15. 諦めの悪い妹と婚約者
「ルファナ!」
リオーナが婚約者交代を願い出たせいで色々と揉めた翌日のお昼休み。
教室から出て食堂へと向かおうとしていた所、アシュヴィン様が血相を変えて私の元にやって来た。
「アシュヴィン様?」
これまた珍しい事が起きたわ。アシュヴィン様がお昼休みに教室に訪ねて来るなんて!
だけど、どうしたのかしら?
すごく顔色が悪い。もしかして具合でも悪い?
それならこんな所に居ないで医務室に行ってもわないと!
と、脳内で色々と考えていたら、突然抱き締められた。
「!?!?」
きゃーーーー!
その様子を見ていた周囲からは驚きと共に黄色い悲鳴があがる。
(えっ……な……に?)
「…………聞いた」
「は、はい? 何をでしょう?」
耳元で聴こえるアシュヴィン様の声か何だかいつもより擽ったい。
「……リオーナ嬢が……婚約者の交代を男爵に求めた……と聞いた……」
「ど、どうしてそれを!?」
話さなくてはいけないと思っていたけれど、なぜアシュヴィン様がもう知っているの……!?
「リオーナ嬢の独り言を聞いた者からの報告だ」
「……え?」
リオーナの独り言とは? そして報告??
よく分からない言葉ばかりが飛び出した。
「リオーナ嬢はあまりにも奇っ怪な行動が多いので学園内では監視役がついている……と、言うか……つけた」
(えぇぇーーーー!?)
それは完全に初耳だった。
監視だなんて只事じゃない。
「し、知りませんでした……」
「黙っててすまない。それで今日は特に様子がおかしいらしく……朝からずっとブツブツとなにかを呟いているそうだ」
「……リオーナ……」
「それが、よく聞いてみると、父親に婚約者交代を求めたのに、と言っていたと……」
そう話すアシュヴィン様の顔が暗くなる。
──もしかして、それを耳にして血相変えてここまでやって来てくれたの?
(それって……アシュヴィン様は私と婚約解消は望んでいない……?)
思わずトクンと胸が高鳴る。
「そ……それは事実です」
「!!」
アシュヴィン様がショックを受けた顔をした。さらに身体も……震えている?
かなり大きな動揺が見受けられる。
私は心配して欲しくなくて慌てて言った。
「あの! でも、交代にはなっていませんよ? アシュヴィン様の婚約者は私のままです」
「……本当に?」
「えぇ、本当です……でもアシュヴィン様からすると、そもそも婚約相手が私で不満はあるかもしれませんが……」
「不満?」
私の言葉にアシュヴィン様が眉をひそめて怪訝そうな声で聞き返す。
「そうですよ、リオーナの件だけでなくアシュヴィン様はもともと──……」
「君に不満などあるわけないだろ! 俺は……ルファナ……がっ……」
「?」
また、不自然に黙り込んでしまった。
だけど、答えの代わりなのか私を抱き締める力はますます強くなる。
「……ア、アシュヴィンさ、ま?」
「……」
(は、恥ずかしい……どうしてアシュヴィン様はこんなにも私を抱き締めているの……?)
「……」
「……」
沈黙が続く。
単純な私はこんなことをされると……つい自惚れそうになる。
アシュヴィン様が最近見せてくれる態度にもしかして、と。
「……ルファナ」
「はい……」
「…………ルファナ」
ほら。私の名前を呼ぶ声も、以前より甘くなった気がするの……
(あぁ、頬がとっても熱いわ、それに胸もドキドキが止まらない……)
心臓がずっとバクバク鳴っている。
それでも、幸せ。
だから、ずっとこうしていられたらいいのに───
そうして、私たちはしばらく静かに抱きしめ合っていたけど、我に返ったアシュヴィン様が慌てて身体を離す。
温もりが消えてしまったことが寂しい。
「…………すまない」
「え?」
しかも、アシュヴィンはなぜか私に頭を下げた。
(何の謝罪? ここでまさか、実はリオーナの方が良かった……とか言い出すとか!?)
そんな心配をついしてしまったけれど、アシュヴィン様の口から出た言葉は想像とは違っていた。
アシュヴィン様の顔は暗かった。
「リオーナ嬢がそんな行動に出たのは俺の態度……のせいじゃないだろうか?」
「アシュヴィン様?」
「俺は突き放すようなことを言っただろう?」
アシュヴィン様の顔がどんどん落ち込んでいく。
あなたのせいではないのに。
(そんな顔をしないで欲しいわ)
私はちょっと強引にアシュヴィン様の顔を上げさせると、そのまま目を合わせる。
「ルファナ?」
「……決めつけは良くないですよ? それからリオーナのことは……あの子の考えていることは正直、私にもよく分かりません。だからアシュヴィン様がそんな顔をしないで下さい」
「ルファナ……」
私がそう伝えると、アシュヴィン様はもう一度優しく私を抱き締めた。
──そんな時だった。
「ふーん、お姉様達って…………思っていた以上に仲良しなんですね」
「っ!」
「!?」
突然、聞こえてきた聞き覚えのある声に私たちはビクッと身体が跳ねた。
おそるおそる振り返る。
そこに居たのは間違いなくリオーナ。
「リ、リオーナ……何、で」
……何でここにいるの? そう聞きたいのにうまく声が出ない。
なにより神出鬼没過ぎる!
