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プロトストライダー  作者: みみつきうさぎ
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第1話 灰かぶりと愚者の集い

<登場人物>


機上の少女

 『シンデレラ姫』が好きな幼い少女 父と親戚の葬儀に向かう飛行機の中で銀色の球体を見る


ジョージ・サイリス (オーストラリア元老院議会議員)

 日米豪英共同訓練中に起こった事故について政府が隠蔽していることを政府に追及する


グラハム・ベック (オーストラリア連邦首相)

 連邦首相を二期務める。サイリス議員の共同訓練事故についての議会質問を一蹴する


クロエ・ミッチェル (カーネルクック大学海洋生物学教授)

 『愚者の記録』の解読委員の一人としてサウスココス基地施設に軟禁される


須坂 直 (帝城大学考古学研究所助教授)

 『愚者の記録』の解読委員の一人としてサウスココス基地施設に軟禁される


オザワ・カナト (国際企業五峰通商社員)

 シープバーグ島資源採掘事業担当社員 須坂を島に迎え入れる


ヨギ(運転手)

 シープバーグ島在住人 五峰通商のお抱え運転手 



<奥羽山脈上空 機上にて>


 その子供は初めて乗った飛行機の窓から見た景色に静かに興奮していた。すぐ誰かとこの気持ちを共有したかったのだが、少女の父は、隣で半身をシートに沈めただらしのない姿勢で寝息をたてている。昨夜も仕事から遅く帰ってきたことは彼女自身も知っている。自分の思いを伝えるためだけに起こすことへの軽い罪悪感。


「シンデレラのドレスのよう」


 感動がいっぱい詰まった声は小さいつぶやきであった。


 高度三万三千フィートの機内

 ただの平日ということもあり、周囲の乗客はスーツに身を包んだ大人が多く、密やかな会話すら漏れ聞こえてこない。耳に入るものと言えば換気音と、少しくぐもったように聞こえる飛行機のエンジン音だけである。


 絵本の中で踊る、お姫様のドレスの裾を広げたようなどこまでも続く海と空、後方に流れていく真っ白い大きな雲は羽の生えた馬、山が苔のように見える海岸線は古い馬車の通った道。


「神様は青い色が一番好きだったのかな」


 急な親戚の葬儀

 彼女にとって駅ビルで買ったばかりの黒いワンピースも嫌いではなかったけれど、並んで飾られていたリボンのついた青いワンピースの方がはるかにかわいく見えていた。

 この子の父はとても面倒がっていたが、まだ幼いこの子にとっては、行きたくない学校を長く休めるし、夏休みでもないのに、遠くの知らない場所へ行ける夢のような機会であった。


「欲しかったな……あの服」


 彼女は自分の考えをすぐに否定した。昔話では欲張りじいさんやばあさんは必ず最後にひどいめにあう。これ以上に贅沢を言うとこの楽しい時間さえも失うと思ったからであった。


 地上と雲の間で何かが光った。

 ボールのような銀色の球体


「風船がここまで飛んできたんだ」


 それは時折、雲によって見え隠れするものの、ずっと彼女の乗る飛行機についてきているように見えていた。


「なるで魔法使いの占い玉みたい」


 小さなこの子にとってそれが持ちうる知識の限界であった。


 

 西暦二○二○年四月、米国防総省は遡ること五年前と十六年前に撮影されたある動画を三本公開した。同二〇二二年、米国航空宇宙局科学ミッション本部リサーチ・アドミニストレーターのダン・エバンス氏は公開会議で「それらの物体に関する報告に対し、どう対処すれば人類にとって最善となるのか、それらのことに対し自分の役割は未来のロードマップを皆に提供することだ」と述べている。

 同二〇二三年、米国航空宇宙局は未確認異常現象として、先の動画に映し出されたある物体を調査する責任者を新たに任命した。記者の問い掛けにネルソン長官は「この広大な星々の世界に生命体が存在すると聞かれたのなら、私の答えはもちろん決まっている……それはイエスだ」と答えた。



<豪州元老院議会場>より 


 白いひげを下あごいっぱいにたくわえた血肥り顔のジョージ・サイリス議員は、椅子からゆっくりと立ち上がり、その重そうな身体を両の腕で支えるような姿勢で議会の質問台の前に立った。

 オーストラリア元老院議会において、彼が政府を揺るがしかねない重大な質問をする情報を事前につかんでいた報道局各社のカメラは、額にうっすらと汗のにじんだ緊張気味の彼の顔を大写しにした。


