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隠れ里  作者: 葦原観月
3/5

聖域

ウチナンチュの密偵と、本土の密偵の活躍です。

「おめぇ、硫黄島で、何をしてる?」


 太一のひと言で、茂介の酔いが醒めた。

「何の話だ」

ゆったりと笑ったつもりだが、背には、びっしり汗が噴き出している。

「変だよなぁ、とは思っていたんだぜ。なんだか妙に羽振りがいいしよ。そんなに稼業に専念しているのかと思えば、そうでもない。どいつに聞いても、おめぇは船に乗っていなかったというし、そのわりには、島で姿も見かけない。まさか、抜けたかと思ってみれば、突然、羽振り良く遊んでやがる」


 胸糞悪い奴だ。内心で舌打ちしながらも、茂介は黙っている他はない。

 太一は「目付役人」だ。四代目に内緒で商売をしてると知れれば、ただでは済まない。

 荒くれ者の集団だ。拷問など遊びの一つ、猫が鼠をいたぶるように、散々にど突き回された挙句、簀巻きにされて、海へどぼん、だ。さすがに茂介でも、ちょっと腰が引ける。

「別に、隠すことはない。俺とおめぇは、同期だしよ。ただし、一応、俺はお目付け役だからな。黙っているにゃあ、それなりに……」

 随分と偉くなったもんだ。根っからのこすっからさと、機転の利く太一は、今や「四代目」の覚えのいい手下となっている。陰で副業にいそしむ者どもから、上前を撥ねるが奴の副業だ。海賊稼業も、一本では成り立たない。

「嫌なら、いいんだぜ。俺は同期の同輩を失うだけ……」

 茂介は素早く太一の袂に巾着を放り込み、太一は少し腕を上げて不満そうに茂介を睨む。

「今回は少なかったんだ。本当だ。次回からは、もっと払うよ。約束する」

 茂介の言葉に太一は、渋々ながら席を立った。


(参ったな)


太一の背を見送りながら茂介は思う。

 今回のお宝は、たった一人。白の中から現れた子供は三人だったが、茂介が一人を縛り上げている間に、別の一人が逃げ出した。権蔵が慌てて追いかけたが、いつもより白が多くて、見失った。

 戻った権蔵があと一人を担ぎ上げたところで、暴れた子供に、均衡を崩した権蔵が、子供もろともひっくり返った。おかしな方向に首を捻じ曲げた子供は売り物にはならなくなっていた。本当に権蔵は役に立たない。

 それでも子供は、いい値で売れた。流行病で、人手が不足しているらしい。


「今後、儂に仕入れを約束するなら。あんたの仕入れは質がいい。丈夫な男の子は、いい働き手になる」

 つまりは専属の仕入れ先となったわけだ。悪くない。

 すっかりと気を良くした茂介が、(いっそ、海賊稼業から足を洗い、「守株待兎」で、のんびりと暮らそうか)などと、ほろ酔い加減で思っていた矢先に、太一に夢を破られた。

 目付役人である太一に目をつけられた以上、たやすく〝抜け〟は、できなくなった。出稼ぎ先を知られていては、尚のことだ。

 太一に渡した巾着には、売り上げの半分が入っていたが、既に博打で半分ほど使っていた。

 太一は不満そうだったが、今回は、これでいいだろう。だが、残りの半分で遊んでいれば、またまた太一がやってくる。やむなく茂介は「四代目」の招集があるたびに船に乗った。


 久しぶりの船で、茂介は意外な情報を得た。「硫黄島」の名を聞いた時には、はっとしたが、騒ぎが起きていた訳ではなかった。ただ――

 島津の領主が「兵児道場」を開いた噂は聞き捨てならない。いわゆる「兵士」を育成する道場なぞ開かれ、子供たちが武術に長けてしまえば色々と厄介だ。

また子供を教育する「先生」たるものが島には多く集められていると言う。いずれも選りすぐりの精鋭だと言うから、見つかれば、ひとたまりもない。

(まずいぞ)