「──アシュヴィン様に会いに来たの」
「「え?」」
私とアシュヴィン様の驚きの声が重なる。
「アシュヴィン様の教室を訪ねたら、“真っ青な顔をしてルファナ……と呟いて駆けて行った”と聞いたの。だから、お姉様の所だろうなぁと思って来たのよ」
「……それで? リオーナはアシュヴィン様に何の用があるの?」
私の言葉にリオーナはにっこり笑う。
「あのね? もう、まどろっこしいことはやめようと思って!」
「は?」
「だって、どんなに考えても考えても上手くいかない理由が分からないんだもの」
「リオーナ……あなた……」
私は愕然とする。
結局、何を言ってもこの子は変わらないし……アシュヴィン様のことも諦める気が無いのだと感じる。
「だからね私──……」
「!」
リオーナが何かを言いかけたけれど、この場はまずい。
ここは教室の前だもの……人目が多過ぎる。
(すでに注目は浴びてしまっているけれど……)
「待って、リオーナ。あなたの話は聞くから場所を変えましょう?」
「え?」
(こんな所で揉めたらこの先、どんな噂を立てられるか分かったものじゃないわ!)
そう思った私は場所を移動する提案をもちかけた。
───
「なんでわざわざ移動するの~?」
「……」
リオーナはちょっと不満そうだったけれど、私たちは裏庭に移動した。
今はお昼休み。食堂にいる人が多いので今の時間のここなら人目は無いはず。
「それで? リオーナ。わざわざアシュヴィン様の元を訪ねてあなたはいったい何をしたいの?」
私はちょっと怒り気味でリオーナを睨む。
でも、リオーナはいつもの無邪気な顔のまま答えた。
「何って、直接アシュヴィン様と話そうと思ったのよ。アシュヴィン様の婚約者をお姉様と私で交代させる気はありませんかって」
「は?」
まさかの直談判! 私は驚きが隠せない。
なのにリオーナは淡々と続ける。
「お父様は駄目だと言ったけど肝心のアシュヴィン様が私が良いと言えば問題ないでしょう?」
「……なっ!」
何を言っているの? 本当にまた諦めていなかったの!?
──と、私がそう口にしようとした時だった。
私の後ろからもっと大きな怒鳴り声が響いた。
「───ふざけるな!!」
その声はアシュヴィン様だった。そしてその顔と声はどこからどう見ても聞いても怒っていた。
「ふざけてなんかいません! 私は本気です!」
「それなら尚のこと。もっとタチが悪い!」
「アシュヴィン様……?」
リオーナは、なぜ怒鳴られたのかまるで分かっていないような顔をしていた。
「俺の婚約者はルファナだ!」
「知っています。だから、交代しようと言っています」
「だから……ではない! 昨日のことも聞いた。男爵は君に婚約者交代は諦めるよう言ったんだろう?」
「そんなの! アシュヴィン様の気持ちがあれば大丈夫です! アシュヴィン様とお姉様の婚約は家同士のもの。だったら相手が私でも問題はありませんよね?」
「問題はある! 俺は君のことを何とも思っていない!!」
全く主張を崩さないリオーナに向かって、アシュヴィン様はきっぱりとそう言った。
リオーナは首を傾げる。
「どうしてですか? アシュヴィン様は私だけでなくお姉様のことだって何とも思っていないでしょう? むしろこれからは私を……」
「勝手に決めるな! 俺は……俺は……っっ!」
そこでアシュヴィン様が言葉に詰まった。
俺は……の続きがない。
(アシュヴィン様……?)
そんなアシュヴィン様の様子を見たリオーナが嬉しそうに笑う。
「ほら、やっぱり。別にお姉様のことも愛していないのね?」
「ち…………だから! 俺はっ……」
また、だ。明らかにアシュヴィン様の様子がおかしい。
(何かを言いたいのに言えない……そんな様子に見える……)
「……くっ! …………のに!」
アシュヴィン様が悔しそうな顔をする。
その様子からは反論したいのに出来ない──そんなもどかしい気持ちが伝わって来た。
(どういうこと……なの?)
そこで、ようやく私は気付いた。
──これってまさか、アシュヴィン様の呪いのせい……?
よくよく考えてみると、他の人達も口から出る言葉に対して呪いがかかっていた。
それなら、アシュヴィン様の呪いもその類である可能性が非常に高い。
(あぁ、何で気付かなかったの……私は!)
アシュヴィン様が私との会話で妙に不自然に黙ってしまうことが多かったのは呪いのせいで会話に支障があったから?
きっとそうだ……
(つまり突然、態度が変わったのも……呪いのせいだったんだわ!)
ようやくこれまでのことが腑に落ちた。
「っっ! だ、だから、俺が好きなのは…………」
そして、アシュヴィン様は今も必死に抗おうとしていた。