「先月、九月二十日にインド洋で行われた日米豪英共同訓練(Maritime Partnership Exercise)中に我が国のフリゲート艦『テ・マナ』含め、複数の艦隻がサウスココス島沿岸にて沈没、大破した件について、超大型サイクロンによる気象事故と各国とも同じ見解のもと発表されたことは首相もご存じのことでしょう、ここにおられる議会の誰もがそう聞いているはずです」


 はじめにサイリス議員は一語、一語を区切り、聞いている議会の面々に内容を確かめるようにしながら話し出した。


「この事故による犠牲者、負傷者を合わせると訓練に参加した各国とも前世紀の大戦以来の数に上ります。このことは非常に憂慮すべきことです。多くの軍人たちが、自国を守る戦闘ではなく、このような自然現象のアクシデントで命を落としてしまったことはさぞや無念のことでしょう」


 議員は話を続けながら、ポケットから取り出した薄茶色のハンカチで、べっとり浮かんだ顔の汗をぬぐった。


「だが、これは単なる事故ではなかったという噂がその後、すぐに広まりました。当然のことでしょう、海賊たちが七つの海を帆船で行き来していた昔話の時代のことなら分かります。だが、今は自宅のソファーベッドに寝転びながら、どこにどんな飛行機や船がいるか瞬時に分かる、それが軍のものであっても、一部の者たちには筒抜けです、ましてや、ましてやですぞ、この日に合わせるかのように数日前から参加国がチャーターした民間機やフェリーが絶海の小さな孤島に終結している。本国からもミード産業・科学相と多数の関係職員が途中でフリゲート艦に乗船し……そして、犠牲となった。ただの共同軍事訓練であれば、本国からも他国からも閣僚級の者たちが、あのような絶海の地域に集まることはないはず、首相、いったい大きな珊瑚礁さえもないその島で本当は何があったかをお答えいただけないでしょうか」


 議員は、そう言い終えると、大きく息を吸き、マイクに入るくらいの音量で肺の中の空気を吐き出すと、質問席の椅子の脚が折れそうな勢いで座った。

 議長に指名されたグラハム首相は、腕を組み自分を睨むサイリス議員を横目で見ながら足早に答弁台に向かった。


「何度も他の者が説明している通り、他国間共同演習の一部であった、犠牲となってしまった多くの同胞には今も深く哀悼の意をもっており、政府としても遺族への手厚い対応を関係機関と検討しながら早急に進めているところだ、サイリス議員、もう一度言う、これは悲しい事故なのだよ」


 首相の答弁に首を傾けたサイリス議員は挙手し、大きなパネルを脇に抱えながら質問台に戻った。


「と、どこの国の政府もそう話しているようですが、本当にそうなのでしょうか?数少ない生存者は、今でも軍の病院で面会謝絶が続いている状況です、治療中の画像だけは送られているようですが、それも軍の検閲が入ってのこと、家族にメール一つも自由にできず、無事であるという声を聞かせてあげることもできない、やっと戻ってきたときにはわずかな遺骨のみ、そのようなことは正気の沙汰ではない、原子力空母の機関から漏れ出した放射能被曝によるものと言われていますが、わたしたちの調査チームが調べたところ、周辺海域の放射線の量は常に平常値であり、被爆に繋がる証拠は見いだせませんでした、放射能被曝などどいうものは、あの場所、あの時に起こっていないのです」


 ここまで言って彼はまた一息ついた。


「この頃、世界中で航空事故が多発していることは、皆さんもご存じでしょう、わたしはここである関係性に気付いたのです。それぞれの現場で起こったことについて、わたしはある仮説を信じざるを得ません……その前にここにおられるすべての人にこれを見ていただきたい」


 その言葉に議場がざわつきはじめ、中継しているテレビディレクターはサイリス議員とグラハム首相の顔を交互に切り替えている。

 サイリス議員は抱えていたパネルを両手で持ち直し、質問台の上に突き立てるように立てると、遠くのテレビカメラの列に向かって写すよう指で合図をした。

 薄いパネルに医療機器が並ぶ室内で複数の防護服を着用した医師が患者を治療している映像が映った。手ぶれがひどく、医療器材の間に患者が見え隠れしている様子から隠し撮りされたものだと誰もが理解できた。


「これは、検閲されているうちの一部、治療中の患者の様子です、中央で処置されている患者はご覧のように全身の皮膚が腫瘤、潰瘍状となっており、既に四肢の区別さえ難しくなるほど、全身が腫れ上がっているのがお分かりでしょうか。どの放射線の専門医師に聞いてもこれは通常の放射線被曝によって生じる第四度の皮膚反応に似て異なるものという見解です、患者はすべて皆、頭を縮めた自分の両脚に埋め背を丸めている」


