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隠れ里  作者: 葦原観月
2/5

平佐田は那医に協力して罠を、張ります。


 目を開ければ、黒く艶やかな天井が目に映る。重厚に這っている梁は、竜のように威厳がある。


(何だか御殿みたいだな)

御殿を見た経験のない平佐田だが、他に感想が思いつかない。

 ふわり、と頬を風が撫で、ゆっくりと顔を向けた。開けられた障子の向こうに、花が咲いている。

鹿の子ユリ、紫陽花、折鶴蘭……他にも平佐田の知らない花が、色とりどりに咲き乱れる様は、圧巻だ。遠く鳥が鳴いている。静かな波の音が耳に心地いい。


(ここは、どこなんだろう……)


 何度目かの疑問に答は見つからない。とにかく体がだるく、頭の中もはっきりとはしなくて、考えてはいつの間にか寝ているといった状態が続いているのだ。どうやら熱があるらしい。


 最初に目が覚めた時は、死んだのかと思った。立派な御殿に横たわっている自分は想像がつかない。天井もさることながら、咽せるほどの青い匂いのする畳や、ふっくらとした布団、立派な柱は太く、つややかに磨き上げられている。 

 とても生きてお目にかかれる代物ではない。平佐田は先生たる蓑を着せられたへなちょこ薬園師見習いなのだ。

 試しに生前の弱点を叩いてみる。

さわ……

痛くない。

(いやいや、今のは卑怯だぞ)

思い直してもう一度……布団の中で体をずらせて――

 きん――痛みを堪えて目を閉じた。全然、変わっていない。つまりはまだ、生きているらしい。


 ほっとしたと同時に、全身のだるさに気が付いた。

「お前、熱があるんじゃないのか」親切な意識が問い掛ける。この親切な意識がもう一歩手前で意見してくれれば、へなちょこでいなくてもいいのだと、つくづくと思う。

 ここがどこなのかは、依然わからない。だが、現にここに寝ているのだ、誰かが運んでくれたには違いない。

 ならば、どこかに人がいるはずだと、声を出してみても、小さな波の音にも敵わない。腹に力が入らないのだ。


(熱が高いんだ)

親切な意識が、諭すように言う。

 声も出なければ、体もだるい。腰は痛いし、人もいない。

(死んでるのと変わりないのでは?)

ちょっと思うが、死んだ経験がないから良くわからない。

 堂々巡りの思いの中、意識は朦朧としたり、覚醒したりを繰り返した。どれほどの時間が経ったかもわからない。

 何度目かの覚醒に、近づいてくるものが見えた。形は見えるが、もやもやとして、はっきりしない。だが、間違いなく、意志を持って近づいてくる様子がわかる、人らしい。


「おう。みー、開いちょるね。見えるか? ぐすいぬ時間やっさ―、飲めるかねぇ。ひっちーのさいうに、ぬませてぁげようか……」

 どこかで聞いたような……

 見る間にでかい影が近づき、平佐田の本能が四角い顔を拒絶する。くすぶっていた記憶が鮮明に蘇り、

「那医さん??」

嗄れた声が、室内に響いた。


「やっとぅかっとぅ気がちちゃんか~。ぁぁゆたさん、ゆたさん」

 ぐびっ、と碗の中身を口に含み、分厚い唇が窄まって近づいてくる。平佐田はぞっとして、全身の血が引いた。

 震えながら横たわっている平佐田に、「なーんてな」ごくり、と口の中のものを飲み込んだ那医は、

「せんせ、やぁ~、意識が戻れば大丈夫。やぁ~や、ちぃと気ぬ病じゃぁ~、心配事、多すぎやせんかぁ? そこに風邪が巣ぅくったようじゃ。なぁに、うふっちゅしく寝とればようなる」

 薩摩の言葉と琉球言葉を交え、那医さんは注ぎ口のついた湯呑を平佐田の口に当てた。

 苦く甘い匂いがする。「口移し」は嫌だから、一気に飲み干した。

 耳の後ろを触ったり、喉の奥を覗いたりしていた那医さんは、ふと、にかっ、と笑顔を見せ、

「本日やまやっさー、ひっちーぬ付き添いが来てうらんから、儂が代わりんかいぐすいを飲ませんかい来ちゃやっさーけさぁ~。ま、医者やくとぅ診察やするがね」

 そういえば那医さんは医者だと、智次が言っていた。間延びした天の声は、那医さんの声だった。ということは那医さんが平佐田を「魚臭い網」から救ってくれたわけだ。


(じゃあ……子供は? あの子は、誰? 智次坊は? おいは何日ぐらい寝ていたんじゃろう? それに、ここはどこ?)


