使用人・2
婿はマシェリ様が存命中の間は、一応大人しくしていたが。マシェリ様が亡くなった途端、平民の愛人とその娘を引き入れた。貴族の服喪期間は一年から一年半が通常だというのに。政略結婚で恋愛感情は育たずとも伴侶を喪ったのなら服喪期間は愛人の元に通うこともしないのが普通の貴族家。それを通うどころか葬儀を終えた途端に呼び寄せて引き入れるとはなんたる事。デホタ公爵家の名を汚す行為。侮辱するのも大概にするべきだろう、婿の癖に。
けれど、マシェリ様の判断は正しかったと言わざるを得ない。
マイト様が他国に出ているからだ。
成人していない以上、マイト様とツェリお嬢様はあの婿の庇護下に置かれるのが普通だが、面倒なことに貴族は足の引っ張り合いを常に考えている。マイト様が学園の入学前の年齢であればまだ同情されていただろうが、年齢的には入学どころか卒業している年齢。成人していないとはいえ、その年齢で、婿である父親を御せなければ、それだけで「あんな頼りない嫡男で公爵家は大丈夫なのか」 と白い目で見られてしまった事でしょう。
下位貴族だったとしても、多少はそんな目を向けられていたでしょうが、デホタ家は公爵の地位を賜っています。貴族の中では最上位の身分。下位貴族の嫡男が侮られるよりも遥かに重圧は違います。
しかし。
マイト様が他国に留学しているのは多くの貴族家も王家も知っている上に、国外を出るのは留学であっても王家の了承が無いと出られないので、マシェリ様がこの世を去り、婿が好き放題していることにマイト様が直接苦言を呈することが出来なくても、それは仕方ない、と大目に見てもらえる。
マシェリ様は、そこまで見越していたのか、存じ上げませんが判断は正しかったのです。ただ、その分だけツェリお嬢様がお辛い目に遭っているのが私を含めたデホタ公爵家に仕える使用人一同は、悔しくてなりませんが。
何しろ、あの婿は本当に愚かで。
愛人を囲った頃から度々生家である伯爵家から叱責を受けていたのに関わらず、自分はデホタ公爵家の者だと地位を振り翳して黙らせてきた。前伯爵は婿の父で現在の伯爵は婿の兄。どちらからも、それどころか前伯爵夫人や現在の伯爵夫人からも叱責されたというのに、全てにおいて「自分はデホタ公爵家の者だ」 との一言で退ける。いくら生家であり実の親子であっても身分差は超えられない。だから伯爵家が引き下がるのも仕方ないこと。それが益々婿を増長させた。
私達使用人の諫言すら退ける。見下す。本当に手に負えない。
挙げ句、婿の分際で何を血迷ったか“公爵”だと思い込んでいる。自分が伯爵家から婿入りしたことは覚えているものの、婿入りしたから“公爵”になった、と思い込んでいるのがおかしいのだ。“公爵代理”としての執務と“公爵”としての執務も違うことに気付けていない。抑々当主ならば印璽を常に肌身離さず持ち歩いているもの。そして当主の指輪といって、当主以外は跡取りであっても身に付けられない指輪を身に付けるいるもの。
そのどちらも無いのに何故自分を当主だと思い込んでいるのか、甚だ疑問でしかない。
当主の指輪も“公爵”を表す印璽もマシェリ様が病に罹り起き上がれる時間が短くなった頃に、隠されました。その在処は私も知りませんし、ツェリお嬢様も知らないでしょう。当然、あの婿が知っている訳がない。マシェリ様が亡くなる前に「マイトに隠し場所は教えてあります」 と仰っておられたので、マイト様が帰国すれば大丈夫でしょう。そして帰国するのは、マイト様が成人される年の誕生日。
ツェリお嬢様は、婿が愛人とその娘を引き入れた時。その日が来るまでは、仮令自分が暴言を吐かれようとも蔑まれようとも暴力を振るわれようとも、マイト様を帰国させないように、と私達に厳命されました。ツェリお嬢様を蔑ろにするよう婿や愛人やその娘に言われても、逆らわないように、とも。