 議員の語気は段々と強まってきている。


「そして、これはブラジル国の飛行機墜落事故での奇跡的な生還者の様子、いや、生還したゆえに地獄へと突き落とされた犠牲者です」


 次に映し出されたのは、鱗やキノコのような形に変形した赤黒い皮膚に全身を覆われた肉の一塊、それは身体を丸めたままベッド上で動かない人間そのものであった。しかし、さっきまでの治療室ではなく、映っている人物も耐火服のようなものを着用した数人の性別不明の人物であった。


 患者の皮膚の症状やベッド上の姿勢は前の映像ととても似ていた。ただしこの患者は全裸のように見えている。


「それであるなら何か?その明確な答えが見つかっていない今、この瞬間にも大半の患者が手を打つすべもなく次々と亡くなっており、議員の皆さんがここに映っている被害者は、愛する家族にも真実を知らされず、原因不明の症状の中、人間の尊厳を剥奪され続けているのです」


 にじみ出る黄色い液体が肉塊の側面をつたう。背中一面の囊胞が弾け、無数の細い糸状の何かがうごめいた後、人の声とは思えない甲高い嬌声が部屋の中で反響する。


 パネルに映し出されているショッキングな映像の内容に、中継していたいくつかの局は、急遽、映像処理をかけるか放送を中断する手立てをとった。


 議場での映像はベッドごと人が火炎放射器で燃やされたところで終わった。この動画を見たほとんどの議員たちは怪訝な表情を浮かべていた。


「これは、CGや映画の中の話ではないことは間違いありません、その入手経路も確かなものであると付け加えましょう、再度問います、首相はこの一連の件と併せ、事故について本当は何が原因なのですか?未来に生きるわたしたち人類にとって明らかにしなければならない何かがあるのではないですか?少なくとも首脳同士による極秘会談があの事故以来、複数回開かれているという情報も入っていますが、いかがなものでしょうか?」


 サイリス議員が質問中、役人から耳打ちされていた首相は、一、二度、軽くうなずいた後、答弁台に立った。


「負傷者や遺族に対しての補償の件についての議論なら、わたしもいくらでも耳を貸すつもりであったが、そのようなまがい物を前提とした一連の質問には答える必要はないと考えている、これがわたしの最終的な答えだ、ミスターサイリス、君が議員としてこの国を担う者の一人ならば、これ以上、大切な議会の時間を潰さないで欲しい」


 議長はその答弁と示し合わせたように、質問席で騒ぐサイリス議員に自分の席へ戻るよう強い口調で命じた。




<クロエ・ミッチェル教授講義>より



「今日の講義の最後の質問です、動物と言ったら何を想像しますか?右のあなたから」


「猫です」


「かわいいわね、はい、次」


「犬」


「無難なところ、次」


「モルモット」


「実習の解剖が心配ね、次」


「蛇」


「へぇ、特に何?」


「サイドワインダー」


「クサリヘビ科ね、次」


「マーモット」


「前歯が魅力的ね、でもあの声は苦手、次……ふーん、次……」


「あ、僕が最後かな?うーん、マウス、ダンスや口笛が上手な」


「オーケー、今、ここにいる二十一人の生徒の好きな生物は、ペットショップで売っている物ばかり、もしくは著作権の厳しいテーマパーク産」


「ガラガラヘビも売っているんですか?」


「もちろん、餌用のネズミの飼育も忘れないようにね、つまり有名どころは、今、地球上の環境で酸素を呼吸で取り入れ、ペットショップで購入、もしくは捕獲後、許可を取って飼育できる身近な生物ばかり、しかし、そんな生物はこの世界ではほんのわずかです、その矮小な知識が今のあなたたちの思考の限界です」


「手厳しいな」


「さらに視野を広げて考えていかなければこの学問は成立しえません、『ビッグファイブ』という言葉については、この講義を選択しているあなたたちはよく理解していると思うけれど」


「人格の共通言語による分析手法ですか?」


「あいにくだけど、わたしはタブロイド紙の性格分析コーナーには興味がないの、確かに神経心理学界隈での言葉でも使用されているわね、でも、ここは『生物科学概論』、それも太古から進化の過程で記録されてきた生命現象を分析する基礎的な学問だから、理想の自分は、とか、自己の性格を詳しく知りたいと日がな追い求めているチルチルくんとミチルちゃんは別の講義を受けた方がいいでしょう、そちらの世界に青い鳥がいると思うわ」