茂介とて、幼き頃から倭寇たる荒くれ者の中で育ち、それなりに腕力も戦い方の知恵も身につけてきた。が、島津の領地は強者揃いだと聞く。いずれ名乗り出た若者の中から選ばれた「先生」は、茂介など、いとも簡単にあしらいそうだ。

 何度目かの〝まっとうな荒稼ぎ〟の後、その日に船を降りた茂介は、お宝はもう諦めようか、と考え始めていた。何事も、引き際が肝心だ。


 太一は確かに「新たなる金づる」に、ちらちらと目を配ってはいた。だが、茂介が出かけない限り、事は進まない。一応は「四代目」の手下である以上、掟破りを促すこともできず、茂介が目の届く場所にいる以上、下手な動きは取れないようだった。

 が、茂介としては、気が気ではない。何せ、太一は頭がいい。業を煮やせば何か仕掛けてこないとも限らない。

 焦る茂介に、更なる追い討ちが懸かった。稼いだ金でちまちまと日々を過ごす茂介に、「兄さん、奢っとくれよ」島に呼ばれた遊女が声を掛けた。


稼ぎが良かった時、「四代目」は島に、遊女たちを招き入れる。島に余所者が入ることは滅多にない。盗品を買い取りに来る商人はしばしば見かけるが、女の姿はない。獲物として捕えた女たちですら島には上げず、船の中に待機させるほどだ。

 荒くれ者の中に女など置けば、諍いが起こる。仕事を終え、酒が入れば、男は必ず、女を欲しがるもんだ。上玉は勿論、上の者たちが押さえてはいるが、多くの女たちが島のあちこちで客を物色する姿は、普段は男ばかりの殺風景な島に彩を添える。ただ、大した稼ぎのない茂介に女を買うほどの器量は、かつてなかったが。


 誘いを掛けられて二つ返事をした理由は、お宝を売り捌いた金が、幾分か残っていたからだ。

賑わしい酒場には、女連れが結構いた。今回は余程、身入りが良かったらしい。「四代目」は諍いが起きぬ程度に、遊女を集めたようだ。

 気分よく床に腰を落とし、品定めするように女を見れば、悪くない。多少は歳を食っていそうだが、したたかな色気がある。顔は窶れているが、肉付きは悪くない。今夜は楽しめそうだ。

 にんまりと笑った茂介に女は薄く笑い、「あんた、茂介さんだよね」顔を近づけて流し目をくれる。怪訝に思いながらも、頷いた茂介に、

「あんたに言付けだ。元締めからだよ。餓鬼は、どうなった。約束を違えるか――とね。あたしゃ、なんも聞いちゃないが、元締めを怒らせると、怖いよ。ここの親方、「四代目」とやらとも懇意だし。約束は守ったほうがいい」


 結局、茂介は女をあまり知らない同輩に譲り、ぐうぐうと大部屋で寝ていた権蔵を叩き起こして、舟を出す羽目になった。島中が浮足立っている間のほうが見つかる心配が少ない。

(けっ、貧乏籤だぜ)

 内心で愚痴りながら、茂介は白の中から姿を現した島を睨んでいた。

          


「兄ぃ、噂、聞いてるんでしょう?」

 見たくもない権蔵の顔がまだ、はっきりと見える明るさの中で、舟を任せてさっさと島に上がろうとする茂介に、権蔵が不安げに声を掛ける。

「当たり前だ」吐き捨てるように言えば、「なら……」権蔵は言葉を濁す。

 まだ明るいから、もう少し待とうというのか。それとも、ここまで来て、やはりやめようと言うのか。

 いずれにしろ、びびっているのだ。最初の頃より背も伸び、ちっとはがたいもでかくなった権蔵だが、相変わらず頭はとろい。

 権蔵の頭の中身は、成長が止まっているらしい。今頃になって噂を思い出して怖気づくとは、呆れる限りだ。


「噂なんぞに振り回されとっちゃ、ぜぜは稼げん。見つからなきゃいいんだ。先生方も、別に山駆りに来てるわけじゃない。俺たちは、仕事をして帰るだけだ」

 言い捨てて茂介は走り出す。

 茂介だって、できれば止めて帰りたい。だが、お宝を持ち帰らなければ、いずれ死ぬことになる。だったらここで事を仕損じて死ぬか、運よくお宝を持ち帰り、ちょっとした贅沢を楽しみながら生き延びるか。人生は博打だ。


