2. 私の婚約者は密かに憧れていた人で
そもそも、私とアシュヴィン様の婚約は色々と釣り合いがとれていない。
私と彼の婚約は、事業の資金調達に頭を悩ませていたあちらの家へ、お金だけはあった我が家が多額の援助をする代わりに上の娘を娶ってくれというお父様からの申し出で決まったとか。
───ようするにお金。お金で決まった婚約。
結婚相手は親が決めて家の為に嫁ぐ──それが普通なので、お父様に「お前の婚約が決まったぞ」と言われた時は「とうとう決まったのね」くらいにしか思わなかった。
たとえ、私に密かに憧れている人がいたとしても、その人と結ばれる事なんて有り得ない。
なので婚約が決まったらそれを黙って受け入れるしかない。
常にそう思っていた。
だから、私は結婚に期待なんてしない。
あとは、旦那様になる人が良い人ならいいのだけど……それくらいの気持ちだった。
だけど、ついに決まったと告げられた婚約相手に初めて会った時、私は驚きと共に息を呑んだ。
───────
───
「アシュヴィン・グスタフです」
「ア、アドュリアス男爵の娘、ルファナ・アドュリアスと申します」
何とか平静を装って挨拶を交わしたけれど、この時の私の背中には汗がダラダラと流れていた。
とてもではないけど内心は平静とは言えなかった。
(ちょっと待って!! 本当に本当に本当に彼が私の婚約者なの!?)
たった今挨拶を交わした彼、アシュヴィン・グスタフ様は有名だ。私と同い年の彼はこの学園でも有名人。
身分や見た目はもちろんの事、なにより彼は王太子殿下の親しい友人の一人だから。
雲の上過ぎる王太子殿下は遠い方だけど、侯爵令息のアシュヴィン様には手が届きそうという理由で憧れている令嬢も多い。
…………そんな私も実はアシュヴィン様に密かに憧れていた一人だった。
きっと彼は私の事なんて覚えてもいないだろうけれど、あの日から密かに見つめていた……
もちろん、実際に手が届くなんて思ってもいなかったけれど。
(こ、こ、こんな事があるの!?)
だけどまさか、アシュヴィン様の家……グスタフ侯爵家がお金だけはあるけど爵位の低い我が家を頼ってくるなんて!!
グスタフ侯爵家は古くからの由緒ある家で王家からの信頼も厚い。
そんな侯爵家の嫡男であるアシュヴィン様と私が婚約!?
こんなの驚かないはずがない。
だけど、アシュヴィン様もお金の為とはいえ、こんな冴えない男爵令嬢の私が相手でさぞガッカリしたはず。
私はこれと言って特徴の無い黒髪で瞳の色は赤色。地味な色合いでとにかく平凡! の一言に尽きる。
嬉しい気持ちよりもこれは申し訳なさすぎるなぁ、と思った。
「アドュリアス男爵令嬢の趣味は何ですか?」
「趣味……ですか?」
顔合わせの挨拶の後、二人でゆっくり話すと良いという定番とも言える大人達の余計なお節介により送り出され、グスタフ侯爵家の庭園内を二人で歩く事になった。
そんな侯爵家の庭園は綺麗だったけれど、ところどころに花が植えられていない所があるので全盛期はきっと素晴らしい庭だっただろうなと思うと今、その様子が見られない事が少し残念だった。
「……読書、ですかね。定番でつまらないのですが」
「いや。男爵家は珍しい蔵書も多いと聞く」
「えぇ、お父様が本を集めるのが好きなので我が家に本はたくさんあります。私は幼い頃から書庫に入り浸るような子供でした」
ごめんなさいね、アシュヴィン様。刺繍とか可愛らしい趣味では無くて。
妹のリオーナはそういうのが得意なのだけど、残念ながら私は刺繍苦手なのよ。
内心でそう謝罪する。
「よく読まれる本の種類は?」
「そうですね……歴史は外せませんし、経済とお金に関する本も興味深いです。あとは、研究を纏めた論文なんかも面白いですね! 図鑑なんかは一日中眺めていられ……」
そこまで語った所で、自分がかなり熱弁している事に気付いた。
何故なら、アシュヴィン様はポカンと目を丸くしていたから。
そして可笑しそうにクツクツと笑いだした。
「はは! そんなに図鑑に対して目を輝かせながら力説する令嬢は初めて見た」
「……!」
これはあれかしら? もっと可愛らしい令嬢らしく恋愛小説が好きです!