「先生は第二特性の開放性が高い人ということを自分で分かっているからでしょう」


「心理学に詳しいあなたは開放性がマイナスで外向性だけは高いようだけどね、くだらないおしゃべりはここでおしまい、わたしがこれからあなたたちに考えてもらいたい方の『ビッグファイブ』は生物の『大量絶滅』の方、痕跡は地質の中にしか見出せないけれど、オルドビス紀末、デボン紀末、ペルム紀末、三畳紀末、白亜紀末の代表的な五回を指している言葉、そこで生きていた物たちについて一番最近で六千六百万年ほど前に絶滅したけれど、現代のわたしたちはその存在を知っている、なぜでしょう?」


「エディアカラ動物群やバージェス動物群の化石ですか」


「そう、彼らの生きていた証は堆積岩の中にだけ残っている。先カンブリア時代の『シクロメデューサ』なんて同心円の形状が本当に美しいデザインが克明に岩に残っている、そして、これなんかはよく知っているでしょう、標準化石としても有名な『三葉虫トライロバルト』、アクアリウムの中でつい飼いたくなるようなデザイン、海の底を這い回ったり、泳いだりする姿は可愛かったと思う、でも、ペルム紀の終わりには絶滅している、『ティラノサウルス・レックス』なんていうのもそう、なぜ、現代に似たような姿の生物がいるのに、これからさらに進化できる可能性をもった覇権者が絶滅してしまうのか、なぜ、同じような生活圏や形状なのにその生物は絶滅を免れたのか、未熟な頭脳をもったあなたたちなりに考えてもらいたいのが、老いつつある頭脳をもつわたしからの次の講義までの課題、基礎となるテキストは進化論でもカビの生えた生物変移論でも何でもいい、それらをきちんとまとめ一人ひとり自分の考えを交えながら発表してもらいたいと思っています」


「来週までですか?」


「当然、それぞれの思考のスタート地点が定まっていなければ生命の進化を考えるなんて無理ね、それと……わたしはサンタクロースやクリスマスプレゼントは好きだけれど、宗教論争は一番嫌いなの、互いに教義を振りかざした議論は不毛、まとめている時は、自分たちが何について学んでいるかを常に再確認するように、人類が覇権者であると仮定するならば、この地球上で残されている時間はほんのわずかしかないのが現状の結論、これで今日の講義を終わります」







<アクアリウムの思い出>


 寂れた水族館の壁には漏れ出したかのように水滴が浮かんでいる。

 整然と並ぶ水槽の多くが、生物の名が刻まれたネームプレートが貼られているだけの状態であった。

 若い二人連れのうちの女性は、滑る足下に注意しながら、先ほどから鼻につく生臭い空気に顔をしかめた。

 傍らの彼の趣味は少し変わっていた。といっても二人は付き合っている関係ではない。大学で同じ生物学を専攻していた実習の資料を確認するため、このような人がほとんど来ることがない地方の水族館にいるのであった。


「見ろよ、この寒天質の塊、旨そうに見えるだろ、まるでフルーツゼリーのようだ」


 その若い男は、横にいる彼女の反応を見ながら水槽の中に沈む幾何学模様の入った半透明の球体を指さした。


「冗談でもいやよ、もう、さっきの爬虫類も全部撮り終わったでしょ、早く戻らないと今日中に家に帰れない」


 彼は、女性の言葉を気にすることもなく、鼻に落ちた銀縁の眼鏡を中指で持ち上げながら、心の底から嬉しそうにその生物が飼育されている水槽に顔を近付けている。


 彼が夢中になって見ているのは『オオマリコケムシ』という、この水族館の近くの湖で採取された生物であった。その塊は大人がひと抱えできるほどの大きさで、一言で表すと濁った色のビニル風船のような形状をしている。

 彼女にはどう見ても食をそそられるような対象とはなり得ないものであった。


「本当に不思議な生物だ、一ミリにも満たない外肛動物が群体になると三メートル近くにもなり、海水にも淡水にも生息でき、浅海にも深海にもその生息域を広げ、細胞毒性をも持ったこの小さな身体だけで無性生殖。たったそれだけで大量絶滅の時代を幾度も乗り越えてきただけの力を有する、僕の価値観で表現するのならまさに無敵の生物だ」


 彼女にとって、それは興味を引くような生き物ではなかった。彼女はふわふわな毛を持つほ乳類、特に猫科が好きなので、このように無機物のように見える生物は、あくまで知識としてとどめておく程度の脇役である。