 走りながらも、注意は怠らない。ただ、意外にも、この時刻に山には人がいない事実は、承知の上だった。山仕事の者は最後の追い上げに懸かっているため、うろうろとは歩き回らないし、夕刻が近づく今時分から山に登る者はいない。無理をしなければ、人に見つからない自信は茂介にはあった。

 茂介のように、さほど腕っぷしが強くない賊は、味方のお宝をこっそり掠め取る技に長けていなくては、とてもじゃないが、おまんまにはありつけない。つまりは、身を隠す腕には長けているのだ。

何度も通った山道には慣れっこで、足を踏み外すことなく、茂介は目的の岩屋に近づいた。


(あと、ちょっとだな)


 この先は、滅多に島人は入らない。おそらくは島の掟か何かで、立ち入ることを禁じられているのだろうと、茂介は思う。一気に駆け抜けようとした茂介の足が止まった。足音が聞こえる。

 咄嗟に身を隠して見れば、いい女だ。まだ若い。ごくり、と唾を飲み込んだ茂介だが、女のすぐ後ろに目を遣って、緊張に身を縮めた。

 見るからに島の男じゃない。ほっそりとして、いかにも頼りなげに見えるが、きっとあれが「先生」なんだろう。

 だとしたら島津の強者だ。油断はできない。

(ちっ)と内心で舌打ちをして、道を急いだ。

 久しぶりの臭いに口を塞ぎ、茂介は背負っていた荷を放り投げた。

(相変わらず、陰気臭せぇな)足を蹴れば火山灰が舞い上がる。

(けっ、しけてやがる)

どかり、と座り込んだ岩屋は一年前と変わりはない。ただ……なんとなく違和感を覚える理由は、茂介が持ち込んだ、ちょっとした日用品が、微妙に位置を変えているからだと気が付くほど、茂介の心は冷静ではなかった。どうにも落ち着かない。

(お宝になんぞ、首を突っ込まなきゃよかった)

つくづくと張爺を恨めしく思う。

 余計なものに手を出さねば、こんな事態には、ならなかった。今頃、太一は、上前を期待して豪遊しているだろう。人買いの元締めは客と連絡を取っているはずだ。


 先ほどの「先生」は……ここで何をしているのだろう。女と一緒だったということは、逢引か。あんないい女とやれるとは羨ましい。


 だが、もし、そうでなかったら――。 


島に入り込んだ賊を退治に来たのかもしれん。女と一緒だった訳は、こっちを油断させるためだ否、おびき出すための囮なのかもしれん……

茂介の頭に、白の中から続々と、薩摩の強者が現れる光景が浮かび上がる。


今回、神隠しに遭うのは、俺だ――


ふとそんな思いが、茂介の心ノ臓を、ひやり、と撫で上げた。

(神様を騙った罰だ)


「も~い~かい」


子供の声が聞こえた気がして、茂介は縺れた足で表に出る。

陽は既に傾き、逢魔ヶ刻に差し掛かっている。いずこかから少しずつ白が流れ出している。

 これが視界を覆った時――常ならば、子供がふらふらと現れるのだが、今の茂介には「守株待兎」どころではなかった。うっすらと見え始めた大きな影に背筋が凍る。

 ざっざっ。足音は走っている。子供じゃない。

「うわぁ」

恐怖に駆られた人は、前後の見境がなくなる。とにかく腕っぷしに自信のない茂介は、薩摩の強者を前に逃げるより他はない。

 くるり、と背を向けて走り出した茂介の後を、足音が追ってくる。ともかく必死の茂介が、「あ」と思った時には、眼下に崖が見えていた。

(あぁ、やはり罰が当たった)

