4. 様子のおかしな婚約者と失敗したらしい妹
驚きすぎた私は、自分の心臓が飛び出すのではないかと思った。
──どうしてここに!?
アシュヴィン様は裏庭でリオーナを助けるのではなかったの!?
(そして、なぜ嫌いなはずの私に話しかけて?)
「……えーと、な、何かご用でしょうか……?」
現在、私は窓の外のリオーナの事が気になって仕方ない。
だって、肝心のアシュヴィン様は何故かここにいる。
リオーナは当然そんなこと知らないので、こうしている間にも木に登ってしまったら……そう思うと気が気でない。
アシュヴィン様と恋に落ちる出会いとやらも困るけど、リオーナに何かあるのも嫌だ。
そのせいで窓の下のリオーナと目の前のアシュヴィン様の両方へチラチラと視線が泳いでしまう。
どうやらその様子が凄く挙動不審に見えていたようで案の定、アシュヴィン様から突っ込まれた。
「……窓の外、いや、下? に何かあるのか?」
「い、いえ!」
アシュヴィン様が、眉間に皺を寄せて近付いてきた。
そして、窓の外……そう。まさにリオーナがボーッと突っ立っている真下を見た。
「あれは、君の妹…………か?」
「……はい」
「あんな所で何をしているんだ? 誰かを待っているのか?」
……あなたです。
そう言いたい。だけど、さすがに言えない。
だって、私にもよく分からないから。
「分かりません……」
「まぁ……それもそうか」
アシュヴィン様はそれ以上、私に追求するのはやめる事にしたらしい。
私も何と答えたらいいのか分からないのでそれは非常に有難かった。
「……」
「……」
そして、何故かそのまま沈黙。私たちの間に気まずい空気が流れる。
それにしても、だ。
アシュヴィン様から話しかけてくるなんてとても珍しい。
珍しいこともあるのねと、ちょっと嬉しくなる。
「あの……!」
「……それで」
なんと今度は同時に声が重なった。なんてすごいタイミング!
「……!」
「……!」
何だか可笑しくなってしまって思わず笑みがこぼれた。
「ふふっ」
「……っ!」
だけど、アシュヴィン様は笑った私を見て思いっきり顔を逸らしてしまった。
(あ……珍しく話しかけてくれたから、少しだけ期待したけれど……)
悲しいけれど、やっぱり変わらないらしい。
さっき浮上した気持ちが一気にガクンと下がる。
分かっている。今更、大きく傷つくことはない。それでもちょっと悲しかった。
「コホッ……それで、アシュヴィン様? 私に何かご用でもありましたか?」
「あ、あぁ……」
アシュヴィン様はその言葉で、ここに来た目的を思い出したのかハッとした顔をみせる。
「そうだ。これを渡しに来た」
そう言ってアシュヴィン様は私に一通の封筒を差し出す。
「これは何でしょうか?」
「今度開かれる王太子殿下の誕生日パーティーの招待状だ」
「まぁ! 王太子殿下の! …………誕生日パーティー!? ……ですかっ!?」
驚きで思わず声が裏返ってしまった。
私が驚くのも無理はない。
何故なら王太子殿下の誕生日パーティーは、ごくごく限られた選ばれし者だけが呼ばれるという私とはこれまで縁の無かったパーティーだ。
そんな、パーティーへの招待状!?
「……俺のパートナーとして君に招待状が出ている」
「わ、たしが……!」
「何でそんなに驚く? 君は俺の婚……コホッ……婚約者だろう?」
「そ、そうですが……」
(婚約者だとは、思ってくれているのね?)
そこではたと気付く。
「こ、これを渡す為だけに私を探して、わざわざ図書室までいらっしゃったのですか?」
それは何だか申し訳ないという気持ちになる。教室にいなかったからさぞ困ったはず。
「いや? 特に探してはいないが」
「え?」
探していない? どういう事?