とか言うべきだったの?
もちろん、それらも読む事もあるけれど。だけど私はお堅い本が好きなの。
「す、すみません……語りすぎました」
「くくっ……いや、そんな事ないよ? まぁ、ちょっと変わっているかな、とは思ったけどね……ははっ」
「…………」
それでも私の事を変わっているとは思ったらしい。
あと笑い過ぎ!
アシュヴィン様は終始そんな私の話を興味深く聞いてくれてはいたけれど、あまり自分の事は話さなかった。
きっと、私相手にそこまで心を開く気は無いのかもしれない。
だって、これはお金のことが無ければ絶対に結ばれることの無い婚約だったのだから。
彼にとって私との婚約は仕方の無いことで不本意だったのだと思う。
(アシュヴィン様なら、私なんかじゃなくてもっと綺麗で可愛い令嬢を選べたはずなのに)
本当に申し訳ないわ。だからこそ、せめて彼にとって良い婚約者にならないと!
そう決めて私はアレコレ話をして仲を深めようとその後もたくさん話をした。
その時のアシュヴィン様は、たくさん笑ってくれていたのに──
─────……
「……そうよ。顔合わせの時は言葉数は多いとは言えなかったけれど、笑顔も見せてくれていたわ」
なのに。
次に会った時のアシュヴィン様は、何故かとても私に対して素っ気無くなっていた。
──そう。
私が再びグスタフ侯爵家を訪ねたら────……
「こんにちは、アシュヴィン様!」
「……あぁ」
「今日もいい天気で良かったですね!」
「……あぁ」
どうしたのかしら? さっきから「あぁ……」しか言ってくれない。
「アシュヴィン様どうかされましたか?」
「っ! ……い、いや別に!」
「!」
私がアシュヴィン様の顔を覗き込むように動くと、何故か勢いよく顔を逸らされた。
心做しか身体も震えている。
(これは……拒否されている? この態度は私の顔も見たくないということ?)
この時、私は大きなショックを受けた。
(もしかして、たった一度の顔合わせで嫌われてしまったの?)
やっぱり女性らしい可愛い趣味を持たない私はお呼びでなかったのかもしれない。
お母様にも散々言われて来た。
私の趣味は可愛くない。本ばかり読んでどうするの? と。
だから、私の嫁ぎ先を心配した両親はアシュヴィン様にリオーナではなく私を充てがったのだと思う。
我が家の後継ぎは兄がいるので私達が婿をとる必要も無いから。
でも……
いいえ! それにまだ本当に嫌われているとは限らない! 暗く考えてはダメよ!
そう思って私はその日もアレコレとにかくアシュヴィン様に話しかけた。
だけど……
アシュヴィン様は、かろうじて話は聞いてくれていたけれど、顔合わせの時とは違って「……あぁ」「そうか」などの反応しか得られないし、目もほとんど合わない。
だからとても寂しくなった。
──────
───
「憧れの人が婚約者に……なんてちょっとだけ浮かれてしまったバチが当たったのかしらね……」
その後もアシュヴィン様の私に対する態度は素っ気無いまま、気付けば婚約して三ヶ月が経っていた。
「アシュヴィン様、他の人には普通の態度なのに」
暴力的な事をされたり言われたりするわけでもない。無視をされるわけでもない。
ただただ、素っ気無い。
リオーナに彼が呪われていると聞いて思わず、そのせいなの?
と、大きく反応してしまうくらいには、私にだけおかしな態度をアシュヴィン様はとっていた。
(結局、ただ嫌われているだけなのだとは思うけど……)
そして、リオーナの言う事も気になる。
(本当にアシュヴィン様とリオーナはこの先、恋に落ちる……落ちてしまうの?)
そのきっかけは何だろう?
すでに二人は顔見知りだ。なのに今更、恋に落ちるとは?
確かにリオーナは「お姉様の婚約者の方って素敵ね」と前々から口にしてはいたけど、私の知っている限り、二人がそこまで懇意にしている様子は見たことが無い。
つまり、本当に恋に落ちるとしたらこれから……なのだと思う。
そして、彼の呪いとは何だろう?
それは私が解く事は出来ないものなのかな? やっぱりリオーナだけが特別なの?
私の心の中はリオーナに振り回されて複雑な事になっていた。