「同じ個体同士で融合し合い、内臓、いや体腔を共有し合うことで、より、効率的に摂食することが可能になる、奇跡の産物だと思わないか」


「別に、その仕組みを経て、進化した結果が今の私たちでしょ、この外肛動物は生命の分岐の終着点の一つにすぎないんじゃないの?」


 そう問われた女性は、いかにも面倒そうに返答した。


「僕の考えは違う、彼らは無駄な進化を捨てたんだよ、だから、こうして姿をあまり変えることなく数億年の昔から今の時代まで生存することができたんだ、神から贈られた極上のカードを間違わないで引いてきた結果なのさ、クロエ!」


 クロエ・ミッチェル教授はそこで目を覚ました。

 夢の中の若い自分とは違い、もう初老であることにすぐに気付いた。

 連日の論文執筆の疲労から教授室の椅子に座りながら彼女は寝ていたのであった。


「あんな、昔の夢を見るなんて、昼の講義で、大量絶滅なんてキーワードを使ったからか」

 

 彼女は夢の中の青年の名を思い出そうとしたが、その記憶の引き出しにはもう過ぎ去ってしまった時間という鍵が掛けられていた。



<インド洋シープバーグ島空港>



「須坂さま、こちらです」


 スーツ姿の青年がプロペラ機のタラップ上に姿を見せるとすぐに、出迎えの集団の中から日に焼けた東洋顔の若者が声を大きく上げてタラップの前へ飛び出した。つられるようにそれぞれの乗客の出迎えの者たちは、自分に関係する者たちの声を大きく張り上げタラップに殺到した。


「こんなに小さいのにずいぶんと賑やかな空港なんですね」


 須坂と呼ばれる青年は手持ちのケースを盾のように使い人の流れをいなしながら、出迎えに来た若者の側に親しげに話し掛けた。


「ええ、ここのことわざにタイミングを逃した横着者に幸運は訪れないというのがあります、この地方では遅いやつが損をするのです、お待ちしておりました五峰通商のオザワです、よろしく御願いします」


 須坂は右手を差し出してきた学生と言っても違和感のないオザワと名乗る若者の振るまいが、とても落ち着いているように見えた。須坂自身は齢三十を越えているものの、周囲からは二十代に見られてしまう自分がいつも気恥ずかしいと思っている。


 今、彼がかけている大きめのサングラスも幼い顔立ちを誤魔化すために出発する空港で用意したのだが、それがまた周囲から不釣り合いなように見えていないか心配をしていた。


「帝城大学の須坂です、はじめまして、五峰通商は大企業じゃないですか、わたしはてっきりアカデミーの関係者かと」


「ここでは主に通訳から何から雑用をいろいろやらされています、今回も同じ日本人がいいとあちらからの依頼で担当しています」


 オザワと軽く握手を済ませた須坂は入国ターミナルの建物を探したが、どこにもそれらしき建物はなかった。あるといえば急ごしらえのガレージハウスが滑走路の端に忘れられたように二棟だけ無造作に置いてあるだけであった。


「入国の手続きはどこで?」


「そろそろ始まると思いますよ」


 ガレージハウスの前に小さな机が出されると、先ほど同じ便に搭乗していた者たちが大きな手荷物をいくつも持って駆け寄り、長い列をつくった。


「あれが入国手続きですか?」


「須坂さんは、並ばなくても結構ですよ、後でホテルまで係が小遣い目当てで来てくれます、迎えの車もここまで来ますからもう少しお待ちください、前は車も滑走路にとめられたのですが、最近、来島者が増えると少し厳しくなってしまって離着陸の時は進入禁止になってしまったんですよ」


 オザワの言ったとおり、赤さびが目立った古い日本車が二人のすぐ目の前で停まった。


「さぁ、どうぞ」


 オザワは慣れたように後部ドアを開けて、須坂に乗車するよう丁寧に促した。


「懐かしい車ですね」


「ええ、日本では数十年前に廃版になっている運転手ヨギのご自慢の愛車です、これから島内を移動するときは彼が主に担当してくれます」


 黒い巻き毛と褐色の肌の中年の男は、須坂の顔を見て軽く日本風な会釈をした。


「ヨロシクネ、ボス」


「よろしくお願いします」


 少し警戒をしているのかヨギの表情が少し硬いように須坂には見えた。


「彼はこの島の出身ですから、表のことから裏のことまで私よりも何でも知っています、私に分からないことがあれば彼に聞くのがいちばん早いです」


「ナニカイイマシタカ?」


「ヨギのジャパンカー、ベリークールだそうだ」


 ヨギはオザワにそう言われて急に機嫌が良くなったようで、片言の英語で須坂に車のことを話題の中心に色々と質問してきた。


「ワタシノ『セフィーロ』サイコーネ、タダ、ガスイッパイタベルネ」


「どこの国でも中古の日本車は人気なんですね」


「ええ、彼に言わせると無駄なところに手が込んでいるのが良いそうです、飲み物を置くためのギミックやコンソールのスイッチの形状など、まぁ、日本らしいといえば日本らしいですけど」 


