第2話 灰かぶりと愚者の集い②
<登場人物>
クロエ・ミッチェル (元カーネルクック大学教授)
大学の海洋生物学教授であったが、サウスココス基地研究所に招聘される
ジョアン・モライス(サウスココス基地研究所員)
若手の生物学研究所員、所内では主にクロエの助手を務めている
<シープバーグ島リン鉱石採掘場>
詰め所一階のテーブルに残されたペッドボトルの中の水が、小さな波紋を描いた。地表に大きく彫り込まれた壁面に数百本のシャンパンを一斉に抜いたような音の反響が続く中、いつものように地下での発破作業が終了したサイレンが鳴るのを合図に、地上の重機やトロッコが慌ただしく動き出した。
階段状の掘削地に並ぶ何台もの油圧ショベルが、石灰や軽石と混ざったグレージュ色の鉱石をすくい、軌道上に待機するトロッコのバケットの中へ順番に落としていった。
金属同士がぶつかる鈍い音が岩の壁にこだまする。
「監督、また例のやつに当たりましたよ、今回のは今までよりもだいぶデカいです」
ショベルカーを操る男は無線で、詰め所の二階で待機している現場監督へとすぐに状況を知らせた。
「よくやった、扱いは慎重にいけよ、状態が良い物ほどお得いさんは鉱石より高く買ってくれるからな、カメラをブツに向けて早く俺に見せろ」
「はいはいっと」
それはいつもでてくる読めない文字の刻まれた板や柱とは似ても似つかない物体であった。モニターには、石棺のような物の一部だけが映っている。一番短い辺でも一辺三メートルはある巨大な箱状の物であることは容易に推測できた。
監督と呼ばれた男はそれを見るやすぐに机上の携帯端末を持ち、本社の部署に連絡を入れた。
「こちら第四番採掘場、今から繋げる映像をすぐにボスに確認してもらえ、すぐに、すぐにだ」
モニターの向こうでは別の画面でショベルカーの男がのんきに缶コーラを飲みながら車内カメラに顔を近付けて言った。
「で、監督ぅ、こいつ、どうしますか?」
「近付くな」
「それでも監督ぅ」
「何だ」
「この無線を聞いていた連中が集まってきてます、おこぼれの物でも拾いに来たんでしょうね」
<サウスココス地下研究所>
(僕の考えは違う、彼らは無駄な進化を捨てたんだよ、だから、こうして姿をあまり変えることなく数億年の昔から今の時代まで生存することができたんだ、神から贈られた極上のカードを間違わないで引いてきた結果なのさ、クロエ!)
クロエ教授がこの研究所に招聘されて一年、毎日、現場から送られてくるサンプルの中から、多くの研究所員とともに、かつて生息していた生物の痕跡を復元する作業に明け暮れていた。
今、彼女が目にしている動き続ける生体サンプルは、そんな記憶の中に沈んでいた青年の言葉を思い起こさせた。
先月、配属されたばかりのリスボン大学出身のジョアン・モライス研究員でさえ、日頃の調子の良い冗談交じりの言葉がその口から漏れてはこなかった。
緊張した面持ちをした二十人ほどの研究員に囲まれた生体サンプルは、透明の耐酸性容器の中に、壁のパネルに映し出されたライセンスの当人である遺体ごと密封されていた。作業員であった彼の表情は恐怖で引きつったままであり、四肢すべてがあらぬ方向に曲がっていた。
そして一番特徴的なのが、赤黒く腫れ上がった遺体の腹部に緑色の菌糸が蜘蛛の巣のように広がっていた。
「最初に接触されたのはこの者だけです、他に石棺に触れた作業員はいませんが、既に危険エリアに立ち入った該当の十名を隔離中、内訳は現地徴用が六名、他国籍者が四名、検査終了後に緊急事態法に則った処置を行います」
(ジャックの入った箱 (びっくり箱) まで用意しているとは、『愚者の民』はどれだけ疑り深い最悪の文明を築いてきたのかしら)
そのような言葉が脳裏をかすめるクロエは骸と化して容器内に伏す男の姿を観察していた。
「細胞片の浸食度は?」
「約四十五パーセント、元の細胞膜崩壊が急激に進んでいます、即時の保存液充填を提案します」
少し緊張気味のモライス研究員は手元の端末タッチパネルの値を見ながら短く彼女に伝えた。
「そうしたいところだけど、これは今までと違うタイプよ、菌糸の成長が肉眼で確認できるくらいはやい、もう少し様子を観察したい、他のドクターの見解は?」
「わたしも同意する」
「同意します、教授」
すぐに返事をした白衣の男女は皆、若者であった。この研究室にいる者たちはすべて二十代から三十代であり、クロエ教授が一番年長でもあった。
「いつでも凍結できるようにだけはしておいて、この生体はクマムシ以上の生命力をもっているのは確実、あの子たちとは違ってこいつらは私たち人間を菌床としか見ていないけれど」
緑色の菌糸が赤黒く変色した男性の頭部にまで拡がってきており、角状にいくつもの突起をつくり始めている。
「七つの頭と十本の角を持つ赤い竜……」
モライス研究員はまだ幼い頃、祖母に聞かされた聖書に登場する怪物を表したのではないかと、変容しつつある男の遺体を見て思っていた。
感動がいっぱい詰まった声は小さいつぶやきであった。