 一気に溢れ出す疑問の、どれをまず聞けばいいだろう。

 平佐田は〝親切な意識〟に問い掛けようと目を閉じる。静かだった庭から、足音が聞こえた。


「おぅ、来おった」

那医さんの言葉に、(誰が?)〝親切な意識〟が飛びつく。

目を開けた平佐田に、椿の花が見えた。

(椿? 随分と季節外れだ)

平佐田が思う間に、椿は勢いよく縁を上がって走り寄る。

「せんせっ! 気ぃついたか。うちは、心配で心配で……」

 椿の花に覆われる。柔らかくていい匂いだ。椿の背を抱きたくて、腕を上げようとして、またまた腰に邪魔をされた。

 でも、もう、痛みなんか気にならない。夢なら覚めないで欲しいと、平佐田は真剣に願った。


 滋子がぶつぶつと恨み言を言っている。潔しの椿らしからぬ態度だ。

 でも、それは段々に小さくなって、啜り上げる声に変わった。胸に広がる滋子の涙が、温かさを持って平佐田の胸に染み入る。


(おいのために泣いてくれる人がおる。なんと幸せなことじゃろう)


 平佐田がしみじみと幸せを噛みしめていると、那医さんが滋子の肩越しに、薬の碗を掲げてみせる。

(?)

 眉を寄せた平佐田に、那医さんは、にかっ、と笑い、滋子を指差して、碗を口に当て、先ほどと同じように分厚い唇を窄めて見せた。

(えっ。ひっちーのさいうにぬませ……) 

 滋子の柔らかそうな唇が、平佐田に重なる様子を想像し……

 一気に頭に血が上った平佐田は、う~ん、と唸ったのを最後に、全身の力が抜けていく様を、どうすることもできずにいた。

         



 数日後――

 平佐田が寝かされていた部屋とは、また趣の違う、高級そうな調度品に埋め尽くされた部屋で、平佐田はお館様と対峙していた。


 熱は引いていた。だが、「大事をとらにゃあならん」と、那医が持ってきた掻い巻に簀巻き状態の平佐田は、大いに腰の据わりが悪い。

均衡を保っては、ころん、と達磨のように転がる姿に、お館様の笑った顔を初めて見た。

 非の打ちどころのない美しさだ。だが――

 目の見えないお館様が笑うとは合点がいかない、平佐田の戸惑いに……


「我の目と口は、常人とは別にあり。よって不便は感じておりません。かようなお姿では、礼儀を取るは難しかろう。どうぞ、楽になさってください」


 どきりとするような答を、お館様はすらすらと文字にして、平佐田に手渡した。茫然として文字を見つめる平佐田に、

「失礼した。耳も付け加えねばなりませぬ。常なる耳は聞こえます。が、聞こえぬ音を拾う耳も持っております。おかげで幼き頃は、随分と辛い思いもしましたが。心は丈夫になりましたな。神の悪戯とは良きものか、悪しきものか」

困った顔で付け加える。

(うわぁ。思ったことがすべて筒抜け? これはまた……)

困ったなぁ。と頭を掻く平佐田に、

(貴殿が困ることはありますまい。邪な心を持たぬ、清らかな水のようなお方である。我には良く見えます。何よりもまず、人の心配を先になさる貴殿は、多くの人が慕って集まる泉のようなもの。余所者嫌いの島人が、貴殿を慕う理由が、そこにある)

(いやぁ、そんな……褒められるってなんだか恥ずかしかね。って)


「えええっ!」


 思わず声を上げて、平佐田は慌てて口を塞ぐ。お館様は天女のように、にっこり、と笑った。

 嬉しいことです――


お館様は綴り、だが〝聞き手〟には負担が掛かるから、書面でのやり取りをご容赦願いたいと、丁寧に頭を下げた。

 平佐田としては戸惑うばかり。だが、世話になっている御仁だ、従うは当然と居を正し、礼をとれば、

「挨拶は、ここまで。大人とは厄介ですな」

平佐田の膝に置いた紙と同じ、白い目が柔らかく笑んだ。先とは違う温かさに心が和らぐ。

促されてお館様の横に、もそもそと移動すれば、ほんのりと品のいい香りがする。何とはなしに落ち着く香りだ。が――

すらすらと綴るお館様の文字を、やっとのことで追う平佐田の胸が騒ぎ出す。

「失礼します」

声に気が付いて顔を上げ、見知らぬ女子の出現に、またまた驚いた。


(おう、失礼じゃ)