私達使用人一同は、その言葉に歯を食いしばって受け入れたものです。
唇を噛んで理不尽に耐える侍女長にはツェリお嬢様がそっとハンカチで唇を拭いておられました。カッとなって言い返そうとした料理長にはツェリお嬢様がその頬を打って、婿や愛人の気を逸らせました。その後料理長には何度も謝りながら赤くなった頬を冷やして手当てをしていました。料理長が言い返していたら、クビになっていたからでしょう。料理長もそれに気付いてツェリお嬢様に庇って下さりありがとうございます、と礼を口にしていました。
婿と愛人とその娘からの理不尽に一番影響を受けたのは私です。だからこそ、ツェリお嬢様は毎日寝る前に必ず、私にありがとうと礼を述べ、ごめんなさいと頭を下げて下さいました。そのお嬢様が一番辛いはずなのに。
だからこそ、私達はマイト様がご帰国されるまで耐え忍んでいたのです。
どれだけ婿と愛人とその娘が我儘だろうと、見下してこようと、ツェリお嬢様を居ない存在として扱おうと、散財しようと、愛人が自分を“公爵夫人”と勘違いしようと、その娘が自分を“公爵令嬢”と勘違いしようと、その娘が婿と愛人に学園でのツェリお嬢様の様子を嘲笑って話そうと。
耐えて耐えて耐えて来ました。
お嬢様が学園で友人という親しい存在を作らず、かといって嫌いな人も居ないで常に誰に対しても変わらぬ対応で人からは嫌われていないけれど、誰にでも一線を置いていることの意味も分からない愛人の娘が、ツェリお嬢様を嘲笑うなど許せることではない。それでも怒りを抑え耐えました。
お嬢様は、デホタ公爵令嬢。
筆頭の座を戴く公爵家の唯一の令嬢。
その価値は、王家にも一目置かれていらっしゃる。
お嬢様が仮に一人でも親しい人を作れば、その人が政略争いに巻き込まれるのです。有体に言えば、第一王子殿下と第二王子殿下……そして第三王子殿下の“王太子”の座を賭けた争いに。お嬢様個人が三人の王子殿下達と距離を置いて同じように接していたとしても、お嬢様が一人でも親しい人を作れば、途端に王子殿下直々或いはその意を汲んだ手の者が、お嬢様の親しい人を取り込もうと動くでしょう。お嬢様はご自分がそういった地位にあることを理解しておられました。
こう言ってはなんですが、国王陛下がとっとと“王太子”を誰か決めて国内外に宣言していれば良かったのです。そうすればお嬢様は、その“王太子”の婚約者に収まったので、争いになることもなかったし、学園で友人を作れて楽しい学園生活を送れたでしょう。
ですが、そんなのは夢どころか妄想でしかないのも分かっています。
何故なら“王太子”に選ばれるのは、能力差もありますが、国王となった時に支えられるだけの王妃でなくてはならないからです。王妃の実家という後ろ盾。国王や王妃や王子としての地位を守るために、国庫は開かれますが、それはあくまでも公の場であって私的なものに国庫は開かれないため、私的なものに必要な例えば王妃や国王の服の代金などは、王領の収入や王妃の実家の支援金から出るのです。つまり、権力だけでなく富も持っていないと、王妃にはなれない。
だから。
筆頭公爵家の地位と権力だけでなく、富もあるデホタ公爵令嬢が婚約者になった者が即ち“王太子”なのです。
だからこそ、ツェリお嬢様は親しい人を作らず、かといって苦手な人も作らないのです。苦手や嫌いな人を作れば、その人を排除した、と恩着せがましく擦り寄って来るでしょう。誰とは申しませんが。だから、誰に対しても変わらない態度で接しているというのに、それがどれほど難しいのか解らないくせに、あの愛人の娘はお嬢様を冷たい人だ、などと蔑み嘲笑う。
本当に許し難い存在。
でも、それでもツェリお嬢様は私を含めた使用人一同を止めたのです。
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