 オザワはそう言いながら助手席の窓を開けると、車内に潮の香りを乗せた風が流れ込み須坂の顔をなでた。


「頼まれた仕事とはいえ、こんな島があったんだな……」


 オーストラリア大陸から西に千キロ以上離れたインド洋上に、『キップリング』と呼ばれる諸島群が置き忘れられたネックレスのように浮かんでいる。大海洋時代に英国の海軍で海賊のアーサー・キップリングによって初めて発見され命名され、以来、いくつかの変遷をしながら今はオーストラリア政府が統治をしている。だが、絶海の場所に位置している地理的な理由から島民を主体とした暫定的な自治政府がこれまで機能していた。


 古代の火山活動によってつくられた双子のように並ぶ中心の大きな二つの三日月型の島『シープバーグ島』と『ゴートバーグ島』を囲むように珊瑚由来による石灰質で成り立つ二十もの小さな島々が幾重にも取り巻いている。


 パーム椰子栽培と漁業で成り立っていたこの美しくも貧しい島々に大きな転機が訪れたのは二十世紀半ばに差し掛かった頃である。インドネシアで起こった大きな津波により一番外洋に位置していた島々の砂や植物が削られると、そこに大量のある物質が蓄積されていたことが明らかになった。


 『リン鉱床』である。海鳥の糞が堆積した物質が石灰と反応して生成された鉱石は、化学肥料の材料として世界から注目された。すぐにオーストラリア政府は自治統治の見直しを図り、シープバーグ島に空港をはじめ国営企業を主とした商工業、宿泊施設を建設。それと共に人口が少なかったゴートバーグ島に軍事的な港や空港を整備した。


 軍港はオーストラリア領ココス諸島のさらに南方に位置していたことから、『サウスココス・キップリング軍港』と名付けられていた。


「夕刻の会議までまだ、時間があります。少し、島内を御案内しますよ」


 オザワはそう言って胸ポケットからオーストラリア紙幣を数枚、ヨギに手渡した。


「オーケー、オーケー!」


 パーム椰子が道に沿って並ぶ道を走るヨギの車はスピードを上げて、坂を上っていく。土地がちょうど菱餅が海面に載っかっているような形状をしていて、その中心部からなだらかにゴートバーグ島の方に傾斜をしている。


 道の脇には白い石が縁石のようにきれいに並べられている。



「この島は火山の隆起でできたと聞いたのだけど?」


「さすがですね、おっしゃる通り、この島と向こうのゴートバーグ島はいわば外輪山なのです、この先の展望台に着けばよく分かりますよ」


 ゴートバーグ島の低山の稜線に沿って軍用哨戒機が旋回しているのが見えた。


 展望台から見える壮大な景色は中年に差し掛かった須坂さえも旅心を大きく揺さぶった。どこまでも続く青い海と空、白い色が目立つ大小の島々、そして緑の森の中に長い滑走路が造られた三日月型の島。


「二つの島の間の海を見てください」


 オザワに言われるまでもなく、島の間の海が他の海面よりも濃い藍色をしていたことに須坂は気付いていた。


「あそこが火口ですか」


「ええ、ここでは『ラトゥの瞳』と呼ばれる内海です。普通は火山というと盛り上がるようなイメージを持ちますが、ここの溶岩自体が安山岩質で軽石が多かったそうです。それが複雑な潮の流れでドリルのように削られていったらしいですね」


「一見、穏やかな海に見えるけれど、そんなに潮の流れがあるのですか?」


「インドネシア通過流とモンスーン表層海流がもろにぶつかるところですからね、島の者はあの内海で昔から漁や海水浴をしません、海の女神の生け贄になってしまうと言い伝えられています」


「物騒ですね」


「こちらの島から向こうの島に船で行くには、こんなに近くても一度、外洋に出て島伝いに行くのが一番安全らしいです、軍にとっても一般人の立ち入りが難しいところほど好都合ですしね」


