから」ミーアの声には覚悟が滲んでいた。

これが私の選んだ道なのだ。


「それに……」ミーアはゆっくりと重い言葉を続けた。


「私はいつか必ず死にます」

──ルーカスが死んでいく瞬間の映像が脳裏をよぎる。


ノエルの瞳孔が激しく揺れた。


「だからノエルも、私だけに依存しないで」

五年の歳月はミーアの容貌に確実に刻まれていた。新入りのリオラやダミアンと比べれば、明らかに年長者の風格だ。


そのミーアが、五年前と寸分変わらぬ姿のノエルを見つめる。


「わかった?」


ノエルはうつむいたまま、答えなかった。


「あの……」リオラが躊躇いながら口を開いた。

「彼の左足……何か光ってませんか?」ダミアンが続ける。


ミーアが慌ててノエルの左足を見ると──

銀色のアンクレットが、まるで最初からそこにあったかのように踝を飾っていた。


「さっきまで……なかったよね!?」ミーアが青ざめた表情で二人を確認する。

二人が慌てて頷くその時、


突然の電話音が鳴り響いた。


「警報発生報告書を二時間以内に提出せよ」

冷たい通達だけが伝わり、切れる音がした。


「はあ……」ミーアは疲れたように受話器を置くと、

「ノエルはリオラ中尉と一緒に部屋に戻りなさい。彼女が添い寝してくれますから」


「……うん」ノエルはミーアの手からゆっくりと離れ、リオラの方へ歩み寄った。


「部屋まで送ってください。よろしく」ミーアは事務机に深く腰を下ろした。


「承知しました」

リオラは敬礼すると、ノエルを抱き上げてオフィスを後にする。


「ただいま戻りました!」クリスがドアを勢いよく開けた。

「ノエルは!?」書類を届ける間にノエルがいなくなっていることに気づき、壁に頭をぶつけてがっくり肩を落とした。


「あなたたちに用がある」ミーアがダミアンとクリスを呼び止める。

「何なりと!」二人がぴしっと姿勢を正す。


「一時間以内に先ほどの警報の報告書を作成してください」ミーアの目が鋭く光った。

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