伊勢の海に 釣りする海人の うけなれや
よみびとしらず
伊勢の海に 釣りする海人の うけなれや 心ひとつに 定めかねつる
(巻第十一恋歌上509)
※うけ:ウキ
私の心は、伊勢の海の釣り人の釣り糸のウキと変わらないようです。
ゆらゆらと揺れて、一つに定まることがないのですから。
心ひとつに定めたいけれど、「ここで(この人で)大丈夫」という確信が持てず、「波(人の噂)」に、結局、心は揺れ続けてしまう。
※源氏物語「葵」で、六条御息所のもの思いの言葉にも引かれている。
六条御息所の娘(秋好)が伊勢の斎宮に決定した。
源氏の通いも絶えてしまった今、若い貴公子と浮名を流したと世間に噂される恥ずかしさもあり、御息所は斎宮とともに伊勢に下ろうかと考えていた。
そんな折、葵の上が妊娠。
気分が優れない葵の上ではあったけれど、周囲の勧めもあって葵祭りの見物に牛車で出かけた。
通りは見物の牛車で立て込んでいて、車を止める場所がない。
葵の上の従者たちは他の車を押しのけて止めようとするが、そこにあったのは六条御息所の乗った牛車。
双方の従者が乱闘となり、御息所の牛車は破損。
御息所は、伊勢に出発する前に、祭りに登場する源氏の姿を見ておきたいと身を潜めてお忍びで見物に来たのにもかかわらず、市井に大きな恥を晒す結果となり御息所はもの思いに乱れる。
「伊勢の海に 釣りする海人の うけなれや」と詠んだ昔の人のように、海人のウキのように、心がフラフラとして寝ても覚めても思い悩むので、病人のようになってしまう。
ところが源氏は、伊勢に下ることには、無関心。
「とんでもない」と強く止めることも、してくれない。
そして、この六条御息所の思い悩みが、かの有名な「生霊事件」に繋がって行く。