慌てて居を正したつもりの平佐田は、こてん、と転がって思わず「うぅぅっ」と唸った。

「ふふふ」楽しげに笑う女子と、平佐田を起こしてくれたお館様が目を合わせて柔らかく笑う。

「あ……」と思わず出した声を、平佐田は恥じた。


 お館家にお世話になってこのかた、平佐田が見かけた人物は那医と滋子のみだ。病人を慮っての人払いはあろうが、女子の姿がない状況には、いささか不自然さを感じていた。

「若様」ともいえるお館様の身の回りの世話をする女子は、いるはずだ。

「お初」と名乗った女子は、どこからどう見ても良家のお嬢様で、平佐田の見る限り……

 お館様ととても親しげに見えた。お館様も隅に置けない……。などと考えて、慌てて雑念を振り払った。お館様の耳は、平佐田の頭の中にも向けられている。 

 咄嗟に目を向けたお館様は、照れくさそうに微笑んだ。平佐田が初めてお館様に人を見た瞬間だ。


「腰がよろしくないそうですね」と、お初さんが置いていってくれた脇息に身を預け、簀巻きの平佐田は傍から見たら何に見えるかと、情けなく思いながら、お館様の書き上げた書面に目を走らせる。

 なかなかの達筆ではあるが、己のほうが上手いと、ちょっと得意になった平佐田は、慌てて得意を打ち消した。失礼だ。

ちら、と上目使いでお館様を見れば、白い目を見張り、おかしそうに笑った。


「此度の事故は、こちらの不始末。どうかお許し願いたい」とまずは平佐田に詫びる。平佐田としては何とも居心地が悪い。

「余所者だから関わるな」と断られた智次の捜索を勝手に行い、しかも聖域にまで踏み込んでいるのだ。平佐田としては罰が当たったとしか思いようがない。酷く叱責され、「今すぐ島を出ていただきたい」と申し渡されても無理のないところだ。

 平佐田が自身の非を詫びると、「余所者を聖域に送り込んでいる不埒者は我。罰があたるのであれば、まず我が先でしょう」と肩を竦めた。さらに、

「御子様の神隠しは、ただのでっち上げ。そもそも、我の一族が余計なことをせねば、御子様とて今頃はごゆるりとお休みになっておられたはず。よって、末裔である我が、偽の神隠しを暴き、御子様を解放して差し上げねばなりません。我は、かねてから交流のあった琉球国に助けを求め、囮を使って罠を仕掛けていたのです」と、続けた。

 神隠しは、でっち上げ? 御子様の擁護者であるお館様が語る内容じゃない。納得のいかない平佐田に、お館様は次々と紙を渡した。

 夕刻の隠れん坊に乗じて、島に入り込んだ良からぬ輩が子供を攫って、何処(いずこ)かへ売り捌いている。そもそも「黒御子様の神隠し」を謳い始めたは、黒木御所に出入りをしていた島人のようだ。

 当時のお館様が御子様の神秘性を語るために準備した話でないのかとの疑いもある。島人の誰かが賊と手を組んだのではないかとも。黒木御所を保つためには、金が掛かる。


 せっかく囮を使って罠を仕掛けている間に、子供らが「夕刻の隠れん坊」をしたのでは、意味がない。よって道場で子供らを監視したのではあるが、智次の件で、すっかり意味がなくなってしまった。

 島人の信用をなくしては、道場は保てない。また、滋子が足しげくお館様の元に通っているとの噂は、島人の心を婚儀たる「ハレ」へと向け、子供らも「ハレ」の前には「ケガレ」を避けるはずである。平佐田が屋敷に留まっているは好都合だと、付け加えられていた。


(だから、おいを屋敷に置いてくれているのか)


 島人には、平佐田は急なお呼びが懸かり、琉球国へ出向いている建前となっている。薬草の件だと伝えてあるから、島人は誰も不審には思わぬであろう――とあった。

(『質問本草』じゃな)と、平佐田も納得する。役人も平佐田の立場を承知している。

大体の事情は分かった。お館様の秘密裡の行動に偶然にも関わる事態となった平佐田が、残りわずかの間に、余計なことを漏らさぬようにとの、配慮もあるのだろう。先生たちは全員が島から撤退だ。忘れていた淋しさが蘇る。同時に焦りも。