 勢いを止められず、自ら身を投げ出した形の茂介の襟首を、磯臭い手が掴んだ。

           


(俺としたことが。どうかしてたんだ、情けない)


 岩屋に寝そべって酒を流し込めば、少しは気分が落ち着いてくる。そもそも神様なんか、いるはずない。もしいたら、茂介も倭寇になんかならなかったはずだ。

 常ならば〝罰が当たる〟など、考えもしないくせに、どうもここにいると、やたら、神様の存在を信じている自分がいる。

(神隠しなんていう言葉があるからだ。けっ、馬鹿馬鹿しい)


 襟首を掴んで、茂介の命を救ったのは、権蔵だった。そんな事実が、また情けない。

「何してたんです?」

権蔵の呑気な問いに、

「しょんべんが我慢できなくなったんだよっ。悪いかっ」と噛みついた。

「はぁ……崖からしょんべん……なるほど、その気持ちわかりやす」

素直な馬鹿に感謝した。

「でもね、兄ぃも知っての通り、ここは危ないですから、走らないほうがいいです。落ちたら、お陀仏ですよ、死体も上がらないかも。ははっ、神隠しですね。神さんのとこに行けるかなぁ」呑気な馬鹿は、ひと睨みで黙らせた。

「おめぇ、来る途中で人を見たか?」の問いには、「いいえ。誰も。誰かいるんですかぃ? 嫌だな、薩摩の先生じゃないでしょうね。おれっち、斬られるの怖い」

 がたがたと震える権蔵には、黙っていることにした。これ以上びびらせると「帰る」と言いかねない。こっそりと一人で帰られては困るし、震え上がって役に立たないのも困る。

「心配するな。薩摩の男は、山の中では刀は使えないらしい。そういう掟があるんだとよ」出任せを言って宥めれば、

「本当ですか? あっ、そうか。神様の罰が当たるからですね」

神様の毒気に当てられているのは、自分だけではないらしい。ともかく。

 こんな物騒な島からは、とっととおさらばしたい。茂介はただ、早く獲物が来てくれることだけを神様に祈った。


 茂介の祈りも空しく、何事もなく数日が過ぎた。常ならば別に焦ることもないはずだが、いかんせん、今は茂介には様々な圧力が懸かっている。

 そのせいか茂介は悪夢に悩まされ、一日中ずっと、頭がぼーっとしていた。酒を飲んでも、気分は晴れるどころか、泥沼に嵌るような心地だった。子供の声がするのだ。

 獲物を持ち帰れなければ、太一に払える金はない。元締めはまた、せっついてくる。

 今度の使いは、遊女では済まされないだろう。得体の知れない〝新入り〟は何をしでかすかわからない。ろくでもない者だからこそ、倭寇なんぞになろうとするのだ。〝新入り〟に挨拶代りにぼこぼこにされる者も結構いる。

