9. 婚約者と殿下は本当に呪われていた
──今、なんて?
「……殿下!!」
私が固まったのと同時にアシュヴィン様が王太子殿下に怒鳴った。
「ははは、怖いな」
「人の婚約者を口説こうとしているのだから当たり前でしょう!? やめて下さい」
そう言ったアシュヴィン様が私の腰に腕を回して抱き寄せる。
「!?」
(ち、近っ!!)
こ、これは、もしかして……だ、抱き寄せられているの!?
アシュヴィン様とこんなに近い距離で密着するのは初めてで、私の胸の中には言葉に出来ない想いが生まれる。
(ど、どうしよう……し、心臓が破裂しそう!!)
「へぇ、さすがのアシュヴィンもそんな顔するんだ。面白い」
「……だから、殿下には会わせたくなかったんだ……」
アシュヴィン様がそう呟くと私を抱き寄せる力が更に強まった。
更に密着度が高まり私のドキドキは最高潮に達する。
(あああ! もう、これは絶対に私の顔は真っ赤だわ)
だけど、そんな私の気持ちも知らずに男二人の会話は続いていく。
「ははは、どういう意味かな?」
「ルファナ……の笑顔は最高ですから。まぁ、今の殿下には最高であろうとなかろうと関係なさそうですけどね」
「くっ!」
(え? い、今……アシュヴィン様は、何と言った……?)
わ、私の笑顔……え? 聞き間違い??
もっと気にしなくちゃいけない所はあるはずなのに、私の頭の中は今のアシュヴィン様の言葉ばかり気にしている。
(それに、ルファナって呼んだ……わよね?)
距離が縮まったような気持ちになれてトクンと私の胸が高鳴った。
「ははは、違いない」
王太子殿下はアシュヴィン様を見ながら苦笑いをする。
「……本当にさ、困るんだよね、ちょっとタイプだな、可愛い子だなと思うだけでこうなってしまう。笑顔が可愛いと尚更だ」
「本当に迷惑な体質になられましたね、そのうち婚約者に捨てられますよ」
「ははは、お前……アシュヴィンだって人のこと言えないだろうに」
「……」
二人は一体なんの会話をしているの?
そうだわ!
王太子殿下にはちゃんと婚約者がいるじゃないの!
つまり、さっきの私への発言は単なるお戯れ……?
「混乱させて申し訳なかったね、ルファナ嬢」
王太子殿下が私に視線を向けながらそう言った。
ちなみに、私はまだアシュヴィン様に抱き込まれている。何故か腕にガッチリと力が入っていて全然離してくれない。
「え……あの……」
「いや、その装飾品……アクセサリーを身に付けている君を口説くのは間違っていると頭では分かっていたのだけどね」
「……?」
「どうにもこうにも、口が勝手に動いてしまうんだ」
「……え?」
意味が分からない。口が勝手に動く、とはどういうこと?
「ルファナ嬢……君が安易に誤解する人ではなくて良かったよ。って、まぁ……そんな顔してアシュヴィンの腕の中にいるのだから余計な心配は要らなかったか」
「あ、あの?」
──そんな顔? 今、私はどんな顔をしているのかしら?
そう思うと一気に恥ずかしくなる。
「ははは、その可愛らしい顔はまた口説きたくなるな」
「殿下! これ以上ルファナを翻弄するのはやめて下さい!!」
「本当に……余裕が無い男だなぁ」
「っ!」
「アシュヴィン、お前が、肝心なことを言えないのは知っている。だが、それでは誤解を生むだけだな。私みたいなのにつけ込まれるよ?」
「……っ」
二人の中では話が通じ合っているみたいだけれど、残念ながら私にはさっばり分からない。
そんな気持ちが顔に出ていたのか、私の顔を見た王太子殿下はクスリと笑う。
「ルファナ嬢。単刀直入に言うとね? 私は自分の好みのタイプで笑顔が可愛い子を見ると何故か勝手に口が動いてその相手を口説いてしまうんだよ」
「…………え?」
「それも、困った事に相手に恋人や婚約者、果ては旦那がいようといまいと関係ない」
王太子殿下は肩を竦めながら、そんな重大なことを口にする。
それより、これって私が聞いてもいい話なの!?