「軍港はここから見えないようだけど」


「向こうの外輪の崖下に島をいくつも連結させて大きな港が完成していますよ、たぶん、向こうの監視カメラにこちらの私たちの姿は補足されていると思います」


「そんなに秘密にしておきたいものでもあるのかい?」


「さぁ?ヨギに聞いてみますか」


 オザワは車の横でたばこを吸っていたヨギに軍港や内海について質問を切り出した瞬間、彼は慌てて顔を左右に振り、両手を合わせた。


 二機続けて離陸する軍用機が須坂の視界に入った。


「失礼ですがオザワさんは、若いのにずいぶんと色々なことを知っていますね」


「いえいえ、人づての話ばかりですよ、僕の大学での専門は鉱物学です、レアメタル関係の仕事をしたくて行き着いた先がここです、今は外人上司の顔色うかがいばかりしていますよ」


「このような美しい場所で働けるなんて、わたしから見ればうらやましいよ」


「わたしも最初はそう思いました……そろそろホテルに戻りましょうか、空港職員がうやうやしく出迎えてくれますよ、チップはわたしから渡しておきますのでご安心を、あ、もちろん会社の経費ですので心配はいりません」


 オザワは一瞬、表情を曇らせたが、すぐに声の調子を上げ須坂を再び車に案内した。遠くの方から風に似た音が聞こえてきた。


 須坂がその方向に顔を向けると軍の輸送機が次第に近付いてくるのが見えた。その機体は須坂たちの頭上を大きく旋回しながら高度を下げていき、向かいの島の滑走路に下降していった。


「特に最近は向こうの島が騒がしいです」


 オザワは肩をすくめておどけてみせた。


「隣国からの領海侵犯とか多いのかな」


「それはいつものことですが、先ほどのはたぶん別の理由です、須坂さん、あなたにも関係することかもしれません」


「考古学の一部分しか脳のないこのわたしが軍と?キップリング圏言語の遡及が会合のテーマだろ、オザワさんは冗談がうまい」


「ははは、そのことも十分承知しています、さぁ戻りましょう」


 白い珊瑚礁の巌塊が太陽の強烈な光を反射させ、幾重もの光の輪を青い海面に描いていく。


「ここの島々は本当に美しい」


 その浅薄な考えが間違いであることに須坂が気付くのは、もう少し後のことであった。


「そうですね、昔のままだったのなら、わたしもそう思っていたかもしれません……」


 オザワのつぶやきはヨギの軽快な鼻歌と愛車のエンジン音にかき消されている。




<サウスココス基地第四会議室>


 あの立ち入りを禁じられていた軍事要塞と化した島に今、自分がこうして座っていることが須坂には滑稽に思えた。

 昨夜までの南国気分が嘘であったかのように、基地内の部屋はむき出しの厚いコンクリートの壁とそこに設置された大型スクリーンに三方を囲まれている。


 須坂の座る列の対面には、異なる人種とそれぞれの国からなる軍服を着た初老の男女が二十人ほど神妙な顔つきで座っている。須坂の横にはオザワがいたが、基地に入ってから彼は一言も話していない。最後に話した言葉は「ここから先は質問されたこと以外、発言しないでください」であった。

 彼の並びには学会の複数の国の著名な教授や学会関係者が、自分と同じく通訳の若い男女を従えソワソワと落ち着かない様子で座っていた。


 唯一、スクリーンがない扉から初老の男を中心に、スーツ姿の者が無言で十五、六人ほど入ってきて、用意されていた席についた。


(あの顔……)


 その中に見覚えのある男性が並んでいた。ここ一年ほど前から防衛費大幅増額のニュースが連日報道されていたため、政治に疎い須坂にも、彼が日本国の防衛大臣だとすぐに認識できた。


(なぜ、要人がこのような場所に?)


 須坂は研究所経由でこの仕事を受けたとき、日本の商社の研修活動の講師だという話であった。自分の研究テーマである言語圏の古代語と、現在の人々の使う言語の違いなどを幅広い企業活動の一環で学んでもらうだけの簡単な内容だと聞いていた。

 それが違うと感じたのは、昨夜のホテルでの本契約書における内容であった。


 この島で知り得た内容について一切の口外を永遠に禁ずる


 その後の文言には当地において刑罰の禁固刑に準ずるような言葉も明記されていた。オザワに尋ねると、多国籍合弁企業による形式上のことで、さしたる理由はないとの説明であった。


(わたしは学会でもそこまでの立場の人間ではないのに)


 彼の研究はどちらかというと言語学において不人気な内容で、未解析の文字か絵画か定義が定まっていない古代文と従来の明らかとなった言語との比較を細々と研究していた。しいて挙げるとすれば東南アジア諸国に伝わるラパ・ヌイ語圏の古代文字と日本の神代文字群の比較研究の論文を数多く執筆しているが、ベースとなったテキストが偽書と噂されているものが数多く混在していたので、学会からはアマチュアに毛の生えた奇人扱いの立ち位置であった。