「何で、こんなことになったか。俺は倭寇になんかなりたくはなかったんだ。餓鬼の頃から大好きだった海を汚す倭寇になんか」

 暴力の限りを尽くし、ろくに抵抗もできない相手を殴りつけ、時には斬り刻み、深い海に突き落とす。

 胸糞が悪くなる。いつだって茂介は戦いの後は吐いている。船に酔っているわけじゃない、自身の心が揺れ捲り、とてもまともでは、いられないからだ。


「もういいよ」

澄んだ子供の声が言う。


もう……いいよ――


 全身ぐしょり嫌な汗を掻いた茂介が目を開ければ、いい加減、見飽きた岩屋の壁が見えた。

「あぁ、寝ていたのか」とも思う。だが、実際は岩屋の入口から入り込む陽の影に変わりはない。

 ごろん、とだらしなく転がった権蔵の背に止まった蝶が、そのままでいたりする。

 寝ているせいか、飲みっぱなしの酒のせいか……夢も現も境のなくなった茂介だが、生きてはいるようで、排泄行為だけは定期的に襲ってくる。

 のそのそと起き上がる茂介に、子供の声が繰り返す。

「もう、いいよ」

 気味が悪い。


 放出したしょんべんは、酒臭い。ふと、目を遣れば青い海、眩しいほどの陽を照り返した穏やかな海に、茂介は、ただ見入っていた。


もう……いいか。


 ひらひらと蝶が舞う。権蔵の背に止まっていた黄色い蝶だ。茂介をからかうように、ふわふわとのんびり、目の前を横切り、木立の中に姿を消した。

「あぁ、そうだ、もういいな」

茂介は呟いて岩屋に戻った。

 寝ているのか、ただ暇だから転がっているだけなのかわからない権蔵の背を蹴り上げ、

「荷物を持って舟に行け。いつでも出立できる準備をしておけ」

そのまま、くたくたと座り込んだ。

 目をこすりながらも、権蔵は頷き、後はがさごそと荷を纏める音だけが岩屋にあった。茂介は、ただぼんやりと外を見つめて音を聞く。


――権蔵、おめぇは行け。海を汚す前に――

 

沸き上る思いを口にはせず、茂介は静かに目を閉じた。

「もういいよ」

再び聞こえた声に目を開ければ、岩屋の中は空っぽだった。

 茂介は、にたり、と笑う。馬鹿は素直でいい。

「おめえ、誰だ」

問えば子供は小さく笑う。「いお」

 茂介の目に、子供の姿はない。空っぽの岩屋に茂介は、ただ一人だ。だが、何度も掛けられた子供の声は、妙に茂介の心を捕えていた。

「帰ろうよ」子供は言う。

「そうだな。帰りたい」磯の香を含んだ甘ったるい匂いが、茂介の焦りを溶かしていく。

 脅すも脅されるも、もうたくさんだ。慰めるような子供の声に、茂介の心は澄み切っていた。体は重いくせに、妙な高揚感がある。

「もういいんだ」一つ呟いて茂介は外に出る。

 白が濃くなり始めた、濃厚な臭いが鼻についた。常に倣って鼻と口を覆い、身を低くして、じっと白に目を凝らす。

「来た」

 白の中から頼りない足取りで、ふらふらと出て来た子供は、ぱたり。と倒れた。

 茂介は子供を抱え上げて、岩屋に放り込む。そのうち、目を覚ますだろう。

岩屋の中は、何故か白の毒素が届かない。あれほど期待を寄せたお宝であるはずなのに、茂介は既に興味を失っている。待つのは、こんなちんけなお宝なんかじゃない。正真正銘のお宝だ。

 渦巻く白が形を取り、茂介に「おいでおいで」をする。久しぶりに笑った茂介は、迷うことなく濃い白の中へと飛び込んでいった。



「せんせ、どこじゃ! 賢坊っ!」


 今しがたまですぐ近くに聞こえていた那医の声が、ふつり、と切れた。

 振り向いた平佐田の目に映るのは、白ばかりだ。前に目を転じれば、幾分か速度を落とした賢坊が、ちらちらと白の中に浮かび上がる。賢坊の色の黒さに感謝だ。

 深くなりつつある白は、危険だ。平佐田は必死に賢坊を追う。さすがに〝密偵〟として教育を受けているだけあって、賢坊の足は速い。運動不足の平佐田には、追いつけそうでなかなか追いつけない。賢坊は何を思っているのか、足を止めることなく走り続けている。


ふわっ。突然、吹き付けた風に、平佐田は咄嗟に目を閉じた。

(助かった、風があれば……)