「智次坊は?」

平佐田は一番気になる事柄を訊ねた。

「一向に。足取りすら見つかりません。捜索は続けます。新たな神隠しが謳われては、敵いません。智次坊の儀は、お任せください」

 一つ息をつきながらも、平佐田としては頷くより他はない。下手に動き回って島人に見つかりでもしたら厄介だ。本土からの迎えが来るまでは、大人しくしているよりないだろう。

(滋子さんとも……)

ふと浮かんだ考えを慌てて打ち消した。お館様に女々しい男だと思われたくはない。

(ふふふ)

突然、頭の中で含み笑いが響き、平佐田はお館様に目を向ける。

笑うなんて、あんまりだ。ちょっと、むっとした平佐田に、

「失礼。ですが、ご心配には及びません。貴殿には島に残っていただきます」

 さらさらと綴った文字を、平佐田に差し出した。首を捻っている平佐田に、お館様が顔を上げる。平佐田は息を呑んだ。

 最初に見た時と同じ。ぞっとするような青味を帯びた白い目が、平佐田を静かに見つめていた。


(ご協力願いましょう。貴殿にはまだ大事な〝密命〟が残っているはず。否とは申されますまいな。山川薬園、薬園師見習い、平佐田玄海殿……)

 頭の中に響く深く静かな声に、殴られたような衝撃を受けた。再び熱が上がったのか、くらくらと眩暈(めまい)がする。それでも。

何故に平佐田の素性を知っているのか。そもそも、協力とは、いかなることか。〝密命〟と、どう関わっておられる……口を開いた簀巻きの平佐田を、

「別嬪みーちがちゅさ~さ。病人や寝てなくちゃね」

 またもや調子の狂う間延び声が、ひょい、と担ぎ上げた。

       



 簀巻きの平佐田は、緊張に体が強張っている。気のせいか、手の先が痺れているような気もする。


(この男……敵か味方か)


担がれて戻った部屋に転がされたまま、平佐田は考える。

 琉球の医者那医……なぜに医者が、島でお館様に協力しているのか。

 答は一つ。琉球王から命令を受けているから。お館様は琉球国とは、かねてから親しいと言っていた。

 事実上、薩摩の属国となっている琉球国だが、国王は決して領主に服してはいない。だからこそ、大殿も「琉球王の宝」たる言葉に飛びついたものと思われる。


 薩摩で育った平佐田にとっても、琉球人は異国人に近い。言葉もさることならば、考えていることも皆目わからない。特にこの、いかにも親切そうな男、やはり、これが……


「悩んでるやぁ、にーしぇーよ。聞きのみぐさぁ~いくとぅや口んかいしれー、わんやお館様とやあらん」      

 がさごそと荷を漁っている四角い顔が振り向いて笑う。これが本当に……

「はぁ~、わんがぬー者かきんかいしはるか。密偵やっさー、やぁ~と同じ」

 信じるもんか。できすぎだ。睨み返す平佐田に、

「疑り深いねぇ、ま、密偵初くくる者としてやでーじなくとぅやっさ~が。うぬちらやあんだしよ、せんせや正直しじーん、わんのさいうにからからと笑ってからいれば、くくるぬうち見抜かれん」

 もっともだ。ん? いかん、いかん。那医の言うとおり、正直しじーん。

「信じても信じなくてもどっちでもいい。ただ、お館様に協力すれば、報酬が出る。稼げる時に稼いどいたほうが良かろう、せんせ、おはん、島津の大殿から、いくらもろうとる?」

 返事が欲しい話には、分かりやすく薩摩言葉を使うらしい。まさか「食うを保障されてるだけ」とは答えられない平佐田は、「それなりに」と言うしかない。

「ふ~ん」つまらなそうに返されれば、平佐田としては面白くない。

「那医さんは?」と聞き返せば、

「まっ、それなりに」と、はぐらかして、そのまま背を向けた。実に面白くない。


 いくら領主の覚えが悪い島だといえ、〝密偵〟がごろごろと入り込んでいるはずはない。琉球人で胡散臭くて島の有力者に協力しているとあれば、間違いなくこの男が「お宝を探している琉球王の密偵」だ。