(第一、ここで資料を見せられたとしてもすぐに答えることなんてできる訳がない、解読が人工知能の翻訳機能だけでできるほど、簡易なものではないだろう……)


 座席に用意されているヘッドホンを着用するよう、前方の司会席に立つ軍服姿の女性が英語で説明を始めた。


「オザワです、聞こえますか、いきなりこのような重い会議となってしまったことお詫びいたします」


 隣に座っているオザワは須坂にヘッドホン越しに話し掛けてきたが、彼は須坂の方を見ることもせず、正面を向いたままであった。


「ああ、いきなり何があったのか驚いている、わたしはこのような場には相応しくない知見者だと思うのだが」


 須坂は小声で返答した。


「いえ、須坂さまは多くの専門者の中から選択された一人です、わたしの上司からはそう聞いています」


「それは大きな間違いだ、彼の上司とはこれから直接話すことができるのかな?」


「いえ、それは規則上できません、それに、このやりとりはすべて特別委員会に録音されています、発言には十分にご留意ください」


「特別委員会?」


「今はここまでです、これからチーフの説明が始まります、翻訳は得意と聞いていますので心配していませんが、わたしは、軍事的専門用語のところだけ補足説明いたします、もしその他に分からない言葉があったらお尋ねください」


 スクリーンに一枚の石碑が大きく映し出された。一見、花崗岩のように見える黒色の碑には、アルファベットやくさび形文字に似たテキストが隙間なく刻まれている。


(ロゼッタ・ストーンの紛い物か?)


 しかし、すぐに須坂は刻まれている文字の形が全く異なることに気付いた。


(違う……これに似た文字は『ロンゴロンゴ』、しかしこのような文字は未だ見たことない、碑の高さと幅がそれぞれ十メートル……巨石建築物の類いのものか)

 『ロンゴロンゴ』とは、モアイで知られるイースター島で近年に発見された絵文字である。


「これがこの島で二年前に発見された『愚者の記録』が刻まれた碑のオリジナルの画像です、これより世界各国からお集まりいただいた皆様へ特別委員会の主旨において全容を公表いたします、この部屋では外部の通信が制御されていますが、すべてを説明し終わった後は、いかなる手段を使って本国と連絡をとっても構いません、むしろすぐに連絡をとらねばこの災難に対応することなどできないでしょう」


 中段に座っていた白人の男が女性の声を遮った。


「この件に関し、我が国は先にいただいた情報はすべてフェイクであると断定させてもらった、採掘の資金供与が目的ならもっと違う手法を使ったら良いのでは、採掘という言葉は修正しよう、武器に関する各国政府非公認の影のシンジゲート設立の方がその目的ではないのかね、あの同時軍事訓練の悲劇も、我々に危機をあおるための仕掛けられたものだと噂されているようだが」


「こんなトレジャーハンターが喜ぶような話だけで、我々が納得できると思うのか」


 中心に立つ女性は意見をぶつける男たちと正反対に、眉一つ動かさず、冷静にその問いに応じた。


「そう貴国の政府が思っていただくのもここでは自由です、わたしたちがその問いに対し否定する権限はありません、でもなぜ、私たちのような非公認の国際組織が、莫大な資金援助のもと、こうしてこの時に、この最果ての孤島上に存在しているのでしょうか、あなたが貴国の代表ならば、何もしないで迎えるその日の代償は貴国の民が尊い命で払うこととなるとしか言えません、これは同盟国だけで解決できるほど簡単な問題ではないとお考えになりませんか」


 若い女性の司会者の説明に各国の政治家と思われる集団から不安の声が漏れる。通常、国際会議であれば次官級の職員が現地入りし、各国の事情の調整を長期に渡る事前会議で図った上、開催されるものだが、今回の会議はそのような配慮は一切ない。


(愚者……既に解読が進んでいるのか、いったい何が記録されているんだ?基になるキーワードは何だ、人……あれは人を表している神代文字に酷似している、いや違う、鳥だろう、同じ文字の形状でも切り込みの方向と深さが微妙に異なっている、別の文字ととらえる方がいいな、画像だけでは分からない、早く実物が見たい)


 須坂は参加者のやりとりが耳に一つも入っていない。スクリーンに投影されている自分が今まで出会ったことのない文字群だけに、少年の如く目を輝かせて興奮している。

 現時点で彼はまだ知らない。

 帝城大学の自分の籍が既に一身上の都合として何者かに勝手に抹消されていることを、そして抜けることはできない得体の知れない組織の奥深くに飲み込まれていることを。



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