 平佐田の期待通り、開いた目には深い緑の木立が映っていた。しかし。賢坊の姿がない。

「賢坊!」

声を限りに叫び、平佐田は走る。いったいここはどこなのか。開けた平地はとても……山の中とは思えない。

 滋子と行った、聖域の入口も平坦だったが、そこよりももっと広い。まるで一つの里のような……


「どこへ行くの?」

子供の声に振り返る。

 小さな子供が立っていた。賢坊と同じくらいか。だが、子供の肌は白い。

(島の子?)平佐田は不審に思う。こんなに色白い子は島にはいない。

(坊は誰? ここはどこ?)浮かんだ疑問を押しのけるように、平佐田は子供に訊ねていた。

「賢坊を知らない?」

 にこっ、と笑った子供が、すっ、と手を伸ばす。先を辿って、平佐田は目を見張った。

 賢坊の後ろ姿がある。向かっている先には、また、白い靄が渦巻いていた。

まったく賢坊は油断も隙もない。


「ありがとう」

平佐田は急いで賢坊の後を追おうとして、ふと、智次坊のことを聞いてみようと思いついた。

 もしかしたら、ここは、異国の人たちが隠れ住んでいる郷なのかもしれない。

山深い土地には、異国から逃げてきた人たちがひっそりと暮らす場所もあると聞いた覚えがある。海に囲まれた島ならば、そんな場所があっても不思議ではない。里人が聖域として立ち入らない場所には、神=異国人たる認識が、昔から伝わっている事実もあるのだと、友人の爺は言っていた。

だとしたら子供が、山深く入り込んだ智次を見かけた可能性もある。

「ねぇ、坊は……」

振り向いた平佐田の言葉が途切れた。何とも子供はじっとしていないものだと、諦めて踵を返した平佐田に、

「智次は大丈夫。じきに戻るよ――」

子供の声が返った。

(えっ、智次坊が?)

慌てて振り返るが、やはり、子供の姿はない。しかも――

(おいは、まだ何も聞いとらん……)

気が付いた事実にぞっとする。

(な、何じゃ……) 

 足が震え、一歩も前へ踏み出せなくなった平佐田の鼻が、いきなりの異臭にひん曲がった。

 酷い臭いだ、こりぁ堪らん。と首を振り、ぱしん。と頬に痛みを感じた。

「せんせ……せんせ」え?

「わあ」でかい顔に、思わず声を上げる。

「あぁ、良かった、せんせ儂がわかるか?」

 那医さんだ。でかい顔に、見間違いはない。だが、何故、那医さんがここに……

 何が何やらの平佐田に、那医が捲し立てた。

「勝手に動き回っちゃあいかん。狩り手が囮を追っていけんすう。硫黄は濃いと危険じゃ。賢坊は独特の呼吸法を持っとる。息を止めておれる間が、長いんじゃ。心配いらんと言うたろ。うちなんちゅの密偵を舐めたらいかん」

 硫黄にやられたのは平佐田だというわけだ。

 見れば、辺りはまだ白くけぶり、先ほど見た里のような平地でもない。ごつごつとした岩肌が隆起する山道だ。


「せんせ、立てるか? せんせは戻って。儂は賢坊を探す。ちぃと硫黄が濃すぎる。いくら賢坊でも、これではまずかろ。本日は中止じゃ。賢坊を捕まえてくる」

 背を向けようとする那医の腕を平佐田は、はしっ、と掴み、「おいも行く」と立ち上がる。

 船酔いを思い出す、むかむかがあった。だが呑気に船酔いしている場合ではない。これ以上、知り合いの子供が連れ去られる事態は避けたい。


 意識を失っていた間に見た光景が平佐田を駆り立てた。異国の子供は賢坊の行先を示した。賢坊の後を追うべきだ。

 向かいに立っていた子供の指した方向に、目を向ける。ひとしきり濃く渦を巻く白は、子供が指差した通りの様だった。

 間違いはない。ふらふらと進む平佐田に、那医「はー」と息を吐き、それでも止めようとはしなかった。

「こっちか、せんせ」那医の問いに、「うんうん」と頷いた平佐田に従った那医と二人、硫黄の渦巻く洞穴へ足を踏み入れた。


 真っ暗なのか、真っ白なのか。よくわからない洞窟は、くねくねとうねり、上ったり下りたりで、実際どっちなのかわからなくなった。

 ただ救いは、ひゅうひゅうと吹き込む風だった。硫黄もまた、あちこちから噴き出してはいるものの、充満はしていない。確かに息苦しくはあるが、気を失うほどではなさそうだ。