 第一、本人がそうだと言っているのだから、確かだろう。やはり、なんだかんだ言って、平佐田は那医の言葉を信じている。

「おはん、お宝、探り当てたか?」

那医の質問には、ぐっ、と詰まる。まさか「お宝が何かも探り当てていない」とは言えない。

 黙っている平佐田に、

「ふん……おはんは、掴みどころのない男じゃ。いかにも頼りなく、なよっちく見えるが、思うことには突っ走る。怖がりのようで、肝は据わっとりそうじゃな。まぁいい。お館様に協力すればお宝に近づけるぞ。〝琉球国の密偵〟が言うんじゃ。間違いない」

 説得力がある。長年お宝を追っているという、敵方の密偵の言であらば当然だ。にわか仕込みの〝密偵〟平佐田は、つくづく感に入る。


「相手は賊じゃ。一人とは限らん。さすがの儂でも、一人で二人の相手は難儀じゃ。囮は心配いらんが……戦力としては、まだまだ。せんせは一応、武家の出じゃろ? ちぃとは武術の心得もあろう」

(ない……)ここでまた、平佐田は悲しくなる。何で〝密偵〟なんかになったんだか。

 だが、敵方は小さな子供ですら、囮となって宝を得ようとしている。ここで逃げ腰になっては、薩摩男の名が廃る。やはり、〝お宝〟は譲れない……

「おー、あいびーたん、あいびーたん」荷を漁っていた那医が呑気な声を上げた。

ちら、と那医を窺った、平佐田の心ノ臓が、飛び上がった。薄く笑った那医が近づいてくる。

 平佐田の素性を知るお館様、那医は琉球の密偵のくせに、敵方である平佐田に、協力しろと持ちかける。

 秘密裡に動くお館様と、那医。島人は、事実を知らない。平佐田は簀巻きのままで、今は表向き、島にいないことになっている。そのまま本土へ帰ったとお館様が言えば、誰も疑いはしない。

 恐怖心に駆られた平佐田に、忘れていたへなちょこが訴える。


 断れば、殺される――

(え、えらいことになっとうぞ)


「さていけんすぅ? 苦しゅんか、楽にしてやろか?」

 那医が短剣を手に、平佐田に迫る。

「うわぁ」

簀巻きでありながらも、平佐田は必死の抵抗を試みた。ごろごろと転がる掻い巻きを、那医が追ってくる。

「せんせ、うふっちゅしさばちてうらんと、怪我するよ。へーく楽んかいなりたいびんやー」

 楽になど、なりたくはない。生きていくことは、楽じゃないのだ。


 転がる平佐田を追いかける那医、平佐田は必死だが、何だか那医は楽しそうだ。くくく、と笑う顔が「沢蟹」を思い起こさせた。

(やっぱり、でかい顔は嫌い)つくづく平佐田は思う。

「なんしたはる?」

柔らかな言葉が、平佐田の胸に希望の灯を灯すが、

(待て待て。滋子さんも、協力者の一人。話が、でき過ぎとらんか? 大体、おいが滋子さんみたいな別嬪に、好かれるはずがないんじゃ)

へなちょこが捲し立てる。

「そんなことなか」

反論はしてみたいが、正論には楯突けない。

「はぁ……我儘ぁ言うてるか。お子のような。しょうがへん」

 平佐田は、がっくりと肩を落とす。滋子も、やはり……全身の力が抜けた。

(もう……いいや。滋子さんに殺されるなら、本望……)

「おぉ、だからよー、最初から、うふっちゅしさばちてればゆたさんんやっさー。流石んかい惚れのみぐさぁ~いなぐぬあびるくとぅやちゃ~聞くな」

 にかっ、と笑った那医の腕が、平佐田を、がっし、と捕まえた。

            



(幸せじゃ……)