まさかの否定の言葉だったので、驚いて顔を上げるとアシュヴィン様とバチッと目が合った。
「……っ!」
「?」
アシュヴィン様が再び分かりやすく目を逸らす。
どうにか会話はしてくれるのに、何故か目は逸らされる。
「き……教室に居なかったから、図書室だと思って真っ直ぐ来た」
「!!」
そして、目は逸らしてくるくせにそんな事を口にした。
「……私がいつもここにいる事をご存知で……?」
思わず口からこぼれた独り言だったのだけど、どうやらそれを聞き取ったらしいアシュヴィン様の身体がビクッと跳ねた。
「……」
「……」
そして、再びの沈黙。
「…………要件は以上だ。あー……勉強の邪魔をしてすまなかった。では!」
「い、え……」
しばらくの沈黙の後、アシュヴィン様はそれだけ言って図書室を出て行った。
少しだけ顔が赤く見えたのは……気のせい?
「……ん? ちょっと待って?」
アシュヴィン様の今の言い方……私が図書室にいることだけでなく、ここで勉強していることまで知っていたように聞こえた……
「──なんて考えすぎよね」
(期待しすぎてはダメ)
だって、図書室にいるのなら、大抵する事は本を読むか勉強するかに決まっている。
だから、そう口にする事は不自然では無いわ。
そう自分に言い聞かせていたところで、ハッと思い出す。
「リオーナ!!」
私は慌てて窓の外に目を向ける。
アシュヴィン様は何故か図書室に現れてしまったけれど、もしかしたらこれから裏庭に行く可能性も……
「……あれ? いないわ」
そう思ったのだけど、リオーナの姿はもうそこには無かった。
「どうして…………あ、帰る時間だからだわ!」
何でかしら? と、思ったのだけどよくよく考えると帰宅の時間が迫っていた。
お迎えが来てしまう!
私も慌てて片付けて帰る準備を始めた。
◇◇◇
「……お姉様。聞いてちょうだい……私、失敗してしまったのよ」
「……えっ」
帰りの馬車の中、朝のはしゃぎようと真逆の顔をしたリオーナがそう口にした。
……やっぱり失敗していた!
「アシュヴィン様……現れなかったわ。ついでにハンカチも飛ばされなかったの」
「……」
アシュヴィン様は何故か図書室に現れた。
ハンカチもあれだけ強く握り締めていたら、やっぱりどう考えても飛ばされないと思う。
「話が違うわ! どう思うお姉様?」
「えー……」
そう詰め寄られてもなんて答えたらいいのかさっぱり分からない。
「アシュヴィン様に、“変わった女性”という印象づけが出来なかったのよ!? こんなの……この先の展開にも支障が出るじゃないの!」
「それを私に言われても……」
「だって言わずにはいられないんだもの!!」
「いや、だから……」
馬車の中では待ちぼうけをくらったリオーナの愚痴だけが続いていた。
「そうだ、お姉様! おそらく今日辺り、お姉様宛てに驚くものが届くわ!」
「驚くもの?」
「そうよ~! 多分、今頃屋敷に届いていると思うの」
今度は何の話かしら?
ようやく気持ちも晴れたのか、話を変えてきたリオーナの言っていることはやっぱりよく分からない。
「それは何なの?」
「ふっふっふ! 驚かないでね、お姉様。それはね! なんと、王太子殿下の誕生日パーティーへの招待状よっ!!」
「………………え!」
私がビシッと固まる。
固まった私を見て驚いたと思ったのか、リオーナは得意気な顔で更に語る。
「驚いた? 驚くわよね! ほら、お姉様は一応アシュヴィン様の婚約者だから招待されるのよ!」
「…………そ、う」
“一応”って言われた。
「なのに、アシュヴィン様ったら、お姉様に直接渡すのが嫌で屋敷に招待状だけ送ってくるのよ」
「!?」
「いくら愛してなどいない悪役令嬢相手でもちょっと誠意にかける行動なのよね……でも仕方ないのよ、お姉様!」
リオーナはその後も何やら語るけどほとんど頭に入って来ない。
そして、私は開いた口が塞がらない。
既に招待状は手元にあるし、なんならアシュヴィン様は直接渡しにいらしたけど?
「このパーティーのイベントだって外せないのよ」
「……」
「見ていてね、お姉様! 私、次こそは失敗なんてしないんだから!」
「……あー……」
そう決意に満ちたリオーナの顔を私は真っ直ぐ見る事が出来なかった。