「石坊め……油断ならんやつやっさー」

呟く那医に「何?」と聞けば、

「聖域の奥に岩屋がある。どうやら、そこが賊の根城だと見当をつけとった」

 遠い昔は年に一度、島神様への供え物を持って上がった社のようなものだったようだが、あまりの危険さに、今では聖域の入口辺りに社が建ててあると言う。

 島人ですら滅多に登らない聖域中の聖域、どうやら洞窟はそこへ繋がっているらしい。


「石坊っちゅうんが、儂と組んどった。賢い子でな、学問はもとより、目端が利く。島には、あちこちに洞窟がある。繋がっていない物が多いが、中には、ちょっと手を加えれば通れるものもある。石坊が見つけて手を加えたか、それとも元々繋がっていた物を見つけたか……いずれにしろ岩屋へ通じる洞窟を、賢坊に教えた、言うこっちゃ。賢坊は手柄を立てるに必死じゃ。石坊はうちなんちゅの中で、将来を期待される密偵じゃ。可愛がっとる賢坊にだけ教えたんじゃろ。儂には一言も言わなんだ」

 やられた、とばかりの那医だが、結構、嬉しそうだ。〝うちなんちゅの密偵〟は童の内から先の構図を描いているらしい。


「が。賢坊は、まだまだ子供じゃ、石坊ほどの知恵もない。子供らの親代わりとしちゃあ、とっ捕まえて尻の一つも叩いてやらにゃあならん。すまんが、せんせにも、つきおうて貰おう」

 那医の足はどんどんと速くなっている。口ではなんといっても、賢坊が心配なのだ。

「せんせ、素潜りは得意か?」の問いには、「島津の密偵を舐めたらいかん」と返したものの、立ち塞がる白にちょっとたじろいだ。

 が、さっさと突き進む敵方の密偵に遅れは取れず、平佐田は死ぬ思いで息を止めた。只でさえ息が上がる坂道を駆け上がる。


 息が漏れそうになって、必死にこらえた。異国の子供が「ふふふ」と笑う。またまた、気を失いかけているらしい。それでは駄目だと己を奮い立たせ、とりあえず数を数えてみる。

「い~ち、に~い、さん……、もうい~かい?」「ま~だだよ」

百十二まで数えて、那医が言った。

「出口じゃ」


 最後は那医に引き上げられて穴を脱出し、思わず深呼吸して、げほげほと咳き込んだ。胃の腑から逆流した酸っぱさが辛い過去を思い起こさせる。

 またまたずるずると引っ張られ、さすがの那医もばたり、と倒れた。先ほどよりはずっと薄い白に多少の咳き込みをしながらも、ぜーぜーと喘ぐ。

そんな中、「あ、あれ……」屈強なうちなんちゅが、ぶっとい指を指した。何とか顔を向けた平佐田の息が、また止まる。

 子供が駆けていく。軽快な足取りは賢坊に違いない。その後ろを追っていく男は……。


 ぼろぼろの着物をひっかけた男だ。蓬髪が風に靡いている。島で、あんな風体の男は見た覚えがない。剥き出しの手足が黒光りして逞しい。

(賊か)

 平佐田の考えを読み取ったかのように那医が頷き、

「せんせは、先に下りてくれ。この道は、慣れたもんしか行けん。足を踏み外せば、最期じゃ。舟があるはずじゃ。押さえてくれ。何としても押さえにゃあならん。頼む!」

 那医は、そのまま、ひらり、と木立の中に消えた。


お話はまだ続きます。どうぞお付き合いください。

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