地獄の後の極楽は、尚のこと心を満たし、解き放たれた体も軽い。

「せんせは、肉布団がないからの。掻い巻が隙間だらけじゃ。こりゃあいかん思うて縛ったつもりが、ちぃと度が過ぎた」

簀巻きになるはずだ。

妙に強張った体も、手の先の痺れも、緊張のせいではなかったらしい。解き放たれた体は爽快だ。

 ついでに掻いた汗も拭い、「あ~ん」で粥を滋子から食べさせてもらえれば、平佐田としては、もう、死んでもいい。

 最高の幸せを味わった平佐田に、「ほな、次は、お薬ね」と滋子が後ろを向いた。

わくわくしながら目を閉じて、ちょっと人前を気にしながらも、ついつい口が尖り、

「せんせ? なんしたはる? そない口ほな、飲みにくいでっしゃろ」

滋子の言葉に目を開けた。

「くくく」大きな背で笑う那医に、(やはり、那医さんは信用できん)と、渋々薬を口に含んだ。

「せんせ、儂がせんせを殺る思うたんか?」

 那医の言葉に、平佐田は、「ぶーっ」と、口の中身を吐き出した。




 結局。密命もへったくれもなく、平佐田は協力する羽目になった。

 胡散臭くても、信用できなくても、敵方であっても、平佐田の嫌いな、でかい顔であっても……


 那医はいい医者だ。それだけは間違いない。

 ただ、うっとりと、見ているだけで顔が火照ってくる滋子が帰った後、平佐田は再び熱を出し、翌日は一日中ずーっと寝ていたらしい。

 平佐田に殆ど記憶はないが、滋子が顔を寄せてくれたことだけは、覚えている。次に見た顔は、あまり見たくないでかい顔で、心の底から心配そうな様子に、とことん平佐田は反省した。悪い人じゃない。

「せんせ、大丈夫か? 明日には「囮」が着く。今日中に治さんと、きついぞ。野宿じゃからな。荷物は纏めておいた。結構、重いぞ。獣道を半日、着いたら罠を仕掛け直しじゃ。せんせが捕まってしもうたからの」

 好きで捕まった訳ではないが、面目ないとは思う。


「特別によう効く薬を調合した。三日分を纏めたんじゃ。少しばかり口当たりは悪かろうが……絶対に効く……と、思うんじゃ。な、頼むから、飲んでみてくれ。責任は、わしがとる。なんなら口移しで……」

 熱がある時は、まともな判断はできないと、〝運だけで医者をしているらしい〟那医に背を向けた。那医は〝いないほうがいい〟医者かもしれないと思い直す。


 たまたま偶然に熱が下がった平佐田は、

「せんせ、怪我せいでな、うち、待ってるさかい」と可愛く言った滋子に、でれでれと鼻の下を伸ばしたまま、荷の中身を探っている次第だ。

(ええっと、火打石と竹筒と、蝋燭……あ、提灯もいるね)

 大きな頭陀袋に頭を突っ込んでいると、

「おまのみぐさぁ~せっ」間延びした声が庭に響いた。

 どうやら「囮」が着いたらしい。もたもたと頭陀袋から頭を抜こうと努力する平佐田の耳に、

「ぬーが、賢坊か。石坊やちゃーさびたが」

 奥から出てきたらしい那医が琉球の言葉で「囮」に向かって言い、

「ぬーがやねーらんやっさ~ろ。石にーにーややまとぅんかい行ってからる。ぬーがかはたはたーらしい。わんが代わりやっさー、文句あんか」

 結構、生意気そうに「囮」が返す。

「わっさいびーん、頼りんかいしはるから、ちばてぃくれ」

 ようやく頭陀袋から顔を出した平佐田に、那医が肩を竦めて見せる。

「えへん」

胸を張った子供が平佐田に目を向け、顎をしゃくる態度がいかにもだ。

 多少なりとも驚いた平佐田が、「琉球の子供は皆こうなのか」と那医に耳打ちすれば、「う~ん」と間を置いた那医は、「儂の周りは」ぽそりと答えた。

「へーくさんか。ものみぐさぁ~しはると、えーてくぞ」

 実に生意気な子供だ。だが、「囮」がなくては〝密命〟には近づけない平佐田としては、四の五の言っている場合ではない。那医は既に荷を背負っていて、さっさと縁を下りた。

            



「も~ゆたさんか、まぁ~だだしよぉ~」

 澄んだ子供の声が夕暮れに溶けていく。

(なんだかちょっと違うような……)

「こらこら。賢坊、間違ってからる。教えた通りんかい、言わんかっ。ここは琉球と違うぞ、もう一回!」

 木の上から、那医が叫ぶ。平佐田の目の前には、魚臭い網がとぐろを巻いている。

「う~」と唸る賢坊は、不満そうだ。

(気の毒に)