「殿下、それ以上は……」
「いや、彼女なら構わないだろう。お前の婚約者なら無関係では無いからな」
アシュヴィン様が止めに入るけど、王太子殿下は首を横に振ってそう言った。
「……そ、それは以前からなのでしょうか?」
「いや、まさか。違うよ。本当にある日突然、最近だ……あぁ、進級する少し前から……かな」
「……最近、ですか」
なんて事なの。それもある日突然って。
そんなおかしな事が……
─────ん?
“そうよ、さすがお姉様。察しがいいのね! 王太子殿下もアシュヴィン様のように呪いにかかっているのよ! そして私と恋に落ちるはずだった一人よ”
ここで、ふとリオーナの言葉が頭に浮かぶ。
まさか、王太子殿下に起きている事って……
そう言えばリオーナは、
“王太子殿下に口説かれてアシュヴィン様に嫉妬される”
とも言っていなかったかしら?
(もしかして、これがリオーナの言う王太子殿下の呪い?)
「…………っ!」
今まで、リオーナの言うことだし……と、半信半疑だった事が急に真実味を帯びてきてしまいゾッとした。
(それにリオーナがおかしくなったのも進級前……最近だわ!)
偶然の一致と言うには……これは、さすがにおかしい。
「何かの病気かと思い内密に診察も受けたが身体に異常は無いそうでね」
「……」
「あまりにも突然変化が起きたので、私達は密かに呪いでもかけられたのではないかと思っている所だ」
「!!」
──呪い!
殿下のその言葉に私は大きく息を呑む。
「今、その手の事に詳しい者に調べさせている所だ……迷惑をかけて申し訳ない」
「い、いえ……」
それ以上の言葉が出ない。
だって、リオーナの言っていた事は本当だった。王太子殿下は呪われている……
…………そして、つまりそれは───……
「……アシュヴィン様」
「何だ?」
私は顔を上げてアシュヴィン様を見つめる。
未だに抱き込まれたままだったので、いつもより距離が近くて思わずトクンッと胸が跳ねた。
(い、今はと、ときめいている場合ではないわ!)
聞くなら今しか無いもの!
「あの! アシュヴィン様も……最近何か以前と違う変化が起きたり……」
ビクッ
私の言葉にアシュヴィン様の身体が大きく震えた。
(ああ! この反応はやっぱり!)
「アシュヴィン様……も、何かある、のですね?」
「……」
だけど、アシュヴィン様は答えない。
それでも、その表情から察するに図星なのだと思う。
(アシュヴィン様もやっぱり何かの呪いにかかっているんだわ……!)
そう思ったと同時にギュッと抱き締められた。
「!?」
「……すまない。そんな顔をしないでくれ」
「ですが!」
「俺に起きている変化は……殿下とは違う変化なのだが……殿下に比べれば大したことではない……」
「……」
本当に? アシュヴィン様のさっきの顔からはとてもそんな風には思えない。
今はどんな顔をしてそんな事を言っているの?
「殿下はこの変化のせいで、不特定多数の女性に誤解を与え、それを見た婚約者とは現在かなり険悪な仲となってしまっている」
「え!」
アシュヴィン様のその言葉を受けて私が慌てて殿下を見ると、殿下は悲しそうに微笑みながら言った。
「もともと政略による婚約だったけど、関係には更にヒビが入ったよ。今も顔を合わせる度にチクチク罵られる。どんなに説明しても言い訳にしか聞こえないらしい」
「そんな……!」
なんて迷惑な話なの!
これではまるで、殿下と婚約者の仲を引き裂きたいみたいじゃないの……
そう。まさしく“呪い”────
王太子殿下はリオーナの言うように呪われていた。
そして、どんな呪いかは分からないけれど、アシュヴィン様も同様らしい。
(全部、リオーナの言う通り……)
「ルファナ……」
リオーナの顔を思い出して身体が震えた私をアシュヴィン様は、優しく抱き締めてくれていた。