 どれほどの報酬を受けているかは知らぬが、まだ小さな子供だ。那医とは顔見知りのようだが、知らぬ土地へと送り込まれ、荷を背負わされて、獣道を半日も「囮」たる危険を伴う仕事をさせられれば、搖坊であれば既にへたり込んでいるはずだ。

 だが、賢坊は文句も言わず、那医の指示に従っている。教えられた言葉を馴染んだ言葉で口ずさむ訳はきっと、賢坊なりの反抗なのであろう。

 なのに、那医は賢坊に容赦ない。先ほどからもう十数回ほども繰り返す「も~い~かい」には、聞いている平佐田ですら、疲れるほどだ。

「よし。これでいい」

 するすると木から降りた那医が、

「せんせ。罠を隠すに、葉が要る。集めにゃならんから、手伝うてくれ。いいか、賢坊。戻るまでに言えるようんかいとしーけ」

 容赦ない一瞥を向ける。賢坊は黙って頷いた。

 平佐田は、なんだか可哀想になって、ほんの少し笑ってみせる。賢坊は平佐田を見て、ぷぃ、とそっぽを向いた。やはり、生意気だ。


 黴臭さと、ほんの少し漂う硫黄の生臭さに辟易としながら、平佐田と那医は落ち葉を集めて袋に詰める。罠のある林の向こうからは「も~ゆたさんか」が続いている。

(真面目だなぁ)感心する平佐田に、

「賢坊は、耳がようない」

落ち葉を掻き集めながら那医が、ぼそりと呟いた。

 顔を上げた平佐田に、那医はちら、と目を向け、再び落ち葉を掻き集めた。

「琉球国は昔から、多くの侵略に苦しんでおる。海を渡って来る者は後を絶たん。略奪と暴力の後に生まれる子供……島のもんは略奪者の子を、魔物の子として忌み嫌う。白い目で見られ、理不尽な扱いを受け、暴力などは、当たり前だ」

 では……賢坊は、略奪者の暴力によって生まれた子だと言うのか。

 何も知らない幼子を、人々が小突き回す様が脳裏に浮かんで、ぞっとする。「痛いよ、やめてよ」の子供の叫びは、人々の耳には届かない。

「そんな子供らを集めて育てたが、琉球王じゃ。肉親たる柵を持たぬは、神が琉球国に落としていった子供だと。子供らは、様々な教育を受ける。全ては王のために。王は神こそが世を統べるべきとお考えじゃ、儂らはそのために各地に散り……」

 那医はふと、そこで口を閉ざした。琉球人は信仰心が厚いと聞く。「ニライカナイ」たる海の向こうの故郷に、神様がいるという……

(海とは、不思議なものじゃな)

 海神様の禊ぎを受けた平佐田は、しみじみと思う。


「賢坊も、いずれ儂のようになる。耳がようない事実は、どうもならん。だが、悪いもんは、別のどこかで補わねばならん。話ができなくては〝密偵〟として成り立たんし、相手に不備を悟られるは、命取り。いずこの地へ行っても、土地の言葉を話せなくては、〝密偵〟は務まらん。子供の内に慣らしておかねばならんのじゃ。甘やかしては、賢坊のためにようない」

 つまりは、琉球王は子飼いの〝密偵〟を育てているわけだ。こらぁ、本物の〝密偵〟だ。平佐田は、己のいい加減さに恥ずかしくなる。

 いささか肩を落とし気味の平佐田の背を、ぽん。と大きな手で叩き、

「せんせ……おはんは、不思議なお人じゃ。何故か、せんせには余計なことまで話しちまう。結構……〝密偵〟に向いとるんかもしれんよ」

 那医は、がはがはと笑った。

         



 その晩――

 狭い穴倉に潜り込んだ三人は、酒で干し肉を腹に流し込んだ。さすがに子供である賢坊は、すぐに酔いが回って、さっさと寝てしまった。

「おやすみ」那医の教え通り、口を大きく開けて声を掛けた。ところが、賢坊は、ぷぃ、と背を向けた。余程、嫌われているらしい。

「おはんを、敵じゃと思うとるんじゃよ。琉球国に乗り込んできた薩摩の〝密偵〟じゃから。あれは、王を慕っとる。此度の囮役は、願ってもない機会だ。石坊が他へ回されて、絶対に自分が行くと、言い張ったそうじゃ。宝を持ち帰り、王に褒めて欲しいんじゃな」

 そうそう、お宝だ。随分と酔った那医に、平佐田は訊ねることにした。

 こうなれば、恥も外聞もない。病明けの体に、慣れない半日の山歩き、舐めた酒が、平佐田の思考を和らげている。聞くなら今しかない。


「何じゃ? 知らんかったんか」


 四角い顔が間抜けに広がる。かなり驚いたらしい。ふ~ん。

 しばし考えた末、那医は「まぁ、いいだろう」と話し出した。

「はぁっ? 旗? 何で大殿が、そげなもんを欲しがるんじゃろ」

「そりゃ、こっちが聞きたい。島津の大殿は、蘭癖が昂じて、そんなもんまで集め始めたか、或いは財政難に窮し、オランダと組んで海賊稼業でも始めるつもりかと……」

 琉球王が探しているオランダの旗は、海賊行為をするオランダ船から逃れるためのもので、領主が出島の商館長に依頼して手に入れたものだそうだ。

 オランダ船が海賊行為をするとは、平佐田には驚きであったが、「商売とは、そういうもんよ」那医の言葉に納得した。

 出島から次の貿易地に向かうオランダ船の荷の中は、清国の船を襲って奪った品々で溢れていると言う。

 琉球船は清国からの賜りもので、同じ形の琉球船がオランダ船に襲われる可能性は高い。よって琉球船は襲ってはいけない船の印として、オランダの旗を掲げていたそうだ。

 ところが、倭寇の手によって奪われた。

「で、倭寇が硫黄島に旗を隠した、との情報を得てな。王は、かねてから親しくしておったお館様に、話を持ちかけた。すると折も折、お館様もどうも島に良からぬ輩が入り込んで困っていると言う。そこで精鋭である儂が命を受けたと言うわけじゃ」

 豪気な精鋭が、「がははは」と笑う。気配に怯えたか、賢坊が、びくっ、と震えた。


「儂は思うんじゃが……大殿も知らんのと違うか? いくらお元気とは言え、大殿はいい加減、お年じゃ。今更、海賊稼業に乗り出す元気もなかろうし、オランダの旗なんぞ、欲しくもなかろ。もっともらしい話をでっち上げて、「お宝は手に入れられる品ではありませんでした」と、おちをつければいいんじゃ。琉球国は神の国。まさか大殿でも、神様の物を取り上げようとは思うまい」

 神様の物か――それはまた大事だ、と平佐田は思う。その一方で、確かにオランダの旗を「お宝」として持ち帰るはどうかとも思う。

 大殿が本当に「お宝が何なのか」を知らなければ、オランダの旗なんぞ持ち帰って、納得してもらえるかどうか。

 わからねばわからぬで、頭を悩ませた「お宝」は、わかったらまた、わかったで、平佐田を悩ませる。「お宝なんて要らんっ」やけ気味に平佐田は思う。


 小心者の平佐田は「いかに大殿を誤魔化すか」に日々、頭を悩ませながら、那医と賢坊たる敵と一緒に罠を仕掛ける。

 なんだか、わけがわからない。罠に掛かる獲物もなく、すっかりと上手くなった賢坊の「も~い~いかい」に感心しつつ、数日が何事もなく過ぎた。

「そろそろ一旦、引き上げるか」那医の言葉に、

(やったぁ、滋子さんに会える)平佐田が内心わくわくしながら、穴倉を出た日は、うっすらと白い硫黄が立ち込めていた。

「危険じゃなかね?」

 まだ白は薄いが、ここは、山の中だ。里であればこの程度ならば問題はないが、ただでさえ聖域は危険だと聞いている。この上、更に白が立ち込めるようになれば、一気に視界が奪われる。山は里よりもずっと、神様の力が漲っているのだ。


「心配は要らん」那医はこともなげに言い、賢坊は「ふん」と平佐田を一瞥して、元気良く走り出した。

「も~い~かい」

楽しげな声が白の中を遠ざかる。自ら望んで白に駆け込む姿を、白い靄が包み込むように迎える。

 智次と縁に座った日が蘇ってきた。真っ白な中からひょっと手が伸びてきて、智次を捕まえて、どこか遠くに連れ去ってしまうかに思えた、あの日……。

 平佐田には、小さな後姿が、智次と重なって見えた。

「智次坊!」

 平佐田は智次を追って、白の中に駆け出していた。


御覧頂き、有り難うございました。次回また、お立ち寄りいただけましたら幸いです。

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